第十三章 第三話
「さぁ、佐藤和人、来なさい。
貴方が繪菜ちゃんを救えるかどうか、試してあげる」
──は?
前の戦いのダメージが抜け切っておらず、床に座ったままの俺は……舞奈先輩が突如放ったその声に、流石に唖然として固まってしまっていた。
何しろ、俺はもうボロボロにも等しい状況である。
しかも舞奈先輩はさっき負けたばかりで、疲労も残っているだろう。
「姉さん、一体、何を……」
事実、勝ったはずの舞斗のヤツも、突如訳の分からないことを言い出した姉を見ながらオロオロと戸惑うばかりだった。
「舞斗、貴方は胸を張りなさい。
繪菜ちゃんのための盾になれるほど強くなったのですから」
「え、ええ?
えっと……」
実の姉がそう告げても、やはり舞斗は何処か自信なさ気にあちこち視線を彷徨わせるばかりである。
──やっぱりどっか情けないヤツだなぁ。
……いや。
この場合はどちらかと言うと、あの舞奈先輩の考え方がぶっ飛び過ぎているのだろう。
弟の成長を「繪菜先輩のための盾」と断言し、自分自身の敗北すら意に介していない。
こんな彼女だからこそ、舞斗のヤツは必死に姉を超えようと……姉に認められようとしていたのかもしれないが。
──そして、俺との戦いを望んでいる、か。
彼女が何を考えているのかなんて、今の俺にはさっぱり理解が出来やしない。
そして、俺自身の身体も万全とは言い難かった。
……だけど。
「よっと」
それでも俺は立ち上がっていた。
何故ならば……
相変わらず無茶苦茶ばかり言っていて、凶悪極まりない超能力を有している筈の舞奈先輩の瞳は……何故か無力感に苛まれているようにも、俺に助けを求めているかのようにも見えたからだ。
恐らく、彼女は何らかの困難に直面していて……いや、違う。
彼女の友人である「繪菜先輩が」困難に直面しているからこそ……そして彼女自身が何も出来ないからこそ、その助けを俺に求めているのだろう。
実の弟である舞斗を……あれだけの戦闘力を手に入れた舞斗をして「盾になれる」としか言えないほどの困難に。
だからこそ、俺が繪菜先輩を救えるか、試そうとしているのだ。
「ちょ、師匠。
幾らなんでも無茶やないんか?」
「昨日今日で何連戦していると思っておりますの?」
「……無謀」
級友の声を背中で聞き流しつつも、俺は脚を先輩の方へと向ける。
とは言え……別に俺は、彼女の期待に応えらえる自信なんてありはしない。
そもそも、万全の状態であっても、素手の俺では『剣の舞』との異名を持つ鶴来舞奈に勝てる自信すらないのが実情だった。
だけど……ここまで期待されている以上、応えなきゃ漢じゃないだろう。
俺はそう決断すると……体育館の中心部へと歩いて行く。
──ダメージは、表層上はない、か。
歩きながらも俺は、自分の身体をそう診断していた。
それなりに休息を取った今ならば、特に問題なく動き回れるだろう。
ただ、あくまでもダメージが完全に癒えた訳ではなく、休んだお蔭で深いところに沈んでいるというだけで。
……もし一撃でも貰った場合、一気に隠していたダメージが噴き出てくる恐れがある。
──長期戦は無理、か。
少なくとも消耗前提の乱打戦や、被弾覚悟の特攻は使えない、ということである。
──そもそも刃物を作り出す彼女の能力は、被弾したら人生が終わってしまうレベルの、凶悪な能力ではあるんだが……
そう俺が考えている内に、いつの間にか俺は序列戦の場へと出向いてしまっていたらしい。
「では、序列三位決定戦……始めっ!」
ゴリラ教師のそんな叫びが体育館中に響き渡る。
「確かめさせて貰うわよ。
佐藤和人、貴様の本気をっ!」
序列戦開始を合図に、舞奈先輩は叫びながら七本の剣を中空へと展開させる。
──やはりっ!
先ほど断ち切れた筈の刃物が再び虚空に浮かんでいるのを、俺は少しの落胆もなく見ることが出来た。
……そう。
さっきの姉弟対決は、少しあっけないと思っていたのだ。
彼女は弟に断ち斬られた剣を、再び現出させようとしなかったからである。
まぁ、例え剣を回復できたとしても、あのままであれば舞斗のヤツが勝利していたのは間違いないのだが……幾らなんでも舞奈先輩の諦めが早過ぎた。
──この戦いのため、か。
俺の本気を確かめるという理由のために……この鶴来舞奈という女性は、恐らくは繪菜先輩のために、弟に負ける屈辱すらも受け入れたに違いない。
だからこそ……
「ああ、きやがれっ!」
俺は本気を出すためにそう叫ぶ。
彼女の企みはまだ分からない。
……何も聞かされていないのだから、分かる筈もない。
だけど。
舞奈先輩は自分自身の欲のために何かをするような人ではなく、その行動はあの繪菜先輩……Dの二つの膨らみの為だと分かっている。
だからこそ、俺は彼女の無茶な要求にも異を唱えることなく、両の手を軽く握り、顔の前へと手を上げ……まっすぐに構えていた。
無駄な力みも躊躇いもない、完全なる自然体のまま……俺の最盛期と全く同じ構えである。
そんな俺を見た舞奈先輩の手がふっと上がり……
「喰らいなさいっ!」
そう叫んだ、その瞬間、だった。
──隙、だらけだ。
俺はその彼女の意識が攻撃へと完全に向かったその刹那、彼女の身体の周囲を舞う剣の群れの最中に道が生まれていた。
……彼女の意識が攻撃に向いたが故の、意識の死角。
以前はなす術もなく追い込まれた筈の、舞奈先輩の攻撃をそうして見切れるようになったのは、連戦に次ぐ連戦の所為で、ようやく俺が最盛期の動きを取り戻したから、だろう。
──動けぇええっ!
その刹那を俺は見逃さず、身体を剣と剣との間を縫い通すように前へと運ぶ。
……しかも、ただ突っ込んだだけではない。
対戦相手に身体の力みや体重移動で動きを事前に知られることのない、『縮地』とも呼ばれる古武術の奥義とも言うべき、一つの技量を使って、だ。
尤も、俺のは曾祖父がやってみせたような、『瞬間移動』と見紛うような代物じゃなく、あくまで相手に悟られ難い高速移動でしかないが。
……ただ、その効果は絶大だった。
「え?」
攻撃に意識を向けた隙だらけの瞬間に、今までの俺の動きとは全く違う、前兆を感じさせない前進が重なった所為か……舞奈先輩は一切反応出来ていなかった。
彼女の操る七本の剣が未だに、さっきまで俺がいた筈の虚空へとまっすぐに動こうとしていて……俺の動きに彼女の意識が全く反応し切れていないのが分かる。
そして……それは彼女の身体も同様だった。
俺がその懐に飛び込もうとしていても、ただ戸惑うばかりで……後ろに下がすことも抵抗することすらも思い浮かばない。
「はっ!」
そのままあっさりと彼女の懐を取った俺は、口から呼気を吐き出しつつ、右の掌底を彼女の左側頭部へと叩き込む。
「……ぁっ?」
その一撃を無防備に喰らった舞奈先輩は、衝撃に脳を揺らされた途端、身体から力を失ったかのように、ぐらっと身体を傾げ……
「まだまだっ!」
……それでも、彼女なりの意地があったのだろう。
突如、その右手にソードを一本生み出すと、そのまま大きく振るってきた。
「っと?」
「起こり」からその攻撃を予測していた俺は、大きくサイドステップをすることで、その斬撃の範囲から飛びずさる。
実際……舞奈先輩の剣技は素人以外の何物でもなく、今の俺にしてみれば腕を振るう前の筋肉の動き、視線の向き、そして体重移動などからその斬撃を予期するのは雑作もない。
そして今の俺の動きなら……来ることが分かっている素人の剣技なんて、苦もなく躱すことが出来る。
「く、流石ね。
でも……私はまだあれくらいじゃ負けないわよっ!」
俺の掌底を側頭部に喰らい、しかも必死の反撃を難なく躱されたというのに、舞奈先輩はまだ元気いっぱいにそう叫んでいた。
──その頑丈さと根性は尊敬に値する。
大の大人でも昏倒しかねない俺の掌底を喰らい、それでもまだ反撃する余裕があるのだから。
……だけど。
「……もう、無理だ、姉さん」
彼女の現状は、外野で見学していた舞斗のヤツの方がよく分かっているらしい。
「俺に変わってくれ。
俺が、姉さんの代わりと務めるッス!」
舞斗は姉のためを思ってそう叫ぶ。
「馬鹿な、誰が、そんなっ!」
しかし舞奈先輩はプライドの所為か、それとも別の理由からか……その弟の思いやりを受け入れられないらしい。
そう叫ぶと俺の方へ一歩踏み出し……よろける。
……ダメージが脚に来ているのだ。
気持ちや決意とは関係なく……脳の三半規管のダメージは無情にも彼女の平衡感覚を奪ってしまっている。
意思によって物理法則を捻じ曲げる超能力者であっても、意思によって三半規管のダメージをかき消すことは不可能という、ある意味皮肉な話ではあるが……。
「こんなこと、くらいでっ!」
歩けないことに気付いた舞奈先輩は自分の超能力を使って俺を攻撃しようと手をかざす。
……とは言え、歩くことすら出来ない人間が、超能力を自在に使える筈もない。
ガン・ガン・ズン・ガン・ギィン。
先輩の操ったソードはレイピアを叩き落とし、クレイモアは天高く舞い上がり、エストックはシミターにぶつかってへし折れ、シミターは床へと突き刺さり、ソードとショーテルは空中で激突して両者とも転がり落ちていた。
「……なによ、これ?」
自分の超能力が思ったように使えないことに今更ながら気付いたのだろう。
舞奈先輩が呆然と呟く。
「……三半規管へのダメージの所為だ」
そんな彼女に向けて、俺は無情にもそう告げていた。
「平衡感覚を失ったことにより、先輩が空間を把握することは不可能になった。
それは即ち……剣を自在に操れなくなったことを意味する」
……そう。
鶴来舞奈先輩の能力が恐ろしいのは、剣速でも威力でもない。
あの七本もの様々な形の剣を一つ一つ、まるで手足のように操って相手を追い詰める、その精密さにこそにある。
である以上……平衡感覚を奪われ、精密な操作が不可能になった舞奈先輩は、もはや俺にとっては敵ですらなかったのだ。
「ぐ、くっ」
それを理解しつつも、舞奈先輩は負けを認めたくないのか、必死に剣を操ろうと手を握り絞めていた。
……ただ、幾ら祈ったところで何も変わらない。
彼女の唯一にして最強の武器が砕け散ったという事実には、何の変りもないのだから。
「これで、終わりだぁあああああああっ!」
「くそぉおおおおあああああああああっ!」
俺の特攻に、舞奈先輩の絶叫が重なる。
彼女の振るってきたソードの、その振るう腕を左手で押さえることで、俺は彼女の攻撃を防ぐと……
「ぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
彼女の腕を掴んだまま、更に彼女のAしかない胸元……いや、襟を右手で掴み、身体を捻る動作によって、その身体を一気に『担ぐ』。
──背負い。
もはや知らぬ者もない柔道の大技をもって、俺は鶴来舞奈先輩の身体を体育館の床へと叩きつける。
一切の情け容赦ないその投げ技は、完全に決まっていた。
と言うか、鶴来舞奈先輩は多少撃たれ強かろうと多少根性があろうと……格闘技は素人でしかない。
受け身も知らない彼女は、全身を走る衝撃に息すら出来ない有様だった。
そして……当然のことながら、もう彼女は立ち上がることすら出来ない。
渾身の投げが決まった所為か、そのスカートがまくれあがり色気の全くない白の下着が見えているが、舞奈先輩はそれを直す力すらない状況だったのだ。
……完全に、戦闘不能だった。
しかしながら、さっきの投げがあまりにも非情だった所為か、それとも勝負が終わったことをまだ理解できないのか。
俺たちの戦いを見守っていた筈のギャラリーからは、一切の賞賛も労いも感想の言葉すらも零れ出ない。
ただ誰もが静まり返り、先ほどの戦いを反芻しているかのようにも見えた。
──仕方ない、な。
そう内心で呟いた俺は、勝ったことを……いや、試合が終わったことを周囲に示すためだけに、右手を大きく天井に向かって掲げる。
「しょ、勝者っ!
佐藤和人っ!」
その俺の動作で我に返ったらしきゴリラ教師がそんな宣言を大声で告げ。
体育館中で俺たちの戦いを見守っていた全校生徒マイナス一名は、その宣言でようやく忘れていた言葉という意思疎通のツールを思い出したのだった。