第十二章 第六話
──このままじゃ、勝てない。
亜由美と対峙しつつも、俺は内心でそう結論付けていた。
何しろ、この中空亜由美の持つ『空中歩行』という超能力は、そもそも古武術を使おうにも、俺の射程外からの攻撃が可能なのだ。
今まで俺が対戦した超能力者の中では……『布操作』の由布結、『念動力』の遠野彩子や『鋼鉄変化』の芳賀徹子辺りが戦い方としては近いだろうか?
その三人共に何とか撃破してきた俺ではあるが……その三人と比べても、亜由美のヤツは練度が桁違いの上、上空という不可侵領域に陣取っている所為もあり、近づくことすら出来やしない。
──しかし、その三人に似ているんだったら……
亜由美と距離を置いたお蔭で、冷静に考える時間が出来たお蔭だろう。
俺はその三人を倒した時を思い浮かべ、亜由美を攻略する手段の糸口にしようと考え始めた。
──由布結のように武器を引き寄せて……
……無理だ。
先ほども試してみたが、武器を掴んで引き寄せようにも、亜由美がそれを許すハズもなく……棍を掴むことすら至難の業である。
一撃を喰らって無理に掴もうにも、デコピンみたいなあの一撃がある以上、一発でノックアウトされるのがオチだ。
──遠野彩子のようにスタミナ切れを狙って……
……これも難しい。
何しろ亜由美のヤツはあれだけ猛攻を仕掛けて来て、しかも色々な能力を使っているにも関わらず、まだ息一つ切らしていない。
これは亜由美の超能力が「空中に身体を浮かべるための力場を置く」というだけの、何の捻りもない単純な能力だからこそ、使用するスタミナも最小限で済むのだろう。
元々亜由美のヤツは暇があれば浮かんでいて……超能力の無駄遣いではこの『夢の島高等学校』でもトップクラスなのだ。
それほどのスタミナを誇る相手に持久力勝負なんて、デンプシー□ールを使う日本王者相手にスタミナ勝負を仕掛けて海の底を狙う級の労力を要するだろう。
……そして俺はそれほど持久力には自信がない。
──芳賀徹子のように、一気に踏み込んで……
これも却下である。
武器の練度自体では亜由美のヤツも芳賀徹子もそう大差ないのだが……生憎と亜由美は「頭上」という逃げ場がある。
何しろ今は地上近くにいて追いかけることは可能でも……距離が縮めば彼女は空へと逃げてしまうだろう。
──つまり、勝ち目が全くない、か。
俺の思考が勝手にそう結論付けた所為か。
俺の身体は勝ち目のない相手……つまり亜由美との距離を開こうと後ろへ下がり……
「おい、師匠!
逃げてどうするんやっ!」
「そうですわっ!
情けないですわよっ!」
「……チキン」
……外野から野次を浴びる。
どうやら遠音麻里先輩の人形を無茶苦茶叩き壊した所為で脅えられていた一件は、亜由美のヤツに一方的に打ちのめされている情けない姿が上書きされたことで、完全に忘れ去られてしまったらしい。
その事実に俺は軽く安堵するものの……
「そんなの槍で突き落せば簡単でしょうっ!
もしくは棒手裏剣とかダーツとかっ!」
「……三節棍や石礫でも可」
雫とレキ……遠中近距離全てを網羅できる超能力者のその叫びが耳に入ってしまう。
俺はその二人を横目で睨み付けながら、「勝手なことを言うな」と内心で舌打ちをするものの……
──逃げて、どうなるっ!
すぐにそう結論付ける。
俺は古武術しか……この両腕と両足以外に攻撃の手段がないのだ。
である以上、近づかないと話にならない。
──待てよ?
近づかなければ、勝てないのは紛れもない事実ではある。
……だけど。
──離れていても、何も出来ない訳じゃない。
……そう。
──まっとうに正面から戦っても勝てない相手ってことは……
──まっとうじゃない手段なら、勝てるんじゃないか?
そう心を決めてしまえば、後は簡単だった。
ここ数日間、戦い慣れたお蔭か、俺は瞬時に外道極まりない戦術を幾つか思いつき……その中で三つほど有利に決まるだろう手段を選び出す。
「へへっ。
和人、ようやく覚悟が決まったのかな?」
気合を入れ直した俺を見て、どう思ったのだろう?
未だに逆さまになったままの亜由美のヤツは、自分が優位にあるのが嬉しいのか、そう楽しそうに笑うと……その手に持った棍を二度三度と回し、牽制してくる。
プレッシャーをかけることで、このまま一方的に戦いを進めているつもりらしく、俺の射程内にその身を置いたまま、徐々に近づいてきている。
……だけど、今の俺はそんなもの、脅威とすら思わない。
ただ、彼女をまっすぐ正面に見据え、目を目を合わせて逸らさず、腰を落とし両腕を上げていつでも跳びかかれる体勢をしつつ……
「あ」
俺は、ふと、横を向いてそう呟いた。
「え?」
……効果は、絶大だった。
亜由美はあっさりと俺の秘技『よそ見』に引っかかり、右手の方を振り向く。
その視界の先には……亜由美のヤツなんかとは比べ物にならないほど凄まじいサイズの、数寄屋奈々様のG級のおっぱいが鎮座されていたのである。
「……おっぱっぉっ?」
亜由美がそう呟くのと、彼女の懐へと無音で飛び込んだ俺のハイキックが彼女の側頭部を貫くのはほぼ同時だった。
「うわ、師匠、汚ねぇっ!」
「幾らなんでも今のは酷い過ぎますわ」
「……外道」
当然のことながら、俺の秘技には外野から野次が入る。
まぁ、好感度が下がるのを承知の上で、こういう戦い方しか出来なかったのだから、それは覚悟の上だったのだけど。
──一つ目で、何とかなかったか。
俺はハイキックによって側頭部を強打した亜由美が吹っ飛び、そのまま俺の身長くらいの高さから落下したのを見届けつつ、そう内心で呟いていた。
実際……俺は策を三つ練っていた。
「よそ見」「死んだふり」「カエルパンツ」の三つである。
一つ目の「よそ見」は効果的に決まった。
二つ目の「死んだふり」は……わざとKO寸前まで追い込まれることで相手の隙を狙うという外道な技で、かなりリスクを伴うから出来るだけ使いたくなかったのだ。
最後の「カエルパンツ」は……体操服の短パンの隙間から見えている、亜由美の下着を指摘することで、羞恥心を煽るという……「死んだふり」以上に外道な技である。
恐らく、あれだけ下着を意識してから数日後しか経っておらず、まぁ、効果はあったのだろう。
……級友からの好感度落下を今の倍以上は覚悟しなければならなかっただろう技で、本当に奥の手だったのだが。
──まぁ、他の二つを使わずに済んで助かった、な。
事実、亜由美は先ほど直撃したハイキック一発だけで、床に倒れたまま動かなくなっていたのだから。
──やはり、体重が軽い分、脆い。
それをカバーするための棍であり、超能力であり、杖術だったのだ。
……そんな素晴らしい技術を全て水泡に帰させた「一瞬の気の緩み」という存在が如何に恐ろしいものか。
俺は亜由美の姿を眺め、今さらながらにそう思い直していた。
……ただ、思っていたよりも蹴り足への感触が軽かった、ような。
いや、亜由美のヤツの体重が軽過ぎるのか、それとも彼女の『空中歩行』という能力に関係があるのかもしれないが……
と、俺が倒れたままの亜由美の姿に眉を顰めた、その時だった。
「……やはり、こうなりましたか」
亜由美が杖術を習っていたらしき奈美ちゃんが、弟子の惨状を見ても眉一つ動かさないまま、そう呟いたのだ。
「こうなるって分かっていたんか?」
「……ええ。
技術を伝えることは出来ますが……心得を教えるには時間が足りませんでしたので」
奈美ちゃんのその言葉を聞いた俺は、怖気を隠せなかった。
──もし、亜由美のヤツがああいう性格じゃなかったなら?
──もし、亜由美のヤツが俺の企みを見抜けるような性格だったなら?
考えるだけで、今日よりもまだ酷い戦いを強いられることになるだろう。
……勿論、それならそれで何とか勝ち目を探しただろうけれど。
「そう言えば、音無さんも似た手で負けていましたっけ」
「……師匠はいつもそう」
「ええ、まぁ……虚を突かれると弱いのは万人共通ですし」
雫とレキにそう突っ込まれ、達人の筈の奈美ちゃんが冷や汗をかいて弁明をしているのを横目で眺めつつ、俺は大きくため息を一つ吐いていた。
──俺は、勝ったのだ。
……勝ち方やその評判は兎も角。
そう俺が気を抜いた、その瞬間だった。
「反則御免、貰ったぁああああああああああああああっ!」
床に伏し戦闘不能と思われていた亜由美が、『倒れたままの姿勢のまま』棍を手にこちらへと向けて凄まじい速度で飛び込んで来たのだ。
……だけど。
「甘い」
俺は、それを予期していた。
と言うか、この「死んだふり」という奥の手は俺自身が練っていた策の一つでもある。
……そもそもあの軽い感触のハイキック一発で気絶はオーバーだと思ったのだ。
だから、「もしかしたら、こうなるかもしれない」と思って俺は気を完全には緩めなかった。
実写版の対空牙突のような、空中を飛びながらのその一撃を、俺は軽く首を捻って躱すと、掌底を彼女の額目がけて思いっきり振り抜く。
──カウンター。
拳を使わなかったのは、情けをかけた訳でもなければ手を抜いた訳でもなく……ただ単純に拳が潰れるのを嫌ったからである。
何しろ……それほどまでに亜由美の突進は早かったのだ。
である以上……カウンターを喰らったそのダメージも洒落では済まないもので……
「うわ、白目剥いてるやん、これっ!」
「ヤバいですわっ!
早く、保健室へっ!」
「……緊急事態」
「頭を揺すってはいけません。
もうちょっと静かに、ええ、そう……後遺症が残るほどじゃないでしょうから」
羽子・雫・レキ、そして亜由美の師匠をやっていた奈美ちゃんが、倒れた亜由美を保健室へと運ぶため、慌てて体育館を出ていった。
──しかし、亜由美のヤツがああいう戦法を取るとはなぁ。
あれだけまっすぐの性格をした亜由美が、相手の隙を狙う、油断を無理やり誘うという、いわば『裏』の技を躊躇なく選択したことに、俺は驚きを隠せなかった。
──一体誰の影響でああなったのだろう。
「……愚問」
頭を捻っていた俺にそう告げたのは、いつの間にか背後に回っていたおっぱい様その人で……俺はその一言にため息を吐き出す。
……そう。
分かってはいたのだ。
──あんな……虚を突くなんて、亜由美の性格には似合わない選択肢を植え付けたのが、誰の影響か、なんて。
ただ……それを反省するにしても、勝ちは勝ちだった。
亜由美が運ばれていった、空いたままの体育館の扉にもう一度視線を移すと、俺は再びため息を大きく吐き出す。
──勝ったぁ……。
あんな小柄な少女でしかない中空亜由美に一方的に殴られた所為で身体はあちこち傷だらけ。
しかも取った戦術は卑怯の一言、その挙句、必要以上のダメージを与えて後味は悪い。
挙句に反則ギリギリの裏技を教え込んでしまったという後悔までもを含め。
そして勝ったのはただ一つ……「序列六位」という称号と、僅かなテストの点数のみ。
……それでも。
亜由美みたいな強敵と戦い、勝利したという事実。
その勝利の美酒とも言うべき感覚に、知らず知らずの内に俺は小さくガッツポーズを取っていたのだった。