第十二章 第二話
「では、序列八位決定戦、開始してくださいっ!」
マネキン教師の声が体育館に響き渡る。
そんな中、俺は御守風香先輩の持つ二つのCと対峙していた。
……いきなり突っ込んで勝負を終わらせるつもりはない。
もうしばらくこのちょっと揺れるCを眺めないと……教室で孤立して傷ついた俺の心は癒せない。
そうして俺が、腕を上げるいつもの構えを取った、その時だった。
「ふふふ。宣言してあげる。
……貴方は私に指一本触れることは出来ない」
C……もとい、先輩は俺に向かってそう告げると、手をまっすぐに俺の方へと伸ばし、その手を大きく握り絞める。
その瞬間。
──っ?
ズシンと、突如俺の両腕が重くなる。
……凡そ小学校低学年の子供が両腕にへばりついた感じ、とでも言おうか?
とは言え、腕に何かをされた感触がある訳でもない。
ただ、『重く』なったのだ。
「ふふふ。どう、動けないでしょう?
私の『超荷重』は如何?」
御守先輩は二つのCを揺らしながらそう笑う。
笑いながらも俺へと近づいてくるものだから、二つの膨らみは少しながらも揺れ弾み、俺の視界は完全にそれに奪われてしまう。
……そう。
この期に及んでも、俺はまだおっぱいしか見ていなかった。
「ふふふ。
動けないまま、敗北を味あわせてあげるわ」
御守先輩はそう言うと、俺に向かってローキックを放ってくる。
……だけど。
男子高校生の俺が、しかも古武術で身体を鍛えてある俺が……たった子供二人にへばりつかれた程度の荷重で、動けない筈もない。
軽くバックステップをするだけで、彼女の素人同然の蹴りなんてあっさりと空を切ってしまう。
「嘘っ!
まさか、動けるっての?」
「……まぁ、これくらいなら」
信じられないものを見たような叫びを上げる御守先輩の驚きこそが、俺にとっては信じられなかった。
そりゃ横綱・○鳳や日○富士にのしかかられたレベルの荷重をかけられたのなら兎も角、こんな子供二人程度の重量で、俺がどうにかなる訳もない。
そして、俺が動けないと侮っていた御守先輩は……隙だらけだった。
「よっと」
ローキックを躱されて身体が泳いでいる御守先輩の軸足目がけ、俺は低く蹴りを放つ。
踝を持っていくタイプの……足払いである。
体勢を崩していた先輩は全く抵抗することも出来ず、あっさりと右肩から地に転ぶ。
そして、そこが俺の狙い目だった。
「こうして、と」
転んだ衝撃で動かない彼女の左腕を掴むと、その手を捻りつつ引き寄せ……同時に足で挟む。
──腕ひしぎ十字固。
梃子の原理を利用し、相手の肘に対して逆向きの力を加えることで、その関節を破壊するという……見た目とは裏腹にかなり凶悪な技である。
……勿論、へし折るほどの力を加えるつもりはなく、あくまで痛めつける技として使うのだけど。
ついでに言うと、足で相手の胸を固定するものだから、太股の裏からふくらはぎにかけて、柔らかな二つの膨らみを堪能できる優れた技でもあった。
「あ~~ったたたたたたたたたたたっ」
とは言え、やられた方は堪らない。
ちょっと両腕が重い所為か、思った以上の力をかけてしまったこともあるけれど。
秘孔を突く暗殺拳を極めた七つの傷を持つ男のような悲鳴を上げながら、御守先輩はたまらず床を何度も叩く。
──ギブアップ、か。
「そこまでっ!
序列戦八位決定戦勝者、佐藤和人っ!」
俺はそのマネキン教師の声と共に、御守先輩の手を離すと……そのまま床に寝転がる。
勿論、両足はそのまま……御守先輩のCの上に乗せたまま、だ。
こうすることで、両足にかかる荷重が増え……二つの膨らみの形をさっきまでよりも鮮明に感じ取ることが出来るのだから。
「……エロス」
とは言え、俺の企みはおっぱい様こと数寄屋奈々にはダダ漏れだったらしい。
──早くもタイムリミット、か。
その言葉を聞いた俺は、ため息を一つ吐くと身体を起こす。
Cのおっぱいをさり気に楽しむ時間はもう終わりらしい。
──ま、誰かに気付かれたら早々に辞めるつもりだったけどな。
……だけど、俺が思っていたよりもフィーバータイムが短かったのが、少しだけ心残りではある。
「うわ、やっぱりアレ、そうやったんか」
「こんな状況でまで、そんなことしますか、普通?」
「……エロス」
羽子・雫・レキの三人が辛辣な言葉を吐いていたが……まぁ、あんな乳の貧しい連中なんざ今はどうでも良い。
ついでに言うと、奈美ちゃんと亜由美のヤツはこの戦いには一度も野次を飛ばしてこなかった。
その代わりにと言っては何だけど……殺気混じりの視線が延々と突き刺さっていたが。
──それよりも、今は……
俺は顔を上げる。
そこには……既に身体を筋肥大してまるで某サ○ヤ人2のような、やる気満々の羽杷先輩が立っていたのだ。
戦いを前にした羽杷先輩は、相変わらず凄まじい身体をしていた。
その身体の動きを確かめるかのように、彼女は腕を、指を、足をゆっくりと動かしている。
そんな彼女は腕に鋼鉄製の籠手をしておらず、その上、身体をこうして近くで良く見れば……あちこちに痣がある。
「怪我、してる、のか?」
「……ああ。
三日前、てめぇのクラスの中空ってヤツに後れを取った」
俺の呟きに……羽杷先輩は静かに頷きを返す。
悔しそうにはしているものの、恨んだり怒ったりはしていない辺り、短気で単純な人間ではあるが、その分、さっぱりした性格らしい。
その先輩の言葉に、俺が視線を亜由美の方へと向けると……彼女はただ少しだけ頷く。
「……アイツ、強かっただろ?」
「ああ。
頭上を取られて……何も出来なかった」
羽杷先輩の言葉に、俺は肩を軽く竦める。
バランスの良い山○選手ばりに、一方的に頭上から凹られる先輩の姿が目に浮かぶ。
俺がその場にいたならば「えげつねェェェッ!」という反応しか出来ない、そんな戦い方だっただろう。
「ああいうのは、好かん。
武器を使うのも、性に合わん。
やっぱオレがやりたいのは……素手喧嘩だ」
羽杷先輩はそう笑いながら、拳を握る。
だからこそ、彼女は鋼鉄の籠手をしていないのだろう。
……素手で、俺と、殴り合うつもりだから。
「無茶苦茶、言いやがる」
俺は、そうとしか言えなかった。
こんな刑務所暮らしのキューバ出身アメリカ人みたいな、凄まじい肉体をしている相手と、ただの高校生の俺が正面から殴り合って勝てる筈もない。
──体重差を考えやがれっ!
この場所が体育館じゃなくてアリゾナ州の刑務所なら、元ヘビー級ボクサーが階級について詳しくアドバイスをしてくれるところである。
……しかし、現実は非常だった。
「では、序列七位決定戦、羽杷海里対佐藤和人っ!
始めて下さいっっ!」
俺の内心の叫びは届かず、体重差について語ってくれるボクサーもいないまま、序列戦は開始される。
「じゃあ、行くぜっ!」
そして、羽杷先輩は渾身の力を込めたのだろう、右拳を放ってくる。
──あ~、もうっ!
──どうしろってんだっ!
俺はその拳を躱すと同時に、半ば開いたままの左手を真正面に突き出す。
──カウンターっ!
俺の放った掌底は、羽杷先輩の顎先を完全に捉えていた。
……だけど。
「やる、なぁっ!」
彼女には全く効いた様子がない。
羽杷先輩はむしろ殴られたことに嬉々とした声を上げ、バックハンドの右拳を放ってくる。
「……ぐっ」
掌底を放った直後の隙を突かれた俺だったが、それでもギリギリのところで十字受けに成功。
その右拳を何とか受け止める。
たけど、その拳を止めた筈の俺の身体は……僅かながらに宙を浮いていた。
「……ぉ、ぉぉぉおおおっ?」
身体が浮くというあり得ない感覚に、俺は思わず叫びを上げていた。
要は、拳を止めた俺の身体ごと……彼女の右腕に運ばれた、らしい。
──何て、怪力だよっ!
こんなのに殴れたら……一撃で顔面なんて陥没してピカソの『男の顔』という絵画みたいな感じになってしまうだろう。
さっきの掌底が効かなかったのも……恐らく、あの太い首の筋肉が打撃を完全に吸収してしまったのだ。
恐らく腹筋も鋼のような強度だろうし、脚の筋肉も凄まじい。
──つまり、打撃技は無理、か。
かと言って、寝技を仕掛けても片手で俺ごと持ち上げる相手には、寝技なんて意味がない。
むしろ、現在の握力で握られるだけで……某握撃とまではいかないが、普通に骨をへし折られる可能性もある。
その事実に俺は震えを隠せない。
──畜生っ!
──どうやって戦えってんだっ!
遠距離から放たれた拳を、余裕の笑みを浮かべてスウェーで躱しつつも、俺は内心で悲鳴を上げていた。
「逃げんなっ!」
「くっ!」
再度追撃に放たれた拳をサイドステップで躱すと、俺は大きく息を吐く。
──落ち着けっ!
息を吐きつつも、自分に言い聞かせる。
──今までも、そんな相手とは何度も戦ったっ!
奈美ちゃんはその凄まじい技術で俺を圧倒し、付け入る隙なんて何処にも見つからなかった。
羽子のエアジャケットも凄まじい防御力で、俺は近づくことすら出来ないのではと危惧していたものだ。
雫の氷の盾と短槍も、正面からは難攻不落を思わせた。
レキの石巨人は凄まじく、俺は本当に何一つ出来なかったが……それでも勝ちは拾えていた。
芦屋颯も凄まじい使い手だったが、まだ技が荒く、『起こり』を掴めば戦うことは出来た。
……そう。
──隙を、探せっ!
どんな相手だろうと、どんな能力を持っていようと、必ず癖や隙が存在する。
その癖を読み、隙を上手く狙い、殴り勝つしかない。
多少首が強かろうが腹筋が硬かろうが……殴って、通じないような、無敵の存在なんて、いやしない。
──だったら、効くまで一方的に殴りつける、のみっ!
俺は覚悟を決めると、羽杷先輩の顔面を見据える。
そして……拳を握りしめる。
……女性の顔面を、拳で殴る覚悟を、決めたのだ。
この羽杷先輩という相手は……教室での評判とか、女性相手とか、そんなこと言ってられるような甘い相手じゃないのだから。
「へぇ、覚悟を決めた、って訳か。
面白いっ!」
俺の視線を受け止めた羽杷先輩はそう笑うと、やはり拳を真正面から叩きつけてくる。
だけど、もう俺は彼女の動きを凡そ見切っていた。
「甘いっ!」
左半身になり踏み込む動作で、彼女の拳を紙一重で避ける。
皮膚を掠った音がして、頬を幽かな感触が通って行くが、そんなこと、気にもならない。
避ける動作と同時に、左肘を水月に叩き込む。
「ぐっ」
先輩のダメージは……殆どないだろう。
……叩き込んだはずの肘は、腹筋に弾かれていたのだから。
──硬ぇえええっ!
肘の痺れに舌打ちしつつ、俺は手をまだ休めない。
「~~~っ!」
そのまま広げた右手を羽杷先輩の顔面へと差し出すことで、彼女の視界を塞ぐ。
……その行動は実のところ『ただの小細工』でしかないが、突然視界を遮られた腕に、先輩は驚いてくれたらしい。
肘打ち直後の硬直を狙う筈だった彼女の左腕は、俺の手を払う動作に使われていた。
──かかったっ!
そのお蔭で、俺は一動作分の余裕を得、サイドステップ一つで彼女の右脇を取ることが出来た。
彼女の身体自体が邪魔をして左拳が俺を狙えないお蔭で、右拳だけを警戒すれば良いという、言わばちょっとした安全地帯である。
それと同時に踏みつけ気味の蹴りを、彼女の右膝へと叩き込む。
「ぐぅっ!」
体重をかけた俺の蹴りは、それでも彼女の筋肉に阻まれてしまい、痛打を与えきれない。
次に俺は左拳を右脇に数度叩き込むが、その打撃数発も全て腹筋にあっさりと弾き返されていた。
「この、鬱陶しいっ!」
「っと!」
蹴りを喰らった羽杷先輩は、鬱陶しそうに右裏拳で俺を振り払おうとする。
その一撃をバックステップとスウェーで難なく躱した俺だったが……
──上手い、な。
その所為で俺は折角取ったサイドの安全地帯を失ってしまう。
と言うよりも、俺をその位置から引き剥がすための裏拳だったのだろう。
強引に正面に立たされた俺は、再び彼女の死角へと回るべく上下左右に頭を振りながら、ゆっくりと彼女との距離を縮めるべく、前へと足を運……
「……ったく。
ちまちま、しやがってっ!」
運んでいる最中に、どうやら羽杷先輩が切れたらしい。
真正面からの……ショルダータックル。
──無茶苦茶だっ!
その動きそのものを封じるべく放った俺の渾身の右拳は狙い違わず、彼女のこめかみへと突き刺さる。
……だけど。
「がぁあああああああああああああああああああっ!」
叫び声を上げながら、俺の渾身の打撃を顔面で受け止めながら、それでも羽杷先輩は身体ごと突っ込んできやがったのだっ!
「……ぐっ?」
動きを潰そうと渾身の一撃を放っていた俺に、そのタックルが避けられる筈もなく。
「ぐぁあっ?」
タックルを喰らった俺の身体はあっさりと宙を舞い、まるでダンプに吹っ飛ばされるかのように、数メートルも吹っ飛んでしまっていた。
──何、だよ、これ、はっ?
俺の気分を一言で言い表すならば、ただ『理不尽』だろう。
躱し、いなし、距離を測って、観察し、策を弄し、隙を見つけ、技法を磨き上げた末の打撃を幾度となく放って積み上げ。
だけど、そんなもの全てが何も考えない、超能力任せの馬鹿力のタックル一度であっさりとひっくり返ってしまう。
──やって、られるかよ、畜生っ!
俺はダメージに揺れる頭で、何もかも投げ出すようにそう叫びながら……
勝利を諦めたかのように床に大の字で寝転んだまま、身体の力を全て抜いたのだった。