第十一章 第三話
……そう。
芦屋颯という少女のの脚力は凄まじく……しかも何らかの格闘技を齧っているのか動きはかなり洗練されている。
──だが……荒い。
彼女の修めている格闘技は、『その強化された脚力を如何に破壊力に繋げるか』という一点を突き詰めた代物である。
──だから、モーションが『読める』。
蹴りの威力を増すために上体を傾ぐ、捻じる、曲げる。
バランスを取るために腕を振るう。
攻撃部位へと視線を向ける。
呼吸もその都度大きく吐き出すものだから、タイミングを掴むのは雑作もない。
高速の運足でさえも……その移動の瞬間に向かう先を、彼女の正直な視線が教えてくれている。
それら全ての予兆が、俺に彼女が次、何処にどんな技を放ってくるかを教えてくれているのだ。
幾ら攻撃が早かろうと……これなら躱すだけならそう難しくはないだろう。
……所詮は、学生の御遊び格闘技、という訳だ。
羽子を一撃で吹っ飛ばす威力や、凄まじい速度の運足に誤魔化されていたが、冷静に見切ればそう怖いモノではない。
「和人っ! 来たよっ!」
亜由美のヤツの叫びと同時に飛んで来た、次の攻撃も同じだった。
芦屋颯がふっと跳躍しながら回転したかと思うと……
──跳び回し蹴り系かっ!
直感的に俺は身体を深く沈ませる。
読みは当たり、俺の頭上を横薙ぎに蹴りが通り過ぎていく。
見たことのない動きで……テコンドーか何かの技だろう。
とは言え、これだけモーションが大きい攻撃だったら、パンツに視線を奪われる等の……よほど虚を突かれない限り、当たることはないだろうけれど。
次の攻撃は……重心を左足に込めて、右足を突き出そうと……。
──前蹴りっ!
軽くサイドステップをするだけで、その蹴りはあっさりと空を切っていた。
「く~~~っ!
いちいち、避けるなっ!」
「ははっ」
そうして『起こり』さえ見切ると余裕が出てくる。
……カウンターを、狙う余裕が。
「これならっ!」
「そう来る、よなぁっ!」
次に芦屋颯が放ってきた右のハイキックを、俺は前に突っ込んでガードする。
──つっっっ?
思ったよりも衝撃が大きかったが……予想通り。
ヒットポイントさえずれせば……脛や甲などを避け、もっと付け根側……膝付近を抑え込んでしまえば、俺の力でも十分にガード出来る。
──そりゃそうだ。
幾ら芦屋颯の超能力で強化された脚力が尋常でないと言っても……彼女が操っているのが人体である以上、攻略法もまた格闘技とそう変わりはしない!
「嘘っ?」
「どうやって?」
『跳躍強化』の蹴りをその身一つで受け止めた俺を見て、外野から驚きの声が上がっていた。
事実、それほどまでに彼女の蹴りは絶対的だと思われていたのだろう。
「……あ?」
そして……芦屋颯自身も、自らの蹴りがガードされるということを全く想定していなかったらしい。
ハイキックを止めた俺を見て、彼女は完全に硬直していた。
「隙ありっ!」
そして、俺はその硬直を見逃すほど甘くない。
下段にローキックを放つ。
転ばすための技ではなく……ダメージを与えるための技である。
ハイキック直後の硬直中だった芦屋颯は避けられる訳もない。
俺の蹴りは狙い違わず、彼女の膝上辺りへと叩き込まれていた。
「……ぐっ」
とは言え、さほど鍛えてもいない俺の蹴り技なんかじゃ、そうダメージを与えることは出来なかった。
恐らくは『跳躍強化』によって足の筋肉そのものが強化されているのだろう。
B組で最も細い亜由美に負けず劣らずの彼女の脚は、男である俺の渾身のローキックをあっさりと弾き返す。
「……つつっ、まだ、まだっ!」
だが、ダメージはなかった訳ではないらしい。
ローへの一撃による痛みに顔を歪めた芦屋颯が、苛立ち任せにふと飛び込んで来たかと思うと、純白の下着を見せつけるかのように、右足を大きく上げ……
──踵落としかっ!
……どうやら怒りに我を忘れて渾身の一撃で俺を倒しに来たらいし。
だけど、甘い。
そんなモーションが大きな攻撃、喰らう訳もない。
「嘘っ! 前にっ!」
俺は彼女の近くへと踏み込むと、落ちてきた踵を、いや、その内側のふくらはぎを肩で受け止めていた。
「無茶苦茶ですわっ!」
外野から悲鳴が聞こえるが、別に驚くほどのことはない。
たった一歩半近づくことでヒットポイントをズらすだけで……彼女の脚は威力を失っていたのだから。
そして、片足で立っている芦屋颯は隙だらけである。
「……くっっ!」
その隙を狙い、俺は再度ローキックを放つ。
渾身の体重を込めた俺の右足は、見事彼女の左膝外側へと叩き込まれていた。
筋肉のない、所謂急所を狙ったその一撃で、芦屋颯の脚はあっさりと身体を支え切れなくなったらしい。
いや、それどころか……
「ぐっ、くあああああああああっ……」
俺の一撃を喰らった芦屋颯は、膝を抱え込んで叫びを上げながら床を転がり始める。
──それは、そうだろう。
膝外への蹴りは、まっとうに入れば大の大人でも悲鳴を上げて崩れ落ちるほどの激痛が走るのだ。
幾ら超能力者とは言え……戦いに慣れていない、小柄な女子高生に放って良い技ではない。
「ちょ、あれ、ヤバいじゃ……」
「女の子相手に……」
「外道を通り越して修羅羅刹の道を歩む、か」
事実、その悲鳴を聞いた外野からはそんな非難の声が聞こえてくる。
……一人は非難かどうか微妙な口ぶりだったが。
そして、俺もその声を聞くまでもなく……歯を食いしばっていた。
──畜生。
──後味、わりぃ。
……そう。
だからこそ、俺はこの戦いに気乗りしなかったのだ。
芦屋颯という少女と戦うということは、そもそもの勝機が少ない上に、お互いの戦闘領域が重なることでもある。
勝ったとしてもこうして……絞め技で痛みなく落とす訳でもなければ、関節技で傷つけずにギブアップさせる訳でもない……殴る蹴るで痛めつけた上での勝利しかあり得ないのだ。
──これで良い、のか?
──女の子の脚を蹴って痛めつけ、それで勝って……赤点を免れるのは、男として正しい行いなのか?
俺はその疑問を抱きつつも、床で寝転がる少女へと視線を移す。
彼女はまだ左足の痛みが取れないらしく、足を抱えたままで動かない。
そして、それは……芦屋颯の戦闘不能の証でもあった。
……蹴り技を主体とする少女が、片足を奪われて……もう戦えるハズもない。
と、俺が思った、その瞬間だった。
「まだまだっっっ!」
「……なっ?」
激痛で戦意喪失していたハズの少女は突如として、俺が予想もしていなかった行動に出たのだ。
芦屋颯はいきなり両腕を頭の後ろに回すと同時に、横たわっていた身体を縦に起こし……
身体を引き起こしながら、凄まじい勢いで両足を突き出してきたのだ。
──カポエイラっ?
技名も知らない異国の技に、俺は完全に虚を突かれていた。
下着が丸見えになるのも意に介さず、渾身の力で突き出されたその両足を、俺は必死に防ごうとガードを固める。
「げ、ふっ」
ガードは間に合った。
だけど……そんな不完全な防御でどうにかなるほど芦屋颯の『跳躍強化』の一撃は甘くないらしい。
ガード越しに俺は一メートルほど吹っ飛ばされ、思わず膝を突いていた。
胸骨を強打された俺は、呼気を全て奪われて動きが止まっている。
ガードした両腕は完全に痺れ、体勢を立て直そうにも、頭脳からの命令を俺の身体は一切受け付けてはくれなかった。
……軸足代わりに腕を使い、ただ脚力だけの蹴りを喰らっても、コレである。
──畜生、今畳み掛けられたら、ヤバいっ!
俺は動かない身体を自覚しながら、内心で悲鳴を上げていた。
何しろ、身体が動かないのだ。
……防御も回避も反撃も出来ないだろう。
俺はせめてダメージを少なくしようと身体を固めて次弾を待つ。
……だけど。
──追撃は、来なかった。
「畜生っっ!
今のでも、無理かっ!」
芦屋颯はその一撃を放ったままの体勢で寝転がったまま、だったのだ。
純白の下着が丸見えで、みっともないことこの上ない。
……いや。
そんな体裁に構えるほどの余力を全て、さっきの攻撃に費やしたのか。
流石の彼女も、両腕だけで身体を動かすことは出来ないらしく……足を奪われた以上、もう立ち上がることも叶わない様子だった。
それもその筈……俺の不慣れなローとは言え、男の脚力で、しかも体重を込めた渾身の蹴りが完璧な形で急所に入ったのだ。
……起き上がれる筈もない。
意地かやせ我慢かは知らないが、さっき起死回生の一撃を放った事実だけで、芦屋颯が尋常ならざる精神力を持っている証明とも言えるだろう。
「こら、見ない」
「な、何をするッスか?」
外野からそんな声が聞こえていた。
どうやら舞斗のヤツがクラスメイトといちゃついているらしい。
「つつっ」
そうしている内に、俺はダメージから回復出来ていた。
元々蹴りの衝撃で酸素が足りなくなった所為で動けなかっただけである。
脳へのダメージや足へのダメージと異なり、胸部へのダメージは呼気さえ回復出来ればそう尾を引くこともない。
だが、足へのダメージを受けた芦屋颯はそうはいかない。
俺が回復を果たした時にも、彼女はまだ立ち上がれなかった。
……故に、勝負はもう決まっていた。
「くそっ、負けかよっ」
「ああ、俺の、勝ちだ……」
芦屋颯を見下ろしながら、俺は勝ち名乗りを上げる。
勝ち名乗りを上げながらも、俺は安堵のため息を吐いていた。
──助かった。
……そう。
彼女が負けを認めなければ、まだまだ戦いは続いていただろう。
勿論そうなったとしても、足を奪われた彼女を攻略するのはそう難しくないだろう。
しかしながら、芦屋颯の蹴り技は尋常ではない。
……寝転んだ状態から、俺を一発でKOするくらいはやってのける筈だ。
しかも、寝技を極めても足一本の力だけで振り払われそうだし、関節技を下手に決めたところで俺の身体ごと吹っ飛ばされかねない。
要は……寝技や関節技を挑むのはリスクが大きかった。
かと言って打撃技で戦いを挑もうにも……モ○メド=アリとア○トニオ猪木の伝説の一戦を思い返すまでもなく、寝転んでいる相手に打撃技では分が悪い。
だから……俺は、助かったのだ。
どうやらこの芦屋颯という少女、意外と負けを認めるのが潔いと言うか、ちょっと諦めの速い体質らしい。
「「序列十位決定戦、勝者、佐藤和人っ!」」
マネキン教師とゴリラが叫んだその言葉を聞いた途端、俺は大きな安堵のため息を吐き出し。
俺は、この『夢の島高等学校』における上位十人の内の一人に足を踏み入れたのである。