第十一章 第一話
月曜日の三限目。
この時間に始まった超能力の授業は端っから授業の体を為していなかった。
俺が体育館中央へ立つと同時に、羽子のヤツも俺の正面に立つ。
級友たちは俺たちを取り囲むように自然と並ぶ。
誰一人として私語をせず、ただそうなるのが自然だと言わんばかりに。
……そう。
ここにいる全員が、声に出さなくても分かっていたのだ。
──今日、ここで、俺たち二人が拳を交えるのだと。
マネキン教師もそれを理解したのか、何も言わずに俺たちの近くへ歩み寄ると……
「始めて、下さい」
ただそれだけを告げたのである。
「やっとこの日が来たな、師匠。
あたしが、師匠を超える、この日がっ!」
体操服姿の羽子は自信満々の笑みを浮かべながら……前回の敗戦から完全に立ち直った様子でそう叫ぶ。
立ち直りが早い性格をしているようで、羨ましい限りである。
……だけど。
──対戦相手という俺の立場では、その自信を刈り取るのが仕事、なんだよな。
だから。
「悪いが、お前じゃ俺には勝てない」
俺は冷酷に冷徹に一切の希望を彼女に持たせないように、そう告げる。
「……へぇ、言ってくれるやん。
何でか、聞かせて貰えるか?」
「簡単だ。
お前の自信の源であるエア・ジャケットには、三つの弱点がある」
例え勝手に呼ばれただけだとしても、一応俺にも師匠としての慈悲くらいはある。
俺は訝しげな表情の羽子に向けて、そう宣言してやる。
「……あ?」
「幾らエア・ジャケットが凄かろうとこの短期間に何度も見せられりゃ……
対策の一つや二つ、阿呆でも思いつくさ」
俺はまるで何度も牙突を喰らった後の元人斬りみたいな台詞を吐くと、胸の上まで腕を上げ……いつも通りの構えを取っていた。
その俺の自信満々の台詞と、殺気を剥き出しにした所謂本気モードの俺に、羽子は一瞬だけ怯んだものの……
「なら、それが師匠の負け台詞やなっ!」
その怯みを吹き飛ばすかのようにそう叫ぶや否や、羽子は突如身体を前に傾げたかと思うと……
「JETっっ!」
そう叫ぶと凄まじい速度で突進してきた。
……だけど。
──その技は、もう見ている。
そして、一度衆目に晒した技が二度も通じるほど、実戦の世界は甘くはない。
「はっ!」
彼女の突進に合わせて、俺は彼女に背を向けつつ、大きく腰を落とし踏み込む。
──鉄山靠。
某ポリゴン格闘ゲームで一世を風靡した、中国拳法「八極拳」の一手である。
……ただの体当たりと思うなかれ。
震脚によって全体重を攻撃に回すと同時に、人体でも筋肉の分厚い背面を使うという、「E=M×Cの二乗」という物理式を考えるまでもなく、『全体重をぶつける』というコンセプトに最大限に活かした、非常に合理的な技である。
当然ながら、合理的という名目は伊達ではなく……効果は絶大だった。
「……ひでぇ」
そう亜由美が呆然と呟いたのも無理はないだろう。
エア・ジャケットで防御していたハズの羽子は、俺の一撃によってまるでダンプに跳ねられたかのように、あっさりと体育館の壁まで吹っ飛んでいたのだから。
「……あんなに師匠、強かった?」
俺が放った一撃の威力を見て、レキが呆然とそう呟いていた。
事実……人間を文字通り『吹っ飛ばせる』ほどの威力なんて、普通の人間が出せるものじゃない。
ただ、この一撃は俺の実力という訳ではなく、実はタネがあって……
「いえ、アレはカウンターの所為で威力が倍増していますから……」
「それは、どういうことですか?」
やはり奈美ちゃんはそのタネをあっさりと見抜いたらしい。
首を傾げている雫に、奈美ちゃんは何故か得意げな笑みを浮かべながら言葉を返す。
「扇さんの突進を狙って、佐藤さんが合わせたのです。
前に進んでいた扇さんは、自分の突進力と佐藤さんの体当たりの威力を併せてその身に受けてしまった訳です」
奈美ちゃんの解説はまさに正鵠だった。
「で、でも、同じタイミングだったんだから」
「……体重差で、負けたんだと思う」
次の亜由美の疑問に答えたのはレキだった。
同じタイミングで同じ速度の物質がぶつかりあった場合、体重が重い方が純粋に勝つ。
いや、羽子の突進が多少早かったかもしれないが……男の俺と細身の彼女である。
……幾らなんでも体重が違い過ぎた、という訳だ。
「ぐ、がっ」
それでも……俺の全体重を込めたカウンターアタックでも、エア・ジャケットという防御技を破るには至らなかったらしい。
どう考えても一発KOどころか、再起不能という吹っ飛び方をしたにも関わらず、羽子はまだ二本の足で何とか立ち上がってきたのだから。
……とは言え、あの一撃を喰らった以上、ノーダメージとはいかないらしく、その脚は小鹿のように震えていたが。
「どう、して、こんな……」
「それが、エア・ジャケットの弱点だよ、羽子」
自分のダメージが信じられない様子の彼女に、俺は近づきつつも言葉を続ける。
「幾ら衝撃を防ごうと、お前の能力では体重差は覆せない」
それは、彼女にとっては致命的な一言だと知りつつも……真実を突きつける。
「だから……凄まじい威力の一撃や、体重を込めた突進技などは、そのエア・ジャケットで防ぐことは叶わない」
「くっ!」
壁際へと追い込まれた羽子は、俺の解説を聞きながらも……それでも試合を諦めていないらしく、俺へと手を伸ばしてきた。
あの酸素を操る掌底……試合を一発で逆転させ得る自分自身の『一撃必殺技』に期待したのだろうか?
──悪いが、それも悪手だ。
例え一撃必殺の威力を秘めているとしても……放つ本人は足にダメージがキている状態の、身体を鍛えてもいない少女なのだ。
……幾らなんでもそんな攻撃、俺が喰らう訳もない。
俺はその手を避けると……
「弱点、その二っ!」
そう叫びながら、羽子の踝へと蹴りを叩きこむ。
足の裏で上手く彼女の軸足を払ったその一撃の感触は……何と言うか、時速60キロで走っている車から手を出したような、とでも言うか。
──ええ、おっぱいに触れるような感触でした、はい。
まぁ、何はともあれ……これこそが、彼女が序列十一位を獲得するに至った防御技……『エア・ジャケット』なのだろう。
だけど、どんなに空気で防御をして衝撃を緩和したとしても……押す力そのものが無効になる訳ではない。
「くっ?」
羽子は俺の足払いを喰らい、あっさりとひっくり返る。
「弱点、その二。
バランスを崩す技は防げない」
そう言う俺を睨み付けながら、羽子は体育館の壁に手を突きながらも、必死に起き上がろうとする。
だが、さっきの一撃のダメージがまだ残っている所為だろう。
……その動きは非常に緩慢だった。
だから……俺の次の攻撃を、彼女は避けきれない。
「そして、弱点、その三っ!」
俺はそう叫ぶと、息を大きく吸い込み…
両の拳を勢いよく彼女の顔面へと叩きつける。
──北○百裂拳っ!
もしくは、自由の女神の土台を砕いた無呼吸乱打とか、天才ボクサーのハリセンボンとかでも良いんだけど。
兎に角、手技を右左右左とただひたすらに叩きつけ続ける。
「が、ぐ、が、ぐ、くっ、なっ」
まだ足にダメージが蓄積されている羽子は、その乱打を防げない。
ただサンドバックのように一方的に殴られ続けるだけだった。
──いや、こう言うのってエア・バックというのだろうか?
壁際に追い詰められていた羽子は、逃げることも防ぐことも反撃することも出来ないまま、俺の乱打を一方的に喰らい続ける。
拳が叩きつけられる衝撃に怯んだところに、次の拳打を喰らう……。
まさに、壁際ハメ、という非道極まりない技、だった。
「ちょ、ひど過ぎっ」
「幾らなんでも……」
「……リンチ」
外野からそんな悲鳴とも批難とも取れる叫びが聞こえてきたが……そんなことは承知の上でやっている。
流石に少女を一方的に殴りつけるのは心が痛むが……この敗戦を彼女が乗り越えてくれると信じるが故に、弱点をこうして指摘しているつもりである。
……多少、見栄えが悪いことは勘弁して貰いたい。
と言うか、実際のところ。
──頑丈、過ぎるっ!
エア・ジャケットを俺が正面から破ろうと思えば、相手に大怪我をさせる前提の、加減の利かない突進技か……
危険を冒して関節技を挑むか。
それともこうして手数で相手を圧倒してスタミナを奪い尽くすか。
その三択しかない。
俺が選んだ戦術は、加減が利き自分が破れる心配のない……言わば最善手である。
……だけど。
──いい加減、息がっ!
一方的に殴り続けている俺の方も、何一つ代償なく殴っている訳ではない。
無呼吸運動は俺の拳速と打撃力を徐々に奪って行き……ゆっくりと俺の身体は動かなくなり始める。
とは言え、俺と羽子のスタミナ勝負は……幸いにして身体の大きく心肺力の優れているこちらの方に軍配が上がったらしい。
俺の乱打が……正確に数えた訳ではないが、百を超えただろう頃。
羽子はついに身体を支え切れなくなったらしく、そのまま床へと座り込んでしまう。
「これが、弱点、その三、だ。
幾ら、エア・ジャケット、で、打撃技が、防げる、にして、も……
衝撃、を、完全に、防ぎ、切れる、訳も、ないっ」
完全に戦意を失った羽子に向けて、俺は冷酷にそう告げる。
流石に息が上がっている所為か、あまり格好がつかないが……
「強力な、防御技に、慢心、して、他の、防御を、疎かに、した。
……それ、が、お前の、敗因、だ」
要は、単純な話なのだ。
羽子は防御能力に慢心する余り、敵の攻撃を避けなくなっていた。
だから、一撃必殺を持つ芦屋颯にはあっさりと破れ、防御を突破する術を持つ俺にもなす術なく敗北してしまう。
具体的に言うとスパ□ボの○ヴァである。
AT○ィールドを突破出来ない敵には無双出来るが、それを超えた攻撃力を持つ相手には本体が紙装甲故にあっさりと駆逐されてしまう。
と、ちょい前に雫が持ってきたゲームで語っていた内容を思い浮かべてみた訳だが……実はあまり詳しい訳じゃないんだよな、アレ。
「では、序列十一位決定戦、勝者……」
マネキン教師の宣言を聞きながら勝利を確信した俺は、そんなことを考えていた。
……そう。
眼前に控えた勝利に気を抜いた、その瞬間だった。
「ま、まだやっ!」
突如、羽子が立ち上がり俺に向けて手を伸ばし……
──くっ?
完全に油断し、そして無呼吸乱打でスタミナ消耗が激しかった俺は、彼女の攻撃に対応できなかった。
残心を忘れたことは事実。
だけど、もう羽子のヤツのダメージは大きく、既に戦闘不能の筈で……
「ぁっ?」
そんな俺の見立てはどうやら正しかったらしい。
羽子の身体はそのダメージ故に思い通りに動かなかったようで……彼女の手は空を切るだけだった。
……いや、それだけなら良かった。
「あ」
彼女の身体は前に傾いでいた。
彼女の脚は身体を持ち上げることも叶わなかった。
彼女の手は斜め上へと突き上げられていた。
……その結果。
「ほにゅ?」
「……あ」
羽子の突き出した右手は、何故か絶妙のタイミングで俺の体操服のズボンを掴む。
そのまま力の入っていない彼女の身体は前に傾ぐ。
そんな羽子がただ一つの拠り所として……俺のズボンへと体重をかけたのは本能的に仕方のないことだったのだろう。
……だけど。
当たり前ではあるが、体操服のズボンに縫い込まれているゴムは女子高生の体重を支え得るほどには強くない。
「わ、わわわ」
当然のことながら、羽子の体重がかかった俺のズボンはストーンと真っ直下へとずり下がる。
……如何なる悪魔の導きか、それとも矢を吹く神の悪戯か。
──羽子のヤツ、俺のトランクスまでもを道連れにしやがったっ!
……そして、もう一つ。
羽子の身体には力が入らず、前傾していた。
唯一の手がかりである俺のズボンはずり下がり、だからこそ彼女の身体はその前傾を止める術を失ってしまっている。
──そう。
──そのまま彼女の顔面は、何も覆うもののなくなった俺の急所へと直撃していたのだ。
「へ?」
「……は?」
事態を飲み込めない俺の呟きと、俺以上に状況を理解していないのだろう羽子の囁きが重なる。
最初に我に返ったのはより深刻な事態に陥っている方……即ち羽子の方、だった。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああっ!」
『衝撃咆哮』の能力者だった澤香蘇音による音響攻撃かと思うほどの悲鳴が、体育館中に響き渡る。
その悲鳴が扇羽子による本日最後の体力を振り絞った攻撃になった。
彼女は体力が尽きたのか、酸欠か……それともあまりの事態に思考のヒューズが飛んだ所為か、あっさりと意識を失って倒れていた。
「く、くそっ」
俺は情けないやら恥ずかしいやらを我慢しながら、短パンとトランクスを穿き直す。
……正直に言おう。
俺はおっぱいの求道者として、DARKNESSな漫画は愛読している。
そして、いつの日かトラブルを引き起こし、あんな状況にならないものかと……G級の素晴らしいおっぱい様に直撃しないものかと毎日のように祈っていた。
……だが、この身で味わってみて、ようやく分かる。
──これ、見ている方は楽しくても……やられる方はたまったもんじゃないっ!
唯一の救いは羽子を壁際に追い詰めていたお蔭で、俺が『晒しし者』となったのは羽子のヤツにだけ、だったということだろうか?
ただ……直視はされてないものの、ギャラリーからは何が起こったのかなんて一目瞭然だった訳で。
とても褒められた勝利ではない、としか言いようがない。
「え、えっと。
勝者、佐藤和人さんで、良いのかなぁ?」
マネキン教師のいつも通りのそんなか細い声が……俺の耳にはやけに遠くの出来事のように聞こえていたのだった。