第九章 第三話
序列戦に勝利したというのに、俺は腰を落とすことも出来ず、その場から離れることも出来ず……ただ立ち尽くしていた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
息が荒い自覚がある。
膝は震え、手に力が入らない。
気力を数値で計ることが出来たのなら、ほぼゼロに等しい数値が出ただろう。
──それほどまでに、芳賀徹子という少女は強敵だった。
もし、彼女に格闘技能が少しでもあれば、地を這っていたのは俺の方だっただろう。
いや、それ以前に……彼女が俺を『嬲る』ことに専念していなかったら。
あの指弾で怯まない精神力を兼ね備えていたなら……
あの偽おっぱいを俺が見抜くことが出来なかったのなら……
──ま、考えても仕方ないか。
兎に角、ギリギリだったのだ。
あと一つ。
たったのあと一つ、何かが狂っていたら間違いなく負けていたと思ってしまうほどに。
──本当に、強かったよ、畜生。
俺は、さっきまで死線を繰り広げていた芳賀徹子という少女に視線を向け、その健闘を自分なりに讃えていた。
……まさか自分のプライドを保つための、あの鋼鉄のパッドを最後の武器として利用するとは。
女性としては死活問題である筈のバストサイズを誤魔化すパッドまでもを武器として使うその精神力。
俺としては称賛せざるを得まい。
──まぁ、実際のところ、追い詰められてしまった所為で「つい」出してしまったという感は否めなかったんだけど。
それでも……彼女の勝つための執念というものに、俺は称賛の視線を向けていた。
……だけど。
「……師匠~。
情けないから気絶した女の子のおっぱい眺めてはぁはぁ言わんといて」
俺の無言の友情は、羽子のそんな下衆の勘繰りで凄まじく評価を落としてしまう下衆なものへと変貌していた。
……いや、事実。
芳賀徹子の鋼鉄のブラは、その最後の一撃のために服を引き千切りながら弾け飛んでいて……倒れたままの少女は、そのAの、Aの中でもちょいとマシレベルのおっぱいを曝け出しているのだが。
だからと言って、だな。
幾ら俺がおっぱいに飢えているとは言え、おっぱいを生で直視する機会があまりないとは言え……Aレベルで息が荒くなると思われては……
俺が抗議しようと顔を上げた、その時だった。
「ほら、次はあたしの番や。
後ろで休んどきな」
羽子はそう言うと軽く俺を突き飛ばす。
膝に力が入らなかった俺はその軽い一撃にも耐えられず、あっさりとギャラリーの輪に突っ込み……そのまま座り込んでしまう。
もう身体は限界で、足に力が入らず、立つことも儘ならなかったのだ。
しかしながら……周囲のギャラリーからはそうは見えなかったらしい。
さっきの羽子のその軽口の所為で、一度は手合わせをしたことのあるA組の少女たちは見事に「変な勘違い」をしているらしく、その視線がものすごく痛い。
事実、その「変な勘違い」の所為で、芳賀徹子が今までパッドでバストサイズを誤魔化していたなんて些細なこと、あっさりと吹っ飛んでしまうほどに。
……だけど。
俺はその勘違いした視線よりも、羽子の言動の方に歯噛みしていた。
──畜生。
──気を、使われたっ!
……そう。
羽子は疲労の極致にあった俺を、疲労で立つことも出来ないのではなく……少女の裸身を見た所為で『立つことが出来ない状態になっている』と思わせやがったのだ。
──スタミナの限界値を測らせない。
それは大きなアドバンテージになり得る。
こちら側のスタミナ限界が分からない以上、消耗戦を挑むという選択肢はただの博打に成り下がるのだから。
だから……本当は感謝をしなければならない、のだろう。
この凄まじく下手な方法で俺に加勢してくれた扇羽子という少女に対して。
尤も、当の羽子自身は俺に恩を着せるつもりなんて欠片もないらしく、いつも通りの笑みを浮かべながら、序列戦の舞台に立っていたが。
「さて、次はあたしの番、やな」
そんな彼女からは、全く気負いが感じられない。
目の前に立っているのが澤香蘇音……数日前に雫を倒した少女であるにも関わらず。
「あの、お手柔らかに、お願い、します」
澤香蘇音の方は、前と全く変わらないおどおどした様子で、そのAAしかない胸を両手で隠しながら突っ立っていた。
──だけど、見かけに誤魔化されると痛い目を見るからな。
この小柄な少女の能力は『衝撃咆哮』。
氷の盾を装備した雫を、真正面から一撃で昏倒させたほどの威力を持つ、凄まじい超能力なのだ。
「では、序列戦十二位戦、始めっ!」
二人の間に戦闘準備が整ったのを見たのだろう。
ゴリラ教師の野太い声が体育館中に響き渡る。
それを合図に、先に動いたのは……当然ながら羽子の方、だった。
「悪いけど、遊ぶ余裕はないからな」
羽子はそう呟きつつ、まっすぐに小柄な対戦相手の方へと歩いて行く。
防御など一切考えていない、自信満々のその歩みは……まるで琉球王家のみに伝わる秘伝の拳法を体現しているかのような……。
まぁ、そんな秘伝なんか一介の高校生である俺が知っている訳もなく、心の中で適当なことを呟いているだけだったりするのだが。
──だって。
一生懸命見入っているギャラリーたちには悪いけれど……こんな結果が見え見えの勝負なんて、面白くもなんともない。
そうしてまっすぐに羽子が近づいた時、だった。
「────っ!!」
凄まじい音が体育館内の空気全てを叩く。
──『衝撃咆哮』
……確かにその超能力は凄まじいのだろう。
雫を一撃で昏倒させたくらいである。
こうして今も……耳を塞いでいてさえ、世界が歪むほどのの衝撃が脳へ伝わっているくらいなのだ。
……だけど。
それでも今の羽子を相手にするには、役者不足にもほどがあった。
「へへっ。
音ってのは空気の振動、やからな」
……そう。
羽子は恐らく「真空の盾」を創り出すことで、音の伝播を防いだのだろう。
澤香蘇音の能力が直撃したというのに、羽子にはダメージすらありゃしない。
そして残念ながら……この小柄なAAカップの少女には、他に対抗する技はない。
「……眠りな」
次の瞬間、蘇音という名の小柄な少女は、あっさりと羽子の一撃を受けて床へと昏倒してしまう。
そうなると分かっていたのに……その澤香蘇音という少女は倒れる瞬間まで、羽子の方を見つめ、目を閉じたり背を向けて逃げ出そうともしなかった。
──最後まで、試合を捨ては、しなかったんだな。
打つ手がないにも関わらず、それでも勝負を捨てなかった澤香蘇音という少女は、実はあの見た目よりも遥かに覚悟が決まっていたのかもしれなかった。
まぁ、こうして気を失って寝ているところを見る限り、小学生高学年の少女が居眠りしているだけにしか見えないのだが。
「序列十二位決定戦。
勝者、扇羽子っ!」
そして、試合の結果をゴリラ教師が叫び。
俺たち二人のA組遠征は、俺たちの二連勝で幕を下ろしたのだった。
……いや、幕を下ろせば良かったんだが。
「さぁ、次、いかせて貰うで?」
羽子が悪い癖を出しやがった。
──連戦。
確かに……先ほどの澤香蘇音との戦いでは、羽子のダメージはほぼゼロだろう。
使った超能力もそう多くはない。
だから、連戦を挑むこと自体がそう不利という訳ではない。
……ないんだが。
「面白れぇことを言いやがるなぁ、おい」
──やっぱ、こうなるよなぁ。
笑みを崩しはしないものの、明らかに怒っている序列第十一位の穂邑珠子を眺め、俺は内心でため息を吐いていた。
Aサイズのバストを持つ穂邑という少女は、その控え目のバストサイズと反比例するが如く、腰まで伸びた髪を真っ赤に染め上げ、自己主張をしていた。
気の強そうな釣り目、プライドが高そうな眉、自らの能力に絶対の自信を持っている表情。
そんな穂邑珠子に向けて、羽子は「連戦でも勝てる」と言い放ったのだ。
当たり前だが……その挑発は効果覿面だった。
「五体満足で帰れるとは、思ってねぇよなぁ?」
穂邑珠子はそう笑いつつ、両の腕を燃やす。
文字通り、手から炎が噴き出たのだ。
──『火炎』。
パイロキネシスという、結構有名な能力を持つ彼女は、その能力を隠そうともせず……むしろ見せつけるように両腕を燃やし続けていた。
「へっ。
大道芸なら余所でやるんやな」
……だけど。
動物ならば本能的に恐れる筈のその炎を見つめても、羽子のヤツは笑みを崩さなかった。 むしろ……その炎を見て勝利の確信を得たかのように、笑みを深くしやがったのだ。
「……序列戦十一位、始めっ!」
そして、二人が戦闘開始をこれ以上我慢できそうにないのを悟ったのだろう。
ゴリラ教師が野太い声を張り上げ。
空気を操る扇羽子と、炎を操る穂邑珠子との戦いが始まる。
「喰らい……」
先手を打ったのは……挑発され激昂していたらしい穂邑珠子の方だった。
獰猛そうな笑みを浮かべつつ、大きく振りかぶると……
「──やがれぇえええええっ!」
右腕の炎を……『投げた』。
その手から放たれた炎は、球状に形を保ったまま、体育館の床にワンバウンドして跳ね上がる!
その軌道は、まるで花を取った配管工の親父が放つ炎の球そのものだった。
──上手いっ!
炎の球を直接ぶつけようとしない、穂邑珠子のその投擲に……俺は思わず内心で叫んでいた。
人体というものはその骨格の構造上、上下運動に対する反応は鈍る傾向にある。
しかも投げた球は炎なのだ。
──炎という実体のない攻撃が、あり得ない角度で跳ね上がりつつ襲い掛かってくる。
……言葉にしてみれば何のことはないが、それは動物としての本能、人体の構造、そして自分の超能力の性質を理解した上での、しっかり考えられた必勝の一撃である。
羽子はその一撃を、特に反応することもなく……
「ふんっ」
そのまま、特に気負うこともなく、軽々と右足で踏み消した。
──いや、違う。
踏み消した訳ではない。
脚に触れた瞬間に、炎の方が勝手に『掻き消えた』というのが正解だろう。
「なん……だと?」
そのあり得ない光景に、穂邑珠子は目を見開いて呆然と呟く。
だが、彼女が序列十一位というのは伊達ではなかった。
呆然と呟きながら、自分の目を疑いながら……それでもなお戦意を喪失することもなく、左手の炎を放っていたのだから。
今度は直接顔面を狙ったのだろうその攻撃も、やはり羽子が軽く右手で叩いただけであっさりと掻き消えてしまう。
……まるで、羽子の右手に幻想を殺してしまう能力が宿ったかのように。
「所詮、実態のない攻撃や」
二度の攻撃を無効化され固まっている穂邑珠子に向け、羽子は自信満々の笑みを浮かべつつ解説を始めた。
「炎による熱は脅威かもしれへんけどな?
熱さえ封じてしまえば、何の意味もあらへんわ」
羽子は右手をプラプラと動かしながら、何気ない言葉でそう告げる。
……だけど。
──そんなに、簡単なことじゃないぞ?
空気を操って、温度を封じる。
確かに熱というのは放射・対流・伝導という三つの方法で伝わってくる。
この場合、特に効率の高いのは対流と伝導である。
空気自体は熱伝導率が低いから、空気を固定することで対流……熱を持った空気が肌に触れることさえ防いでしまえば、そうダメージはないだろう。
ついでに空気の層を多重にしてしまえば、発泡スチロールの応用で熱を防げる……というのは、物理法則を考えればそう間違ってはいない。
──自らの超能力の効果を心の底から信じ、火の中に手を突っ込む度胸があるのであれば……だけど。
……とは言え、素手で炎をかき消すのはちょっと無茶だったのだろう。
羽子がさっきから右手をぷらぷらと動かしているのは、実は熱さを堪えている所為だと俺は推測していた。
──さて、どうなる?
羽子の防御力は確かに目を見張るものがある。
それでも、『火炎球』という超能力が完全に防がれた訳ではない。
その事実を穂邑珠子が気付いたのなら、この戦いはまだ分からなかっただろう。
……だけど。
──ま、無理か。
穂邑珠子は……残念ながらその事実には気付けなかったらしい。
自分の持つ最大にして絶対に技を破られた衝撃で、完全に思考回路はショート寸前になってやがる。
恋人でもいれば、今すぐ会いたいよってな感じだろう。
言葉を変えるならば、あり得ぬ呆け、どうぞ撃ってくださいと言わんばかりの、棒立ち……戦場で棒立ち、というヤツだ。
そして……
「悪いが、隙だらけやでっ!」
そんな『的』を、羽子が見逃す訳もない。
まっすぐに飛び出した羽子はあっさりと穂邑珠子の懐へと飛び込み、彼女の呼吸器に向けて、無雑作に右手を突き出し……
たったのそれだけで、『火炎球』の超能力者は直下に崩れ落ちたのだった。
「序列十一位決定戦。
勝者、扇羽子」
その勝負の結果を見届けたゴリラ教師は悔しそうに歯を食いしばりながら、それでも羽子の勝利を大声で告げる。
その次の瞬間だった。
「次っ!」
調子に乗った羽子は、全く懲りることもなく、そんな無謀な叫びを上げやがったのだった。




