第九章 第二話
とは言え、芦屋颯の序列は十位。
連日連夜の序列戦を繰り返している俺は、今すぐに対戦する訳でもない相手に、そう長い時間悩んでもいられないのが実情である。
「師匠。どうせ今日もA組へ行くんやろ?」
と言うか、対策を考えている最中にその一言によってまたしても羽子のヤツに連れ出されたというべきか。
──まぁ、渡りに船なんだが。
意図せぬ苺柄と第一種接近遭遇してしまったとは言え、久しぶりの鍛練の成果はあった。
……どうやら、俺の身体は鈍っているらしい。
勿論、格闘技の経験すらない相手に負けるほどではない。
だけど……先日、最盛期の動きを実体験した自分だからこそ、今の身体が重く鈍く不自由極まりないと分かる。
……分かってしまう。
だからこそ、羽子の誘いは渡りに舟だったのだ。
──実戦で勘を取り戻さないとな。
勿論、基礎鍛錬の方も徐々に進めていかないと、感覚だけが昔に戻ったのに身体が追い付かないじゃ……何の意味もないのだけど。
「師匠の相手はアレやろ?
変な武器をぐにゃぐにゃさせる妙な」
「いや、アレはアレで使いようによっては」
羽子とそんな会話をしつつ廊下を歩きながらも、俺は軽く覚悟を決め直していた。
……これから先の戦いは、凄まじく厳しいものになるのは間違いないのだから。
そう覚悟を決め直してからわずか五分後。
俺の予感は見事に的中していた。
──どうしてこうなった?
俺は真正面に立つ対戦相手……芳賀徹子を睨み付けながらもそう自問自答する。
「さぁ、どうしました?」
腰が引けた俺を見つめながら、Bサイズのバストを見せびらかすように胸を張り、芳賀徹子がそう尋ねてくるが……生憎と迂闊に踏み込めたものじゃない。
──本当に、どうしてこうなった?
そんな彼女を見つめつつ、俺は先ほどの問いを再び繰り返す。
……いや、それは実のところ、ただの現実逃避に過ぎないのだろう。
何しろ、答えはとっくに分かっている。
──対戦相手を見誤った所為だ。
俺は、眼前の対戦相手を難儀な超能力を持つ、その口調通りのお嬢様だと考えていた。
『格闘技能も持たない、隙の多い相手だ』と甘く考えていたのだ。
そして……その俺の考えは……何から何まで過ちだったのだ。
「……迂闊に、近づけねぇ」
俺は眼前を飛び交う鋼鉄に怯み、もう一歩だけ距離を取る。
「ふふふ。
私の能力の真骨頂は如何ですか?」
お嬢様っぽい外見の少女は俺にそう問いかけてくるが……近づける訳がない。
こんな……リーチも分からない鋼鉄の鞭が、音速近い速度で乱舞する最中に、なんて。
……そう。
彼女の『鋼鉄変化』という超能力は、剣でも槍でも斧でもない。
鞭という形状を取った時こそ、その効力を最大限に発揮するように訓練されていたのだ。
……考えてみて欲しい。
皮で出来た鞭でさえ、達人が操ればその先端部は音速を超えるという。
──その鞭が鋼鉄で出来ていて、しかも使い手の意のままに動き回ったとしたら?
……たったの一撃で、皮膚は裂け肉は破れるだろう。
事実、先ほど一瞬頬をかすめただけで、頬からは血が滲んでいる。
──直撃すればどうなるか……考えたくもない。
そんな相手に……近づけるハズもなく、俺は必死に距離を取って守りに徹していた。
「さぁ、おいでなさいな。
さぁっ! さぁっ! さぁっ!」
そんな逃げ腰の俺を見ながら、鋼鉄の鞭を操り半球型の結界を張ることで、己の脅威を誇示しつつ、芳賀徹子はそう笑う。
……その顔に浮かぶ愉悦を隠そうともせずに。
──これが、二つ目の誤算。
芳賀徹子という少女は、決して大人しいただのお嬢様ではなかった。
異性を鞭打つことに異常な執着を見せる……まぁ、早い話がそういう少女だったのだ。
その所為か、他の武器はろくに使えない癖に……鞭の練度だけが異様に高い。
先日の、羽子と戦った時に見せた脆さは、同性とは戦う意義を見出せなかった彼女が「やる気もなく適当に流した」結果なのだろう。
「くそ、羽子の時に使ってろよ、コレ」
「あら?
不思議なことをおっしゃいますのね。
……女の子を痛めつけて、何が楽しいのです?」
一度聞いたCDをケースに戻すのと同じように、それが当然という彼女の声には、一欠けらの疑問すら感じられなかった。
──つまり、素で言っているってことか。
虚勢なら剥がせる。
演技なら粗を見つけ出せる。
戦闘に熱狂しているなら冷ませば良い。
……だけど。
──アレが普通である以上、手の付けようがないっ!
そうして様子を窺うばかりの俺に痺れを切らしたのだろう。
「なら、こちらから行きますわよっ!」
芳賀徹子はそう叫ぶと、突如、身体の周囲で踊らせていた鞭を、突如こちら側へと解き放っていた。
「ちぃっ!」
「音速」と口で言うのは容易いが、現実問題、それは洒落にならないほどの速さである。
正直、鞭の先端なんて見えるハズもない。
次の瞬間には『パァン』という凄まじく大きな乾いた音が体育館中に響き渡っていた。
その威力は凄まじく……一撃を喰らった体育館の床板は、ものの見事に破裂し周囲に破片を飛び散らせているほどである。
……だけど。
「へぇ、あれを躱しますか?」
「……ああ、何とかな」
俺は顔近くに飛んで来た木片を手に握りながら頷く。
事実、俺が躱せたのは別に偶然ではない。
何しろ、鞭という武器はその性質上、手の動きと連動する形で先端の軌道が変わる仕組みになっている。
……とは言え、彼女の能力『鋼鉄変化』を使えば、その概念も覆るかもしれない。
だけど……音速近い鞭を意のままに動かすなんて、そもそも扱う人間の知覚が追い付く筈がない。
である以上、普通の鞭と同じように手の動きから鞭の軌道を先読みすれば、彼女の攻撃は読めないことはない……と俺は考えていた。
どうも彼女の動きにどこか不自然なところがあり、いつもと比べると若干見切るのが遅くなるんだが……
──ま、この距離なら、問題ない、な。
現在、芳賀徹子と俺との距離は、凡そ五メートル。
だからこそ、彼女の攻撃の兆しを捉え、軌道を見切り、ギリギリではあるが躱すことが出来ている。
……そう。
俺が彼女の攻撃を避けるためには、兆しを捉え、軌道を見切り、躱すという三動作が必要なのだ。
それに必要な距離が……凡そ五メートル。
つまり……
──近づけねぇ。
一足飛びで近づける距離ではない以上、一撃喰らえば俺は終わるのだ。
今の距離を保ち続けるならば、油断しなけりゃ喰らうことはないが……これ以上の接近は危険が大き過ぎる。
──だけど、接近しないと俺は攻撃手段がない。
そして上手く接近したとしても……芳賀徹子には先ほどの鞭の結界がある。
あの半球形の結界の中に入った瞬間、四方八方から鞭が襲い掛かってくるだろう。
それでも。
それでも俺は……近づかないことには何も出来やしないのだ。
「……畜生、手ごわい」
何よりも、あの鞭という武器が厄介だった。
某殷国の大師が操る宝貝のように、彼女の能力は『打ち据える』というだけの単純な効力に特化しているからこそ、その威力は凄まじく、また防ぐことすら儘ならない。
──そう、か。
こんな戦闘の最中だというのに、何故かPSY指数と戦闘力が比例しない原因を、俺は閃いていた。
……だけど。
「っ?」
そんな思考は再び飛んで来た鞭によってあっさりと砕け散る。
「ふふふ。
私から目を逸らす余裕なんて、ありまして?」
余裕の笑みを浮かべながら、ゆっくりと距離を縮めてくる芳賀徹子に、俺は右へ右へとステップを踏みながら必死に距離を取り続けていた。
──何とかして隙を作らないと。
現在、俺と芳賀徹子との距離は凡そ五メートル。
つまり……三歩踏み込めば、攻撃が可能となる。
接近してしまえば、格闘技能を持たない彼女は俺の一撃を防ぐことも避けることも叶わないだろう。
「師匠、いつまで回ってるんや~?」
「そうだそうだ!
待ってるアタシの身にもなりやがれっ!」
痺れを切らしたらしき外野の人間が、野次を入れてくる。
事実、さっきから距離を取って延々と回るだけ、言わばくるくるランドって感じの無茶苦茶古いゲームっぽい展開を繰り返していたのだ。
彼女たちが焦れてくるのも、無理はない、だろう。
……だけど。
──布石は、整った。
俺は伊達に回り回っていただけではない。
その間、観察を延々と行っていたお蔭で、先ほど抱いた違和感の正体にも凡そながら気が付いている。
「ほら、ギャラリーの方々も焦れてますわよっ!」
芳賀徹子はそう笑いながらも、牽制のために腕を振るう。
その攻撃は、相変わらず凄まじい速度で鋼鉄の鞭が飛んで来るという、避けることも防ぐことも儘ならないほどの、強烈な一撃だった。
「……だなっ!」
だが、彼女は既に俺の罠にはまっている。
彼女の手が攻撃の挙動を描いたその刹那を見切り、俺は一直線に彼女の方へと大きく踏み込んでいた。
「なっ?」
少女の驚きの声と共に、鋼鉄の鞭は俺の右横を通り過ぎて行く。
……そう。
芳賀徹子はさっきから右へ右へとステップを踏んでいた俺の挙動を予想して、俺の右側へと無意識の内に狙いをつけていたのだ。
──まず、一歩。
俺の右足が大地を踏み、次の左足を踏み出そうとした、その瞬間。
「ならっ!」
芳賀徹子の右手がブレる。
「甘いっ!」
だが、俺はそんな彼女の攻撃に構わず、左斜め前に大きく踏み込む。
──つっ?
その次の瞬間、俺の後頭部と背中を、『何か』が通り過ぎて行った。
──間一髪っ?
その感触に、俺の背筋に寒気が走る。
勿論、運よく当たらなかった訳ではない。
一応、読み通りの結果ではある。
何しろ……攻撃のために放った鞭は『まっすぐに』伸びている。
その武器を使って次の一手を放つのならば……引き戻すしかない。
そう当たりをつけて踏み込んだお蔭で、俺は一撃を喰らわずに済んだ、という訳である。
その勢いのままに、俺は踏み込んだ左足に体重を運ぶ。
──これで、あと一歩。
サディスティックな少女との距離を二メートル半まで縮めた俺がそう心の中で呟いた、その時だった。
「だったらっ?」
芳賀徹子の手が踊り、鋼鉄の鞭が結界を張る。
彼女の無敵結界……結界内に入り込んだ異物を鞭が縦横無尽に引き裂く、最悪の技法である。
これを抜けないことには、俺は攻撃すら出来ないのだ。
……しかし。
──四方八方どこから飛んで来るかも分からない、致命的な鋼鉄の鞭をどうやって躱せば良い?
突然、眼前に現れた鋼鉄の竜巻を前に、俺は仕方なく足を止めていた。
「ふふっ。
さぁ、ここからどうします?」
少女は笑う。
彼女はこうして俺にあと一歩の距離へと踏み込まれた程度の状況なんて、不利とも思っていないのだろう。
事実、俺にここまで迫られたというのに、芳賀徹子は余裕の笑みを……いや、獲物が罠にかかった時の、猟師の愉悦の笑みを浮かべながら、俺をまっすぐに見つめるばかりである。
焦りも緊張すらもその顔には浮かんでいない。
「当たると、痛い、ですわよ?」
そうして彼女は……獲物の前で一瞬だけ舌なめずりをして見せた。
──その一瞬の隙が、己の命取りだと気付かないままに。
「覚悟っ!」
そう叫んだ彼女の手が俺に向けて攻撃すべく、その右手に力を込めた。
その刹那。
「ふっ!」
俺は右手の中から、先ほど握った木片を親指で弾き出す。
──指弾っ!
曾祖父が「対拳銃用」として教えてくれた、技である。
敵の意識が攻撃のみに向いた瞬間、肩から親指までの力を連動させ、モーションなく弾を弾くのがコツ、らしい。
とは言え、数年間も訓練一つしていない技である。
俺の指弾はそう大したものではなかった。
……だけど。
「きゃっ?」
格闘の知識すらない、運動神経も今一つ、その上俺をいたぶることに夢中で注意力散漫になっていた、芳賀徹子にとっては凄まじい脅威だったらしい。
──その指弾が目の上に当たった瞬間、悲鳴を上げて完全に注意が逸れたのだから。
「今だっ!」
そして、俺はその隙を逃しはしない。
渾身の勢いで踏み込むと同時に左手を外側へ大きく薙ぐ。
「……あっ?」
そのバックハンドは彼女の手を見事に捉え、鋼鉄製の鞭は少女の手から飛んで行き、近くの床に落ちると鈍い音を立てていた。
「へへっ、体勢逆転、だな」
俺がそう笑ったのは……獲物の前で舌なめずりという愚行を犯したのは、単純にさっきまで散々やられるばかりだったからで……
何となく軍人に殴られたコロニーの少年が叫んだかのように「一方的に殴られる痛さと怖さを教えてやろうかっ!」とか叫びたい気分になっていた所為である。
だけど、序列十五位の芳賀徹子はその隙を逃しはしなかった。
「それは……どうかしら?」
そう笑うと同時に、突如彼女の乳房が弾け、その膨らみの中から鋼鉄の針が飛び出してきたのだっ!
──暗器っ!
胸に最後の凶器を仕込むという、その凶悪な発想に俺は……
──欠片も、慌ててはいなかった。
「所詮は小細工っ!」
俺は顔を振ってその二つの針をあっさりと躱すと同時に、右掌底を放つ。
弧を描くその一撃は、芳賀徹子のこめかみを見事に捉え、少女は体育館の床へとあっさりと崩れ落ちていた。
そんな少女の破れた体操服の隙間から見えたのは……若干Aに過ぎない膨らみで。
「お前の敗因は……おっぱいで俺を騙そうとしたことだ」
俺はその偽乳督戦隊に指を向けて、そう宣言してやった。
……そう。
戦っている最中、延々とその揺れ方が、弾み方が、膨らみの形が、筋肉との動きが……どうも不自然だとは思い続けていたのだ。
──その僅かな違和感は、早い話が鋼鉄製のパットをつけていた所為だったのだが。
何にしろ、その違和感のお蔭で、俺は彼女の奥の手をあっさりと見抜き、回避することに成功したのだ。
加えて……回避と同時に放たれた俺の一撃は芳賀徹子の意識を完全な形で奪っており、もう彼女はどう足掻いても戦闘不能だろう。
「勝負あり!
序列十五位戦の勝者、佐藤和人っ!」
ゴリラ教師の若干悔しそうなその宣言が、俺がようやく序列十五位……折り返し点へとたどり着いたことを教えてくれたのだった。