第九章 第一話
レキとの戦いを終えた翌日の早朝。
「こう、じゃなかったな」
俺は寮の屋上でダンスを踊っていた。
「違う、こう、だったか?」
……いや。
傍から見ればダンスを踊っているように見える、が正解だろう。
少なくとも俺自身は踊っているつもりなんてなければ、ふざけているつもりすらないのけど。
ただ、足を右へ左へ。
上体を左右に円を描かせ。
また足を前へ後ろへ。
こんな意味不明の行動、ダンスでもなければ変な宗教法人の修業と何ら変わりはないだろう。
……勿論、傍から見れば、だけど。
そんなことを二十数回試行錯誤した後。
「……やっぱりダメだ~~っ!」
俺は徒労感に負けてそう叫ぶと、全てを放り出すように屋上の緑色のゴムの上へ、大の字に倒れ込んでいた。
……そう。
別に俺は踊っていた訳でも、変な宗教法人の修業をしていた訳でもない。
昨日の、レキとの戦いにおいて無意識下で出た、あの足運びを……俺の最盛期の動きを再び出せるように訓練していたのである。
──だけど、世の中、そんなに甘くはないらしい。
曾祖父が亡くなってから数年間、師がいなくなったことで完全に古武術の稽古をサボっていたのだから当然と言えば当然である。
「しかし、このままじゃ……」
大の字で寝そべったままの俺は、空を眺めつつそう呟く。
序列十六位のレキですら、あんな凄まじい隠し玉を持っていたのだ。
勿論、一発だけで意識を失うような後先を考えない……いわば超能力を使う一番弱い戦士が、来襲してきた宇宙人の背中に張り付いて自爆したような、まさに「特攻」と言うべき無茶である。
……だけど。
だけど、もし……
──あんな一発撃って外せば負けの、しかし当たれば一撃必殺級の「超必殺技」をこれ以上の序列上位者が持ちあわせていたとしたら?
あの時は最高レベルの動きが出せたから、何とか躱せた。
とは言え……
「幸運はそう続かない……よねぇ?」
「──っ?」
突如頭上からかけられたその声に、寝転んだままの俺は慌てて視界をそちらに向け……
「……苺、か……」
凄まじく細いその二本の脚と、その二本の脚が交差する辺り……偶然目に入ったその酷くカラフルな布地に、ついそんな言葉を吐いていた。
──いや、悪気があった訳じゃない。
──ただ、本当に何の気なしに目に入ってきた……それだけなのだ。
だけど、スカートの中を覗かれた少女の方は、そうは思わなかったらしく。
「~~~~~っ!」
その細い足を振り上げたかと思うと、俺の顔面目がけてまっすぐに突き出してきた。
──ストンピング。
全体重を乗せた足で踏みつける、技というほど技術が要らない割に威力が凄まじいというプロレス技である。
とは言え、そんな少女の細脚で踏みつけられたところで、痛いというよりむしろご褒……
「───っ?」
などという余裕は、一瞬で吹っ飛んだ。
俺が嫌な気配を感じてその脚を躱したのは……正直、ただの勘でしかなかった。
……だけど、その『ただの勘』は正しかった。
少女の脚が床を踏みつけた途端、ズドンという轟音と共に、かなり頑丈に作られているハズのゴム製の緑の床が、まるで海か何かのように波打ったのだから。
「な、何だ、こりゃ」
「……『跳躍強化』。
アタシの能力、よ」
慌てて飛び起きた俺に向けられたのは、そんな言葉と……挑発的な笑みだった。
その殺気混じりの笑みを見て、俺はようやく思い出す。
──芦屋颯。
A組の女子の中で、何故か俺に向けて殺気を放ち続けてきた少女。
俺の打ったフェンス直撃級のヒットを簡単に取ってくれたのはまだ記憶に新しい。
が、顔を見てもすぐに思い出せなかったのは、彼女がAAという亜由美に匹敵するほどの断崖絶壁だったから、だろう。
──そう言えば……亜由美のヤツが苦戦したって言ってたような……
「あんた、凄まじい腕なんだって?」
俺の思考を遮って、芦屋颯という少女は笑う。
「あの亜由美があっさり負けたって言ってたからね。
期待してても──」
芦屋颯はそう笑うと……俺の眼前から消えた。
……いや、違う。
凄まじい速度でダッキングとステップをして、俺の懐へと踏み込んだのだっ!
「~~~~~っ!」
俺は慌てつつもガードを固め、バックステップで少女から距離を取ろうとするが……
──っ?
……既に遅い。
「──損はないんだろうね?」
戦闘態勢を取ろうとした俺の眼前に合ったのは……少女の細い右足だった。
苺柄のパンツが視界に入っていることに気付いたのか、颯という少女はその右足をさっさと下ろすと、俺に向けて獰猛な笑みを浮かべてみせる。
……だけど。
俺は、その笑みよりも、苺柄の下着よりも、何よりも彼女の速度に衝撃を受けていた。
──避けられ、なかった。
流石に、見えないほどじゃない。
だけど……凄まじい勢いで距離を詰め、その上、モーションの大きなハイキックを俺が反応すら出来ない速度で放つ。
──『跳躍強化』、か。
その能力は名前通り、ただ『脚力を強化する』だけのようだ。
だけど、たかが脚力一つ。
……されど、脚力一つである。
某史上最強の弟子が師匠に鍛えられる時、下半身を中心の鍛練を組み込まれていた。
それは即ち、全ての格闘技の基礎が『脚力』にあるからである。
つまり、脚力を強化する芦屋颯の能力は……
「それだけで、凄まじい格闘家でもある、ってことか」
「……へぇ。
頭の回転が速いってのも本当みたいね」
俺の呟きに、少女は笑う。
その好戦的な笑みに俺も笑みを返すと……
「……本当に頭が良けりゃ、序列戦なんざ挑戦する必要はなかったんだけどな」
そう言って肩を竦めてみせる。
実際、こうして苦労している俺の動機なんて、超能力のテストの点数を追加してくれるという程度の、他の人から見ればどうでも良いレベルのものである。
所詮、たかがテストではある。
言ってしまえば今の俺の苦労なんて、遥か未来から見れば「そんな時代もあったね」といつか話せる日が来るわってな程度だろう。
だけど、学生にとってはたかがテスト、されどテスト、なのだ。
「あ~、そんなのもあったっけ」
事実、この芦屋颯という余り頭が良さそうに見えない少女でさえも、テストの点数なんて意識すらしていなかったという様子なのだから。
いや、断っておくが俺の成績が格段に悪い訳じゃない。
ただ超能力のテストとは少しばかり相性が悪かった。
……ただそれだけである。
その証拠に、前回のテストにおいても……他の教科は赤点なんて一つも取っていないのだから。
「ま、そういう訳だから、早く上がって来いよ。
アタシ、あんたと戦うの、楽しみにしてるんだから」
そう言うと少女は、まるで宣戦布告するかのように俺に向かって右足を上げ、ハイキックの体勢を取って見せる。
だが、それは即ち……苺を100%見せつけるための体勢に他ならず。
「そ、そういう訳だからっ!」
何度もパンツを見せつけたことに、流石に恥じらいを覚えたのか、颯は凄まじい勢いで跳ぶと……屋上のドアから瞬間で走り去って行った。
──早っっ?
100メートル10秒フラットという、男子の世界レベルのその速度に、俺は呆然と立ち尽くしていた。
そして、同時に戦慄する。
──もし、あの脚で蹴られたら……
走力だけで単純に考えれば、世界陸上記録保持者のウ○イン=ボルトに蹴られるのと同等の蹴りを喰らう訳である。
直撃を喰らえば肋骨骨折は間違いないだろう。
下手すれば内臓破裂さえしかねない。
……いや、ガードをしたところで、腕の骨をへし折られる可能性だってある。
──そう言えば、亜由美のヤツは彼女に勝ったんだよな。
いつだか苦戦したと言っていたのを思い出した俺は、その事実に勝機を見出し……
「……ダメか」
……すぐに挫ける。
亜由美があの細い身体で勝てたのは、アイツの能力である『空中歩行』よって脚力の通じない『頭上』を占有できたからに他ならない。
芦屋颯の蹴りが幾ら強かろうが……蹴れない相手には勝てないのは明白だった。
……だけど。
ただの普通人でしかない俺には、亜由美の勝利は何の価値もない情報に過ぎない。
俺は、あの凄まじい脚力に……真正面から挑まなければならないのだ。
「流石に……冗談じゃねぇぞ?」
俺は超能力者という存在が、人の形をした化け物に思えてきて……誰もいない以上で思わずそう呟き、天を仰ぐ。
その時、だった。
「……ん?」
幽かに……鳥の声でも風の音でも波の音でもない、本当に幽かな音が俺の耳へと入ってきて、ふと気になった俺は周囲を見渡し……
足元でその声の出所を見つける。
「……舞斗のヤツ」
思わず俺は声を出している少年の名を呟いていた。
何しろ、鶴来舞斗という少年は、PSY指数がこの学校で六位という恵まれた超能力を持っている。
その所為か、感情的で単純、根性なしという三拍子揃った、甘ったれだったハズなのに。
そんなアイツが……こんな朝っぱらから素振りを繰り返してやがったのだ。
──っ。
しかも、俺が教えた通りの動きで。
俺が教えた剣術の基礎は、ただ振り上げて振り下ろすという……単純極まりないものだった。
だが、それ故に続けるのは至難の業である。
……それを、あの舞斗がこんな朝っぱらから続けているのだ。
「アイツ、本当に続けてやがったのか」
……振り上げて振り下ろす。
動作が単純な分、その練度は同じ訓練を積んだ者ならば一目で分かる。
勿論、軸は安定しないし、握りも甘いし、筋力そのものが足りないから肝心の速度が出ていない。
つまり、まだまだ素人に気が生えた程度のレベルでしかない。
だけど……サボったり適当に繰り返すだけでは、たった数日間ではああは成長しないだろう。
それに、頭上からこうして見ればよく分かるが……
「意外とモテるんだな、アイツ」
鍛練を続けている舞斗の様子を見て、思わず俺は笑みを浮かべていた。
少年の鍛練の邪魔をしないように、A組の女子らしき人影が数人、まるで見守るかのように物陰から見え隠れしている。
その様子はスポ根ラブコメっぽく……軽く笑った俺は、ついさっきまでの普通人としての絶望も、超能力者への恐怖もすっかり忘れ去っていたのだった。
「さて、なら……俺も負けてはいられないな」
俺はそう呟くと、首を左右に鳴らし、先ほど挫折した運足の練習を開始する。
……最低でも最盛期の動きを取り戻さなければ……芦屋颯のあの蹴りを躱すことなんて出来そうもないのだから。