第八章 第二話
──これは……勝負、あったか?
羽子と雫。
二人の対戦を見ていた俺は、眼前で繰り広げられる輪舞曲をそう分析していた。
俺の見る限り……羽子が有する超能力では、あの盾を突破し近距離戦を挑むのは不可能だろう。
そして羽子得意のエア・ジャケットは刃物には意味をなさない上に、雫の武器は中距離型の槍である。
リーチ差により中距離を制され、盾に阻まれ近距離へと近づけない以上、羽子は逃げ回るしか術がない。
羽子が距離を保ち逃げ回っているお蔭で、こうしてお互いに決め手はない膠着状態に陥っているものの……いずれ近づかなければ勝負は決まらない。
羽子からしてみれば、じり貧、というヤツだ。
そうして、膠着状態が続くと思われた、その時だった。
「離れている相手に、私が何も出来ないとお思いですかっ?」
突然雫がそう叫んだかと思うと……
彼女は全く届かない距離にいる羽子目がけ、右手の氷槍を振るう。
何の意味もないだろうと思われたその行為だが……
「おわっ。
なんじゃこりゃっ?」
どうやら某暗黒武術会決勝において、霊剣使いが剣から零れる霊気を飛ばしたのと同様の理屈で、氷の破片を手裏剣のように飛ばしたらしい。
──器用なヤツだ。
ただ、所詮は思いつき程度でしかなかったらしく、不意を突かれた羽子でも避けられるほど、それら氷の破片は遅く……正直に言って実戦ではあまり使えない技だろう。
だがそれでも……雫が飛び道具を扱えると見せつけたその一撃の意味は重い。
──これで、羽子は完全に手詰まりになったのだから。
盾によって近距離には近づけない。
中距離は槍で完全に制される。
遠距離は飛び道具を持つ雫に一方的に狙われる。
「佐藤さんは、この戦い、どう見ます?」
二人の少女の戦いを分析している俺に向かって、背後から奈美ちゃんが尋ねてきた。
「……どうもこうも、このままじゃ羽子の手詰まり、だな」
俺は尋ねられたことを素直に口にする。
俺の答えが耳に入ったらしき羽子がこちらを睨み付けて来るが……戦っている最中に意外と余裕があるもんだ。
それでも、あの口うるさい羽子が俺の呟きを聞いても黙って睨んだだけなのは……彼女の自分の不利を重々承知しているからに他ならないのだろう。
「なら、この状況……和人ならどうする?」
次にそう尋ねてきたのは亜由美のヤツだった。
あっけらかんと思いついたからただ聞いてきたその声に、俺は少し首を傾げる。
──勝負の最中にヒントを口にして良いのだろうか?
俺は一瞬そう悩んだのだが……マネキン教師は止めようともしないし、不利になるハズの雫も制止しようとしない。
……なら、別に構わないのだろう。
「攻略法は三つ、だな」
「……三つもあるの?」
俺の答に、亜由美が驚いた声を上げる。
その声が大きかった所為だろう。
亜由美と奈美ちゃんどころか、ギャラリー全員、いや、対戦している羽子と雫までこちらに視線を向けてきやがった。
──だから、お前ら、序列戦中なんだから試合をしろよ。
俺は内心で思わずそう呟きながら、言葉を続ける。
「一つは、このまま遠距離で待つ。
あの大盾と槍……いつまでも維持できる訳もないだろう」
今は五月もそろそろ終わり。
そろそろ日差しも強くなってきたこの気温下で、氷の盾と槍を保持し続けるのは……かなりの困難だと思われる。
遠距離で投げつける氷も、幾らでもある訳じゃない。
ただ今の雫の表情を見る限り……まだまだ余裕がありそうだが。
「二つ目は?」
「正面から全力で突っ込んで、盾ごと相手を押し潰す。
……一か八かの吶喊、だな」
問題は……槍を掻い潜らなきゃならないことと、羽子の軽い身体でどこまで威力が上がるか、だろう。
──これは、博打の要素が強いがな。
と言うか、脳みそまで筋肉で出来ているような、頭の悪いただの無謀な突撃とも言える。
「ふふっ。確かに……」
俺の回答は無茶苦茶ながらも理はあったらしく……奈美ちゃんは軽く笑っていた。
……ただ亜由美よ。
納得したかのように頷いているが……まさか本気にしたんじゃないだろうな?
──これは『出来るけれど諦めるよりはマシ』って戦法だぞ?
「では、最後の三つ目はどうするつもりですか?」
「あの槍を受け流し、盾の脇をすり抜ける。
……超接近戦、だな」
これはセオリーに見えて、実のところ一番危険が多いかもしれない。
何しろ……羽子は俺たちのように格闘技能を持ち合わせていない。
である以上、羽子がただ下手に突っ込むしか出来ないならば……被弾覚悟の突撃を敢行するしかない。
しかしながら刃物相手に特攻は……ただ破滅へと突き進むことに等しいだろう。
「なるほど、佐藤さんならばなんとかなる、ってところですね」
「……まぁ、な」
奈美ちゃんがまとめるように呟いたその一言に、俺は不承不承頷いていた。
……そう。
結局のところ、俺は俺に置き換えて考えてしまっている。
つまり、俺の言葉はアドバイスと言うよりは絶望的な羽子にありもしない希望を持たせ、死地へと無理やり送り込んだようなもので……
「へへっ。
師匠のお蔭で突破法、見つけたわ」
事実、調子の良い羽子は俺の言葉を鵜呑みして、戦う気満々だった。
自分の勝利を確信したらしき彼女の笑みを見て「血の惨劇」を予想した俺は、少しだけさっきの解説を悔やむものの……もう遅い。
「……行くで?」
「はい。
迎え撃たせて頂きますわ」
羽子は挑発的に笑い、雫も優雅に笑みを返す。
それが二人の合図だった。
ジリジリと、無手の羽子が距離を詰めていく。
雫は大盾を構え氷の槍を突き出そうとしたままの、所謂「待ち」の体勢だった。
そうして二人の距離がじわじわと縮み、雫の射程距離へと入った、その瞬間。
「行くでっ!」
羽子は突如身体を沈めたかと思うと、まっすぐに雫目がけて突撃をかける。
──馬鹿かっ!
そのあまりにも無謀な突進に、俺は思わず二人の方へ一歩を踏み出していた。
……格闘技をやっている俺ならば、あの槍を突破できるだろう。
……男の俺なら、力ずくであの大盾を押し切れるかもしれない。
しかし羽子にはそのどちらもない。
正面から突撃したところで、あの大盾に阻まれ……彼女は氷の槍を捌く術すら持ち合わせていないのだ。
事実、羽子はあの巨大な氷に阻まれて突進を止められてしまう。
「覚悟っ!」
そして、雫がその隙を逃すハズもなく、その手の槍を渾身の力で羽子目がけて突き出していた。
俺が次の瞬間に訪れるだろう惨劇に、息を呑んだ……その時だった。
「……嘘、でしょう?」
信じられないものを見たという雫の声は、俺の胸中の声でもあり……この序列戦を観戦しているB組全員が抱いた思いでもあった。
──氷の槍は……止まっていたのだ。
……羽子が防御のために突き出した、右手の虚空の前で。
その次の瞬間、懐に飛び込むことに成功した羽子が、眼前を遮る氷の盾に手のひらで触れたかと思うと……そのまま大盾を力任せに引っ張っていた。
「嘘っ?」
何故かその大盾は、羽子の手のひらに吸い付くようにして離れず……動揺していた雫はあっさりと大盾を手放してしまう。
そうして無防備になった雫を、羽子が逃すハズもなく……
動揺のあまり硬直していた雫は、そのまま羽子の手のひらを顔面に受け、あっさりと直下に崩れ落ちていた。
「……何なんだよ、これは」
あり得ない光景に、思わず俺はそう呟いていた。
──こんな奇跡、しかも連続でなんて……あるハズがない。
だが『あり得ない、なんてことは、あり得ない』ってのがホムンクルス……もとい超能力者の世界である。
そうすると……もし考えられるとしたら。
「何よ、あれは……」
「……圧縮した空気だ」
亜由美の呟きに、気付けば俺は答えていた。
「エア・ジャケットが風船だとしたら……
羽子が操っている空気は、ゴムくらいの硬度を持っているってことだ」
「それが、どうしたのよ?」
俺の迂遠な回答は、亜由美のお気に召さなかったらしい。
ちょっとイラついた声で続きを促す彼女に、俺は軽く頷くと……
「つまり、羽子は空気を操ってゴム状にして……あの槍を止めたんだ。
恐らく……バスケットボールくらいの大きさ、だろう」
幾ら氷の槍が鋭くても、それを突き出す当の雫はただの女子高生でしかない。
その膂力や技能は所詮、一般人のソレ。
女子高生の力で突き出された、氷で出来た鋭利とも言い難い刃物は……バスケットボール大のゴムの塊さえも貫くことは出来なかった、という訳だ。
「……そんなこと、出来るのでしょうか?」
「出来るんだろう、な」
奈美ちゃんの問いに俺は頷いて答える。
エア・ジャケットは能力の持続力を高めるため、空気を薄いゴム状に操っていた。
だったら……能力の持続時間を犠牲にしたならば、羽子のヤツがバスケットボール大の空気を操り、ゴム並の強度と粘度を持たせることも不可能ではない、のだろう。
尤も、普通人の俺にとって、その辺りのことはただの推測でしかないが……
「じゃ、じゃあ……さっきの盾を奪ったのは……」
「羽子さんは恐らく……真空を作ったのでしょう」
次の亜由美の問いに答えたのは奈美ちゃんだった。
「手のひらに真空状態を作り出すことで、手のひらが吸盤となったのです」
「……動揺していた雫は、盾を引っ張られるのを予想していなかったんだ。
だから、予想外の出来事に、ああもあっさりと盾を奪われてしまった」
奈美ちゃんの解説を俺が引き継ぐ。
……そう。
盾ってのは基本的に攻撃を『押し返す』道具である。
槍が止められて動揺していた雫は、眼前の敵を遠ざけるため、盾を押し返そうとしたのだろう。
……その盾を引っ張られたのだから、耐えられる訳もない。
「あれは、見事な合気の応用でしたね」
「柔道にも通じるな。
……柔よく剛を制す、だ。
本人が意識しているかどうかは分からないがな」
奈美ちゃんと俺は、格闘技を修めた者同士が分かるシンパシーで言葉を交わし合う。
実際、ああも見事に虚を突き、相手の力を利用した戦術を立てられると……褒めざるを得ない。
勿論、超能力以外の体術や反射なんかは女子高生レベルでしかないのだが……雫自身も同レベルで、だからこそ羽子の作戦は功を奏したのだろう。
「へへっ。
伊達に師匠の戦いを見ている訳やないで」
息を荒く、立っているのが精いっぱいという有様で羽子は笑う。
「では、この序列戦の勝者は扇羽子さん、ということで」
マネキン教師が告げたその勝利宣言を聞いた羽子は、笑って俺に向けて親指を突き出すと……
「でも、もうげん、かい……」
そう呟き、直後に力尽きたかのように、未だに倒れたままの雫の上へと重なるように倒れ込む。
心配そうにB組の面々が見守る中、羽子は大きく口を開いて鼾をかき始め……どうやら能力の使い過ぎで眠ったらしい。
「……限界を超えて能力を使ったようですね」
「ああ。
無茶していたからな」
勝っても人騒がせなAサイズの少女に向けて、俺は思わず呟いていた。
超能力がどれだけ精神力を消費するのかなんて普通人の俺には分からないが……ぶっつけ本番で自身の技を信じ、刃物に向かって行くことがどれだけキツいかは知っている。
──何しろ俺は、その精神力を身に付けるため、曾祖父に刃物で追い回された身だ。
……勝った瞬間に気が緩み倒れても、まぁ、仕方ないだろう。
「良い勝負だったな、うん」
ただ結末がどうあれ、彼女たちの戦いが素晴らしいモノだったのは間違いない。
俺は思わずそう呟いて手を打ち鳴らす。
それが合図になったのか、ギャラリーのB組一同は俺の拍手に釣られるように皆が皆手を打ち鳴らし始めていた。
そうして手を打ち鳴らす音が体育館中に木々のざわめきのように響き渡る。
それは即ち……俺の弟子を自称する羽子と雫、二人の少女がB組でも最も素晴らしい超能力者の一人として認められたということに他ならない。
彼女たちに対して特別何かを教えた訳でもない俺だったが……師匠と慕ってくれる二人の少女が認められたことには、やはり感慨深いものがあった。
気絶して聞こえないだろう二人の少女の分も、この拍手を聞き遂げてやろうと耳を澄まして心に刻みつける。
……そんな中。
俺のもう一人の自称弟子であるレキがギャラリーの輪から一歩前へ踏み出すと、俺の方をまっすぐに見つめ……
「……次は、私たち」
そう呟いた。
「……あ」
正直、さっきの一戦に夢中になって、自分のことを完全に忘れていた俺は、思わずそんな呟きを放ってしまい。
唇を尖らせるレキに向けて、対戦前から頭を下げることになってしまったのだった。