第八章 第一話
『微』としか表現できないAの間宮法理とソフトボールをするという、俺としては全く得るものがない、だけど意外と楽しかった戦いから三日が経過した。
翌日は普段使わない筋肉を使った所為かあちこちが痛かったものだが、それももう癒えて疲労やダメージも完全に癒えていたし……
三日もの間、揺れ弾むG様をじっくりと拝むことで気力も完全に回復している。
「つまり、少し前まではアウストラロピテクスが最古の人類とされていた訳ですが、今日ではそれよりも更に古い猿人類としてアルディピテクスが確認されております」
豊満なれど垂れ切って価値を大きく減している、あまり嬉しくない巨乳の歴史教師の声が、教室中に響き渡っていた。
それもその筈である。
……誰も私語をしないのだ。
この完熟を通り越して半ば発酵している歴史教師が厳しいのではない。
ましてやこんな歴史の授業が面白い訳でもない。
それでも、誰も口を開かないのは……ただ教室中に蔓延しているこの妙な緊張感の所為だろう。
何しろ……
──次の時間が超能力だからな。
……そう。
この沈黙は、次の超能力の授業に一波乱起こりそうな空気を、誰もが感じ取っている所為だった。
次に行われるだろう序列戦は二つ。
──雨野雫VS扇羽子。
先日敗れはしたものの、このB組で二番目のPSY指数を誇る雨野雫と、PSY指数の不利を延々と覆し続け、A組や二年にまで勝利し続けた扇羽子。
しかもこの二人はB組で一番目立つ三人組で、しかも友人同士という……B組の生徒ならば注目せざるを得ない対戦である。
──そしてもう一つは石井レキVSこの俺、佐藤和人。
その騒がしい三人組の一人の石井レキと、PSY指数ゼロながらも勝ち進んでいる教室で唯一の男であるこの俺の対戦だった。
これもまた、B組の女子全員と戦い、そして全員に勝ってきた俺だからこそ、その一挙一刀足が注目されているのだろう。
……と言うか。
──一番騒がしい三人娘が緊張で静まり返っているから、誰も何も言えないだけかもしれないけどな。
いい加減序列戦にも慣れてきた所為か、教室内に漂う緊張感とは無縁の俺は……静かな教室の中であくびを噛み殺しながら、そう内心で呟く。
事実、歴史の授業なんて眠くて眠くて仕方ないだけの時間である。
例え次の時間が超能力で、大一番を控えていると言っても……眠いモノは眠いのだ。
「そして人類は石器を使い始めました。
その道具を使用するという行動によって、人類は大きな発展を遂げることになります。
それもこれも、二足歩行を可能とする……」
歴史教師がうだうだと訳の分からないことを話していた、その時。
チャイムの音が、教室中に鳴り響く。
──その、刹那。
「よっしゃ~~~~っ!」
まるでそのチャイムの音に弾かれたかのように、羽子が教室から飛び出していく。
「くっ!
負けてなるものですかっ!」
そんな羽子に続いて教室を飛び出したのは雫だった。
いつものお嬢様然とした口調とは裏腹に、髪を振り乱しスカートをまくれ上がらせながらも全力で教室を走り出ていく。
「……私も」
二人に続いたのはレキだった。
彼女はぼんやりしたその口調通り、のんびりとした動作で教室を出ていく。
……それでも彼女が少しだけ早足になっていたのは、次の時間の序列戦を待ち遠しく思っているから、なのだろう。
「……どうせ休み時間終わらないと対戦出来ないのに」
三人が去って行ったドアを見つめながら、そう呟いたのは亜由美だった。
同じ感想を抱いていた俺は、それでも妙に落ち着かない気分を押さえきれず、体操服を入れた袋を手に取り、椅子から立ち上がる。
「佐藤さん、頑張って下さいね。」
「勿論、ボクも楽しみにしてるからね!」
奈美ちゃんと亜由美のそんな声に俺は手を上げて返礼すると。
眼前の机にのっかかることで、その質量と重量がまさに凶器であると示している二つのおっぱい様の方へと視線を向け……
「勝利の栄光を、君にっ!」
曾祖父直伝の陸軍式の敬礼を捧げていた。
「……そんな裏工作ありそうな栄光は要らない」
だけど、おっぱい様は俺の敬礼に動じた様子もなく、返ってきたのはそんなつれない一言だった。
──いや、確かにそう言った赤色の彗星は坊ちゃんを殺すための裏工作をしていたんだけどさ。
だからと言って俺の栄光に、いや、俺があの双球に向ける愛にまで裏工作があると思われては困る。
まぁ、そう内心で俺が唇を尖らせたところで……いや、口に出して乳房への愛を語ったところで、分かってくれるとはあまり思えない。
それどころか、またしても教室で孤立するのが関の山だろう。
そう達観した俺は軽く肩を竦めると……そのまま教室を出ることにした。
視界の隅で自分の絶壁を絶望的な貌で見下ろしている、奈美ちゃんと亜由美の存在を見ないようにして……
どっちの序列戦を優先するかは意外と簡単に決まった。
「先に体育館に入ったアタシらが先やからなっ!」
羽子がそう大声で宣言したから、である。
……体育服は前後ろそして裏表が反対でのど元にタグが見え、短パンも無理やり穿いてきたらしく、裾がめくれあがり、太股のかなりきわどいところまでが見えている。
そこまでして試合を優先したくもない俺と、あまり自己主張をしないレキの二人では、そんな羽子に対抗する情熱などあるハズもなく。
俺とレキは揃って彼女たちの対戦を見守ることとなったのだ。
……勿論、羽子にもう一度着替えさせることを約束させた上で。
「あ~、要らん恥かいたわ」
顔を赤くしながら羽子が笑う。
だが、その笑みとは裏腹に、彼女の身にまとった空気はとてつもなく重い。
──かなり、気合入ってやがる。
「自業自得ですわ、まったく」
そして、それは笑いながらそんな言葉を返している雫の方も同様だった。
笑みを浮かべ、いつもと同じ顔で見つめ合っている癖に、二人の間には凄まじいまでの緊迫した空気が流れていて……
「これは、瞬きも出来ない、かも」
俺の隣にいつの間にか位置取っていた亜由美のその呟きは、まさに見学しているB組全員の胸中を言い表していたと思う。
「これに勝った方が上に行く」
「負けたら、その場で師匠を迎え撃つ、でしたわね」
約束を確認するかのように二人はそう呟くと……
羽子は踵で床を踏みつけ、足の感覚を確かめるように。
雫は肩と腕を回しながら、その感覚を確かめるように。
「羽子さんは機動力を。
……雫さんは攻撃精度をそれぞれ確認しているようですね」
いつの間にか俺の背後に立っていた奈美ちゃんのそんな呟きに、俺は頷きを一つ返す。
どうやら……二人の少女はお互いがお互いに必要な動作を理解しているらしい。
──激戦は必至だな。
お互いがお互いの長所と短所を分かり合っている以上、そして相手を一撃で戦闘不能にする技を持っている以上……戦いは隙の突き合いになる。
そんな二人は対戦相手にもう一度目を向けると、目が合った瞬間に微笑みを向け合う。
──女の子同士の友情、ってヤツか。
俺はそんな二人の仕草に少しだけ頬を緩めていた……
だけど。
「怖っ。
二人とも怖っっっ!」
「殺る気、満々ですね、二人とも……」
亜由美と奈美ちゃんは二人に対しそんな感想を抱いたらしい。
「……?」
俺は彼女たちの言葉に首を傾げつつ羽子と雫の向き合う姿に目を向けるが……
「では、序列十三位戦、開始っ!」
そんな俺の思考を遮って、マネキン教師の叫びが体育館に木霊し。
二人の少女の戦いが開始される。
「先手、必勝~~~っ!」
その合図と共に飛び出したのは羽子だった。
凄まじい勢いで雫との距離を詰めたかと思うと……
──パァンッ!
次の瞬間、そんな……風船が破裂するかのような音が体育館に響き渡っる。
それと同時に、飛び込んで行ったハズの羽子のヤツが、思いっきり背後へと吹っ飛ばされ、床にひっくり返っていた。
「……なん、だ、今の」
俺が呟いたその一言は、B組ギャラリー全員の胸中を言い表していたに違いない。
何しろ、水を創りだす能力しか持たない雫には、あんな……少女一人を吹き飛ばすような威力の技はない。
そもそも彼女が手にしているのは咄嗟に具現化したのだろういつもの氷の槍……になる前の短めの短刀一本だけだったのだ。
──つまり、コレは……
「そうかっ!」
そしてようやくこうなった原因に思い当たった俺は、思わず叫びを上げていた。
「今の、分かったの?」
未だに理解出来ないらしき亜由美が、序列戦中の二人から俺へと顔を向けてくる。
……いや、亜由美だけではない。
体育館中のギャラリーが、それどころか今対戦しているハズの雫までもが答えを知りたがっているかのように俺へと視線を向けてきやがる。
流石にG級おっぱい様はもう答えが分かっているらしく、俺の方に頷きを一つ返しただけだった。
それはつまり、俺の推理が間違っていない証左でもある。
「今のは……羽子のエア・ジャケットが破裂した、んだよ」
それ以外に考えられる原因はない。
「でも、エア・ジャケットって空気を操ってるんじゃ……」
「それが、違うんだ。
恐らく羽子は……能力を最小限に抑えるために、薄い膜状の空気を操っていたんだ」
俺はそう説明しながら、中空に手のひらで球を描く。
その直径が凡そ、眼前のG級おっぱい様のサイズと同じだったのは、ただの偶然で別に他意はない。
──だから、おっぱい様。
──そんな視線を向けないで欲しい。
俺は心の中で一つ言い訳をすると、説明を続ける。
「多分、最初はもっと大きく創っておいて、それを縮めていのだろう」
俺はその手のひらで虚空に描いた球を、縮めるかのように拳を握る。
この小細工は……恐らく、超能力の持続力を高めるための工夫だろう。
PSY指数の低い羽子が、如何に頭を捻り工夫を重ね技を磨いてきたかがよく分かる。
「だからこそ内部の空気は圧縮され弾力を持っていた。
風船……いや、エアバックのように」
「それが刃物によって破裂した、って訳?」
ようやく理解した亜由美が、未だに倒れたままの羽子へと視線を向けながらそう呟く。
……そう。
早い話が、羽子は身体に触れたままの風船を割られたのだ。
その衝撃たるや推して知るべし。
……誰も子供の頃に耳元で風船を割られたことくらいあるだろう。
「ってててて。
いきなり良いの貰ったわ」
とは言え、流石にそれだけでノックアウトとはいかないらしい。
そんな軽口を叩きながら、羽子が立ち上がる。
軽々と……とは流石にいかないらしく、やはりダメージは大きいのだろう。
「ちぇ。一瞬で終わると思ったんやけど」
「幾らなんでもそんなに甘くはありませんわ」
ダメージを確認するかのような羽子の声に、雫は微笑みながらそんな言葉を返す。
返しながらも、彼女の両手では徐々に氷が大きくなっていく。
「では、仕切り直しと行きましょう」
そう告げた雫の左手には半球型の大きな盾が。
右手には片手用の短槍が作られていた。
──ティンベーとローチン、か。
数日前、澤香蘇音と対戦した時と同じ、ガード主体の戦法らしい。
あの時は反則のような『衝撃咆哮』によって一発KOを貰ったものの……その構えはなかなか堂に入っていた。
雫はその氷で出来ている筈の大きな盾と槍を、まるで重さを感じないかのように軽々と振るう。
「あんなのくそ重いだろうに、どうやって」
「……私の剣と同じ要領」
そのレキの呟きで気付く。
どうやら彼女と同じく……雫も能力で氷を動かしているのだろう。
しかも巨大重量で圧潰する戦い方だったレキの動きよりも、あの二つの氷を操る雫の方が、遥かに小回りが効くらしい。
その二つを手にした雫は、少し腰を落としながら、ゆっくりと羽子の方へと歩み寄って行く。
亀の歩みのように遅い雫だったが、正面から見れば……あの氷の盾はまるで氷の要塞のように見えるのだろう。
しかも盾は氷で出来ている所為か半透明で……視界を遮るということがない。
「ちぃっ。
刃物は、苦手やっ」
その要塞を前に羽子は、正面衝突を避けてゆっくりと回り込もうとする。
「甘いですわっ!」
だが、羽子の足運びは所詮素人のそれ。
回り込もうと動く羽子を、その場で向きを変えるだけの雫はあっさりと正面に捉えてしまう。
「さて、どうしますか?」
「……くっ」
羽子は横へ横へとステップを繰り返すが……どれだけ素早くステップを踏んだとしも、生憎と雫の側面を捉えることは出来そうになかった。