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第七章 第二話



 間宮法理と相対したまま、俺は手のひらのバットを二度三度と握り……無意識の内にその感触を確かめていた。

 得物一つで勝敗が分かれるような事態なんて、曾祖父の教えには反するのだが……それでもこの勝負に勝つためには、このバットを如何に巧く使うかが勝敗を分かつのだから。


「なら、次、行くわ」


 そして、間宮法理の告げる言葉と同時に放たれた第四球は、まっすぐに俺の内角高めを通り過ぎ、キャッチャーミットへと吸い込まれ、鈍い音を立てる。


「……どうしたの?

 バットがピクリとも動かないわよ?」


「はっ。

 そんなに打たれるのが怖いのか?」


 法理の挑発してくる声に、俺もやはり挑発的な言葉を返す。

 ……彼女が狙っているのは俺の戦意喪失。

 「打てない」と思い込ませることで俺に迷いを抱かせ、俺の打力を削ごうとする……言わば心理戦の一種である。

 この『夢の島高等学校』に来て以来、俺がいつも使っているヤツだ。

 である以上……俺もまた、彼女に向けて「打たれる」不安を植え付けることで、ピッチングに対して迷いを抱かせ、自らの打てる確率を増す。

 俺たちがやっているのはそんな……子供の喧嘩並の意地の張り合いだった。


「ほら、次、行くわっ!」


 そうして放たれる法理の球は、外角高め……俺のバットはやはり見事に空を切るだけだった。

 ……だけど。


 ──良し、慣れてきた。


 今の空振りで俺はタイミングだけは理解出来てきた、気がする。

 実際、曾祖父のいつ踏み込んだかもいつ放たれたかも分からない日本刀の一撃よりは、モーション丸見えのソフトボールの球なんて、見切るのは数段容易いのだ。


 ──あとは、コースと球種だけ、なんだが。


 ……コースは視線を見れば、まぁ、大体分かる、だろう。

 見えているボールを引っ叩くだけだから、曾祖父の斬撃を受け止めることに比べたら、そう難しいことではない。


「じゃ、これで2アウト、ねっ!」


 そんなことを考えている間に、法理は既に次の投球モーションに入っていた。

 俺は慌てて思考を切り替えると、目の前で身体を捻っているAサイズの少女へと視線を向ける。


 ──狙いは……内角かっ!


 その視線から凡そのところを見切った俺は、飛んで来るそのボール目がけて手の中のバットを解き放っていた。

 勿論、球種は分からない。

 正直、カーブを打つ技術なんて、俺は持ち合わせていないのだから。

 ……しかし。


「どんぴしゃっ!」


 球種は俺が思った通りのストレートだった。


 ──さっきの二球で俺を侮ったなっ!


 ……そう。

 一球目の見逃し、二球目の空振りはブラフ。

 タイミングだけを見切るためと、彼女を油断させるための前振りに過ぎない。

 ……そもそも間宮法理にはソフトボールのピッチャーとして鍛え上げた自負がある。

 ましてや相手の俺は素人。

 一アウト目の変化球は「普通人として戦う」というジェスチャーだったとしても、直球もまともに打てない相手に変化球を投げるなんて気が引けるだろう。


 ──その予想通りに飛んで来たのは直球。


 タイミングが完全に合った俺のバットは、しっかりと握り込んだこともあって間宮法理の投球を見事に三遊間へとかっ飛ばした。


 ──これは、行けるかっ?


 遊撃手気味に守っているとは言え三塁手の遠野彩子の手が届く位置ではなく、二塁手の針木沙帆も届かない。

 そして外野手に至ってはライトしかいないのだから当然だろう。


 ──ヒットっ!


 俺がそう思った、その瞬間だった。

 ボトッと突然、俺の打球が直下に「落ちた」のだ。

 ……まるで、布団にぶつかったかのように。


「なっ?」


 床を転がり始めたボールを見て、俺は驚きを隠せない。


「へへっ。頂きっ!」


 突如のボールの変化を予測していたかのように、いや、知っていたかのように走り出したのは三塁手である遠野彩子だった。

 それを見た俺は慌てて一塁目がけて走るが……あの理不尽な光景を目の当たりにして完全に硬直していた分、加速が悪い。

 幾ら遠野彩子の動きが野球の「や」の字も知らない、ずぶの素人とは言え……


「アウトっ!」


 俺は見事に一塁で刺されて終わる。


「……何じゃ、そりゃぁああああああああああっ!」


 俺はどっかの刑事みたく叫んでいた。

 別に撃たれた訳じゃないが……まぁ、気持ち的にはそれほど動揺していた、ということで。


「何って、一度対戦したから知っているでしょ?」


「だから、超能力使って良いって言ってたじゃん。

 私の『念動力(サイコキネシス)』、忘れたとは言わせないわよ?」


 ……言われてみればその通りである。

 ピッチャーである間宮法理が超能力を使わずに俺と対戦しているとは言え……他の連中も超能力を使わないとは限らないのだ。

 と言うか。

 ……そもそも守備人数が少ない分、これくらいは許容範囲と考えるべきなのだろう。

 勿論、未だに納得した訳じゃないが……冷静に考えれば、それならそれで超能力の隙を突けば良いだけだ。

 そう結論付けた俺は、ふと気になったことを口にする。


「しかし……どうして空中の球を、そのまま取らなかったんだ?

 念動力でボールを受け止めれば良かったんじゃ……」


 俺のその呟きに、遠野彩子は眉を吊り上げると……


「あんた、飛んで来た打球を、痺れた手で掴み取れる?」


 そんなことを問いながらボールを放り投げてきた。

 問いの意味が分からないままに、俺はそのボールを軽く掴み取る。


「……無理、だな」


 その状況を思い浮かべ……首を横に振る。

 完全に痺れて感覚がなくなった足では歩くことも儘ならないし、麻酔を打たれた口で食事をすると容易く口内を噛み切ってしまう。

 腕も同様に、麻痺して感覚がなければ……タイミングよくボールを掴むことも儘ならないだろう。

 ……と言うか、完全に痺れた手では置いてあるコップ一つ掴むのにも難儀する。

 以前、寝ている間に身体の下に腕を挟み込んでいたことがあって、思い通りに動かない腕に首を傾げた記憶があった。


「でしょ?

 それと同じで超能力には『感覚ってのがない』のよ」


 そう告げる彩子は、俺の手の中のボールを引っ張って見せた。

 だけど、こうしてボールを持っていると分かる。


 ──指や手首もボールと同時に引っ張られているのが。


「ってことは、超能力って結構大雑把なんだな」


「ま、私の場合、念動力に触覚を付け加えるっての、出来ないことはないんだけど。

 ……そんなのでボール受け止めたら無茶苦茶痛いじゃん」


「そりゃそうだ」


 肩を竦めながらの彩子の呟きに、俺は頷きを返す。

 事実、触覚を付加した超能力でボールを受け止めるってことは、俺の打ったライナーを手のひらで受け止めるのに等しい。

 恐らくそれは……洒落にならないほど痛いだろう。


「ま、そういう訳で大雑把に使うのが一番効率的って訳」


「なるほどな~」


 どうやら超能力ってのはそんなに便利なものじゃないらしい。

 少なくとも便利極まりないように思えた遠野彩子の能力には、全く予想もしていなかった欠陥が存在していたのだから。


 ──となると、他の能力も同じかもな。


 バッターボックスに戻りながらも俺は、そんなことを考える。


「じゃ、三アウト目、行くわよっ!」


 しばらく遠野彩子と話していた所為か、法理は唇を尖らせながらそう怒鳴ってきた。

 ……遊び仲間に放っておかれた子供みたいなその仕草に、俺は少しだけ唇の端を上げると、バットを構える。


「良し、来いっ!」


 そんな彼女に詫びるかのように、俺は叫ぶと全身全霊を彼女との対決に向ける。

 そして放たれる法理の投球。

 ……さっきまでよりも、若干遅い。


 ──カーブかっ!


 俺はその球を見逃すしかない。

 何しろ、俺はバッターとして素人同然で……カーブを打つような術は持ち合わせていないのだ。


「ボールっ!」


 キャッチャー兼審判のゴリラが叫ぶ。

 どうやら……ボールは運良くストライクゾーンの外を横切ってくれたらしい。


「どうやらストレート待ちみたいね」


「……ばれたか」


 法理の声に悔しそうにそう呟く俺だったが、実のところはそう悔しい訳でもない。

 何故ならば……


「ストライクなら、打てるとでもっ?」


 負けず嫌いの間宮法理という少女は、こうして簡単に挑発に乗ってくれるからだ。


「打てるっ!」


 俺は叫びながらもバットを渾身の力を込めて振り切る。

 そのスウィングは彼女のストレートを真芯で捉え……見事にセカンドの上をまっすぐに飛び超えていく。


 ──しゃぁっ!


 バットの感触が肘まで響くような凄まじいその当たりに、俺は内心でガッツポーズを取っていた。

 事実、俺の打球は全く衰えることなくまっすぐに二塁手の頭上を越えて、そのまま体育館の壁へと……

 ぶつかる、かに思えた。


「ほいっ」


 だけど、そのボールは一人の少女が手にしたグラブの中へとあっさりと吸い込まれてしまう。


「……おい」


「……何?」


 流石の俺も、目の前で起こった理不尽に思わずドスの利いた声を出していた。


「……何だ、ありゃ」


 その打球を取った少女は、俺に向かって取ったボールを見せつけながら、その脚で床を幾度となく蹴って踊ってみせる。

 まるで、自分の脚力を誇示するかのように。

 何となく、アリ=シャッフルに似てる気がするその踊りは、彼女の細い脚が見た目とは違い凄まじい力を秘めていることを見せつけていた。


「彼女は……芦屋颯よ。

 『跳躍強化(ガゼルフット)』の能力の持ち主」


 少しは後ろめたいのだろう。

 間宮法理は俺と視線を合わせないようにしながら、そう答える。

 ……そう。

 幾らなんでも理不尽極まりない。


 ──バックフェンス直撃のライナーを、ライトにノーバウンドで取られたのだから。


 足が速いとか、反応速度が速いとか、球状が狭いとか、そういう問題じゃない。

 ……言うならば‘93のピノ級の速度なのだ。


 ──あり得ない、なんてことは、あり得ない。


 ……ここ『夢の島高等学校』では、某ホムンクルスみたいな心情で生きていかなければならないということらしい。


「ちっ。これで三アウトか」


 何はともあれ、これで俺の重ねたアウトは三つ。

 ……この戦いは、純然たる俺の負け、だった。

 その事実に一つ舌打ちした俺は、少しの悔しさを胸に感じつつも、バットを床に置いて体育館を去ろうと踵を……


「ふふっ。

 私の球が打てないって認めるの?」

 

 そんな俺の背後にかけられた、間宮法理の挑発的な声。

 その言葉の意味を、俺は一瞬理解しかねて首を傾げるが……

 すぐにその意味を理解する。


 ──そう言えば。

 ──何アウト取れば勝負が終わりとは言ってなかったっけ。


 早い話がそういうことだ。

 打てなければ負け。

 打ち崩せば勝ち。

 何点取れば勝ちで、何アウト取られれば負けというルールすら決まっていない、まさに草野球。

 ……いや、投手と打者の、ただの意地の張り合いなのだ。


 ──むしろ、子供の遊びかもな。


 超能力者がこうして高い塀で囲われたこんな学校に閉じ込められている以上、公式の試合に出られるハズもない。

 だからこそ彼女は、こうして普通にソフトボールを……投げた球を打ってくれる相手を渇望していたのだろう。

 その悲願が叶ったことが、楽しくて楽しくて仕方がないのだ。


「へっ。負けを認めるんじゃなかったの?」


 顔には出さないものの、口では偉そうなことを言っているものの、彼女の全身はこうしてソフトボールが出来ることの喜びが駆け巡っているようだった。


 ──仕方ない、な。


 それを見てしまった以上、無視して帰るのは男らしくないだろう。


 ──正直、このまま負けるのはちょっと悔しかったのだ。


 俺はそう内心で呟くと、バットを強く握り絞めてバッターボックスへと歩いて行ったのだった。


 結局。

 その日は間宮法理がぶっ倒れるまでに八十七アウト取られ、十一得点という結果に終わったのだった。


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