間章 その一
超能力者が揃う『夢の島高等学校』と言えど、それが教育機関であることには違いない。
しかも公立の、かなり緩い方だと思う。
……早い話が、隔週で週休二日制なのだ、ここは。
昨日の決闘が金曜日ということもあり、正午も過ぎた頃にようやく目覚めた俺は、朝食兼昼食のA定食を運びながらの完璧に呆けていた。
──実家じゃこんな生活考えられないよな~。
曾祖父が生きている内は武術を叩き込まれる日々だったし、亡くなった後も教師をやっている従姉とかが口うるさく、意外と早寝早起きを心がけていたと思う。
その反動の所為か、俺はこちらに来てからかなり自堕落な生活を送っていた。
──土曜・日曜と序列戦も出来ないし……
目的意識がないとついついだらけてしまうもので……最近、かなり鈍ってきている自信がある。
「あら。師匠も今頃起きたのですか?」
そんな言葉とともに俺の前に現れたのは、水色のパジャマを全く押し上げることのない残念の極みであるAA……雫のヤツだった。
「もってことは、ブルータス……お前もか」
俺はそのAAを一瞥しただけでA定食に視線を戻しつつも、それを悟られないように言葉を返す。
「ええ。
昨晩は菊花賞のトロフィーを取ろうと決めていたのですが、これがなかなか難しくて……」
──……菊花賞?
聞き慣れないその単語に、俺は再び視線をA定食から外して彼女のAAへと視線を移す。
そこにはパジャマ姿の、明らかに寝不足で、しかも今目覚めたばかりという様子の雫が着崩した水色のパジャマ姿で立っていた。
──そう言えば、雫は前にゲームの攻略本なんかを取り寄せていたっけ。
その所為で寝不足になったらしい彼女は、俺と同じ朝食兼昼食らしきC定食を手に持って俺の正面の椅子に腰を下ろす。
その間に食堂を見渡してみれば、同じように寝不足極りないという様子の委員長を始めとして、自堕落な女子たちが数人、食堂を彷徨っていた。
……どうやら夜更かし組の連中は、何故かこの時間帯になるらしい。
「菊花賞って、ああ、競馬か」
記憶を探ってみると、菊花賞という名前にちょっとだけ聞き覚えがあったことと、彼女がゲームの攻略本を取り寄せていた記憶とが結びついたお蔭で、俺は数秒考えただけで、雫のヤツが競馬ゲームをやっていたのだと推測することが出来た。
その所為か……愚かなことに、俺はこう尋ねてしまったのだ。
「……面白いのか、それ?」
……当然のことながらこの質問は地雷だった。
「ええ。勿論、それは一見すればただの競走馬のオーナーになって馬を育てるのを委託するだけで、やることもないように思えます。実際、ただ馬を買うだけなら資金力が全てになるだけのゲームですし、馬を大量に育てようとすると出走レースの管理や維持費も馬鹿になりません。けれども、本当の面白さは血統を理解したときに生まれてくると私は思いますの。インブリードで血統を濃くするかアウトブリードの相性を目指すか。私個人としましてはインブリードはあまり好きではありません。ブリンガーやシャドーロールが必要になる挙句、去勢しなきゃ走りを期待できません。そうすると次世代の血統を繋ぐという楽しみが薄れてしまいます。ですが、アウトブリードは相性がまた難しく、インブリードほどの確実性はなくなりますの。そもそも早熟馬でなければ三歳という縛りのあるレースは出れませんし、そうなると四歳のダービーまで速度が維持できるかどうかが難しく、ああ、凱旋門レースにも出たいとは思うのですけれど……」
「待て、待て待て待て」
放っておけばいつまでも語りそうな雫の口調を、俺は手を上げてなんとか押しとどめる。
「つまり、何をするゲームなんだ?」
「ええと、GⅠレースで一等を取るゲームですわね、一応」
「……凱旋門ってGⅠレースだっけ?」
「いえ、良い成績を収めた競走馬だけが出れる、海外レースですわ」
はっきり言おう。
……超能力の授業や理論並に意味が分からない。
今すぐに爪を噛みながら椅子の上に変な座り方をして「何が何だか分からない」と呟きたいところである。
目の下にクマでも作れば完璧だろう、うん。
「イン? アウト?」
「ああ、血統のことですわね。
同系統の血筋の雄雌で子供を作ると、その系統が色濃く出やすいのですわ。
短距離専門早熟馬の子供とその親をかけ合わせると、気性難持ちではありますが、短距離専門の早熟馬になるという風に……」
「……親と?」
「ええ、危険な配合なので、あまりお勧めは出来ないのですが……
マチカネイ○シミズと9の配合と言いまして……」
正直なところ、俺は見事にドン引きしていた。
意味が分からないばかりか、どう聞いてもハプスブ○ク家も真っ青の近親相姦を計画しているような、そんな感じに聞こえるし。
ただその理論で言うと、鶴来舞奈さんと舞斗のヤツをかけ合わせたら、恐らく凄まじい剣使いの超能力者が生まれてくるに違いないだろう。
──もの凄く気性難で早熟だろうけれど。
「雫は、その、兄か弟でもいたりするのか?」
「ええ?
いえ、私は一人娘ですが?
遠回しな告白か何かでしたら、その、前向きに善処させてもらいますけれど……」
ありのままに今起こったことを話すぜ?
──俺が身に覚えのない告白をしたと思ったら、いつの間にか遠回しに振られていた。
何を言っているかは分からないだろうが、俺も何が何だか分からない。
超スピードや催眠術なんてチャチなものじゃ断じてねぇ。
もっと恐ろしいものの片鱗を……
……と、まぁ、そんなことはどうでも良くて。
今はこのダビ○タという名の、踏んでしまった地雷を何とか処理しなくてはならない。
しかも、早急に。
……これ以上、謎理論で構成された会話を聞いていたら、俺のSAN値が下がり過ぎてアラブの詩人ア○ハザードと同じ精神構造になっちまう。
「他の二人は?」
「ええと。羽子は明日まで安静にしろということでまだ眠っているみたいです。
レキは特訓するとか言っておりました。
……明日の序列戦に二人とも備えているようですわ」
そんな雫の言葉に、俺は思い出す。
今の羽子の序列は一六位、レキの序列は一五位。
明日には……二人はぶつかり合うのだと。
「……本気でやりあうつもりなのか?」
「そのようですわね」
俺の問いに頷いた雫は、特に気負った様子もない、それが当然という声だった。
その一言で何となく理解する。
……もし雫が彼女たちのどちらかとぶつかり合う場合でも、本気でやり合うつもりだと。
「勿論、師匠が相手でも手を抜きませんわ。
貴方を超えることこそ、私たちの目標なんですから」
「……そう、か」
「ええ。そうです」
楽しいゲームを待ちわびているかのような雫の瞳に映っていたのは、俺の顔だった。
彼女の瞳は、俺が彼女たちよりも強いことを期待されていて……そしてそんな俺を打ち勝つ日を待ち望むという、憧れに近い瞳で。
──そうなると、俺もこうして腑抜けている訳も……
A定食を平らげた俺が、少しばかり自分の現状を反省する。
……その時だった。
「兄貴っ! ここにいたっスか?」
叫びながら食堂に走り込んできたのは舞斗のヤツだった。
「お前……もう大丈夫なのか?」
「ええ。幸いに骨は折れてないらしいっス。
打ち身と打撲だけで、運動に支障はないとか」
俺は舞斗のヤツの、その頑丈さに逆に驚かされていた。
……何しろ、昨日はまるで葛飾区交番勤務の巡査長がダンプに跳ねられた時のように、見事に吹っ飛ばされていたからな。
今日ダメージが感じられないってのが不思議なくらいである。
……考えてみれば、俺が全力スマッシュを決めた翌日もピンピンしてたような。
どうやら舞斗のヤツは、その女の子と見紛うばかりの顔に似合わず意外とタフらしい。
「で、何の用なんだ?」
「えっと、その、兄貴」
A定食を喰い終えた俺がそう舞斗へと尋ねると、舞斗のヤツはこの考えなしの単純馬鹿、もとい、直球極まりない性格には珍しく……何やらもじもじと言い難そうな仕草をしたかと思うと……
「兄貴っ!
俺を……俺を、男にして欲しいっス!」
食堂中に聞こえるような大声で、そんなことを口走りやがった。
「きゃあああああああああっっ!」
「おわぁっ! 血が、血がっ!」
「衛生班~~っ!
衛生班~~~~っ!」
……当然のことながら、近くで眠そうな顔をしつつB定食を口にしていた委員長がその叫びに耐えられる筈もなく……。
ついでに委員長の影響で若干腐りかけの雫は、お嬢様っぽい外見とは裏腹に口の中のワカメ入り中華スープを、まるでエメラルドス○ラッシュとばかりに俺の顔面目がけて噴き出しやがる。
……そんな一幕があった所為で。
俺と舞斗の二人はそれからの二〇分ほどを食堂の掃除という雑務の所為で、無駄に浪費する羽目に陥るのだった。
掃除を終えた後。
俺と舞斗のヤツは体育館に向かっていた。
「えっと。
つまり、昨日の戦いで単純な力に圧倒されて目が覚めたっスよ。
結局、今の俺に足りないのは超能力よりも剣技だと実感したっス」
食堂にいた全女子……いや、ほぼ全員の若干腐敗気味らしき女子に思いっきり勘違いされたコイツの話を要約すると……
「それに、姉さんと繪菜さん以外の女に負けっぱなしじゃ男が廃るっスよ。
だから男になるために……。
強くなるために、兄貴に剣技を教えて欲しいっス」
どうやらそういうことらしい。
「……先にそう言えよ」
『強さ=男らしさ』という舞斗の思考回路に、俺は頭痛を覚えたが、言いたいことは分からなくはない。
ただ、姉を端っから勝てないものと決めつけている辺りが、コイツの限界なんだろうと思いつつも……
──ちょうど良い機会だよな。
俺自身、この鈍りまくっている身体に喝を入れるのも悪くない。
これから先は、どんどん戦いは厳しくなっていくのが分かっているのだから。
そう考えたからこそ、俺はこうして乳すらない舞斗のヤツにわざわざ付き合ってやっているのだ。
「兄貴は剣術、出来るんスよね?」
「あ~、齧った程度、だがな」
「またまた謙遜を……」
俺の返事に舞斗は笑うが、謙遜でも何でもなく……俺は嘘偽りなど一切告げてはいない。
そんな会話を続けている内に、俺たちはいつも序列戦に使っている体育館へとたどり着いていた。
この『夢の島高等学校』では休日の体育館使用は別に制限されていない。
むしろ学校側は「超能力を鍛えるならば幾らでも使ってくれ」というスタンスを取っている。
「よし、到着。
では兄貴、早速……」
「ありゃ、和人と舞斗じゃん」
「どうかしましたか?」
扉を開くと、体育館には先約がいた。
身長を超す長さの棍を手にした亜由美と、いつもの杖を手にした奈美ちゃんのダブルAAコンビである。
隣にいるのは舞斗のヤツで……
その事実に気付いた時、俺はふと自問自答してしまう。
──どうして俺は、こんな乳のない空間にいるんだろう?
……と。
何しろ、この『夢の島高等学校』は全校生徒二十八人の内、二十六人が女子生徒である。
つまり52個のおっぱいがある筈で、その内の四〇個くらいは確実に存在を認識できるA以上である。
だと言うのに……何故、俺はこんな場所に……
俺がそんな自問自答を続けている間にも、舞斗のヤツは二人との会話を続けていた。
「お二人はどうしたんスか?」
「特訓よ特訓。
二年相手に素手じゃキツいって分かったからね」
そう言って亜由美は棍をくるくる器用に回すと、上段からの打撃を奈美ちゃんへと叩き込む。
が、奈美ちゃんはその突然の一撃をものともせずにあっさりと受け流し、その杖の先端を亜由美のあるかないか……いや、『ネス湖の怪獣が実在するくらいの確率』で存在しているだろうそのおっぱいへと突き立てていた。
「つっ~~~っ、相変わらずっ」
「攻撃に転じた時の隙が多過ぎますし、思い切りも足りません。
当てるなら確実に当てようとして下さい。
半信半疑での攻撃なんて、ただ隙を作るだけです」
その様子を見る限り、亜由美のヤツは奈美ちゃんに師事し始めたらしい。
──ああ、それでか。
視力のない奈美ちゃんが昨日の序列戦を見学に来た理由を、俺はようやく理解していた。
あれは、どうやら「弟子の出来具合を確認するため」らしい。
尤も、相手が相手だけあって、亜由美はその杖術を使うまでもいかなかったのだが。
「では、兄貴、俺にも剣術を教えて欲しいっス。
まず、どうすれば……」
──俺は日本刀しか知らないんだがな……
曾祖父が教えてくれたのは、槍と日本刀の極々基本的な操り方、それに棒手裏剣や寸鉄の使い方であって、舞斗の使うような西洋剣は畑違いなんだが……と俺は肩を竦める。
──が、まぁ、鉄の棒で引っ叩く訳だからそう変わりはしないだろう。
そう考えた俺が舞斗の方へと視線を移すと、舞斗のヤツはいつの間にやら現出させたらしき剣を二本、それぞれ両手に持ってこちらを待ち構えている。
俺はその舞斗の構えに……ため息と頭痛を隠せない。
「……そもそも、何故二本使おうとするんだ、お前は?」
「だって、一本よりも二本を使った方が強いじゃないっスか」
俺の問いへの回答は、そんな単純でバカバカしい理由だった。
……こいつは絶対、クリスタル○ワーに巣食うツーヘッド○ラゴンに凄まじいヒット数の攻撃を喰らい、散々苦労するタイプだろう。
そもそも、どっかの喰わない生き物は殺さない海賊じゃあるまいし、両手に剣を持った方が強いなんて幻想以外の何物でもない。
──しかも、両手剣を扱う修練を積んだ訳でもないってんだからな……
俺は大きく息を吸い込むと……
「一本も使いこなせないヤツが、二刀流なんて百年早いっ!」
全力で怒鳴る。
「だって……」
「だっても糞もあるかっ!
とりあえず、一本から始めろっ!」
俺の怒鳴り声に背筋を伸ばした舞斗は、一本の剣を放り投げると残った一本を両手で握って構える。
その恰好は、どう見ても棒切れを持った小学生そのもので……
「まず、背筋を伸ばす。
それから、剣は取りあえず正眼に構えて、……あ~、身体の正面に、そうそう。
右手で剣を握って、左手は添える感じ。
もうちょいと手の間隔を開けろ……バットじゃないんだから」
「えっと、こう、っスか?」
俺の言うとおりに剣を構える舞斗。
俺が指導したお蔭か、取りあえずそれらしい構えにはなってきた。
「じゃ、そこから剣を振り上げて……アホかっ!」
あ。つい蹴りが出た。
──幾らなんでも……近所のガキが蝉取り網を持ち上げるんじゃないんだからさ。
「うわ、酷っ……」
「そうですか?
ちゃんと手加減されていますし、臀部は多少叩いても肉厚で痛みも軽く、後遺症を残すような臓器へのダメージもありません。
よく考えられていると思います」
「でも、今話題の体罰……」
「電流による記憶実験では、猿や鼠どころか蛸まで迷路を記憶するそうです。
生物学的に言っても、痛みは記憶に直結するのです。
体罰が問題になっているのは、記憶と連結させる訳でもない……意味のない痛みを自己満足で与えようとするからです」
俺の指導法に亜由美は眉を顰めていたが、奈美ちゃんは笑顔で全面的な肯定を下す。
やっぱり彼女は俺の味方のようだ。
──これでAAじゃなかったら……
重ね重ね、天はなかなか二物を与えてくれないらしい。
そう考えると、あのおっぱい様はまさに天上におわす神々が創り上げた、極上にして絶対の芸術品だと言える。
最近は序列戦で忙しく、授業中以外にあのおっぱい様との接点がない俺は、半ば禁断症状が始まりかけているような……
「で、次はどうするんすか?」
「っと、そこからまっすぐに振り下ろ……まっすぐと言っただろうがっ!」
あ。次は拳が出ちまった。
幾らなんでもその波打った太刀筋は……人を斬るつもりで剣を振り下ろしているとはとても思えないから、つい。
「兄貴……痛いっス」
「やかましいっ!
真面目にやれ、真面目にっ!」
舞斗の抗議も怒鳴って黙らせると、俺は続きを教える。
実際、舞斗の剣にはどうも気迫が感じられず……俺は苛立ちを隠せない。
──教えて欲しいと言ってきた以上、教わる方にもそれなりの姿勢が必要だろうに。
ただ舞斗のヤツは唇を尖らしているから、本人にしてみれば真面目なつもりなのかもしれないが……。
「ほら、こうだ。こうっ!」
俺は床に落ちてあった、さっき舞斗のヤツが放り投げていた剣を拾うと、無雑作に正眼に構え、振り上げ、振り下ろす。
「……えっと、何が何だか……」
「あ~。
取りあえずさっき教えたことを繰り返し……素振りをしてみろ」
「……了解っス」
俺の斬撃を見た舞斗は……いや、見えなかったらしき舞斗は、目を白黒させつつも素直に頷く。
「まっすぐ振り下ろす。
身体の芯をそのままで……握りが甘いっ!」
舞斗の素振りを見た俺はそう叫ぶと、手に握っていた剣を、舞斗の剣の軌道と交わるように突き出していた。
「──っ?」
舞斗が振り下ろした剣は、俺の突き出した剣と衝突したかと思うと、あっさりと俺の剣に弾き飛ばされる。
そのまま舞斗は空になった自分の手のひらを呆然と眺め始める。
「握りが甘いからそうなるんだ。
叩き斬る瞬間に握り込む。
基本中の基本だぞ?」
「りょ、了解っス」
手が痺れるらしく眉を歪めていた舞斗だったが、俺の忠告に素直に頷くとまたしても剣を現出させ、その剣を振り上げ、振りおろし……
「アホかっ!
力が入り過ぎてて遅過ぎるっ!
振り下ろす瞬間は軽く握り、衝突の瞬間に握るんだよっ!」
「どんな風にっ?」
「んなもの、一日百回、一年丸々振れば自然と覚える」
「ひゃ、百回……一年。
そんなの、無茶苦茶じゃないスか~」
俺の回答に舞斗は剣を放り捨てるとへたり込む。
──俺って、指導者としては向いてないかなぁ?
へたり込んだ舞斗のヤツを見て、俺はついそう自問していた。
俺としては、曾祖父に教わったことを、教え方までそのまま模写しているだけで。
柔術の師匠を物真似した史上最強の弟子曰く「武術の伝承とは即ち模倣から始まるのだよ」という言葉通りなんだが……
「……いや、逆にそうやって身体が覚えてない技術なんざ、実戦じゃなんの役にも立たないぞ?」
仕方なく俺はそう宥めるような声を出していた。
とは言え、宥めるための方便という訳ではなく、その言葉に嘘偽りはない。
思考が入る余地すらない緊急時に、それでも無意識の内に出せるほど身に付けてこその『技』なのだから。
「なら、あっちの二人はどうしてああいう実戦形式をしているんスか?」
舞斗の視線の先には、棍を振り回している亜由美と、それを上手く避け続けている奈美ちゃんの姿があった。
「ああ。亜由美さんは空手をたしなんでいて、それなりに身体が出来ていますから。
後は応用で何とかなるんです」
「……何ともっ!
なってっ!
ないん、だけどねっ!」
笑みを浮かべながら舞斗に説明する奈美ちゃんと、その説明の最中でさえ掠りもしない棍に泣き言を上げる亜由美。
事実、二人の技量は違い過ぎていて、奈美ちゃんは汗一つかかずに亜由美の攻撃をさばき切っている。
いや、亜由美が空に浮けば、それなりに勝機はあるのだろうけれど……今は取りあえず棍の動きや扱い方を身体に覚え込ませている最中のようである。
ただ、そうして二人の稽古を眺めることは、舞斗にはそれなりの休憩になったらしい。
「では、兄貴。
次の教えをお願いするっス!」
やる気を取り戻した舞斗は剣を手に取ると立ち上がってそう叫ぶ。
ただ、非常に言い難いことに。
「……もうないぞ?」
「は?」
俺の言葉に、舞斗は『訳が分からないよ』と告げる宇宙の冷却死と戦う白い戦士のような顔で尋ね返してきた。
「だから、もう終わりだよ。
『眼の高さまで持ち上げて、振り下ろす』
これが曾祖父から習った剣技の全てだ」
「え、でも、防御の技とか……」
「相手が振るうより早く斬れば負けない。
……違うか?」
俺の強引な言葉に圧されたらしく、舞斗は何度も頷くと復習のつもりか素振りをまた開始していた。
──正確にはちょっと違うんだけどな。
舞斗に語ったことは、嘘偽りなどない。
……ただ、真実の全てを語っているとは言い難いのも事実である。
まず違う点の一つ……曾祖父は武術の場が寝込みや夜襲をも想定する以上、『武器を頼るのは下策』と考える人だった。
──戦争中、大陸で便衣兵……民間人の恰好をして紛れ込んだゲリラ兵に散々奇襲を喰らってそういう境地に達したらしい。
まぁ、そういう訳で俺が習ったのは『剣術』ではなく、『剣を持った相手にどうやって対抗するか』という一点のみ。
つまりが、剣を学んだというよりは、剣を手にした時の身体の使い方を覚えさせられたというのが正しかったりする。
二つ目はもっと単純で……『舞斗のヤツには防御能力なんて必要ない』というれっきとした事実である。
コレはまぁ、俺の予想というか確信に近いのだが……
──一〇〇を超える剣を操る人間に、防御が必要な訳ないだろう?
……そう。
舞斗が知らなきゃならないのは防御ではなく、攻撃の道筋である。
あれだけの数の剣を生み出し、とっさに剣でガード出来る能力の柔軟性まで見せた舞斗に必要なのは、能力の応用や小手先の技術などではなく身体の感覚の方だ。
攻撃速度に追いつく動体視力に、攻撃時の刃筋の立て方、更には筋肉や体軸の使い方を覚え込みさえすれば……あとはあの常識外れの超能力が生きてくる。
──そういう意味じゃ、昨日の羽杷海里先輩も惜しかったよな。
怪力無双の超能力は、それに頼り過ぎた本人が『技』に見向きもしない所為で、宝の持ち腐れ以外の何もでもなくなっているのだから。
「お、こんなところにいやがったな」
噂をすれば……という諺が脳内で考えたことまで適用されるかどうかは微妙ではあるが、その考えていた当の本人……羽杷先輩も体育館に用事らしい。
レスリングの競技服……シングレットとかいう妙にエロいアレを来た羽杷先輩は、筋肥大しておらず、骨太痩せ型の体型だった。
「~~~っ」
舞斗のヤツは、昨日思いっきり吹っ飛ばされた所為かトラウマでも出来ているらしく、素振りを止めて彼女から少し距離を取っていた。
……だけど。
どうやら彼女の目的は舞斗のヤツではなかったらしい。
まっすぐにこちらに歩いて来たかと思うと……俺の前へと立つ。
「なぁ、お前。繪菜のヤツから聞き出したぞ?
かなりヤるんだってな」
「いや、まぁ、その、ぼちぼちと……」
酷く好戦的な視線で見つめられた俺は、彼女の圧力に負け……その好戦的な視線から目を逸らす。
「おいおい、情けないヤツだな。
オレと話しているってのに、一体何処を見て……」
そんな俺の態度を腑抜けと取ったのだろう。
羽杷先輩は拍子抜けしたような、期待外れの品を引き当てたような声を出したかと思うと肩を竦め……
──お、揺れた。
……流石は先輩のCである。
しかも恰好が恰好だけに、お椀型の曲線がはっきりと分かる。
「……ほんとに、お前は何処を見てるんだよ……」
そんな俺の視線に気付いたらしき先輩は、今度こそ本気で呆れた声を出してため息を吐いていた。
だが、俺の視線を受けても堂々と胸を張る彼女は、男の視線に怯む様子すらなく、なかなか格好良い女傑という雰囲気だった。
……おかげさまで眼福である。
「うわ~、節操ないな~、和人ったら」
「えっと、和人さん。
その、私で良ければ、その」
外野が何やらやかましいが、久々に……由布結と序列戦で戦って以来の、至近距離で見るCサイズなのだ。
──なるべく長い間鑑賞したいと思うのは、漢として当然だろう?
……ちなみに奈美ちゃんが三〇人くらい集まったとしても、羽杷先輩には敵いもしないと思われる。
「ったく。
こんなものを見て、何が楽しいんやら……」
「ふっ。ただ見たいから見ているだけさ。
何故ならば……そこにπがあるからだっ」
堂々と、正直に、胸を張って、視線を彼女のバストから外さずに、俺はそう告げていた。
『常に正直者であれ』……曾祖父から武術と共に教わった俺の人生訓に、体育館が一瞬で静まり返り……誰も声を発さない。
結局、数秒間続いた体育館の沈黙を破ったのは、本気で呆れ返っていたらしき羽杷先輩のため息だった。
「ま、お前の性癖は兎も角として……
昨日の一撃は見事だったな。
不意を突かれたとは言え、一撃で気絶させられたなんざ……初めてだったぞ?」
「いや、先輩も結構なお手前で……」
先輩の声に対する俺の返事は、当然のことながら彼女の怪力能力へ向けられては……いなかった。
そんな俺の視線と返事を、羽杷先輩はもう無視することに決めたらしい。
俺の胸に拳をコツンと当てたかと思うと……
「早くオレのところまで上がってこい。
……渾身の力で、先日のお礼を含めて、完膚なきまでに叩き潰してやるからな」
今にも殴りかかりたい気持ちを押し殺したらしきその拳は、血管が浮き出ていて震えを隠し切れていなかった。
俺はそんな彼女の拳を掴むと、不敵な笑みを浮かべようと唇の端を吊り上げる。
その時、だった。
「ちょっと、待つっス!
兄貴の出る幕じゃないっスよ!」
無視され続けたことに我慢の限界が訪れたのか、舞斗のヤツが大声でそう叫ぶ。
ただ、やはり一度は敗れ去った相手が……序盤は何も出来ずにただ力によって蹂躙された羽杷先輩のことが怖いらしく、膝も唇も手も震えていた。
「何だ、舞斗とか言ったか?
オレは今、コイツと……」
「五月蠅いっ!
兄貴の前に俺と戦えっ!
一週間後に、もう一度っ!
二度と俺を無視できないようにさせてやるっっ!」
舞斗はいつもの間違いまくった敬語を捨て、脅えも震えも怒りで誤魔化しながら、そんな怒鳴り声を張り上げていた。
「うわ、男の子だっ」
「ええ……彼我の実力差も考えずに吼えるとは、なかなかの胆力ですね」
そんな舞斗の評価を、外野の二人がそうこぼす。
挑発された羽杷先輩も、にやりと好戦的な笑みを浮かべ。
「ああ、鶴来舞斗。
いつでも来てみろ。
オレはいつだろうと誰だろうと、刃向うヤツは力ずくで叩き潰す」
獰猛なその呟きと、力強く握り絞めた右の拳によって、舞斗の宣戦布告を歓迎していた。
そうして一しきり笑った先輩は、ふと我に返ったかのように体育館を見回し、俺たち四人へと視線を向け、また体育館を見回し……
「さて、筋トレしに来たんだが……まぁ、先客がいるならオレは帰るわ。
お互い、手の内を明かすのも面白くないだろう?」
結局、羽杷先輩はそう告げてあっさりと帰って行ってしまう。
この体育館が再び『無乳状態』に戻るのを嫌がった俺は、つい彼女を留めようと口を開きかける。
……だけど。
「アイツはこの俺が必ず倒します。
……兄貴との戦いなんて、迎えさせやしませんっス」
俺の声は舞斗のそんな決意表明によって出る機を失ってしまっていた。
……いや、まぁ、それは良いんだけど。
──俺が序列戦を進めて行くと、羽杷先輩とも普通に当たるんだけど。
そもそも普通にこの序列というシステム上、上の順位へ行くには一人ずつ抜いて行かなければならない訳で。
「……別に殺し合う訳ではないでしょうに」
「……しっ。
こういうシーンじゃ、そういう普通のことは言っちゃダメだって」
当然のことながら、奈美ちゃんも俺と同じ疑問を抱き……所謂ジャ○プ的なノリを理解する亜由美に窘められていた。
その後。
俺たちはそれぞれ気が済むまで体育館で身体を動かし、月曜から再び始まる序列戦へと向けて身体づくりに励んだのだった。