第五章 第一話
「はぁ、生き返るな~」
野球勝負が終わった次の日。
俺は筋肉疲労の残っている身体を癒すように『女湯』に浸かっていた。
何故俺が女湯に入っているかと言うと、先日の熱湯戦の影響で男湯が使用禁止になっているからである。
──レキのヤツがタイルを引き剥がしたからな……
この『夢の島高等学校』が超能力者という政府機密を扱う以上、修理業者の選別も色々と大変らしい。
持って来られない……つまり、その場での施工が必要な風呂場のタイル修理ってのは、テーブルやソファ、ガラス窓を叩き壊すのとは訳が違うとか……繪菜先輩の説教でそう聞かされたことは、まだ記憶に新しい。
「ててっ。
ああいう身体の使い方、久々だったからな……」
俺は背中と肩、腰が僅かに軋むのを実感してそう呟くと、風呂場で筋を伸ばす。
曾祖父が亡くなってからもこの『夢の島高等学校』という性質上、古武術の方はそれなりに使う機会があったのだが……剣術の方はかなりおざなりになっていた感がある。
そもそもモーションをコンパクトにして確実に斬り裂く剣術と、モーションも何もかも全てを無視して最大威力で振るうバッティングとは使う筋肉が全く違う。
──筋肉痛になっても仕方ない。
だからこそ、こうして少し長めに風呂に浸かり、のんびりと筋肉を癒している訳だ。
……いや、まるっきりのんびりしている訳でもなく、やはり多少の緊張があるのだが。
──この場所で、いつもはおっぱい様が浮かんでいらっしゃるかと思うと、だな。
ところで……脂肪が主成分であるおっぱいは水に浮くと聞いたことがあるが、その辺りはどうなのだろう?
俺が湯をすくい投げながら真剣に脳内討論を開始したときだった。
「で、兄貴はやっぱり明日、二年に向かうんスか?」
同じ湯船の中で、舞斗のヤツがそう尋ねてくるのを、俺はそちらへは視線を向けないようにしつつ首を傾げる。
「……二年?」
「ええ。
兄貴が次に戦う相手、二年の円佳先輩じゃないスか」
そう言えば序列表を見る限り、そんな名前が載っていたっけ。
……二年で一番PSY指数の低い女の子、か。
──おっぱいが大きければ良いけど。
先輩に対してそんな期待を抱きつつ。
……流石に繪菜先輩ほど凄まじい、俺が手も足も出ないような凄まじい超能力者ってことはないハズで、そこまで心配はしていないのだが……。
「明日は金曜日。
二年では超能力の授業がないから……行くなら放課後になるっス」
情報源は姉の舞奈先輩だろう。
舞斗のその言葉に俺は頷きを返しつつも、湯船に身体を伸ばし、全筋肉を弛緩させる。
今は明日の戦いよりも……疲労を完全に癒すことが先決だった。
それほどまでに間宮法理との戦いは、俺を消耗させていた。
「しかし、兄貴と風呂の時間がかち合うのって久々っすね?」
「……あ、ああ。
まぁ二人しかいないからな」
舞斗の疑問を俺は適当に受け流しながらも、内心で冷や汗をかいていた。
──何か、背徳感があるんだよな……。
女顔、しかも身体が細くて女々しい舞斗のヤツと、一緒の風呂に入るってのは、どうもこう……
──乳のないヤツには興味ないんだがな。
正直、胸の無い舞斗は亜由美のヤツとそう変わらない訳で、意識するのもアホらしくもあるが……。
普段、俺の入浴時間は気が向いた時……つまり時間帯が無茶苦茶ということもあり、あまり舞斗とは重ならなかったのだ。
しかしながら……男湯が使用不可で女湯を間借りしている今、そんな自分勝手が通用するハズもなく。
しかもこの前、委員長にベタ塗りを手伝わされた時に舞斗似のあられもない画像を何枚も何枚も何枚も何枚も見せられたことがあり……
……どうもこう、変な気分になりそうで怖い、と言うか。
「ところで、兄貴。
明日の序列戦、俺もついて行って良いっスか?」
「……あ、ああ?
興味ないんじゃ、なかったのか?」
突然の舞斗の提案に、俺は戸惑いながらも頷く。
「いや、昨日の遠野さん、間宮さん、蘇音の戦いを見ていたら、こう……」
どうやら級友の戦いに影響されてジッとしていられなくなったらしい。
格上にはめっぽう弱く、格下には強気になるという、はっきり言ってヘタレ以外の何物でもない舞斗が、珍しく積極的に格上と戦う気になっているのを見て、俺は目を白黒させていた。
……が、本人がやる気になっているのに水を差すのもどうかと思い、黙ったまま彼の話に耳を傾ける。
「兄貴のクラスメイトも、面白い使い方をしてたっスよね。
ああいう能力の利用もあるなんて、考えたことすら……」
「ま、何事も使い方次第さ。
ボクシングなんてたった二つの拳だけで多彩極まりない攻めが存在するからな」
舞斗に説くというよりは、自分に言い聞かせるようなつもりで俺はそう呟いていた。
……事実、超能力は万能ではない。
万能ではないが、格闘技者が武器を一つ持つほどの、もしくは手が一本増えるほどの脅威であることは事実なのだ。
そして、俺が自分で語ったように、格闘技というものは二本の手があれば人は倒せる。
──どんな相手でもどんな能力でも……油断せずに気をひし決めていかないと、な。
次は序列二十位との戦いが待っている。
勝てば、それ以上の相手と対戦することになるだろう。
その事実に、俺はもう一度気を引き締め直すことにした。
そうして順位が上がって行く以上、今までよりも遥かに厳しくなるのは確実なのだから。
「え? 二年との勝負?
うん。あたしもそろそろ行こうかとは思ってたけど……」
風呂から上がった後、俺と舞斗がC定食とA定食をシェアリングしていた時、横合いからそう首を突っ込んできたのは亜由美だった。
彼女は先日の一年A組芦屋颯との序列戦であちこち怪我をしていて、今も顔に絆創膏を貼っている。
「あ、これ?
うん。もう大丈夫」
そう言って亜由美は絆創膏を引き剥がす。
ちょっと痣っぽい跡が残っているものの、ダメージは残ってないらしい。
「面白そうだよね~。
二年ってやっぱり強いんだろうな~」
「いや、そんな楽しいもんじゃないっスよ。
姉や繪菜先輩と同等、言わば化け物揃いなんスから」
呑気な亜由美とは対照的に、深刻な顔をしているのは舞斗のヤツだった。
風呂場での意気揚揚とした雰囲気とは打って変わって、負けることが分かっている戦場へと向かう侍のような、沈痛な面持ちを浮かべている。
──それでも逃げ出そうとしないのは、成長した証、かもしれないが。
「隙ありっ!」
「……ねぇよっ!」
俺が横合いから手を伸ばしてきた亜由美の腕を、左手であっさりとかち上げた、その時だった。
「誰が化け物だって?」
「全く。舞斗ときたら、いつまで経っても口の悪い……」
「ひぃっ?」
騒いでいる俺たちが目に余ったのか、車椅子の繪菜先輩とそれを押す舞奈先輩がこちらへと向かって来て……
舞斗のヤツがこの世の終わりみたいな顔をしてガタガタと震えている。
「聞いたぞ?。
次は二十位だって?
どうやら順調のようだな」
「ああ。お蔭様でな」
繪菜先輩の笑みに俺も不敵な笑みを返す。
彼女のお蔭で、俺はこんな戦いを……序列戦というしなくても良い、無駄な戦いを続けている訳だが。
その内、先輩の持ちかけてくるハズの、『取引』ってのが今は何なのかすら分からないが……赤点を挽回できる可能性がある以上、俺はこの地球をリングに、戦って戦って戦い抜くしかないのだ。
「ああ、それと佐藤さん。
あまり策略を用いて勝たない方が良いですわよ?
自力で勝ち進まないと後半戦……序列上位との戦いは苦労しますから」
「……忠告、感謝する」
舞斗の姉である舞奈先輩の小言に、俺はそう頷く。
彼女の言葉は確かに小言ではあるが……紛れもない事実でもあるのだ。
──上位戦、かぁ。
「隙ありゃっ!」
「おい!
それは兄貴のっ!」
先輩と話し始めた俺の隣で、俺のおかずを巡って攻防している亜由美と舞斗を横目で眺めつつ、俺は内心で心を決めた。
──見せてもらおうか。
──序列上位連中の実力とやらを。
……そう。
俺は……眼前でおかずを取り合っている二人の友人を、【試金石】とする覚悟を決めていた。
勿論、二人が自分の意志で戦おうとする訳だから、俺がそれについて何かをするつもりはない。
それでも……二人の序列戦をただ応援するのではなく、二年生連中の実力を測るための試金石として冷徹に見極める覚悟を、決める。
鬼畜や非道と言うなかれ。
何が飛び出てくるか分からない超能力者との戦いは、常に暗器使いと戦っているようなものだ。
暗器使いのように、一瞬の隙で致命傷が飛び出してくる相手と戦う場合……何の武器を持っているか、何をしてくるかの情報こそが、勝敗を分かつ絶対条件となり得るのだから。
「良い目だな。
なら、何も言うことはなさそうだ」
「ええ。
頑張って勝ち上がって来て下さいね。
一応、期待はしておきますので……」
俺の覚悟を決めた表情に何やら感じ入るものがあったらしい。
二人の先輩はそう言葉を残して俺の前から去って行った。
その二人を見送りながら俺は……
「ちょ、こんな場所で剣出すな~~っ!」
「やかましいっ!
てめぇは超えちゃいけない一線を超えやがったんだ!」
「たかがプリン一つでっ!」
「……やかましいぞ、お前らっ!」
結局俺は、【試金石】として利用するハズの、当の友人二人によって戦意と覚悟を挫かれた挙句、食堂中に響き渡る大声を張り上げることになったのだった。
で、翌日の放課後。
ホームルームが終わり俺と亜由美、そしてB組の教室を出てすぐに合流した舞斗の三人は、二年の教室へと向かっていた。
俺は手ぶら、舞斗のヤツは自分で出したらしき西洋剣を背負い、そして亜由美のヤツは一メートル半くらいの長い棍を手にしている。
三人とも制服姿で……要は着替えるのが面倒だったのだ。
──いや、まぁ、それは良いんだが……
「……何で、お前らまで付いてくる?」
「ええやん、ええやん」
「後学のために研究をと思いまして」
「……呉越同舟」
……そう。
俺の背後にはずらずらと羽子・雫・レキの三人娘がくっついてきていた。
俺がレキの明らかに間違えている四字熟語に突っ込む暇もなく、声が続く。
「私は、その……様子見ということで」
そう告げたのは杖を手にしたままの、奈美ちゃんだった。
見えない彼女が何を様子見するのかは分からなかったが、別に拒む理由なんてない。
……それよりも。
「お前たち、身体は大丈夫なのか?」
昨日の決闘の一部始終を見ていた身としては、やはり気になっていたその質問を羽子・雫・レキに向かって尋ねてみる。
「私は脳震盪と内臓のダメージですわ。
一〇日間はドクターストップだそうです」
「あたしも超能力の使い過ぎって言われたわ。
最低三日間は安静にだと。
お蔭で見学するしかやることないし……」
「……打ち身が数か所。
特に問題ない」
三人のそれぞれの言葉に俺は安堵のため息を吐く。
例えA・AA・Bという大したことのない存在だとしても、彼女たちがクラスメイトであるという事実には変わりはないのだから。
「っと、着いたな」
あまり交流がない二年生とは言え、所詮は同じ学校である。
階が違うとは言え同じ校舎で授業を受ける仲間であり……彼女たちの教室はそう遠くもない。
俺たちは要らぬ話をしている内にその教室にたどり着いていた。
「さて、覚悟は良いか?」
「もちろん。楽しみにしてたんだし」
「ええ。とっくに覚悟は決めてきたっス」
ラスボスへ向かう前の、セーブデータの確認を促すような俺の声に、亜由美は笑顔で、舞斗は覚悟を決めた表情でそれぞれ頷く。
そして、俺自身もとっくに……あの赤点を挽回する手段としてこの序列戦を持ちかけられた時に、覚悟なんざ決まっていた。
だからこそ、俺は大きく息を吸い込むと、ドアに手をかけ。
「頼もうっ!」
そう、大声を張り上げたのだった。
「くっくっく。
いやぁ、これが繪菜の言っていた序列戦か。
なかなか面白いこと考えるじゃねぇかっ!」
そう笑うCサイズのお姉さまは羽杷海里。
舞斗の対戦相手らしく……頬のこけて痩せた印象を見せる顔の割には、意外と骨格が横に太い。
ただ、そのバストは歳相応より少し割増という具合で、こうして二年の教室から体育館に向けて歩いている最中も若干ながら揺れる揺れる。
「……甘く見るな、海里。
お前の相手はあの舞奈の弟だ。
ワタシの相手も、そう大人しくはなさそうだけどな」
羽杷海里をそう窘める遠音麻里というお姉さまもやっぱりCサイズと、流石は年上と言わんばかりに圧巻である。
中肉中背、どちらかと言うと文学系という身体つきをした彼女は、何故か大きなキャリーバックを運んでいて、それが妙に気になるところだ。
そんな彼女の胸も、キャリーバックを運ぶため、腕に力が込められる度に微妙に形を変えて揺れる。
──うむ、なかなか……
俺はその二人の先輩を、年上だからこその絶景を静かに吟味していた。
そんな俺の観察に水を差したのは、横合いからの声だった。
「……あ、あの、お手柔らかに、お願い、します」
そう話しかけて来る少女……俺の相手である布施円佳という二年は、どっからどう見ても小学生と見紛うほどの小柄な体型で、バストも体型に比例したかのようにAAで期待外れ甚だしく、俺は今一つ気合が入らない。
しかも小学生っぽい体格に加え、妙にオドオドした態度を取り続けていて、別の意味でも気が引けるというか。
「あ~、はいはい」
……だからだろう。
俺が先輩への敬意の欠片も感じられない、そんな態度を取っていたのは。
「うわ、露骨やな~、師匠」
「師匠の敬意はバストサイズに比例するらしいですからね。
まぁ、仕方ないのでしょうけれど」
「……エロス」
──そこ、外野は五月蠅い。
──付いてくるのは許可しているのだから、要らぬ茶々を入れないこと。
そんな俺の視線に気付いたらしき三人娘は口を噤んで静まり返る。
まぁ正直、この静けさもそう長く続くとは思えないが……
「で、弟君。順番はどうする?」
「舞斗だっ! 俺は別に何番手でもっ!」
「あたしもどうでも良いかな?
別に戦うことに違いはないんだし」
「一年の割には良い覚悟だ」
そうして体育館まで歩く数分の間で、亜由美はおろか舞斗のヤツまで対戦相手と意気投合したかのように話を弾ませている。
「あ、あの、その……佐藤君、ですよね?」
「……ああ」
ただ、俺の相手はその……AAで、仲良くするメリットが、あまり……
とは言え、邪険にし過ぎたのか気弱そうな布施円佳というその少さな女の子の先輩は、妙に泣きそうな顔をしていて……何か凄まじくやり難いと言うか。
──この女の子を、ノックアウトしなきゃならないんだよな~。
そう思うと、やはり罪悪感が少し……
「さて、真面目に、順番はどうするかなぁ?」
体育館が見えてきた辺りで、羽杷海里さんが肩を竦めて訪ねてきた。
入口には俺たちの呼んだマネキン教師が手を振っていて、いつでも序列戦を始められる状態になっているのが分かる。
とは言えこうとはっきり決めない辺り、口調の割にはあまりガンガン物事を自分で決めるタイプではないらしい。
「ワタシは別に意見はないぞ?」
「俺は、その……いや、特に意見は……」
体育館のドアをくぐっても、順番は決まりそうになかった。
舞斗は何か言いたそうだったが、口に出せない以上、それは意見がないと同じと判断するしかない。
「なら、俺が最初。次に亜由美、そして舞斗。
要は序列が下から順番でどうだ?」
……結局。
決まらない話に苛立った俺が、横合いから告げたその一言が決め手となったらしい。
別に俺の意見を蔑ろにすることもなく……どうやらこの二年の先輩たちにとって、序列順位とやらも『ただ学校側が勝手に決めただけの数字』に過ぎず、それをもって優位劣位を決めるようなものとは思ってないらしい。
──ありがたい、な。
一年の方ではA組とB組という妙な優劣が生まれている分、この呑気な二年生の態度には少しばかり救われていた。
ただ、逆を言えば……
──序列などという『ただの数字以外に誇るべきものが存在する』って証でもあるんだよな。
そう考えた俺はさっきまでの……対戦相手が小学生っぽい外見で、しかもAAと分かった時から感じていた罪悪感や躊躇いを追い出し、抜け切っていた気を入れ直す。
「くっくっく。
流石は、あの繪菜の……」
「喰えないと、評価するべきなのでしょうね」
戦いを前にした俺の顔を見て、二年のCを誇る二人の先輩が笑っていたが、今はもうそんな雑音は意識の隅へと追いやる。
こうして今……布施円佳という超能力を操る少女と対峙しているのだから。