第四章 第四話
遠野彩子と扇羽子の戦いを一言で語るなら『消耗戦』だろう。
新技である『エア・ジャケット』によって打撃技をほぼ無効化する羽子と。
遠距離から念動力で、所謂『遠当て』によって打撃を加え続ける遠野彩子。
遠野彩子はレキに一撃でやられたのを酷く警戒しているらしく、大技に頼らず連撃で距離を延々と保ち続けたし。
一撃必殺の奥の手とやらを持っている羽子の方もエア・ジャケットでダメージをほぼ喰らわないが、念動力の連打に阻まれて近づくことが出来ない。
……まさに消耗戦である。
──読めない。
その様子を、俺は汗が頬を伝うのを感じながら眺めていた。
──羽子がエア・ジャケットを維持するのにどれだけのスタミナを使う?
……分からない。
──遠野彩子が遠距離の打撃をあと何発放てる?
……分からない。
超能力者同士の戦闘だと……武術家同士の戦いと違い、展開がさっぱり読めやしない。
だから俺は、ただただその消耗戦の行方を見守るしかなかった。
そうして俺たちが見守る中、彩子の念動力は羽子を捉え続け、羽子の『エア・ジャケット』はその念動力を弾き続けながらも近づくことは叶わない。
「……思ったよりも長引いた、な」
そうして延々と続くかに見えた二人の戦いが五分ほど続いた頃、だろうか。
二人の様子に変化が見え始めていた。
「へっ。そろそろ、ばて、た、かよっ」
「だ、誰が、こないな、程度、でっ」
二人とも威勢だけは開戦当初と変わらないものの……二人とも消耗しきっているのだろう。
明らかに息が上がっている。
「なら、これでっ!」
「……かっ?」
直後、彩子が放った念動力によって羽子の顎が上がる。
どうやら羽子は『エア・ジャケット』を維持できなくなっているらしく、彩子の念動力が空気の防御を貫通し、戦闘開始後初めて羽子にダメージを与えたのだ。
だが、彩子が放った一撃も開戦当初ほどの威力はなくなってきているらしい。
最初の数発は羽子の身体全体をエア・ジャケットの上から大きく揺らしていたというのに、今や顎をかち上げる程度の威力に成り下がっている。
……そして。
「ちょっと、しぶとい、わ、よ」
「へへっ、お互い、さま、や」
その一幕以降、二人の距離は徐々に、だけど確実に縮まってきていた。
彩子のスタミナが切れ、遠当ての威力が落ちたことによってストッピングパワーが衰え……羽子の接近を食い止められなくなってきたのだ。
同時に彼女はもう足を使って距離を取ることも出来ないほどに、消耗し切っていた。
──だけど。
羽子の方も限界が近いらしく、どうしようもないほど膝が震えている。
威力の落ちた彩子の念動力を無視して一気に距離を詰められないほど、羽子自身も衰えているらしい。
──あと、三発、だな。
羽子の限界を俺はそう見積もった。
そして、羽子が徐々に距離を詰め続けた甲斐もあり……遠野彩子と羽子の距離は、わずかあと一歩。
……あと、僅かに一歩だけである。
「……いい加減にっ!」
震える身体で、祈るように両腕を身体の前で握りしめたまま、遠野彩子は念動力による打撃を放つ。
羽子の首が右へと弾ける。
……が、倒れるには至らない。
「沈めっ!」
返す刀とばかりに彩子が叫び、羽子の身体が今度は左へと弾ける。
……そのまま、羽子は力尽きたかのように前へと崩れ落ち……
「ははっ、どうだっ?」
崩れ落ちる羽子に向けて、勝利を確信したらしき彩子の声が響く。
──勝負、あり、か。
その二人の様子を見た俺は、緊張で知らず知らずの内に身体の中に溜まっていたらしき熱気を大きく吐き出していた。
……そう。
これで、二人の消耗戦は、決着したのだ。
「……捕まえた」
「~~~~~っ?」
前へと倒れ込んだ羽子が、そう笑ったかと思うと、驚きと共にバックステップしようとした彩子の顔面に、その右手のひらを当てる。
その直後。
「……あっ?」
彩子が最高のタイミングで顎先にストレートを貰ったボクサーのように、直下へと崩れ落ちたのだ。
──何が、起こった?
俺は自分の目で見たハズのその光景を、信じることが出来なかった。
雰囲気からして、羽子が言うところの『新必殺技』が決まったのだろう。
──散々自慢されたから、それは分かる。
……が、彼女が何をしたのかがさっぱり分からない。
「へへっ。これが、師匠を、倒すための、新技や」
「何を、したんだ?」
自慢げな羽子の声に、俺は思わずそう呟いていた。
別に答えを期待した訳ではなく、先ほど目の当たりにした光景が完全に理解の外だった所為だった。
「大したこと、や、ないわ。
ただ、この手のひらの中に、6%以下の、酸素濃度の空気を、作りだした、だけや」
荒い息のままで、そう告げると羽子は俺に向かってガッツポーズを決めてみせる。
──そんなことで?
彼女の回答に、俺は驚きを隠せなかった。
いや、確かに五分以上息を止めていられる人間だろうと、酸素濃度6%以下の空気を一度呼気するだけで昏倒すると言われている。
──つまり……
彼女は、酸素を超能力で操り……対戦相手をたったの一撃で昏倒させ得る『猛毒』をその手で作りだせるようになったのだ。
──洒落に、なってねぇ。
エア・ジャケットとやらを操る羽子には、そもそも打撃が通じない。
その挙句、関節技や投げ技を仕掛けても、彼女の手が俺の呼吸器に触れるだけでこちらは昏倒してしまう。
──もし彼女と対戦することになったら?
俺は自問自答して……最悪の結果を思い浮かべ、首を左右に振る。
そんな俺の顔を見て、羽子はその微かな胸を張り、ニヤリと笑う。
「はははっ。
師匠を、倒すのは、この、あたしやから、な」
……だけど、彼女の強がりもそこまでだったらしく。
直後に力尽きたかのように真横に倒れ込んでしまっていた。
「……馬鹿」
「ははっ。確かに」
レキの辛酸な感想に、俺は思わず笑っていた。
もう立つことも出来ないほどの辛勝なのに、羽子のヤツはまだ強がっていたのだから、そう言わざるを得ないだろう。
勝負はそれほどまでに紙一重だったのだ。
……敢えて遠野彩子の敗因を述べるなら、最後の一瞬で勝ちを確信して油断した、その紙一重の差、なのだろうけれど。
遠野彩子がレキと戦った時のダメージに構わず無理に戦ったことも、彼女の敗因の一つかもしれない。
「……次は、師匠の番」
「そうだった、な」
レキの声に分析を打ち切った俺は、軽く頷いて足を前へと踏み出した。
身体は……万全だ。
レキ・雫・羽子の戦いを観戦していた所為で、彼女たちが激戦を見せてくれたお蔭で、俺の身体はアップする必要もないほど温まっている。
「仇は、取るからなっ!」
俺の相手……間宮法理という少女も同じなのだろう。
その叫び一つを聞くだけで、彼女の気合が十分なのが分かってしまう。
そんな少女は体育館に持ってきたらしきバッグを持ち出すと、中身を取り出し……
「やっぱり、そう来るかっ?」
彼女が持ち出したベルトを、いや、ベルトに備えられてある武器を見て、俺は思わずそう叫んでいた。
──棒手裏剣。
──チャクラム。
一つでも当たれば致命傷……最低でも指一本は軽く吹っ飛ばされて、あっさりと戦闘不能にさせられそうなそれらの装備に、俺は思わずうめき声を上げる。
何しろ……あれらの殺傷兵器が、物理法則に反するような無茶苦茶な軌道を描いて俺に襲い掛かってくるのだから。
だけど、彼女が取り出した武器はそれだけに留まらなかった。
──そして、流星鎚かっ!
紐の先端に円錐状の鉛が括られているその武器に、俺は戦慄を隠せない。
どうやら軌跡誘導という超能力を持つ彼女は、おっぱい様こと数寄屋奈々があの時告げた言葉を鵜呑みしてしっかりと備えて来ていたようだった。
全てがただ避けるだけで一苦労しそうな、一撃で命を奪われるかもしれないような武器ばかり。
──負けない自信はある。
……あれらの全てを避け、彼女に致命傷を負わせるような、そんな自信なら。
もしくは、自らの致命傷のみを避け、傷を負いながらも彼女を倒す自信なら。
けれど、学校の授業で……テストの点数を上げる程度の戦いで、そんな無茶をするつもりも、誰かを大きく傷つけるつもりも、俺にはない訳で。
「……やっぱり、使うしかない、な」
俺はため息を吐くと、『とっておきの策』を用いることにした。
何しろ俺は……それらの武器を選んだ彼女の必死の戦略も、幾ら小遣いを投入したか分からないそれらの備えも、慣れない武器で訓練を積んだだろう彼女の汗も……
──それら全てを水泡に帰す『策』が手の内にあるのだから。
彼女の武器を一通り観察した俺は、自分で用意してきたバッグを持ち出すと、その中身を開く。
「……へぇ。
キミも武器を用意してきたんだ?」
俺の武器使用を彼女は咎めようとしなかった。
むしろ当然と思っている様子である。
ただ、生憎と俺が取り出したのはただの木の棒……しかもスポーツ用品でしかない。
「……バット如きで、私に勝つつもり?」
訝しがる彼女に向けて、俺はバッグの中からとあるものを取り出す。
「何よ、これ?」
俺の投げ放ったグラブとソフトボールを見て、間宮錘は小首を傾げていた。
──まぁ、そうだろう。
これから殺し合いになるかもしれない激闘を前にしてそんなものが出てくるなんて、彼女は予想すらしていなかっただろうから。
……だけど。
──これらの品こそ、俺の『策』なのだ。
手に取ったグラブを手に訝しげな表情を浮かべる彼女に向けて、俺は軽く笑うと。
「そんなことより、野球しようぜ?」
そう、言い放ったのだった。