第四章 第三話
「では、私から行きますわよ?」
序列戦が始まり、最初に動いたのは雫の方だった。
と言うか、雫と対峙している筈の澤香蘇音という少女は妙にオドオドと落ち着かない様子を見せており……どう見てもあまり戦うことに向いているとは言い難い。
間違っても自分から攻め込むようなタイプではないだろう。
──PSY指数だけで序列決めるからこうなるんだよな。
当然のことながら、幾ら腕力に長けていても争いごとに向かない人種というのは存在する。
……超能力の場合もそれは同じらしい。
序列十二位という全校生徒でも上半分に位置し、一年の中なら五指に入る超能力者の澤香蘇音という少女はまさにそのタイプのようだった。
彼女の様子を見た雫も、自分から動かなければ戦いが始まらないと考えたらしい。
「悪いですけれど……さっさと決めさせて頂きますわっ!」
雫はそう叫ぶと、中空に左手を突出し……
その手の先が、見る見る内に凍り付く。
……いや、手が凍り付いているのではなく、手の先に出来た氷の塊が徐々に徐々に大きく膨らんでいる。
「何よ、あれっ?」
「あれは……氷の、盾、か」
そう。
雫が創り出したのは、氷によって作られた、雫の身体半分を覆うくらいの大きさの半透明の盾だった。
円形の分厚い氷で作られたソレを雫は身体の正面に構えると、右手からは氷柱によって槍を創り出す。
──攻防一体の構え、か。
半透明の盾によって相手を常に視界に収めつつ、完全な防御態勢のまま短槍で突く。
……まさに、格闘家を殺すためのような超能力の使い方だ。
しかも盾も短槍も超能力で作っている所為か、雫の細腕では持てないような質量なのに、重さを感じている様子がまるでない。
──俺を倒すための、技、か。
雫のその戦法を見た途端、俺は直感的にそんな感想を抱いていた。
ティンベーとローチンとかいう、沖縄辺りの剣術をモチーフにしたのだろうその構えは、正面から挑めば……まさに難攻不落の要塞に思えるだろう。
俺自身、氷の盾を軽々と構え、氷の槍をプラスティックの玩具のように振るうこの雫を、今相手にしろと言われるとどう攻め込めば良いか思いつかない。
──雫に格闘技能がないことが、唯一の弱点だろう。
俺は、自分に置き換えてそう思っていた。
……だと言うのに。
そんな雫と相対している澤香蘇音という小柄な少女は、巨大な氷の盾という鉄壁を見ても、鋭い氷の槍を向けられていても……特に構えるでもなく棒立ちのままだったのだ。
「では、行きますわよっ!」
そんな無防備に見える少女相手に対しても、雫は油断一つしていなかった。
盾を構えたまま、距離をゆっくりと詰めていき……
そんな雫に脅えるような顔をした澤香蘇音という少女が大きく息を吸い込み、そして口を大きく開いた。
……その次の瞬間だった。
「─────っ!」
突然、俺の視界がぶれ、身体が傾ぐ。
気付けば酷い耳鳴りと共に耳の中を刺すような痛みが脳まで響き渡り、その所為か身体中の力が入らない。
いや、それどころか、皮膚を叩かれたかのような幽かな痺れが、身体のあちこちに走っている始末である。
──何が、起こった?
困惑と共に俺が周囲を見渡してみれば、羽子もレキも俺と同じように何が起こったか分からないという表情のまま、耳を押さえている。
対するA組の方へと視線を向けると……全員が全員、耳を押さえている。
ただ、彼女たちはダメージによって耳を押さえているのではなく、「こうことを知っていた」からこそ、耳を押さえて防御態勢を取っていたような……
「そうだ。雫はっ?」
現状を思い出した俺は、序列戦が行われていた場所に視線を向け……
……息を呑む。
そこには、息荒く咽喉を押さえたままの澤香蘇音と。
能力を維持できなくなったのか水たまりの中に倒れ込む雨野雫の姿があった。
「──っ!」
そんな中、ゴリラ教師は倒れたままの雫に視線を向けることもなく、大口を開閉しながら澤香蘇音の手を上げている。
……恐らく、対戦者戦闘不能により勝者とか叫んでいるのだろう。
生憎と未だに俺の耳は聞こえないままで、想像に任せるしかなかったのだが。
──もしかして、音、か?
衝撃が走る前に、あの蘇音とかいう少女が大きく息を吸い込み、吐き出したその動作。
そして、その後の耳の痛みと耳鳴り、身体中の幽かな痺れ。
A組の生徒全員が蘇音の攻撃に際し耳を塞いでいたという事実。
現代では音響兵器という武器が暴徒鎮圧や海上テロリスト対策として用いられていると聞くが……
──凄まじ過ぎる。
もし、俺の予想が正しければ……まさに防御不可の必殺技である。
某古武術漫画に無空波という空気の波を拳から発することで人を倒す技があり、凄まじい効果を発揮していたものだが……彼女の超能力はそれを遠距離から一呼吸で撃ち出すのだ。
──知らなければ……避けようがない。
雫がやっていたレトロゲームに、最初にトレーラー型に変形しなけばほぼ確実にやられるという訳の分からないゲームがあったが……
……まさにあの初弾ほどに、理不尽な能力である。
「何なんだよ、あれは……」
「……雫、大丈夫かな?」
ようやく聴力が戻ってきた俺の耳に入ってきたのは、羽子とレキの、友人を心配する声だった。
この声を聞いて、ふと雫へと視線を向けると……彼女は未だに横たわり指一本動かそうとしない。
──いや、もしかして……動かせない、のか?
……それはつまり、指一本も動かせないほどの、洒落にならないダメージを喰らっているかもしれないということだった。
そのことに気付いた俺は、慌てて彼女を介抱するために駆け出したのだった。
結論から言うと、雫のダメージはそう大きいものではなかった。
軽い脳震盪と鼓膜へのダメージがあるものの、後遺症が残るレベルではない、らしい。
あのゴリラみたいな教師の診断だから今一つ信頼し切れないが……あの見た目に似合ず医師免許は持っているらしい。
──不平等だよな……
出来の良いA組は医師免許を持った教師が担当で、俺たち出来の悪いB組はよく分からないマネキンが担当という現実に、俺は内心でそう愚痴る。
まぁ、教室環境が同じ分、某殺先生のいるエンドのE組とかバカが集められているFクラスなどよりはマシ、なんだろうけれど。
兎に角、雫は体育館に常備されていたマネキン先生の、予備ボディ二体による担架に背負われて保健室に運ばれていった。
体育館を出るまで意識を取り戻さなかったのが少し心配ではあるが……そこはあのゴリラを信用するしかないだろう。
「じゃ、次はあたしの番、やな」
雫が運ばれていったのを見届けた羽子は、そう呟くと何気なく立ち上がる。
──ったく。見栄っ張りが。
そんな羽子をよくよく見てみると……『何気なく』が聞いて呆れるほど、拳を握りしめ歯を食いしばり太股に力が入りまくっているのが分かる。
……どこからどう見ても入れ込み過ぎだ。
「……気をつけろよ」
「当たり前やんか。
今のあたしは二年の陸奥繪菜にも勝てるっ!」
俺の老婆心からの忠告に返ってきたのは、そんな自信満々の声だった。
火薬を喰らって顔面を焼かれ病院送りにならなきゃ良いが……と内心で思うが、まぁ、敢えて突っ込むまい。
「ったく。またA組の相手だよ」
「おい、古森。
真面目にやらないと怪我するぞ?」
「ふっ、大丈夫だ問題ない。
アイツは……英霊バーサーカーのような石剣を振り回しては来るまい?
ま、そうでなくてもオレの能力は無敵だがな」
舞斗のヤツと話しながら出てきたのは、ボーイッシュな雰囲気を漂わせつつ、妙なことを口走っているショートカットの少女だった。
──催眠誘導の能力の持ち主、古森合歓、か。
羽子と相対している彼女は活発そうな見た目通り、身体はほっそりとしていて……サイズはAAとAの間、何とかAくらいはありそうな雰囲気で、判別が難しい。
「悪いけど、あんたの手の内、もう見てるんや。
十秒で終わらせるわ」
「……へっ!
オレも甘く見られたもんだなっ!」
羽子は相変わらず不敵な笑みを浮かべて相手を挑発し、古森合歓もその挑発に好戦的な笑みを返す。
いや、笑みだけじゃない。
彼女は恰好をつけているつもりなのか、独特の立ち方をして……具体的に言うと『奇妙な』立ちポーズを取っていた。
……何と言うか、独特の雰囲気のある少女である。
しかし……。
──手の内を見ている?
俺は羽子のその言葉の意味をふと考えてみる。
言われてみれば確かに……羽子・雫・レキの三人娘はいつも連れ立って行動している。
──つまり、古森合歓がレキと戦っているところを羽子は一度見ている訳か。
なら、雫がやられたような……初見殺しの赤目先生みたいな、出会い頭に一撃必殺を喰らって即死させられるような展開はなさそうである。
「では、序列十七位決定戦!
始めっ!」
「喰らい、やがれっ!」
ゴリラ教師の野太い掛け声と共に、古森合歓という少女は右腕から真っ白な煙を放ちながら、その右腕を大きく振るう。
「出たっ!
秘儀、催眠誘導っ!」
A組の誰かが叫んだ通り、その真っ白な煙は確かに催眠効果を持つガスらしい。
「おい、芦屋っ?」
「何度目だよ、この馬鹿っ!
少しは学習しろっ!」
何しろ、うっかり吸い込んだらしいAAサイズの、じゃなかったA組の……芦屋という酷く細身の少女がその場で意識を失ってひっくり返っているのだから。
──ただ、ラリホーってよりカティノだな。
ド○クエよりはウィザー○リィの眠り魔法のが効果的には合っている……なんて下らないことを俺は考えていた。
……いや、考える余裕があった。
「……へっ。
だから、無駄や言うとるやろ」
何しろ……気体を操るあの羽子に、ガス系の魔法……もとい超能力が通じる訳もない。
もともと羽子の超能力は悪臭を排除するために生まれている。
つまり、こういう用途が本来の目的なのだ。
「……オレの王の力がぁぁああああっ!」
その白いガスを腕に纏ったまま平然と仁王立ちする羽子の姿に、古森合歓は驚きのあまり訳の分からないことを口走っていた。
……腕を切られたって訳でもないのに。
──まぁ、唯一にして必殺の技だったんだろうなぁ。
何を叫んだのかは兎も角、最高奥義を破られたときの、その動揺はまぁ……分からなくはない。
そして、得意技が完全無欠な形で破られた以上、古森合歓に勝ち目なんてある筈もなく。
「ま、ゆっくり眠りや」
羽子によって制御された自分の催眠ガスを吸い込み、催眠能力という超能力を持つ少女はそのまま床へと崩れ落ちたのだった。
どうやら古森合歓という少女は、自分の催眠ガスへの耐性は持っていなかったらしい。
「……流石」
「まぁ、相性が良かったな」
レキの賞賛の声に、俺も頷く。
実際、武術家同士の仕合と同じように、超能力者同士の戦いにも『天敵』が存在する。
そんな相性の悪い相手と戦っても生き残れるのが真の武術だろうし、劣勢に陥っても必殺技を封じられても、勝ち残るために様々な訓練を積むのが武術家なのだが……
──超能力者、訓練も稽古も能力開発もろくにしてないしなぁ。
早い話……この『夢の島高等学校』に在籍する超能力者共通の決定的な弱点は、その「訓練不足」という一言に集約されるだろう。
だからこそ、何の能力をも持たない俺でも何とか勝ち進めているし、PSY指数が低くても能力開発を進めている羽子・雫・レキの三人娘が序列を次々に塗り替えるという快挙を成し遂げている。
勿論、先ほど雫が負けたように、流石に全戦全勝という訳にもいかないが……
「さぁて、お次は誰だったか?
あたしはまだまだ行けるぜっ!」
……と。
調子に乗っているらしき羽子がそんなことを叫びやがった。
──次は俺の番じゃ……
俺はそう内心で呟くが、それよりも遥かに大きな問題があったらしい。
「悪いが、彩子はそっちの娘に殴られて脳震盪で保健室だぞ?」
「……あ」
「……あ~」
どうやらレキが三節棍でKOした遠野彩子が羽子の次の相手らしい。
そして、レキの一撃は彼女の脳を完璧に揺らしていて……二日間くらいはドクターストップを喰らうだろう。
である以上、戦おうにもどうしようもなく。
「ちっ。どっちらけやわ」
そう羽子が呟いた、その時だった。
「……待って、私は、やれる」
「おい、遠野!
お前、その状況じゃっ!」
「やかましいっ!
B組に二連敗なんて、許されてたまるかっ!」
教師のドクターストップを一喝して立ち上がったのは、さっきまでKOされて寝込んでいた筈の遠野彩子本人だった。
膝は揺れ、身体が少しふらついているものの……目の光は気合十分。
むしろB組への差別意識が上手く戦意に繋がってダメージを意識の隅へと追いやっているように見える。
──ただ、脳へのダメージが超能力とどう関係するのか未知数ということもあり、この勝負をさせるのは……
そう考えた俺が、勝負を止めさせようと口を開く。
……だけど。
「なら、仕方ないな。
無茶はするなよ?」
ドクターであるハズのゴリラ教師が肩を竦めると、試合の許可を出しやがった。
「──っ?」
しかも、さっき……いや、一瞬だけで見間違いだったかもしれないが、あのゴリラ教師が肩を竦めた瞬間に見せたその視線……「仕方ない」と装っていた筈のその眼には何の感情も込められていなかった。
それはまるで、俺が亜由美のAAに向けるかのような、そんな視線で……
「ええ、分かってるわっ!」
「へっ。悪いけど手加減なんてせぇへんからな?」
だけど、俺がゴリラ教師の裁定に疑問を抱いたとしても、戦う当人であるところの扇羽子と遠野彩子の二人がやる気満々である以上、もはや止める術などありはしない。
──まさか、な。
不意に俺は首を振って自分の考えを拭い去る。
そもそも言っても詮無きことである。
……超能力者がデータサンプルとして戦わされて……つまり、モルモット扱いされている、なんてことは。
「へっ。
負けた後でダメージを言い訳にすんなよな?」
「はっ。
てめぇこそ、怪我人に負けて悔しがるなよ?」
「では、序列十五位決定戦。
始めっ!」
そして。
そんな俺の疑念など知る由もない様子で、好戦的な二人は相対していたのだった。
……つーか、似たもの同士だ、こいつら。