第四章 第二話
「~~~っ!」
目覚めた俺が見たものは……眩いばかりの朝日だった。
と言うより、カーテンを閉めずに寝た所為で、朝日によって叩き起こされたというのが正しい表現だろう。
──あれ?
昨晩の、寝る前の記憶がなかった俺は、未だに寝惚け眼のまま習慣のようにテレビをつける。
テレビの向こう側ではエンジェル・ウォッチのCMが丁度流れていて、天使の子と評判の少女が笑みを浮かべていた。
「……六時半、か」
が、どんなに綺麗な女の子だろうとバストサイズ以外に興味のない俺は、そのCMよりも左上に表示されている時刻へと視線を移し、そう呟く。
周囲は鳥の囀りが聞こえて来て、今日も穏やかな日が訪れることを予感させていた。
「さて、着替えるか」
いつものパジャマ姿が寝汗で鬱陶しく、このまま朝食を摂ると気分悪そうだと判断した俺は、ちゃっちゃとパジャマを脱ぎ棄てて。
──ってちょっと待て?
ふと、気付く。
──俺、褌なんざ穿いたっけ?
そして、その次の瞬間、その違和感を足掛かりにした俺は、意識を失う直前に何があったかを思い出した。
……昨夜のことを全く思い出せない訳である。
と言うか、俺はパジャマに着替えた覚えもない。
それ以前に、そもそもベッドで寝た記憶すらない。
「あ~~ゆ~~み~~の~ヤ~~ツ~~~っ!」
──たかがAAの分際で、俺が至福のDに包まれているのを邪魔するとはっ!
俺は怒りに任せて大股でドアへと歩み寄ると、ドアを渾身の力で思いっきり開き……
右隣のドアからタイミングを同じくして出てきた顔と……ばっちり目が合った。
「……猥褻物陳列罪」
隣の部屋から顔と豊かなお胸を突き出したおっぱい様のその一言で、自分の状態に思い当たった俺は、暴れ終わった後の大魔神よりもあっさりと怒りを鎮火させていた。
そのまま冷静に戻った俺は、すごすごと自室に引き返す。
実際、パジャマを脱ぎ捨てたままだった俺は褌一丁……訴訟を喰らい評判になった蘇〇祭りのポスターと同等の恰好である。
──あちらは伝統という後ろ盾があるが……
今の俺は、ただの変質者とそう大差はない。
今さらパジャマを着るのも面倒だった俺は、下着をいつものトランクスへと替え、制服に着替えると少し早い朝食へと向かったのだった。
「師匠っ! 身体は大丈夫かいな?」
「昨日はいきなり体調不良とのことで休まれましたから、その……」
「……心配」
早めの朝食としてA定食二人前をかけ込んでいた俺の前に、気付けば羽子・雫・レキの三人が勢ぞろいで並んでいた。
「まぁ、身体には問題ない。
ちと腹が減っているが」
遠まわしに食事の邪魔だと告げると、俺は二つ目のA定食へと取り掛かる。
何せ、昨日丸一日を寝過ごしたことになる訳で、俺の身体は毒が裏返ったばかりで肝臓のグリコーゲンもないような有様だったのだ。
「なら、今日はどうする?
昨日、あたしらも順位を一ずつ上げたんや」
「ですが、お互い次の相手はA組ですので、申し込みに行くのに一緒だと心強いのです。
確かA組は五限目が超能力の授業ですので……」
「……一蓮托生」
三人娘の言葉を聞いた俺は、箸を置いて少しだけ考え込む。
──次の相手は……間宮法理って娘だっけ?
凄まじい軌道を描くソフトボールが未だ記憶に新しい。
羽子に完敗したものの、あの手の超能力に対しては、無能力者の俺だと非常に苦戦しそうである。
──昼休みまでに、勝つ策を練ってみないとな。
間宮法理……自在に投げた物体の軌道を操れる少女。
もし彼女が戦闘終了後におっぱい様が俺の内心を助言した通りに、ソフトボールだけでなくナイフやダーツ、注射器なんかの凶器を手にしていたなら……
俺はその勝算の低い戦いをどうやれば五分、いや、それ以上の勝率へと戻せるかを悩み始めたのだった。
……その所為で一限目の数学と二限目の歴史、三限目の英語、四限目の国語とさっぱり授業が頭に入らなかったんだけど。
……そして。
「さて、と。
これなら、勝てる確率が六割ってところか」
次の序列戦に勝つ準備を俺が終えたのは、昼休み終わりのチャイムが学校中に鳴り響くのとほぼ同時刻だった。
大き目のバッグ一つに小道具一式が入ってくれたお蔭で、俺の策は限界まで見切られることはないだろう。
少なくとも、策が見破られたとしても五分五分で戦えるとは思う。
──相手が気付いていたところで避けられない。
……それこそが、真の策なのだ。
俺は曾祖父の教えの一つを思い浮かべながら、次の序列戦までの間を静かに過ごしたのだった。
「たのも~~~~っ!」
羽子・雫・レキ、そして俺の四人は五限目の数学を「序列戦」という大義名分の下にサボり、こうしてA組が授業中の体育館へと殴り込みをかけていた。
切り込み隊長として大声を上げたのは羽子である。
……と言うか、考えなしに授業妨害を平然と行える面の皮を持ち合わせていたのは、コイツ一人だったというのが正しいのだが。
超能力の授業ということでA組のみんなが体操服に着替えている最中に、制服姿のままで堂々と歩いて行く辺り、もうスターを取って無敵モード全開である。
──調子に乗ってコースアウトするタイプだな、コイツ。
俺は羽子の姿に、七色に光りながらおばけ屋敷コースの側壁を貫いて墜落して行く姿を連想し、彼女の後ろでこっそりため息を吐く。
「お前らなぁ。また来やがったのか。
ったく。昨日も来ていたじゃないか」
そんな俺たちを見て渋い顔をしたのは、A組の超能力顧問である何とかってゴリラにも似た男の教師だった。
……名前を覚えていないのは、俺としては当然だった。
──何しろ、おっぱいがない。
性別が雄という時点で、俺としては亜由美以下……つまり、記憶に留めておく価値もない、ということだ。
……と言うか。
A組の面々を見渡したところで、俺はため息を一つ吐いていた。
──見事に小粒ぞろいじゃねぇか。
一番大きな娘でもBが精々で、あとはAとAA……A組との戦いはあまり期待できそうにないらしい。
勿論、この乳マイスターの俺としては、入学当初から全校生徒のサイズをチェックしていて当然……と言いたいところだが。
──G級おっぱい様に圧倒されていたからなぁ。
そしてA組の生徒とすれ違っても、俺のスカウターに引っかかるサイズがなかった所為もあり、チェックが延び延びになっていたのである。
……まぁ、事前チェックをしなかったお蔭で余計な手間がかからずに済んだ、と言うべきか。
「いえいえ。PSY指数とやらで人を計るのがあまり有用ではないので。
私たちはこの学校の指針が間違えていることを示しているだけですし」
優れた超能力者が集められているA組の面々に向かって堂々とそう言い放ったのは雫のヤツである。
優雅な微笑みを浮かべつつも、言うことには棘がある。
何しろ雫のその言葉は……この『夢の島高等学校』の教師陣全てが無能だと断言したに等しいのだから。
事実、ゴリラのこめかみには血管が浮かんでいる有様で……多分、雫のヤツはこういう汗臭い野郎が嫌いなのだろう。
「……今日も、勝つ」
いや、違うか。
雫ばかりかレキでさえもそんな風にやる気を見せているということは……昨日俺が爆睡しているときに何かがあったに違いない。
序列順位を見てみれば、確かにコイツら三人とも順位が一つずつ上がっている。
つまりは……三人が三人ともA組に勝った、ということだ。
──恐らく、その戦いの最中にゴタゴタが起こったのだろう。
その所為か、A組の面々が浮かべる表情は少しばかり険悪で……舞斗のヤツはそういう空気に押され、こちらへ歩いて来たい様子を見せつつも、周囲の女の子たちの空気に配慮して足踏みしているようだった。
その中でも特に一人……首に湿布を貼ったショートカットの小柄な少女が一人、何故か三人娘へではなくこの俺へと戦意むき出しの視線を送ってきていて……
「……?」
心当たりのない俺は首を傾げるしかない。
……何しろ俺にとって何の価値も見いだせない、亜由美にも匹敵するようなそのAAの少女なんて、名前どころか顔すら全く記憶になかったのだから。
「さて。じゃ、誰から始めるんや?」
「私は何番でも構いませんけれど?」
「……また、くじ引き?
それとも、じゃんけんとか、せーのとか?」
俺がA組の面々を見渡している間に三人娘が話し合った結果、「せーの」というゲームで順番を決めることになっていた。
ルールを簡単に説明すると……参加メンバー全員が親指を上にして左右の手を突き合わせ、左右の親指を上げる下げるを決める。
自分の順番が来たら「せーの」という掛け声でその場全員の親指が上がっている本数を告げて、それが当たれば片手をその場から離脱させることが出来る。
二度当てれば、つまり両手が離れればあがりという、簡単極まりないルールのゲームであり、結構有名だろう。
実際、俺も小学校の頃に遊んだ記憶がある。
……が、しかし。
──これ、人数増えると時間が累乗的にかかるんだが……
ゲームに参加しつつ、俺は内心でため息を吐いていた。
何しろ……誰かが外れの数字を言う度に、つまりゲームが行き詰る度に、ゴリラ教師の血管が次々と浮き出てくるのである。
その上、そうして周囲を気にしていれば……いい加減苛立っていたA組の少女たちも、少しずつ機嫌が悪くなっていくのを嫌でも気付いてしまう。
「1っ!」
「……残念」
「と言うか、羽子さん。
貴女、自分で二本指を上げておいて……」
そんな具合に時間が無意味に過ぎる過ぎる。
いい加減、ゴリラ教師の血管とA組面々の眉毛の具合が気になっていた俺は、ゲームに全く集中できず、最下位という結末を迎えてしまったのだった。
「……では、言ってくる」
まずはトップバッターのレキがそう告げると立ち上がり、前へと進み出る。
あの巨大な剣は手にしておらず、その手に武器らしきものを持っている様子もない。
「楽勝で勝てるって!
あたしらは強いんやからなっ!」
「優秀なA組さんたちに、目にも見せてあげて下さいませ」
羽子と雫は応援の声を上げる……が、それ、応援じゃなくて挑発だからな。
実際、A組の面々は明らかに気分を害した表情でこちらを睨んできているし。
「で、対戦相手は……あれ、か」
俺はレキと対峙している少女へと視線を向ける。
そこには数日前に一度見かけたAサイズが、もとい、雫によって殺されかけた遠野彩子という少女の姿があった。
「B組相手に二度も負けてたまるかいっ!」
「……それ、負けフラグ」
気合十分という様子の遠野彩子という少女の叫びを正面から受け止めながら、レキにはまだそんな挑発する余裕があったらしい。
事実、心もバストにも余裕のないAサイズの少女はその挑発に青筋を立て、試合開始前に跳びかかって行きそうな有様である。
「では、序列十五位争奪戦!
始めるぞっ!」
そのゴリラの雄叫びが戦闘開始の合図になった。
合図と共に動いたのは、先日雫に負けた所為で入れ込み過ぎだった遠野彩子の方だった。
「まずは、これでどうっ!」
彩子はそう叫ぶと大きく右腕を振るう。
「……っっっ?」
彼女が動いたのはただそれだけだったにも関わらず、レキの身体が何かにぶん殴られたかのように横へと『ズレた』。
──念動力、か。
俺はその一撃を念動力による打撃と見切る。
レキの制服が押されたのが袖と裾、そしてスカートの一部だったから……恐らく、手のひらと同じような形にして、レキをただ力任せに殴りつけたのだろう。
前に聞いた舞斗の話では形を自在に操れるということらしいが……
──宝の持ち腐れ、だな。
遠野彩子という少女の戦い方を一目見て、俺はそう結論を下していた。
何しろ、打撃を加えるのに打点を広くする必要なんて欠片もなく、使用する部位が鋭ければ鋭いほど威力を増すものだ。
某鎬流の教えが一番分かりやすいだろう。
──正拳よりは平拳、平拳よりも一本拳、一本拳よりも抜き手。
勿論、拳や指は壊れる可能性があるから、掌底という技もあるのだが、超能力で作った力場は壊れて痛む訳でもないだろう。
という訳で、遠野彩子という少女は完全に超能力をそう使いこなしている訳でもなければ、その使い方に腐心している訳でもない。
前回のように、首を絞めるために特化していた方がまだマシだった。
事実……今も右へ左へとレキを引っ叩いてはいるものの、一方的に攻撃しているにも関わらず、未だに痛打を与えることも出来ないでいる。
──要は、ただの雑魚ってことだ。
俺のその内心の声が聞こえた訳ではないだろうけれど。
レキが対戦相手に届かない間合いで、突然、右腕を斜め上へと振るった、その瞬間。
──ガツっっ!
「……かっ?」
そんな鈍い音が体育館に響き渡るのと同時に、遠野彩子の顎が跳ね上がり……彼女はそのまま背後へと崩れ落ちていた。
「……序列戦、第十五位戦。
勝者は、石井、レキ、だ」
崩れ落ちた彩子を見て、悔しそうな表情をしたゴリラが裁定を下すが……レキの必殺技に体育館は静まり返ってしまい……誰も動こうとしない。
「……何だ、今のは?」
思わず零れたらしき舞斗の呟きが体育館の沈黙を破って響き渡る。
ただ、誰もその声に答えようとせず……誰もがレキの新技に度肝を抜かれているらしい。
「あれは、石で出来た、三節棍、か?
レキの袖から飛び出して、顎を直撃した瞬間だけ、幽かに見えたんだが……」
その沈黙に耐えきれず……俺は思わず回答を呟いていた。
彼女の袖の中から突然飛び出した、鎖で一本に繋がれた三本の石棒。
それが、レキの腕の振りに合わせ、三つの石棒がそれぞれ加速したかのような不思議な動きで弧を描き、遠野彩子の顎先を直撃した……と、思う。
先端は凄まじい速度で……俺の目ですらはっきりとは見切れなかった。
横合いから見ていただけではあるが……俺がギリギリ見切れるレベル、つまりそれなりの格闘技者が放つ全力のスマッシュと同等の速度は出ていたと思う。
事実、その一撃を顎に喰らった遠野彩子は完全に意識を失い、体育館の隅っこに寝かされている。
その様子を見ると……威力も格闘家のそれと大差ないらしい。
「ったく。師匠、何で技をバラしてしまうかな~」
「一体、貴方はどちらの味方ですの?」
羽子と雫の糾弾に、俺は返す言葉もない。
技というのは、存在を知られなければ対処の術もないものが多い。
……特に暗器などは見えないからこそ怖い典型である。
つまり、戦法をバラすのは自殺行為でもある訳で……俺は俯いてサルでもできる程度の反省をしてみる。
「ちょ、師匠。
もうちょい真面目に反省せんかいっ」
「そうですわ。
貴方がレキの技を一つ潰したに等しいのですから!」
「……でも、これじゃ師匠には通じない」
二人がかりで責められていた俺を救ったのは、当のレキ本人だった。
序列戦に勝ったというのに、相変わらずの無表情のままで、嬉しそうに頬を緩めることすらしていない。
「確かに、な」
「ええ。まだあの程度では……」
レキがボソッと告げたその一言に、羽子も雫もそう頷くと俺へと視線を向ける。
──嬉しいことを言ってくれる。
彼女たちの言葉と、敵意混じりの視線に俺が抱いたのは紛れもない喜びだった。
羽子・雫・レキの三人……仮にも俺を師匠と呼ぶあの三人娘は、この序列戦で超能力を様々に工夫していて、その能力で序列戦を次々と勝ち上がってきている。
その原動力がこの俺……無能力者であるこの俺ってのは、ちょっと恥ずかしくもあり嬉しくもあり。
「なら、次は私ですわね。
とっとと片付けて来ますわ」
何とも言えなままに彼女たちを見つめた俺の視線を受けて、照れ隠しのようにそう叫んだのは雫だった。
と言うか、照れ隠しそのものだったようで、そのうなじまで真っ赤に染まっているのが分かる。
そんな彼女に向かい、A組の集団からも一人の少女が進み出てくる。
「で、貴女が私の相手ですか?」
「あ、あの。
よろしく、お願い、します、ね」
堂々と問いかける雫に対し、雫の対戦相手と思しき少女は妙におどおどした態度の、猫背の小柄な少女だった。
サイズはAA……奇しくもお互いに絶壁同士の対決であり、生憎と俺にしてみればあまり見どころのない対戦である。
──まぁ、この場合はクラスメイトを応援するべき、なんだろうけどな。
羽子の手の中にある序列表で見る限り……澤香蘇音という名の少女らしい。
「では、序列十二位争奪戦。
開始っ!」
俺がこっそり級友を応援する中、ゴリラ教師が試合開始の大声を張り上げ。
AAの少女二人が対峙する。