第三章 第四話
「さて、と」
羽子・雫・レキの試合が終わった次は、待ちに待った俺の番である。
解説モードに入っていたスイッチを、首を左右に振って肩を動かし、両腕のストレッチを行うことで強引に戦闘モードに切り替える。
「ははっ。
そう言えば、私が和人君と戦うのって初めてじゃない?」
そう言って楽しそうに笑うのは俺と同じB組の吉良光だった。
スレンダーな身体つきは、生憎とAサイズという彼女を「仕方ない・当たり前」という現実につなぎとめる楔でしかなく。
その悲しいまでの貧しいバストを目の当たりにした俺は、同情によって萎えかけた戦意をテストの点数を頭に浮かべることで必死に立ち直す。
──正直、誰かに同情をしている余裕なんて、今の俺にはないのだから。
そう俺が決意を固めて眼前の吉良光に視線を向けてみると……
彼女も何故か、俺を睨んできていた。
「悪いけど、私は怒っているんだからね?」
とは光が告げた言葉だった。
生憎と彼女の顔は睨んでいても怒っていてもあまり迫力のある方ではないのだが。
「何か、俺が怒らせるようなこと、したか?」
「聞いたよ、風呂場での勝負!
なんで私も誘ってくれなかったのよ!」
「……あ~~」
その言葉に俺は、そんな声しか返すことが出来ない。
何しろ、俺にとってのアレは……もう睡眠という月光蝶によって覆われた、遠い黒歴史の一幕なのだから。
「だから、私も必殺技を使わせてもらうから、悪く思わないでよね?」
「……あ、ああ」
吉良光の剣幕に、俺はただ頷くだけだった。
とは言え、ただ光るだけの能力者に負けるつもりなんてさらさらなく、適当にあしらってこの勝負を終わらせるつもりでいたのだが。
「では、両者位置について」
俺たちの試合前の会話が一段落したと見たマネキン先生の、その声に俺と吉良光は二メートルほどの距離を置いて対峙する。
ざわざわとやかましかった体育館が、シーンと静まり返る。
この緊迫の一瞬が、俺の集中力を戦闘モードへと叩き上げる。
「序列戦二十五位争奪戦、始めっ!」
マネキン先生の声が響き渡る。
──先手、必勝!
今日のこの時間内に二・三戦くらいはしてやろうと思っていた俺が、先生の声が響くと同時に前に踏み込むために膝を僅かに落とす。
その刹那。
吉良光の右手の、人差し指と中指が俺の顔面へと向けられたかと思うと……
「魔〇光殺砲~~っ!」
一瞬で、俺の視界が……
……『焼けた』。
「目がっ、目が~~~~っ!」
凄まじいまでの光量に網膜を焼かれた俺は、もはや名言ともなっているラ〇ュタの正統なる王の叫びを発していた。
と言うか、強烈な光に完全にパニックを起こしてしまい、叫ぶくらいしか出来ない。
──ヤバい。
狩人ゲームで言うならば、毒怪鳥の閃光を喰らってしまい、必死に十字キーを叩いている状況だろう。
──せめて、ガードをっ!
そんな混乱の最中でも、俺が一瞬で自分の状況を把握したのは訓練の賜物だろうか?
俺は一瞬で姿勢を立て直すと顎を引き首を固め、太股を内股に締め、身体を折りたたみ腹筋を固め、両腕で顔面と金的を防ぎつつ身体に密着させて関節技さえも取らせない、完全防御体勢を取る。
──金的と顔面、内臓と間接技さえ防げば……
そう読んだ上での防御態勢だったのだが……
……しかし。
吉良光の狙いは、全く別のところにあったのだ。
「くらやぁっ!」
そんな叫びと共に、俺の身に訪れたのは打撃でもなければ絞め技でも関節技でもない。
ただ、ヒヤリと下半身が……
「うわぁ」
「ひでぇ」
「……うそ」
それと同時にギャラリー連中からざわめきが上り始める。
そんな中、ひときわ大きな声が体育館に響いていた。
「あの下着、なんてエロいんだ!
まるで、赤い褌じゃないかっ!」
「……いや、そのまんまやん」
叫んだのは舞斗のヤツで、突っ込んだのは亜由美だろう。
──畜生、やられたっ!
そう。
吉良光の狙いは、打撃技でも金的でも関節技でも投げ技でもなく……
……俺の、ズボンだったのだ!
アホなことを口走った舞斗のヤツは、後でぶん殴るとして……
「な、何よ、それはっ!
千載一遇のチャンスがっ!」
やっと視力が戻り始めた俺が見たのは、俺の下着を見つめる吉良光だった。
その彼女の表情と、その叫びによって俺は今更ながらに気付いてしまう。
──彼女の狙いは……俺のズボンなんかじゃない。
──コイツは……俺のパンツまでもを狙っていやがったんだ!
そう理解した瞬間、あまりの恐怖から俺の全身に震えが走る。
もし、今日……下着が全滅していなかったら。
もし、今日……着古したトランクスを裏返してミカン汁という奥義を使っていたとしたら。
もし、今日……そんな無意味な仮定を延々と考えてしまうほど、凄まじい恐怖で、俺は未だに指先から痺れが取れない有様なのだ。
「……褌がなければ、即死だった」
俺は、愕然とそう呟く。
その言葉には欠片の嘘もない。
トランクスのゴムの張力では彼女の脱がし攻撃に対しての防御は期待出来ない。
もしも今日、パンツが壊滅状態であり、緊急回避手段として手持ちの褌……曾祖父が仕立ててくれた覚悟の白と情熱の赤の二色モノ……縁起担ぎの意味もあったかもしれないそれらを運良く穿いていなかったなら……
──俺は、確実に死を迎えていただろう。
……勿論、死とは社会的に、ではある。
女子が殆どの体育館で敗因・モロ出しなんて……男としての矜持は死んだも同然だ。
それでも、こんな公衆の面前で致死性の一撃を容赦なく放ってくる吉良光という少女の、勝利への、いや、エロスへの探求心を尊敬すると共に……
それ以上に、自分の能力の低さを理解した上で、目晦ましとして良く知られている「太陽な拳」という周囲拡散技ではなく、魔貫光〇砲という一点集中技を選択したその知力に……
──俺は、全力で敬意を表しっ!
──だからこそ、手は抜かないっ!
俺はズボンを引き上げてから気を取り直すために一つ息を吐くと……
カッと正面を見据え、俺は叫ぶ。
「喰らいやがれっ! 俺の新・必殺技っ!」
「ちょ、ちょっと~~っ?」
俺の特攻に光を放つ以外の戦闘力を持たない吉良光は戸惑いの声を上げるが、そんなの知ったことかっ!
俺は人差し指と中指の二本だけを突き出した拳……蟷螂拳みたいな拳を作り、吉良光へと大きく踏み込む。
「これぞ、我が新奥義、『紐切り』だっ!」
叫びながら、俺は彼女の肩口へとその指を突き立てる!
──決まったっ!
俺は指先の感触に、思わず内心でガッツポーズを作っていた。
「きゃああああああああああああああ!」
少しだけ遅れて響き渡る、吉良光の悲痛な悲鳴が、俺の新奥義が完璧に決まったことを知らしてくれていた。
……彼女が悲鳴を上げるのも無理はない。
何しろ俺の指先は彼女の体操服ごと、その下にあったブラの肩紐を、その金具ごと引き千切っていたのだから!
まさに必殺の技である。
事実、『紐切り』を喰らった彼女は引き千切れた体操服と下着を必死に隠すようにして座り込み、もはや戦闘不能状態であった。
……どうやら脱がすのは好きでも見られるのは恥ずかしいらしく、傍迷惑極まりない対戦相手である。
その意趣返しにしっかりと見てやろうと彼女に視線を向けてみるが、Aの吉良光が相手ではあまり面白みがある訳もなく。
「……勝利の後はいつも空しい」
彼女から視線を逸らした俺は、悟ったような声でそう呟くに留めていた。
「アホ、か~~~~っ!」
……そんな俺を待っていたのは、亜由美の空中胴回し回転蹴りだった。
「では、序列二十四位決定戦を行いますけれど……大丈夫ですか?」
「あ、ああ。何とか、な」
マネキン教師の問いかけに、俺は頷く。
しかし、教師の立場からそう問いたくなるのは分からなくはない。
何しろ俺は、吉良光に対してはノーダメージ……いや、閃光ダメージが1ドットくらいはあったにしろ、ほぼ完勝している。
……だと言うのに、マネキン教師が心配そうに尋ねてくるほど、俺のダメージは深刻だった。
膝は震え、視界が歪み、指先の感覚が少しばかり遠い。
──畜生、亜由美のヤツ。
そのダメージは戦闘直後、油断して完全ノーガードのところに、胴回し回転蹴りという大技を延髄に喰らった所為である。
──敵を制した後でも心は常に戦場のまま残し置く。
──残心。
それが、武道の要とは言うが……まだまだ俺は曾祖父のようにはいかないらしい。
「本当に、やるの~?」
「ああ、大丈夫だ」
次の対戦相手……序列二十五位・由布結の心配そうな問いかけに対し、俺は頷いて笑みを一つ返す。
事実、コンディションは五分ほど……曾祖父との訓練時に山道を二十キロほど走らされた後の実戦訓練を受けたときよりは遥かにマシだ。
──今考えれば虐待寸前だよな、曾祖父の訓練って……。
俺は内心で天国よりは地獄に近い場所にいるだろう曾祖父に愚痴をこぼすと、次の序列戦に向けて気合を入れ直す。
何しろこれから戦う相手は由布結……B組のナンバー2、いや、一年でもナンバー2のC級を誇る少女なのだ。
確かにちょいと体重も多めな彼女ではあるが、それでもCはC。
である以上、少しばかりコンディションが悪かろうが、立ち向かう以外俺に選択肢が残されていよう筈もない。
「では、序列第二十五位決定戦、開始しますっ!」
マネキンから発せられたその声に、俺は両腕を顔の高さまで上げて防御主体の構えを取る。
いつもより防御重視なのは、ダメージが膝に少しだけ響いていて突進力が弱まっているのを自覚している所為だ。
対する結の戦術は相変わらずリボンを手に、その布きれを上下左右に動かして一足飛びほどの距離内に制空圏を形成し、近づく敵を牽制するという徹底的な守りの構えだった。
序列戦というか、争いごとそのものに消極的な彼女らしい構えではあるが……
──埒が明かない、な。
二人で防御態勢を取ってお見合いをしていても仕方ない。
俺は意を決すると一歩を踏み出し……彼女の制空圏に足を踏み入れる。
「ダメですよ~」
「……ちっ」
その瞬間、まるで生きているかのようにリボンが俺を捕えようと伸びて来て、俺は慌ててバックステップにより彼女の制空圏から距離を取る。
回り込んだりフェイントをかけたりと、二度三度と接近を試みてみるが、あの六メートルもあるリボンに阻まれて接近することすら叶わない。
「意外と、やるな、あの娘」
「……鶴来君も苦戦しそう?」
「いや、オレだったら剣で斬り拓くだけだし」
「ボクはきつそうだな~。
空へも届きそうだし、アレ」
舞斗と亜由美の会話は耳に入るが、何の参考にもなりゃしない。
「なら、捕まえてしまえばっ!」
「おおっと~」
俺はリボンを掴む作戦に出るが、五度ほど挑戦したにも関わらず、その布切れに触れることすら出来やしない。
相変わらずリボンはひらひら上下左右に変幻自在に輪を描き、リボンの端を捉えようにも……呼吸が全く掴めない。
──厄介、だな。
専制防御の構えを取って攻めてこない上に、リボンをあの精度で自在に操り、しかもリーチが長く……
──近づくことも出来やしない。
「……相変わらず、凄い技術だな」
「褒めて貰えて~、嬉しいです~」
賞賛半分苦情半分の俺の呟きを、素直に褒められたと理解したらしく、Cサイズの由布結は笑顔を返してくる。
だが、その間もリボンは絶え間なく踊り続け、その腕の動きに応えるかのように彼女のCも揺れ弾み、俺の集中力を奪い続ける。
「師匠、苦戦しとるな~
見切るのは無理ちゃうか、あれ」
「確かに、アレを突破するのは難しそうですわ。
幾ら殺傷力がないとは言え」
「……目が痛い」
羽子・雫・レキの三人娘も自分ならどうするかという視点で戦い方を考えているようだった。
──待てよ?
……殺傷力がない?
三人娘の声に、ようやくその事実に気付いた俺は、特に気負うこともなく彼女の制空圏へと足を踏み入れる。
当然のように俺に向かってリボンが伸びてくるが、俺は身体の前に右腕を突き出してリボンを巻き付かせる。
「へっ。こうすりゃ良かったんだ!」
「……あっ?」
……そう。
捕まえようとするから逃げられるのだ。
──なら、逆に捕まってしまえばっ!
俺は右手に絡まったリボンを全力で引き寄せる。
幾ら由布結の体重がちょっと多めとは言え、男である俺の全力に敵う訳もなく、あっさりと彼女は俺の方へと引き寄せられる。
「捕まえ、たっ!」
「あ~、れ~」
後は簡単だった。
俺は由布結の右前へ一歩踏み込みながら、引き寄せた彼女の肩を右手で掴むと、右足を彼女の踵の後ろへ差し入れ、そのまま上体の重みを加える。
「う、わ~~っ」
格闘技の心得すらなかった彼女は、あっさりと床へと転がされる。
……勿論、俺も本気で投げたというよりは、ただ転がしただけなんだけど。
──チャンスっ!
ただ、その体勢は格好の餌食でもあった。
俺は起き上がり朦朧状態の狩人に食らいついていく轟龍のように倒れたままの彼女に向けて突進する。
「やっ、ちょっ、ええぇ?」
そのまま、彼女の右上腕を右脇に抱えつつ、右手は彼女の首後ろを抱え、そのCの胸を自分の胸に押し付けるように圧し掛かる。
「あれは……横四方固め!」
「……ああ、あれが」
「有名な技なんで、ボクも名前を知ってるだけ、なんだけど」
亜由美の叫び通り、この技は柔道ではそう珍しくもない。
女子に圧し掛かるという体勢的に、周囲の視線は確かに気になるのだが。
「ちょ、師匠。
女の子相手に寝技はっ!」
「幾らなんでも」
「……エロス」
俺の危惧通り、この体勢を見たギャラリーが非難の叫びを上げるが、実際のところ、この技は地味な見た目ほど生易しいものじゃない。
両腕を完璧に封じたまま、胸を体重で押し潰して体力と気力を根こそぎ奪う、相手を傷つけないように無力化する、れっきとした『技』なのだ。
事実、重みに苦しんだ由布結が俺をどかそうと暴れるが、両腕を封じられ首を押さえられた彼女には抵抗の術もなく。
──勿論、Cの感触を味わえるのも利点なんだけどな。
彼女が暴れれば暴れるほど、そのCの感触が俺の胸に押し付けられる形になる訳で、まぁ、これを狙ってなかったかと問われれば首を横へは振れないのだが。
……そして三十秒が過ぎた頃には、もう彼女はもがくことすら出来なくなっていた。
──まぁ、だから柔道ルールでは一本なんだけどな。
たったの三十秒で息も絶え絶えという様子になるまで消耗し、寝転んだまま起き上がれない由布結を見下ろしながら、俺はため息を一つ吐く。
「由布さん、動けません?
……では、勝者佐藤和人っ!」
──マネキンが俺の手を上げながら勝利宣言をしてくれたのは、あの技も序列戦では有効と一年全員に知らしめるため、だろうか?
そんなことを考えながら、俺は腕に巻き付いたままになっていたリボンをほどき始める。
──もしこれで首を狙われていたらヤバかった、かも、な。
リボンをほどきながら、今さらながらに俺はそんなことを考えていた。
尤も、肝心の対戦相手が慣れない投げ技と柔道技でパニックに陥っていたから、俺もああいう下心混じりの技を繰り出す余裕があったんだけど。
「……最低っ」
そんな内心を読まれたらしく、俺に向けて冷たく放たれるおっぱい様の叱責。
──そんなことを言われても、アレは卑怯でも何でもなくて、その、ちゃんとした柔道技なんだし。
俺が心の中でそんな言い訳をした……その時だった。
たった一人で序列戦場に立つ俺に向けて、電撃を使う少女……稲本雷香がまっすぐに歩いてきたのは。
「……私も、やる」