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第六章 第三話




「……本当に、暗殺者みたいな技を使うんだな」


「ええ。そういう家系ですから」


 滑った下ネタをなかったことにしようと呟いた俺の言葉に、奈美ちゃんはやはり下ネタなんてなかったかのように微笑みながら応えてくれる。

 この辺りは暫く同じ寮、同じクラスで過ごした仲だ。

 以心伝心とまでは行かないが、それなりに通じ合っているのだろう。

 ……しかし。


 ──ヤバかったん、だな。冗談抜きで。


 俺は手のひらを開閉することで自分の右手がついている感触を確かめ、内心で安堵のため息を吐いていた。

 あんな攻撃、精神感応能力者が横合いから声をかけてくれなければ、今頃、死刑囚と戦った愚〇先生の如く手先とおさらばしていただろう。


 ──大体、見えない攻撃なんて、どうやって対処すりゃいいのやら。


 そう考えた俺は、今更ながら自分の考えにゾッとしていた。


 ──もし、この決闘が太陽のある真っ昼間に行われなかったなら……どうなっていた?


 夜中なら……その上、月のない夜だったなら……何も見えない俺なんて、闇夜でも今と変わらず戦える彼女には、何の抵抗も出来ずに殺されてしまっていたハズだ。

 だからこそ……彼女の攻撃速度は、他の技能……見切りや崩しほどに鍛えられていないのだ。

 ……見えないものは避けられない。

 黒塗りの日本刀、視覚障碍者用の杖の先に仕込んだ毒針、そして見えない繊維。

 彼女の攻撃は全て闇夜では『見えない』ように徹底されている。

 それはつまり……刺客の位置も分からない暗闇で、更に『見えない』武器で戦うことを前提にしている彼女は、『攻撃が避けられる』という前提に立っていない。

 だからこそ、彼女の攻撃速度は少し古武術を齧っただけの俺とそう変わりなく、不意を突かれ先手を取られながらも、今の俺は右手とおさらばしなくて済んでいる。

 そのお蔭で今の俺は、何度も何度も不意を突かれ、しかも技量で圧倒されているにも関わらず……まだ毒針を一度しか喰らっていないのだ。


 ──だったら何故、彼女は俺の呼び出しに応じたんだ?


 ……闇夜に紛れて誰かを暗殺したならば、こうして俺に抵抗されることもなく、いや、どんな超能力者が相手であっても、彼女の任務なんてあっさりと完了しただろうに。

 そんな疑問を一瞬だけ俺は覚えるが、すぐに首を振ってその思考を余所へと追いやる。


 ──今はそれどころじゃない。


 何しろ……さっきの繊維による攻撃で、俺は武器を落としてしまった。

 多分、拾おうとした瞬間、あの杖の先が飛んでくるだろう。

 かと言って日本刀を手にして圧されていた相手に、無手で有利に戦える訳もない。


 ──完全に手詰まりだった。


 だけど、それでも俺は負ける訳にはいかなかった。

 この学校が……いや、生乳がかかっているのだ。

 正直な話、この『夢の島高等学校』なんて俺はどうでも良いって思っていたが、ここを離れるとあのDサイズと、そして何よりも隣の席の、あの素晴らしいおっぱい様と離れてしまう。


 ──それだけは、死んでも御免だっ!


 俺は心の中でそう叫ぶと、素手のままで自分の一番得意な構え……両手を胸の高さに置く、いつもの防御中心の構えを取る。


「……そんなに、こんな化け物が溢れる学校が大事ですか?」


 武器を無くし、それでもまだ戦意を失わない俺を見て、奈美ちゃんはそう尋ねて来る。


「超能力者なんて、貴方にとってはただの化け物。

 入学してから延々と痛い目に遭い続けて……もうこんな学校嫌でしょう?」


 何故……と尋ねそうになる俺だったが、すぐに思い直す。

 彼女には、俺の部屋の物音全てが聞こえるんだった。

 視力がない代わりに、聴覚が異常に発達している彼女には……防音設備なんて何の意味も持たないのだろう。

 なら、毎日の俺がこぼしていた愚痴を聞かれていても不思議はない。


「確かに、正直な話、俺だってこんな学校は嫌いだよ。

 超能力が常識になってしまって、無茶苦茶で非常識な連中ばっかり。

 毎日毎日決闘続きで気の休まる日はありゃしない」


 うっと呟いたのは、ギャラリーの連中だ。

 特に亜由美の声が一番大きかった。

 何度も何度も突っかかってきたアイツは、よっぽど身に覚えがあるのだろう。


「しかも機密保持だかなんだかで、この島から外出も出来ない。

 挙句に退学さえ許されない。

 ……確かに、こんな牢獄、好きになれって方がおかしいな」


「……お前……」


 思わず奈美ちゃんに同調して出た俺の声に、檜菜先輩がそう呟く。

 確かに、彼女としてはこの学校存続が目的だったのだから、俺の行動原理は理解できないかもしれないな。


「だったら、どうして私に立ち向かうのですか?」


 俺の回答が彼女にとってはよっぽど腑に落ちなかったのだろう。

 奈美ちゃんは首を傾げながら尋ねてくる。


「……自分で選んだ学校だからな」


 そう。

 親や従姉妹の反対を押し切ってこの学校を選んだのだ。


 ──選択には責任が伴う。


 それこそが自らを由とする唯一のルール。

 それすら出来ないのなら……何も主張せずに適当に生きていれば良いのだ。


「……それに、この学校は嫌いでも、ここの連中は嫌いじゃないからな」


 それが、俺の答えだった。

 本当にただそれだけだったのだ。


 ──でも、立ち上がる理由なんてそれで十分だろう?


 ……あとは、ま、少しの色欲とか。

 Dの生乳は未だに諦めきれないし。

 そして何より……


 ──あの素晴らしき神の創り出した二つの芸術を拝むためなら、気力なんて無限に湧いてくる!


「どうして、こんな化け物たち……」


「違うっ! 彼女たちは化け物なんかじゃない!」


 奈美ちゃんの言葉を聞きとがめた俺は、その声を叫びによって遮る。


「超能力ってのは、普通のままでは社会に溶け込めなかった弱い人間が、自分自身を守るために……必要に駆られて身に付けるものだ。

 ……だから、彼女達は化け物じゃ……決して強くなんかないのさ」


 屋上に響き渡ったその俺の声は、背後で俺たちの戦いを見守る超能力者達にとっては聞きたくない・侮辱に等しい言葉かもしれない。

 ……だけど、それは紛れもない事実だった。

 だからこそだろう。

 背後から殺気に近い怒気が感じられる。

 そんな怒気を背中に感じながらも、俺は言葉を続ける。


「彼女たちは、俺たちとそう変わらないさ。

 俺は子供の頃、弱かったから必死に強くなるために武術を身に付けた。

 奈美ちゃん、君は見えないのに、それでも生活出来るようにとその能力を鍛え上げたんだろう?」


 そう。

 同じ時を生きていて、同じように困難に突き当たって……そして、どうにかして克服しようとする。

 そのことだけは、PSY能力者(サイキッカー)だろうとESP能力者(エスパー)だろうと普通人(ノーマル)だろうと、何の違いもないのだ。


「私のは、死ぬ物狂いで努力した結果です。

 彼女達が努力もせず簡単に手に入れた、不意の贈り物と同じにしないで下さい!」


 俺の言葉が納得できなかったのだろう。

 奈美ちゃんが珍しく声を荒げる。


 ──確かにそうだろう。


 数年間の努力を一気に覆し兼ねない、それこそが超能力。

 ……だけど。


「そうやって、努力して何とかしようとする。

 何とかしてしまう。

 ……残念ながら、そういう人間には超能力なんて芽生えないらしい。

 だから俺たちはこうして、こんな学校に通っているというのに、未だに普通人なんてやってるのさ」


 努力してもどうしようもない、だけど諦めきれない。

 その絶望の慟哭こそが、超能力発現の徴なのだろうから。

 そして同時に、恐らく超能力というものは伝播する性質があるらしい。

 俺も探し物をしている間に文献で読んだだけだが……舞奈さんの弟である舞斗が似たような能力を使えるという実例もある。

 それは、超能力を間近で見ることによって、超能力があり得ない存在だと思わなくなる。

 超能力を使おうとする意志を制限している『無意識下のブレーキ』が磨耗してしまうかららしい。

 だけど……半月近くも経ったのに俺と奈美ちゃん……俺たちは二人ともPSY指数はゼロのままだった。

 それはつまり、俺も奈美ちゃんも……『武術や鍛錬で何かを身に付ける』という生き方を知っているからだ。

 超能力なんかに頼らなくても、努力や修練を積み上げればどうにかなると、どうにか出来てしまうという確信があるからだ。


「要は生活保護みたいなもんだな。

 自分で何とか生活しようってヤツ、苦しかろうが何とか生活しようと頑張るヤツには残念ながら適用されない」


「……非常に例えが悪いですね」


 そう言いつつも、俺の言葉が面白かったらしく奈美ちゃんは微笑んでいた。

 尤も、超能力者だって自分の能力を使いこなすのに努力はしているだろう。

 周囲からの視線、力に対する自制、色々と大変なのは分かっている。

 どういう手段で困難を乗り越えようとも、やっぱりそれは大変で、だから困難というのだと思う。

 ……だから、おっぱい様。

 今すぐとは言いませんから、背後から俺に殺気を飛ばしているギャラリーへのフォロー、後でよろしくお願いします。


「さしずめ、この学校は生活保護者の支援施設ですか?」


「鳥籠が近いかな?

 囀る珍しい小鳥を、外敵から守るための」


「ふふふ。なら、私は小鳥を狙う子猫ですか?」


「ああ、そして俺の役割は水を入れたペットボトルってところだ」


 ……あれ、効かないらしいけどな。

 前に猫飼っている人に聞いたんだけど。


 ──っと。戦意が萎えるような発想は止そう。


 お互いの立ち位置を確認したさっきの軽口の応報で、もう会話は終わったのだ。

 そして、俺はこの学校を守り、彼女はこの学校を潰そうとする。

 二人の思いは交わらないし、妥協点すりゃ存在しない。


 ──である以上、もうこれ以上の言葉は必要ないだろう。


 俺は覚悟を決めて眼前の少女を睨み付ける。

 ……しかし、覚悟が決まったところで、俺に勝ち目がある訳でもない。

 これほどの相手に無手で……さっきまで日本刀を手にしてさえ互角以下の戦いしか出来なかった相手に、今から素手で立ち向かわなければならない。

 しかも相手に大怪我をさせても、俺が怪我を負っても戦略的には敗北になる戦いである。

 ……もう笑いたくなるほど不利な状況だった。


 ──けど、もう退かないと決めたんだ。


 拳を握る。

 右手、良し。

 左手……まだ感覚はないが、動かないことはない。

 脚を確かめる。

 右足、動く。

 左足、動く。

 ……そうして身体を確かめながらも俺は必死に作戦を考えていた。


 ──彼を知り己を知らば百戦危うからず。


 孫子の兵法を頭に浮かべながら、彼我の戦力差を考える。

 自分の技量は、まぁ、素人よりはちょっとマシ、という程度。

 そして、眼前に対峙する相手は、自分に当たる攻撃を確実に取捨選択できる見切りが可能で、俺から確実に後の先を取れる技量の持ち主。

 速さはほぼ互角か、俺の方が有利なくらい。腕力は俺の方が上だろう。

 だけど、技量は彼女が圧倒的に上。


 ──速さや力を生かした戦い方をしても、確実にいなされて終わる。


 俺は圧倒的に不利なこの状況を打破するべく、頭を最大で回転させる。


 ──何か、ヒントはないか?


 幾ら刺客としての素顔を隠していたとは言え、今まで一か月もの間、奈美ちゃんとは学校生活を行ってきたのだ。

 その生活の中の些細なところに、彼女の弱点となり得るような……


 ──何か、ヒントはっ?


 幾ら刺客としての素顔を隠していたとは言え、今までこの『夢の島高等学校』の中で一か月もの間、奈美ちゃんとは学校生活を行ってきたのだ。

 その生活の中の些細なところに、彼女の弱点となり得るような……


 ──あった。


 追い詰められていたお蔭だろうか。

 俺の脳裏に一つの策略が浮かぶ。

 そして、その策略を成功させるための手段も、だ。

 ……だけど。

 それは、相手の弱点を確実に狙うという、凄まじく汚い戦術だった。

 それは、相手の身体的特徴を狙うという、凄まじく卑怯な戦術だった。

 それは、今までの日々を盾にするという、凄まじく外道な戦術だった。

 それでも……その策略は恐らく自分も、そして奈美ちゃんをも傷つけずに戦闘を終わらせることが出来る唯一の手段で。


 ──生憎と、俺にはコレ以外に取れる手段がない!


 逃げることも負けを認めることも出来ない重圧の中で、俺は汚かろうが卑怯だろうが外道だろうが、その唯一の策を実行することを決意していた。

 決意と同時に俺は、この作戦が有効かどうかを確かめるために、入り口で大いにその存在を主張なされている二重惑星の方を振り向きたい誘惑に駆られてしまう。


 ──だけど、それは許されない。


 これはあくまで……俺と彼女の戦いなのだから。

 そうでなければ、こんな真昼間にも関わらず決闘に応じてくれた奈美ちゃんにも、そして白装束まで着込んで気合を入れた俺自身に対しても申し訳が立たないだろう。


 ──汚い、卑怯、外道、か。


 俺は心の中で一つ諦めのため息を吐くと、この作戦を実行した場合……必ず俺に送られるだろう非難にも覚悟を決めることにする。

 ……同時に、毒針に向かっていく覚悟をも。

 息を深く吐き、吸い込む。

 二度それを繰り返し、ようやく俺の中で踏ん切りがついた。


「……悪い」


 これからのことに、気付けば俺はそう一つ詫びていた。

 その言葉を挑発と捉えたのだろう。

 奈美ちゃんは軽く微笑み……

 それを合図に俺の足は屋上の床を蹴る。

 彼女の杖がそれを迎撃するように構えられ……


「……え?」


 迎撃しようとした奈美ちゃんは、飛び込んだ俺の構えを見て、いや、感じ取って戸惑うような声を上げていた。

 ……それは当然だろう。

 彼女に向かって飛び込んだ俺には殺気も敵意も存在していなかったのだ。

 俺は、両手を左右に広げて防御も抵抗もしないしないという格好で彼女の間合いに飛び込んだのだ。

 ……風の谷のアレっぽいと言えば分かるだろうか?

 攻撃の意を感じられなかった奈美ちゃんは、今まで同じ学校で過ごした俺にその毒針を突き立てて良いか、一瞬だけ迷ったようだった。


 ──計算通りっ!


 『彼女と過ごした日々を盾にする』という、まさに外道と言われても仕方ない作戦を実行し、その賭けに勝った俺は、内心でデス〇ートの持ち主みたいな邪悪な笑みを浮かべつつ……

 彼女が射程距離に入ったと同時に、左右の手を彼女目掛けて叩きつける!


「っ!」


 左右から迫ってくる両の手には気付いたのだろう。

 ……だけど、奈美ちゃんは迎撃の手を打てない。

 何しろ俺の手の軌道は、彼女の顔の正面に存在する虚空を狙っているのだ。

 カウンターを狙っていただろう彼女は、彼女自身の見切る能力によって、その両手の軌道が「自分にとって無害だ」と読めるが故に、動けない。

 もし俺の攻撃がフェイントで、彼女のカウンターに更にカウンターを併せようとするのが目的だった場合、下手に動けば大ダメージを食らうと彼女は分かってしまうからだ。

 力も速度もない故に見切りと後の先を極めた彼女だからこそ……一手の悪手が命取りになるような、そんなシビアな環境で鍛え上げられた彼女だからこそ……こんな隙だらけの俺に対して動かない。

 ……いや、動けない。


 ──だけど、俺の一撃は生憎と、奈美ちゃんのカウンターを誘うためのフェイントじゃないっ!


 パンッ!という音が屋上に響き渡る。


 ──猫騙し。


 結構有名な相撲の技である。

 左手の激痛に眉を顰める俺だったが、この程度の痛みで怯んでなんかいられなかった。

 耳の間近で突然音が鳴ったことで生じた、彼女の僅かな虚を逃す訳にはいかない。

 目の見えない奈美ちゃんの身体的特徴を狙うという最悪に卑怯な攻撃である。


 ──今を逃せば、もう二度と彼女に勝つ術はないっ!


 奈美ちゃんに生じたその決定的な隙を逃さず、俺は彼女の両肩を掴み、彼女に唯一勝っている力に任せ、強引に彼女の身体を引き寄せる。


「しまっ!」


 そのまま力ずくで投げられると思ったのだろう。

 その時になってようやく、彼女の杖の先端は俺の咽喉へと向けられていた。

 俺の両手が彼女の肩を掴んでいるとは言え、彼女の手には毒針がある。

 ただ腕の力で突き出すだけで、十分に効果は期待できるのだろう。

 ……だけど、彼女の速度は俺とそう変わらず、そして攻撃に入ったタイミングはこちらの方が早い。

 彼女の毒針が俺の咽喉に向けて突き出された頃には、既に俺の繰り出した技は奈美ちゃんに届いていた。


「ん〜〜〜っ!」


 俺の攻撃が届いた後……彼女の反撃は来なかった。

 我が身に起こったことに完全に混乱してしまい、杖を突き刺すという発想すら出来ないらしい。


 ──ま、当然か。


 何しろ俺の攻撃は顔面に向けてのものだったのだ。

 しかも、彼女の摂食器官を自らのそれで覆うという、かなり極悪な攻撃……


 ──はい。正直に言います。


 上手く奈美ちゃんの虚を突いた俺は、強引に彼女の唇を奪っていたのだ。

 無茶苦茶柔らかい唇の感触と、同時に彼女の吐息、彼女自身の匂い・体温が近くて平静を保つのに苦労しつつ。

 ギャラリーからの非難は覚悟の上だった。

 いや、言い訳させてもらうと、実際の話、俺に残された選択肢はこれしかなかったのだ。

 あの杖は痛いし、彼女の方がどう見ても技量は上。

 ……だけど、負けを認める訳にもいかない、この状況。

 そんな中、思い出したのが、奈美ちゃんが手を握っただけでトイレに逃げ込むような女の子だったってことだ。

 他にも俺と手が触れ合ったらよく照れて逃げいてたし。

 まさに彼女の『純情さ』を狙うという……凄まじく汚い戦術である。


 ──実際のところあれ全てが演技だったら、今この瞬間に俺の首が落ちていたんだけど。


 それほど危うい賭けだったのだが……手から伝わってくる彼女の肩の筋肉の動きは、彼女が完全に混乱していることを伝えてくる。

 少なくとも攻撃の意は感じられない。

 ちなみにこれは中国拳法で言うところの聴剄ってヤツで、中国大陸で便衣兵ってゲリラ部隊と戦い続けた曾祖父が現地で学んだらしい。


 ──大丈夫っぽいな。


 今冷静になって考えると、彼女がああやって手を触れたら逃げ去っていたのは、暗器や杖術を鍛えているその手のひらのタコを俺に悟らせないため……だったかも知れない。

 そう考えると今更ながらに俺の頭から血が引いていく感覚が……


 ──こんな作戦、よくもまぁ、咄嗟の思いつきとは言え実行したもんだ。


 そんな恐怖から逃れるかのように、俺は腕に抱いたままの奈美ちゃんの肩を少しだけ強く抱きしめる。

 奈美ちゃんの抵抗は、欠片もなくて……


「ちょっ! 和人〜〜っ!」


「何やってるんだよ、お前は〜っ!」


 ようやく我に返ったのだろう。

 背後のギャラリーからは非難と驚愕の声が凄まじい。


 ──だけど、卑怯も武術の内だ。


 セクハラだろうが何だろうが、守れば良いのだ。

 ……自分の安全と、身内の安全を。


 ──それが武術。


 自分の身を守る為、弱者が必死で身に付けた技術。

 つまり卑怯で当然……武術とは即ち、弱者がどんな手段を使ってでも生き残ろうとした技術の集大成なのだから。

 ……と。

 今一番大事なのは武術の定義なんかじゃない。

 眼前の俺よりも遥かに強いだろう彼女から、二度と俺に、いや、この学校に牙を剥かないよう、完全なる勝利をもぎ取ることが大事なのだ。


「んん〜〜〜〜!」


 駄目押しに舌を入れてやる。

 もう奈美ちゃんは暴れもしない。

 完全に力を失った奈美ちゃんの手から、カランと音を立てて杖が落ちる。

 俺の手を切り落とそうとした繊維も使おうとする気配がない。

 そのまま調子に乗って舌で上の歯茎、下の歯茎をなぞる。


 ──う〜ん、慣れない味だ。


 ……小学生の頃、従姉妹と遊びでやらかした時以来だし。

 危険を承知で追い打ちをかけるように、舌を歯と歯の間にもぐりこむ。

 俺の舌が彼女のそれが触れる感触。

 ビクってなって逃げる奈美ちゃんの舌を追いかける。

 ちょっと悪乗りしている自覚はあったけど、此処で彼女への追撃を緩める訳にはいかなかった。


「っ〜〜〜〜〜〜!」


 舌と舌が触れ合った瞬間、彼女の身体が重力に敗北して崩れ落ちた。

 どうやら腰が抜けたらしい。

 ……彼女が敏感なのは演技でもなんでもなかったようだ。

 考えてみれば当然である。

 視覚がない分、聴覚を始めとする他の感覚が敏感になっているからこそ、彼女は視覚に頼らずともあの戦闘力を維持していたのだ。

 となれば、触感もまた当然のように鋭敏なのだろう。

 崩れ落ちた奈美ちゃんはもう反撃の意志さえなさそうに呆然としている。

 この様子では、もう二度と俺に襲いかかってくることはないだろう。

 ついでに言えば、彼女の企みを知った檜菜先輩や舞奈さんが奈美ちゃんを傷つけることもありえない。

 つまり……


「~~~っ!」


 と、不意に背後から殺気を感じ、振り返る俺。

 背後には、殺意混じりの視線で俺を睨みつける亜由美、檜菜先輩に舞奈さん。

 舞奈さんが自分の唇に触れているのは……いや、あれは人口呼吸で、人助けだったんだってば。

 俺の心の悲鳴を聞けるハズのおっぱい様は……彼女たちの背後で「もう面倒を見きれない」という表情で首を左右に振るだけだった。

 ただ、そのおっぱい様の表情に、俺はこの状況がどうしようもないと悟ってしまう。

 そして、この面々からはどう頑張っても逃れられそうにもない。

 仕方なく俺は片手を上げて……


「俺の、勝ちだ!」


 勝ち名乗りを上げる。

 某2D格闘の炎使い……ハチマキをした方のように。

 蒼い方っぽく笑うのは、流石にこの状況では命が惜しい。

 そう考えたその瞬間、背後からエレベーターの音する。


「え? 何?

 師匠と音無さん、休みなのにどうなってん?」


「これは……いつもの決闘ってことでしょうか?

 というか、何ですか、その格好」


「……何故?」


「勝ち名乗りしているから、佐藤さんが勝ったんでしょうか?」


 ドアが開くと同時にぞろぞろと出てきた三人娘に、由布結に吉良光、稲本雷香という二組の面々。

 良く見れば舞斗のヤツも、一組の人間も数名混ざっている。


「佐藤さん、どうしたんですか?」


 状況がつかめていない、新たに屋上に上がってきた面々を代表し、委員長が尋ねてきた。


 ──参ったな。


 ここで起こった事実をありのまま言う訳にもいかない。

 ……これは俺の推測でしかない。

 推測でしかないけれど、奈美ちゃんが入学してすぐに誰かを手にかけることもなく、ただ俺が暴れるのを見ていた理由は……彼女がこのふざけた『夢の島高等学校』での学生生活を楽しんでいたから……だと思うから。

 奈美ちゃんがこの学校を潰しに来た刺客だと彼女たちに教えるのは、そんな彼女の年相応の躊躇を全てぶち壊すことになってしまう。

 当の本人である奈美ちゃんはまだ腰が抜けたままで、顔が真っ赤に染まり瞳は潤んでいた。

 正直な話、Aカップは好みじゃないんだけど……その表情はかなりクるものがある。

 そうして奈美ちゃんを眺めていると……不意に言い訳を思いつく俺。


 ──だけど、これは……


 ただ、檜菜先輩や舞奈さん、亜由美、奈々までも彼女たちに対する言い訳を考えているような表情。

 彼女たちの困ったような表情を見る限り、この場を何とか出来るような咄嗟の打開策は見つけられなかったらしい。

 ……はぁ。

 俺はため息を一つ吐くと、覚悟を決める。


 ──この言い訳を口にすると、また暫くはシカトされるだろうな。


 だけど、奈美ちゃんの正体が彼女たちにもバレて、これからの彼女の学校生活が、俺の中学最後の方のような、黒歴史に彩られたものになるのは流石に可哀想だった。


 ──キミが笑ってくれるなら、ボクは悪にでもなる。


 なんて、どこかの歌詞が脳裏に浮かんだ徳碁、俺は迷うことなくそれを実行に移すことにした。


「奈美ちゃんから交際を申し込まれて、その。白黒をつけるために決闘していた訳だ」


 俺の声は静まり返っていた屋上に思ったよりも大きく響き渡っていた。

 同時に「おぉ〜〜」という屋上にいた全員からの驚きの声。

 けど、不思議そうな声はない。

 ありがたいことに、本当の理由を知っている面々からの制止もなければ、奈美ちゃんからの抗議もなかった。

 ……尤も、今の奈美ちゃんがまともな思考が出来ているかは謎だけど。


「で、見ての通り、俺の勝ちって訳だ」


「師匠、ひでぇ」


「音無さん、立てないようですし。

 そこまで全力でやる必要は……」


「……外道」


 三人娘が俺を非難する。

 と言うか、その声によって、それらの言葉が二組全員の、いや、屋上に雁首並べている全ての超能力者たちの総意っぽい雰囲気が形成されていた。

 よし。狙いは成功。

 そして、次の台詞で……この決闘の理由を詮索する人間はいなくなる。

 学校の存続意義は作り出したし、刺客の狙いも断った。


 ──これで、生乳フラグは立った。


 後は、ずっと全員に黙っていて心苦しかったこの台詞を。

 言うに言えなかったこの台詞を。

 勘違いされ続け、ずっと否定したかったこの台詞を。

 屋上全てに響き渡れとばかりに、息を吸い込んで……



「だって俺、ない乳には興味ないし!」



 そう叫んだ。

 これ以上ないほど正直に。

 心の底から。




 ……え? それからどうなったって?

 乳のない心の狭い連中……奈々と檜菜先輩以外の全員にボコられましたよ。ええ。

 奈美ちゃんはずっとへたり込んだままだったけど。

 つーか、お前ら、その仕打ちはないだろう。


 ……俺、これでも一応、この学校を守ったんだぞ?


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