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第五章 第四話



「和人、先生、呆れてたけど?」


 翌日、昼の授業の終わりを告げるチャイムと共に、亜由美がそう話かけてきた。

 その表情はかなり苦笑気味で、どうやら俺の行状は亜由美にまで苦笑されてしまうほど酷かったらしい。


「勉強しているんだから、文句を言われる筋合いはないんだがな」


 が、それでも俺はそう平然と言葉を返していた。

 そう答えながらも、机の上に広げられた参考書からは目を離さない。

 ……そう。

 俺は今日の授業中、全ての時間を費やして勉強をしていた。

 ……物理学・化学・気象学・医学書まで。


「師匠、頭の回線、ぶち切れたんちゃうか?」


 そんな感じに話に入ってきたのは羽子だった。

 凄まじく人引きの悪いその言葉に俺は眉を片方だけ吊り上げるものの、今はそれどころではない。

 参考書から目を離すことはしなかった。


「目の下に、くま、出来てますよ?

 一体、何時間勉強してるんですか?」


「そういえば、朝、見なかった」


「……ちょっと、昨日からな」


 心配そうな声の雫とレキ。

 正直、AAとBでしかない彼女たちの心配なんてただ邪魔だとしか思わなかったが、流石に無視するのも忍びなく、俺はそう正直に答えていた。

 その答えに目を丸くしている彼女たちだったが、俺はもうクラスメイトとしての義務はもう果たしたとばかりに読書を再会する。


 ──考えてみれば、確かに昨日の晩飯を食ってからぶっ続けで勉強ばっかりしていたっけ。


 ……どうりで気付いてみれば、身体中が痛い訳だ。

 けど、それもこれも生乳の、しかもDへの為である。


 ──疲労?

 ──何だ、そんなもの。


 この俺の生乳への衝動に比べれば、無視しても構わない程度の些事である。

 曾祖父に受けた古武術の修業中だともっと過酷な状況に追い込まれたこともあるのだ。

 ……デスクワークでの疲労と肉体を酷使した疲労とはちょっと違うのだが、まぁ、そう思い込んで身体を無理やり使っている訳だ。


 ──全ては、乳のために。


「和人、本気で一体どうしたのよ?」


 亜由美が俺の顔を眺めながら尋ねてくる。

 その声は本気で心配そうで、いつもの俺ならば聞くだけで申し訳ないと思えてくるような声だった。

 だけど、俺の視線は眼前のA未満の少女に向けられることもなく、机の上に開かれていた本……救急救命関係の本に注がれていて…


 ──お! これだ。


 俺はその目的のページを見つけると、ノートに軽く写す。

 それほど詳しい描写は必要ない。

 ただ『そういうことが出来る』という推測の裏づけってだけなのだから。


 ──よし、これで調べるべき内容は全て完成した。


 ……あとは、レポートの残りを仕上げるだけだった。

 ゴール……『生のDに触れられる』という素晴らしいご褒美が見えてきたことで、俺のテンションは急上昇、疲労も身体の節々の痛みも忘れるほどに達していた。


「ちょっと、寮に帰ってくる!」


 結局、俺は逸る気持ちを抑えることも出来ず、周囲に集まっていたクラスメイトたちを放ったまま、俺は駆け出す。


「ちょ、ちょっと!」


「師匠! せめて一言くらい!」


 背後で抗議の声が上がるが、俺は全く気にならない。

 手のひらサイズの面々から非難されたところで、俺にとっては痛くも痒くもないからだ。


「……ばか」


 ただ、走り去る俺の背後で、俺の目的と行動原理をクラス中で唯一知っているだろう少女が、そうため息と共に呟いたのが少しだけ気になっていた。




 昼からの授業は超能力だった。

 レポートを昼休み中に何とか仕上げ、昼飯も食べる余裕がなかった俺だったのだが、この時間だけは流石に休む訳にはいかない。

 何故ならば……リズム良く揺れ弾む、Dをも上回る神の創りし芸術を目の当たりに出来るからだ。

 眠いとか疲れているとかお腹が空いているとかで休む訳にはいかない。

 ……だけど。


「流石に、休めば良かった、か?」


「何をブツブツ言っていますか?」


 俺の呟きを咎める舞奈さんの声。

 そして……俺の目の前にあるのは、いつもこの時間に揺れ弾みその形を変幻自在に変えるDを超える桃源郷ではなくて、A程度。

 ……砂漠の荒野である。

 そう。

 今、俺の目の前に対峙しているのは鶴来舞奈先輩だった。

 突然、この超能力の授業開始と同時に共に押しかけ、俺が抗議する間もなく決闘を申し込んできたのだ。

 そのまま不眠と疲労で頭の回転が鈍っていた俺は、なし崩し的にこうして彼女と対峙させられていた。

 周囲のギャラリーたちは、特に止めるでもなしに俺たちを眺めている。

 生徒のレベルアップを推奨するマネキン教師はいつも通り止めようとする意思すら感じられない。

 そして、今まさに俺の目の前で、様々な形や重さ・長さの剣が五つ、彼女の周囲を舞っていた。


 ──どうしてこんなことになったかなぁ。


 上手く回らない頭を必死に回転させるものの、舞奈先輩と俺が戦う理由なんて見当たらない。

 そう呆けていた俺は、如何にも隙だらけだったのだろう。


「……っと」


 彼女の周囲を舞う二本の剣が別々の軌道で、微妙にタイミングをずらしながら俺の顔面に向けて突きかかってくる。

 それぞれの剣自体は舞斗の能力とあまり変わりない速度だったから何とか避けられたのだが……髪の毛を数本持っていかれた。


 ──ちょっと今のはやばかったな。


 次はもう少し余裕を持って避けようと心に誓う。

 ……しかし、未だに何故こんなことになったのか理解できない。


「一体、どうして俺たちが?」


 空を舞う五本の剣を目で追いながら、俺はそう尋ねる。

 少し、と言うかかなり、寝不足と疲労で朦朧としている。

 思考は上手く回らず、身体のキレも酷く鈍いのが自分でも分かる。


「……貴方への報酬を、檜菜ちゃんから聞き出しました」


 俺の問いに返ってきた舞奈さんのその声は凍り付くような響きをしていた。


 ──うげ。


 その声の冷たさに、俺は思わず凍り付いてしまう。


「檜菜先輩がそれで怒っていた、のか?」


「いえ、檜菜ちゃんは「男を奮い立たせるのは女の仕事ってのは本当だったんだな」って顔を赤く染めていましたが」


 俺の質問に返ってきた舞奈さんの声は、酷く忌々しそうな響きだった。

 しかしながら


 ──繪菜先輩は怒ってない?

 ──じゃあ、何故彼女は怒っているのだろう?


 俺は首を傾げながら突いていたエストックを避ける。


「あんな檜菜ちゃんの顔は初めて見ました。

 顔を赤くして、困ったような、それでいて嬉しそうな……」


 ──どんな顔だ、そりゃ。


 だけど、俺がそう口を開こうとしても、俯いたまま動こうとしない舞奈さんのその様子は……俺に軽口を挟ませようとはしなかった。

 空中の剣も俯いている彼女が何かを悩んでいる所為なのか、攻撃の意思をはっきりとは見せず、彼女の周囲をふわふわと浮かんでいるだけである。

 ……だけど、彼女には隙がない。


 ──踏み込めない。


 五つの剣がそれぞれ別個の、確実な意思を持ち舞い踊る彼女の能力を前にした俺の脳裏には、踏み込んだその瞬間に身体の何処かを失うような、そんな明確なイメージが浮かび上がってくる。

 その所為で舞斗の時とは違い、俺は彼女の懐へ飛び込むことが出来ない。


「だから、貴方が許せないっ。

 あの娘に、あんな顔をさせた貴方がっ!」


「……言いがかりだっ!」


 突如激昂した彼女の声と共も飛んできた剣をサイドステップで回避しつつ、俺は至極まっとうな叫びを返していた。

 だけど、先輩は聞く耳持っていないようだ。

 その様々な形状の剣を、それぞれ避けにくいタイミングで、薙ぎ、突き、斬り、叩きつけてくる。

 当たれば致命傷を負いかねない刃物の攻撃を、俺はただ必死に避ける。


「……あの娘が、事故に遭ってあんな姿になってから、私がずっと世話をしてきたのです。

 お側仕えだった私が、トイレもご飯も着替えも、何もかも」


 ──うわ。


 ……お嬢様然としていた舞奈さんの顔が、気付けば般若の形相になっていた。

 いつもは優しそうな笑みを崩さなかっただけに、その形相が恐ろしい。


 ──しかし、Dの果実を色々世話できたのか。

 ──正直言って羨ましいっ。


 俺目がけて刃物が次々と飛んできている状況だと言うのに、俺は思わず心の中でそう呟いていた。

 ……尤も、介護というものがどんなのか、俺は知らないのだが。


 ──っと。


 今度はクレイモアが右で大きく弧を描いて襲い掛かってきた。

 他の剣もヤバいが、これだけは当たると問答無用で戦闘不能だ。

 その重量のある一撃は、ガードすら出来そうにない。

 必死でバックステップをして、その軌道上から身体を逃がす。


「それが、あんなっ!

 だからこそ、私は貴方を許せそうにない!」


 舞奈さんは悲痛とも言える表情で吼える。

 その叫びと同時に動いた彼女の剣は、文字通り『必殺』の気迫がこもっていて、俺は避けるのが精いっぱい。

 気付けば彼女に攻撃を届かせるには三足が必要なほど離されていた。

 離れていては、俺には何一つ攻撃手段がないというのに、だ。

 ……しかも。


「……ちっ」


 逃げるのに夢中だった俺が気付いた時には、四本の剣が俺という獲物の動きを封じるように、絶妙な位置取りで浮かんでいる。

 ……この配置だと、前後左右いつ何処からでも俺を狙えてしまう。

 この状況から俺がどう回避したところで、確実に俺を斬り殺せるだろう。

 つまり……こう配置されると、どう足掻いてももう逃げ場がない。


 ──詰みってヤツか。


 同じような能力を持った舞斗のヤツと舞奈さんの一番の違いはコレだった。

 彼女は、俺の動きを完全に先読みした上で、能力を使いこなしているのだ。

 剣の速度は舞斗のヤツと同じく素人剣士が振り回す程度でしかないというのに、能力の錬度が全く違う。

 その上、その剣を五本同時に、しかも、それぞれの独立した軌道とタイミングで動かしてくる。

 ……正直な話、素手の俺じゃ勝てる気がしない。


 ──いや、武器を持っていたとしても同じだろう。


 その証拠が、何の抵抗も出来ずにあっさりと追い詰められたこの現状だった。

 そして、トドメの一本であるエストックが真正面から俺の胸を狙っている。


「ふふふ。もう逃げ場はありませんね」


 狂気に沈んだままのような、舞奈さんの声が体育館に響き渡る。

 ……確かに彼女の言葉通りだった。

 とは言え、上級生に……刃物を持った相手に負けたところで悔しいとは思わない。


 ──怪我するくらいなら、別にプライドなんて……


元々やる気なんてなかった俺はそう考えていたから、さっさと降参してしまうことで、この体力の浪費を終わらせるつもりだった。


「もし、貴方が檜菜ちゃんにあの報酬を取りやめると伝えるのなら、降参を許してあげますけど?」


 ……だけど。

 そんな俺に向けられた、いたぶるような舞奈さんの声が……


 ……端っから戦意なんてなかった俺の、触れてはならない逆鱗に触れた。


 諦めかけていた俺の目に力が籠る。

 映画とかアニメとかドラマとかなら、BGMが流れ出すようなシーン……そう、種が割れるようなイメージが近いだろう、

 ……動機は兎も角。

 そのお蔭か、諦めかけていた身体中に力が戻ってくる。

 ……睡魔も疲労も何もかも吹き飛ばすような、身体を突き動かすような活力が俺の中に生まれていた。


 ──生乳がかかっているというのなら、何としてでも負ける訳にはいかないっ!


 俺は周囲を見渡す。

 五本の剣の内、右手からはクレイモアが俺を叩き潰そうと、左手からはソードが俺を叩き切ろうと、背後からはシミターが俺を斬ろうと、右足の少し後ろからはソードが俺の利き足をぶった切ろうと……

 そして、舞奈さんの正面に浮かんでいるもう一本のエストックが、俺の心臓を貫いてトドメを刺そうと浮かんでいる。

 その絶体絶命の状況で、俺の頭はフル回転していた。

 生乳のために全ての頭脳、全ての能力を使って、現状を打開するための最善手を捜す。


「いいか、和乃進、剣と対峙した場合、その刃筋を見極めるのじゃ」


「だから、曾爺さん、俺、和人だぜ?」


 そんなやり取りが思い浮かぶ。

 かなり昔の、まだ曽祖父が生きていた頃だ。


 ──思い出した。あの頃、真剣相手のやり取りを学んだことを。


 周囲に浮かぶ刃物には敢えて焦点を合わさず、あくまでそれらを一本の線で認識するように意識をずらす。

 確かに真剣は怖い武器だ。


 ──だけど、あくまで斬りつけるのは線、刺すのは点でしかなく、別に真剣とは言え万能の武器って訳じゃない。


 意識の片隅でそう呟きながら、立体的にその軌道を予測する。

 そして、最も安全なラインを脳内で組み立てる。

 同時に脳内で一気に打開策を練り上げる。

 一撃が致命傷になる舞奈さんが相手なのだ。

 如何なる手段を使っても、自分が怪我をしない確率をわずか1%でも増やさなければならない。

 そのためには、彼女の長所を潰さなければならない。

 ……彼女が脅威なのは、あの、五つの剣それぞれが独立した攻撃が出来る超能力の『器用さ』と、俺の動きを予測して戦術を立ててくる『頭脳』の二つである。


 ──そのためには……


 未だに覚醒モードのままの俺の脳裏には、彼女の二つの長所を一度に叩き崩す策が、わずかコンマ一秒の間に浮かんでいた。

 ……多少卑怯な手ではあるが、相手が相手だ。

 躊躇なんてしていられない。

 俺は呼吸を一つして、舞奈さんの瞳を正面から見つめる。


 ──よし、覚悟は決まった。


 ……反撃開始だ。


「だったら、何故、檜菜先輩は超能力に目覚めたんだ?」


「……何っ?」


 ──よし、食いついた。


 俺の言葉に舞奈さんの動きが一瞬止まる。

 ……これで、俺の勝機が見えてきた。

 もし俺の言葉を無視して彼女が斬撃をしかけて来たならば、俺は抵抗する間もなく血だまりに沈んでいただろう。

 だけど、彼女が俺の声に耳を傾けてくれるならば……


 ──口先三寸という俺の武器はまだ有効なのだっ!


「彼女のあの能力は、動かない自分の身体への激怒から目覚めたものだ!

 思い通りにならない世界に絶望したから生まれたんだっ!

 貴様に介護されるのが嫌で目覚めた能力なんだよっっ!」


「う、五月蝿〜〜〜〜〜いっ!

 私と檜菜ちゃんの絆を馬鹿にするな〜〜〜!」


 舞奈さんの拠り所であり急所でもある敏感な部分を抉る俺の叫びを聞いて、彼女はその声を存在ごとかき消すそうと、必死の叫びを上げていた。

 そして、不快な声の発生源……つまりは俺を消そうとするように、周囲の剣が一斉に俺目掛けて……


 ──計算通りっ!


 舞奈さんは激情に駆られて動き始めた所為か、全ての剣を必殺の一撃にしようとして、大きな弧を描いていた。

 ……それは、彼女が初めて見せた『明らかな隙』だった。

 冷静に包囲され、冷静に刃物が戦略を組み立てて動いてくれば、確かに絶望的な状況だったが、これならば……


「この瞬間を、待っていたんだ〜」


 四つの剣による大振りの攻撃が俺に届く一瞬の機に併せて、俺はMSに乗った某宇宙海賊っぽくそう叫びながらも、正面から突いてきたエストックに向かって突進する。

 左手で強引にその突きの軌道を変えたから、少しだけ皮膚が斬れた感触があった。

 ……相変わらずゾッとしないその感触だが、今は意識から恐怖を除外する。

 次の瞬間、背後で金属の衝突音が響き渡る。

 恐らく……突然突進した俺の動きに対応できずに、剣が空中衝突したのだろう。

 その音をも必死に頭から追い出し、俺は舞奈さん目がけて走る。

 三足が必要な距離を、まず一足。

 正面には、剣を構えている舞奈先輩の姿があった。

 ……俺は背後に浮かんでいる筈の刃物への恐怖を意図的に無視しながら、もう一歩踏み込む。

 その瞬間、背後から襲いかかってきた彼女の斬撃によって、俺の後頭部の髪の毛がわずかに斬られた感触が走る。


 ──今のは、ヤバかったっ!


 突っ込んできた俺に彼女が少しでも躊躇していなかったら、勢いをつけた俺の身体が前傾姿勢を取っていなかったら、今頃……

 そう考えると心の底からどうしようもないほどの恐怖が湧いてくる。

 ……だけど、この状況では、もう止まれる訳もない。

 恐怖に震える間もなく、俺は身体の勢いに任せたまま、舞奈さんへの最後の一足を踏み込んでいた!


「……なっ?」


「ちっ!」


 確実に俺を倒せるだろう一撃を躱された挙句、懐を取られた舞奈さんの驚いたような声と、俺の舌打ちが重なる。


 ──しまった!

 ──刃を恐れて突っ込みすぎた!


 ついでに言えば、後頭部を刃がかすめた恐怖の所為で、攻撃に移る機を一瞬だけ逃してしまったのが原因だろう。

 気付けば、俺と舞奈さんとは顔と顔が触れ合いそうな距離で向かい合っていた。

 この距離では、殴るのも蹴るのも近すぎて有効打になり得ない。

 しかも、彼女の剣は背後から迫っている。

 彼女のこの形相なら、俺ごと自分自身を貫くような攻撃すらも躊躇わないかもしれない。


 ──つまり、この一瞬を逃せば、もう二度と勝てない!


 だから、使うしかなかった。

 ……曽祖父から教わった、奥義を。


「え?」


 舞奈さんの左胸に右手を置く。

 右手から届くAカップの感触と温もり。

 ……だけど、今はそんなの気にしていられない。

 そのまま、左足首・左膝・腰・右肩・右肘・右手と一気に連動させ、瞬発力で突き出す!


 ──奥義『心停止』


 古武術らしからぬ変な名前だが、名前は俺がつけたのだから当然だ。

 曽祖父は俺にこの技を教えた翌日に逝っちまったから……生憎とこの技の名前までは習わなかったのだ。

 だから、この技にはあまりいい思い出はなくて、好きな技じゃないし……何より危険だから使いたくなかった。


 ──しかし、Dの生乳には変えられない!


 そんな心の叫びに背中を押されるように、俺は躊躇なくその右手のひらを突き出していた。


 ──決まった。


 と、全身の動き、手に返ってきた反動から分かる。


「……ふぅ」


 技が決まったと思った瞬間、俺の口からは自然と安堵のため息が零れていた。


 ──この技、実戦で使ったの初めてだったんだよな。


 練習はたまにしていたけど、決まるかどうかは正直五分五分だった。

 技が決まった直後、舞奈さんはトサッと直下に崩れ落ちる。

 全身の力が一気に抜けて、まさに糸の切れた人形のように……ってヤツだ。


「……俺の、勝ちだ」


 右手を上げて勝ち名乗りを上げる。

 周囲のギャラリーはまだ俺の勝利が信じられないという雰囲気で、静まり返ったままだが……コレが決まったら起き上がれる訳ない。

 俺だって初めて喰らった時、曽祖父の活が入らなければそのまま心臓が止まっていた訳だし。


 ──あ。


 不意に、思い出す。

 この技が……殺法を旨とする古武術の奥義とやらが一体どういう技かということを。


「やべぇ!」


 慌てて倒れたままの舞奈さんの首筋をチェック。

 脈拍は……ない。


 ──やっぱり心臓が止まってやがるっ!


 呼吸音も聞こえない。

 彼女はピクリとも動かないままだった。


 ──コレ、本気で、『必殺技』だったのを忘れてた!


 他人を殺めてしまった感覚にゾッとしつつも、すぐにそんな場合でないと俺は恐怖を振り切る。

 そのまま俺は大きく息を吸い込み、もう一度だけ躊躇した。

 目の前にある女性の唇に少しだけ気遅れしてしまったのだ。


 ──だけど、命には換えられないっ。


 すぐにその躊躇も振り切って俺は舞奈さんに人工呼吸を敢行していた。

唇を出来るだけ意識せず、呼気を彼女の肺に注ぎ込むことだけに集中する。

 そして、胸に手を置いて心臓マッサージを始める。

 流石にカップサイズに気が向くような状況じゃない。

 曽祖父みたいに背中を膝で押すような活法が使えれば良いんだが、それを教わる前に曽祖父は逝っちまったし。

 ついでに曽祖父に対して恨み言一つ。


 ──こんな技を小学生に教えるなよっ!

 ──幾ら死期が迫っていたからってさっ!


 と、彼岸の向こう側の曽祖父に文句を言っても舞奈さんは生き返らない。

 もう一度人工呼吸をしようと顔を上げた瞬間に気付く。

 そういえば、周囲にはギャラリーがいたんだった。


「雷香! こっちへこい!」


 目的の人物をすぐに見つけ出した俺は思いっきり叫ぶ。

 俺たち二組のクラスメイトであり、この戦いをすぐ傍で観戦していた稲本雷香に向けて。

 彼女はLANケーブルに指を突き刺したまま動かないことが多く、はっきり言って二組の中でも一番の変わり者である。

 事実、俺は今までまともにコミュニケーションを取ることすら成功したこともない。


 ──だけど、今は人命がかかっている。

 ──そんなこと、気にしていられるか。


 まだ呼吸を開始すらしない舞奈さんの上着を思いっきりめくる。

 あまり豊かでない人専用の、色気のないスポーツタイプのブラが目に映る……が、それさえも今の俺は気にする余裕なんてない。


「な、なに?

 わわっ」


 おずおずとこちらへ来た雷香の両手を握り、舞奈さんの左肩と右脇腹に当てる。

 直接、心臓に電流を流せる位置。

 ……AEDの応用だ。

 昨日読んだばかりの救急救命の本がいきなり役立つとは。


「電流を流せ!」


 叫ぶ。

 ずっと無表情だった雷香の表情が初めて変わる。

 それは、驚きの表情だった。


「……で、でも」


「良いから、早くしろっ!

 自分を助けるために覚えた超能力だろうがっ!

 自分ばかりじゃなくて他人を助けるためにも使って見せろっっ!」


 そう。

 この学校に通って、数々の超能力者を見て分かったこと。

 ……それは、殆ど全員が、『困っている自分を助けるため』に超能力を覚えているということだ。

 鳥の翼、キリンの首、蛇の身体など……生きるために身体の仕組みを変える。

 それは普通のことである。

 人間だって、訓練次第では拳を突き出す速度が上がったり、脛や拳の硬度を高めたり、身体の形質を変えるのだ。

 超能力者も恐らく同じで、この社会で困難な出来事に直面した時、それを解決するために自らで進化し、超能力というものを生み出したのだろう。

 だから、多分、雷香の能力は……


「やってみる」


 俺の叫びに顔色を変えないまま、稲本雷香はそう頷く。

 表情は相変わらずの無表情だったが、それでも目の色が今までとは違う。

 ……任せられる目の色だ。


「がっ?」


 次の瞬間、俺の身体に衝撃が走っていた。

 ……身体が感情とは関係なく跳ねるようなこの感覚は、身体中を電流が通った衝撃だった。

 激痛にも感じられる全身の刺激が、腕から全身を伝って駆け巡る。

 その凄まじい衝撃を前に、俺は息も出来ず声も出せないままに硬直してしまう。

 だけど、そんな自分の苦痛なんかに構っていられる状況ではない。

 ……まだ舞奈さんの心臓は動いていないのだから。

 身体中が痺れるような感覚を気合で振り切り、もう一度、人工呼吸、心臓マッサージを行う。


「もう一度だ!」


「は、はい!」


 全身から煙が出そうな衝撃がまだ抜けきらないまま、俺はもう一度雷香の手を掴んで叫ぶ。

 その声に頷く雷香。

 そしてその直後、またしても俺の身体に衝撃が走る。


「けほっ。かはっ」


 ……だけど、苦労した甲斐はあった。

 俺の予想通り……やはり雷香の電撃を操る能力は、AEDとかいう機械の代わりを十分に果たしてくれたらしい。


 ──自分自身を守るために覚えた超能力であっても、誰かを守るために使うことも出来る。


 ……これも曽祖父の教えの一つ。

 尤も、あれは武術での話だったんだけど。

 ただ、俺の考え通り……やっぱり武術と超能力の共通点は多いようだった。


 ──どっちも自分の身を守るための、人間の使う技だしな。


 しかし……こんな形で昨日作ったレポートを実証するとは。

 と、気が緩んだ瞬間、疲労とダメージで気が遠くなる。

 やっぱり心停止した人間を生き返らせるような電流を、健康体の人間が浴びたら身体に良くないようだった。


 ──よくよく考えてみれば、わざわざ俺まで電流を浴びなくても……指示だけして俺は離れていればよかったんじゃないか?


 間抜けな話ではあるが……あまりにも慌てていた俺は、そんな当たり前のことすら失念していたらしい。

 そこまで考えたところで、電流で力を失った俺の首は頭の重みすら支え切れなかったらしく、俺の視界一杯には体育館の床が広がってきていた。

 何故か赤い。

 ……意識を失う直前で、視界がおかしいのだろうか?

 いや、気のせいじゃなく、床中が真っ赤だった。

 俺の左手も、舞奈さんの胸元や顔も、何もかもが血の色に染まっている。


 ──あ、そういえば左手、怪我していたっけ?


 ようやくそのことに思い至ったが、生憎と俺の思考はそこで止まり……


 周囲のギャラリーが何か叫ぶ中、俺の意識は闇に沈んでいったのである。


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