第二章 第五話
……だけど、それが祟ったらしい。
「ボクのチャーシューの恨み、今日こそ晴らさせてもらうよ!」
……翌日、体育館。
相変わらず何をやるかよく分からない超能力の授業にて、俺と亜由美は対峙していた。
今日こそと言われても、たった一日しか挟んでいない訳だが、ま、その辺りはその場のノリってヤツだろう。
しかし、食い物の恨みってのは恐ろしいようだ。
一発KOを決めた次の昼休みにはもうケロッとしていた亜由美が、丸一日経っても未だに根に持っているほどだ。
……今度から亜由美の食事には手を出すまいと、俺は心に誓う。
「はい、では勝負、開始です」
と合図をかけたのはマネキン教師。
昨日のおっぱい様の言葉で分かっていたんだが、この教師、決闘を止める気なんてさらさらありゃしねぇ。
むしろ校内での喧嘩を煽っている節がある。
「ガ〇ダムファイト! レディー、ゴー!」
各コロニー代表者が地球をリングに行う決闘の如く、マネキン教師が叫ぶ。
どこから調達したのか、趣味の悪い黒い蝶ネクタイまで絞めている。
……意外とノリの良い先生である。
──っと。
マネキンの声と同時に前日の通り、亜由美が体重移動さえないままに横滑りして間合いを詰めてくる……と、思いきや、その場でサマーソルトなんて大技を出してきやがった。
──そんな見た目だけの技っ!
直下から迫ってくる蹴りの軌道をあっさりと見切った俺は、亜由美の細い足をガードしてローキックをカウンターで叩き込む作戦を決断。
右手で受け止めようと待ち構える。
……だけど。
「……遠い?」
何故か……下から迫ってくる蹴りの軌道は、俺の顎を捉える軌道にはなかった。
サマーソルトなどという大技をフェイントに使う意図が掴めなかった俺は、一瞬だけ硬直してしまう。
その刹那を狙ったのか、亜由美のヤツはいきなり虚空を足場にして、身体を斜めに捻ると、その場で横回転をして回し蹴りを放ってきやがった!
「どわっ!」
流石にあんな体勢から攻撃が来るなんて全く予測していなかった俺は、完全に虚を突かれてしまう。
曾祖父から鉄壁を旨とする古武術を学び、防御技術にはかなり自信があった俺だったが……突如『斜め上』から放たれた回し蹴りなんて、ガード出来たのは奇跡に近い。
「……なんて真似、しやがる」
そう呟く俺の腕には、まだ捌き切れなかった蹴りの感触が残っている。
……中途半端なガードだった所為か、衝撃を上手く逃がし切れなかった所為だ。
亜由美の攻撃が軽いから何とかダメージは少ないのだが……彼女が俺と同じくらい体重があったらと思うとゾッとしない。
「へっへっへっへ。次、行くよ〜!」
さっきの攻撃で自分の能力と空手との融合させる感覚を掴んだのだろう。
亜由美が変な笑い声を上げながら、空中を滑ってくる。
──ヤバい。ヤバい。ヤバい。
自分で忠告して何なんだが、此処まで厄介になるとは思わなかった。
『格闘技が地面に立つ人間相手のモノだという大原則』。
それを甘く見ていた俺が悪いのか。
それとも格闘技の大原則を無視できる、亜由美の超能力が凄いのか。
「ちぃっ!」
側頭部目掛けて『斜め下から飛んできた正拳』を俺は辛うじて避ける。
その角度は、スマッシュ並と変わらず、だけど亜由美の予備動作はただの正拳突きでしかなく……避け辛いことこの上ないっ!
身体を躱した俺を狙って次に来たのは胴廻し回転蹴りだった。
しかも……胴廻し回転蹴りが驚くような袈裟切りの角度で。
「つっ」
亜由美の格闘技能はそれほど高くなく、予備動作から攻撃まで殆どテレホンで行われるため、辛うじて俺の反応は間に合っていた。
俺は咄嗟に肩の筋肉に力を入れることで、辛うじて首を狩られることだけは防ぐ。
結構痛い……が、痛いだけで済んだのはありがたい。
……実際の話、亜由美のヤツが軽すぎる所為で、どの攻撃も痛いくらいで済んでいる。
と、油断したつもりはないけど、胴廻し回転蹴りなんかを小ダメージで済ませたから気が緩んだのかもしれない。
もしくは、こんな大技の直後に攻撃は来ないと無意識下で思ってしまったのか。
「へへ、貰い!」
亜由美の笑い声と共に、もう蹴り足が俺の側頭部にくっつく。
もう片方の足は反対側の側頭部に。
コレって……
「しまっ!」
──フランケンシュタイナー!
──プロレス技じゃねぇか!
「四人の兄貴と同じ部屋で暮らしていたからさ!
こういうの、慣れてるんだよねっ!」
「~~~~くっ?」
体重差がかなりあるというのに、俺の身体はふわりと宙へ持ち上がっていた。
……どうやら、亜由美の能力が俺の身体にも作用しているらしい。
このままで受け身も取れないまま頭蓋から床へと叩き落されるっ!
──やばいっ!
──何とか打開策を!
それは殆ど無意識の行動だった。
古流武術にある、投げ・締め殺しの『ある手法』が浮かぶ。
そして、攻撃対象は目の前にあった。
……ならばそれを実行するのに何の躊躇いがあるだろう?
「けぴっ!」
響いた声はそんな感じだった。
そして、お尻を押さえて崩れ落ちる亜由美。
……文字通り、直下に。
流石にあの攻撃を喰らった直後には超能力を維持出来なかったのだろう。
『空中歩行』の効力が切れた俺の身体も彼女と同じように直下に落ちるが、こうなるのは予想の範囲内だったお蔭で、俺は上手く受け身を取ることが出来た。
だが、俺の一撃によって硬直していた亜由美はそうはいなかかったようだ。
自動車に敷かれたカエルの如き姿勢のまま床に叩きつけられた後、板張りの床に伏したまま動かなくなってしまう。
──やっぱプロレス技ってルールの下でしか有効じゃない見せ技多いよな〜。
俺はそんな哀れな亜由美の姿を見ながら、『古武術が何故相手の抵抗を奪ってから投げる技に特化しているか』の再確認をしていた。
実際……目突き、噛み付き、急所攻撃ありならプロレスや近代柔道の技はかなり制限されてしまうだろう。
「お、お、お、女の子になんてことするのよ!」
「……古流殺法、『菊穿ち』」
涙目の亜由美に向けて、俺は言い訳をするかのように技名を告げる。
──聞こえは良いんだよな、この技。
やってることは文字通り、『菊の門』を『指で穿つ』という近代格闘では確実に反則技とされる外道行為である。
ちなみに何故『殺法』かと言うと、曾祖父と立ち会ったとある柔術家がコレを喰ったトラウマで寝技に移行できなくなったらしい。
……しかも、その柔術家は男色家の道を歩み始めたとか。
まさに『男としての人生を殺す』古流殺法であった。
「女の子相手に殺法なんて使うな〜!」
俺が殺法の威力について感慨に耽っている間に、ようやく動けるようになった亜由美は、お尻を押さえながら絶叫する。
──いや、まぁ、仰るとおりで御座いますけど。
ちなみに、あまりにも高速の出来事だった所為か、周囲のギャラリー達は何が起こったか分かってない様子だった。
……お蔭で俺の評判はあまり低下している様子はない。
って、周囲のギャラリーからカップが三つ四つは突出しているあのおっぱい様には隠し事なんて通用しないんだよな〜。
ほら、軽蔑の視線が飛んできている。
「二本目、やるわよ!」
「……大丈夫か?」
立ち上がって叫ぶ亜由美を、俺は思わず心配してやる。
素人目で見ても分かるほど腰が引けているのにはちょっとだけ同情してしまう。
だけど、その視線を見る限り闘志は失っていないようだ。
「このクラス、最強の座は渡さない!」
……いつからそんな勝負になったんだろう?
どうやら変な熱血漫画に影響されているらしい。
と、俺は内心思ったが、周囲の人間から突っ込みが入る気配はない。
──それはそれで困るんだよな。
……俺が最強の超能力者なんてデマが広がったら、色々面倒だし。
「いや、最強は俺じゃないし」
ついでに変な勘違いしているようだから、ちゃんと正してやる。
俺の予想が正しければ、このクラスの能力者の中に、誰一人敵わないヤツが存在している筈だから。
「じゃあ、誰だってのよ」
亜由美が怒鳴りつけてくるのを聞き流しつつ、俺は指をビシッと……
──危ない危ない。
思わずおっぱい様が視界に入ってくるものだから、あの乳を指差しそうになった。
……アレは確かに最強兵器だが、この場で言う最強には相応しくあるまい。
ちょっと迷い指をしながら、俺は思っている人物を指差す。
そのカップはB。
性格は委員長肌って感じで、眼鏡は四角型。
あんまり目立つ方じゃないみたいだけど、控え目な世話焼きっぽい感じの、全身が妙に細いその人物は……
「……私?」
「……乾さんじゃない」
亜由美ばかりか、俺に指差された乾操という名の少女さえも戸惑っていた。
……ま、それはそうだろう。
彼女は自分の能力の可能性も理解していないみたいだし。
その所為か、亜由美も肩透かしを食らったような表情を隠していない。
「あんな、脱水乾燥の超能力で、どうやって相手を倒すのよ?」
俺の指摘が納得行かないのか、亜由美のヤツは首を傾げている。
「……試してみれば分かるって」
俺は亜由美の前を離れると、俺たちのバトルを見学していた乾操さんのところへ向かい、そのまま彼女の手を取ると、有無を言わさずさっきの場所へ連れて行く。
「ちょ、ちょっと。佐藤君。
困りますって。私の能力なんて……」
「大丈夫、俺のアドバイス通りにやれば」
そして、彼女の耳元で、俺は必勝の策を授ける。
コレをやられたら、俺は絶対に勝てないと思えた能力の使い方だ。
──いや、多分、一対一なら誰でも勝てない。
例え最盛期の俺の曾祖父だろうと、いや、明治の人斬りである緋村〇刀斎だろうと〇々雄真実だろうと、だ。
超能力という予備知識がなかったならば、範馬〇次郎さえもダウンさせられるだろう。
「……出来るか?」
「えっと。
……やったことないけど、多分出来ます」
「で、射程は?」
「多分、五メートルくらいまでなら」
聞いて驚いた。
これなら間違いなく、素手同士の決闘で彼女に勝てる相手なんてただの一人としていないだろう。
「相談は、終わった?」
「えっと」
俺の方を気弱に振り返る操さん。
そんな彼女に向けて、俺は大きく頷いてやる。
「ふぅん。なら、和人の勘違いを正してやるさ。
そして、ボクともう一度最強を賭けて勝負してやるんだ!」
亜由美のヤツは変なテンションを維持したまま、俺を睨み付けつつ、叫んでいた。
──だけど、安心してくれ。
──ほぼ間違いなく、そんな機会は来ない。
「じゃあ、始めますよ?
ガンダ〇ファイト~~、レディ、ゴー!」
ノリノリのマネキン教師の合図が走った瞬間、亜由美は一気に操さんとの距離を詰めようとして。
「あの、ごめんなさい」
そんな躊躇いがちな操さんの声が体育館に響く。
……その直後だった。
「目がっ!
目がぁあ〜〜!」
次の瞬間、飛行石の光に目をやられた空中都市の王のような叫びが体育館に響き渡っていた。
──いやぁ、やっぱ洒落にならないな、『乾燥能力』。
その威力とダメージを想像した俺は、背筋を冷たい汗が伝うのを感じていた。
彼女の能力が、『水分を空気中に逃がす』という能力だからこそ出来た荒業。
リットル単位の蒸発が出来るのだから、一滴二滴の水分を逃がすなんて簡単だっただろう。
ただ、その部位が眼球という……戦闘の際には絶対に空気に触れなければならない場所で、しかも鍛えようのない場所だったというだけだ。
亜由美のヤツは、まだ直射日光に焼かれたミミズのようにのたうち回っている。
周囲のクラスメイトも一斉に脅えた表情を乾さんに向けている始末である。
しかし、こんな能力を自由自在に使えるとたら……彼女には世界中の誰だろうと敵わないだろう。
もし勝てるとしたら……
「どうしました?」
いつの間にか俺の隣に来ていた奈美ちゃんが俺の視線に気付き首を傾げている。
もし乾さんと戦うとしたら……ずっと目を閉じたままで戦える彼女のみが、唯一彼女を撃破できる可能性があるかも。
けど、奈美ちゃんは戦う人って感じじゃないし。
ま、トランプでいうところの、キングに唯一対抗できる2って感じだろうか。
「……私は?」
「……ジョーカー」
おっぱい様が尋ねてこられたので、俺はその二つの膨らみを真正面から眺めつつ、そう素直に答えていた。
その答えはどうやらおっぱい様のお気に召さなかったらしく、俺は足を踏まれてしまう。
……結構痛い。
俺はそっちの気はないから、別段こういうのは嬉しくない。
あの最終兵器でビンタされるとかなら、それは間違いなくご褒美なのだが。
「じゃあ、乾さんが学級委員長ってことで、みなさん、文句ありませんね?」
いきなりマネキン教師がそんなことを言い出した。
──何だそりゃ?
って思ったものの……別に異論はない。
俺はそういう学校行事に望んで参加したいとも思わないし。
それに、ま、操さんなら、その雰囲気的に委員長という役職は似合っているだろう。
他の連中からも文句は上がらない。
──そりゃ当然だ。
あんな凄まじい能力を見せつけられて逆らおうなんて馬鹿、いる筈もない。
「……けど、流石は超能力アドバイザーね」
……はて?
何を仰るおっぱい様。
「たった一言でクラス最強の超能力者を生み出したんですよ、すごいです」
奈美ちゃんまでもがおっぱい様に追従したかのように、そんなことを俺に向かって語りかけてくる。
二人の言葉で……俺はようやくその事実を思い出していた。
──そう言えば、俺ってそんなの引き受けていたっけ?
ふと気付くと、クラス中から尊敬の視線が俺に注がれていた。
……いや、その中には一つだけ恨み混じりの視線が混じっている。
どうやら、亜由美のヤツが抱いている食い物の恨みは恐ろしいらしい。
『乾燥能力』の所為で血走ったその眼は……呪って怨む某映画の悪霊役も演じられそうなほどである。
──もしくは、彼女が怒っているのは、尻の穴の処女を奪った恨みかもしれない。
──いや、乾操さんを彼女にけしかけたのが原因かも。
どちらにせよ、あの表情を見る限り……亜由美の怒りはそう簡単には収まりそうにないだろう。
「おっと。そろそろ次の時間が……」
だからこそ、そんな亜由美の視線から逃げ出すように、そして級友たちの賞賛の視線から逃げ出すかのように、俺は体育館を後にした。
……いや、逃げたところで何の解決にもならないってのは分かっていたんだけど。
「あ〜あ。こんな、学校、さっさと辞めてぇな」
廊下を走る俺の口から、思わずそんな愚痴が零れ出る。
未だにクラスの中で自分だけが異物という感覚は抜けず……正直、あと三年間もこの中でやっていく自信なんてない。
……そりゃ、今日は少しくらいの手ごたえはあったけどさ。