前兆1
プロローグ 前兆
それは唐突だった。
遠くから金属を打ち鳴らす音が聞こえる。
意識の外からかすかに聞こえる程度の音だったが。
『何の……音だろ……?』
音の正体を探るべく、意識を覚醒させていく。
一回、二回。
だんだんと大きくなっていく音に苛立ちを感じゆっくりと瞼を持ち上げる。
目の前には空に向かって揺れる真っ赤なカーテンが広がっていた
『おかしいな……ボクの部屋のカーテンって……こんな色だっけ……』
未だ寝ぼけている頭でクレン・サフィールはそんな事を考えていた。
『まるで何かが燃えてるみたい……火…………って事は……!』
目の前で赤い舌を這わせこうこうと天に昇るその揺らめきを、火が渦巻き燃え盛る炎と認識するまでにそう時間はかからなかった。
そしてその次に取る行動は1つ。
『かっ火事だあああああああっっ!』
言うと同時に飛び起き逃げ出そうと駆け出した。
―――はずだった。
『体が動かない――?』
否、動いてはいた、だがクレンの意思とは全く違う動きをしていたのだ。
薄桃色した肘まではあろうかという長い手袋をつけた華奢な腕が周りの炎から逃れようと前に、前に、と這いずっていた。
『ボクはこんな手袋なんて買った覚えない……炎も熱くないし……ひょっとしてこれは夢なのかな……?』
そう思うとさっきまでの炎に対する恐怖も無くなり、まるで映画を見ているような感覚になり、
よく見てみると炎に照らされて周りの状況も分かってきた。
自分では目線も動かせないので這いずる腕とそこから見えるモノだけではあるが……
今は夜なのだろう、暗闇の中で炎が爛々と光り、周りには瓦礫が散乱し、見たことも無い動物の死骸や、本の中でしか見た事の無い西洋風の甲冑を身に纏った人間……だったモノのパーツが転がっていた。
『うぇ……戦争中なのかな、グロいしゲスいぞ』
クレンが呟いていると先ほどと同じ金属を打ち鳴らす音がまたしても聞こえてきた。
(この音は……剣が打ち合う音? 誰かが戦っているの?)
なぜその音の正体が解ったのかは分からなかった、だがクレンには理解出来た。
剣撃の音は激しさを増し徐々にこちらに近づいて来ていた。
そして、
炎が横に割れ――――
消えた。
消えたと言うよりはかき消されたという方が正しいだろう。
炎をかき消した衝撃と共に1人の男がクレンの側に吹き飛んできた。
身に付けた甲冑は所々ひび割れ、あと少しの衝撃で砕けてしまいそうだった。
男は手にした剣を支えにヨロヨロと立ち上がり、素早く周りを窺っていた。
そしてこちらに気付くと驚愕した表情で怒鳴りだした。
「何でこんな所で遊んでんだあんたは! 早く遠くへ逃げろって言ったはずだろが!」
「分かっています! しかし乗っていた馬車が敵に襲われてしまって……ですがフォーゴ! 私だけ逃げるなど……貴方や他の者たちはどうなるのですか!」
よく通る澄んだ声が反論した、クレンの意識が宿っている人物だろう。
「大丈夫さ、他の奴らは無事だ。それに俺は強いからな、死にはしない」
フォーゴと呼ばれたこの男、自信たっぷりに言い放ったがそれが虚勢である事はクレンでさえ分かった。それほどまでにフォーゴはダメージを負っていた。
その時、二人の会話を武骨な男の声が遮る。
「無様だな、お別れの挨拶はもういいだろう?」
武骨な声と共に現れたのは身の丈ほどもある漆黒の大剣を片手で構え、同じく漆黒の甲冑を身に付けた騎士だった。
炎が消え月明かりのみとなった闇の中ではその顔を見る事は叶わなかったが。
「へっ、たかが俺一人仕留められないで何が無様だな、だよ。格好つけてんじゃねぇぞ。なぁグランツの旦那、いや……元イーグニス王国近衛騎士団長、グランツ・シュトラール」
「ふん、負け犬が。死に際によく吠えるものだ。その名はとうの昔に捨てた、それに今はそのような戯言を言っている場合では無い」
グランツと呼ばれた男はクレンの方を見つめながら続けた。
「逃げたものと思っていたが。よもやこんな所で標的に出会えるとは。まあいい、お前もすぐにあそこで転がっている奴らの後を追わせてやる。俺としては逃げていてくれた方が殺し甲斐があったがな、追い詰めて追い詰めて恐怖で歪んだ顔を苦痛と死の恐怖でさらに歪めて殺してやりたかったのだがなぁ……クックックッ! フッハハハハハハハハ!」
『ゲスいなぁ、思いっきり悪役だ』