前哨戦
「あのチビ、半端ないって」
蘇芳が、悔しそうにギギギと奥歯を鳴らす。カリンも憮然としながら相方のセリフに続ける。
「アイツ、半端ないってなのです。後ろを取ったはずの蘇芳をめっちゃ躱ながら、トラップも無効化するもん。そんなのできないのです普通」
腹が立って仕方ないのですという分かりやすい表情をしている。腹芸が得意なこいつがこうした表情を出すのは珍しい。
あと、その半端ないの元ネタわかりにくい上に、話のオチ担当がいないのだが。
「いやはや、お互い様だろ。お千代以外こちらの手勢全滅だわ。なかなかに、たちの悪い嬢ちゃんたちだぜ」
面白そうに奥歯で笑う真田の男。いつの間にか酒杯を片手に一杯やっている。
「こちらの科白なのです。闇と山に紛れて、二、三度は確かに撒いたはずなのです」
「んー、あー、そうだな人生経験かな。おじさん、酸いも甘いも噛み噛みしてきたからよ」
「巫山戯るな、なのです」
「くくく、まぁ、ここらは真田の庭だからな。こっちで酌の一つでもしてくれたら、どうしたのかひとつ教えてあげよっかな」
より一層の渋面に変化する『青いの』。
「勿論、そちらの、ぞっとするほど綺麗な嬢ちゃんでも構わないぞ」
そう俺の方に杯を向けてきたが、黙殺することにした。
一応、武田の直臣だから、それなりの対応をすべきなので。愛想の一つ二つ安売りしても良いと思うのだが。どうにも、当人がうさん臭すぎてだな。
なんというか。当たり前のように、こちらの空気に入ってくる手練手管が気持ち悪い。
カリンもそこで、違和感なく会話している自身に気付いて、いくらか襟を正した。
ちなみに蘇芳は気づかず真田幸綱と、がしがしやり合っている。
こいつは、こわい人間だ。
「真田殿、夜通し歩かれて、さぞお疲れでしょう。戦の後、まだ他の間諜の目がないとも限りませぬ。改めて、席を設けさせて頂きとう御座います」
知らぬ間に俺ものらりくらりとペースに絡めとられてしまう恐れもある。もう少し、カリン以外にも知恵を借りたいのだが。
他に期待できる連れがいない。蓬さんは地頭は悪くないが、交渉事はできないし、そもそも、人が善すぎて駆け引きにはとことん向いていない。勿論、貴志雛姫は論ずるに如かず云々。
まぁ、幸いこいつらがお使いの方は終えているはずだから当てがある。
「そうさな。俺も徹夜は堪えるお年頃だからな。正午、改めて会談するとしよう。ああ、それまでうちの女童を預かっておいてくれ。おっさんと一緒に寝るのも可哀想だからな」
「…承りました」
まぁ、この二人が引きはがせなかったので。足の遅い俺がいる以上、逃亡できない。望月千代女の監視がつこうがつくまいがどちらでも変わらないしな。
ちょっと、自分で言ってて悲しくなってきた。
「あと、それとだな」
真田は人を食ったような笑いをやめ、針の先のような鋭い眼光に変わる。
一礼して、辞去しようとしてた俺はその剣呑な光と目線を交わす。
やはり油断ならない。
「酒が切れた。新しいのはどこにある」
本当に掴みどころのない鵺のような男だ。
これからの厄介な対峙が容易く想像できて、じくじくと睡眠不足の頭の奧が滲んだ。さぁ、どうすればよいやら。
「存じませぬ」
とりあえず、どうでもいいそんな要求は、笑って斬って捨てておくことにしよう。




