幕間・ある語り部の観測
しれっと再開してみます
諏訪大社。上社・春宮
普段は厳かな神事のみを行うその場所は、溢れかえる人とその生み出す喧騒で、平時の静かさは思い出すのも難しい程であった。
それもそのはず、今日の社の役目は祀りではなく、どちらかと言えば祭りのようなものである故に。
戦勝祝い。
負傷者も多く、資材や矢がそこかしこに散らばり、戦時の爪あとは残っている。それでも、人々の顔は誰もが底抜けに明るい。それが勝ち戦というものだからだ。明日のことなど忘れ、今日に興じる、戦国の縮図なのかもしれない。
ああ、それとも、日の本一の荒い行事が行われるこの社にとってこの程度の争い事など、それこそ祭りの延長でしかないということも考えられる。
人々は死と背中合わせの時代だからか、浴びるように呑み、歌い、騒ぎ、生ある限りは全うせんとする、ある種の気概のようなものまでもが感じられる。
無論、ただ、7年分の鬱積を爆発させたいだけかもしれないが。
社の境内のどこかしこもがそういった雑多極まりないエネルギーを燃やそうとする、活気と呼ぶには些か過剰すぎるものの溢れかえる混沌とした場でとなっていた。
だがどうだろう、ただ一所だけ。異なる空気により支配された場があった。
そこの空気に名を付けるとすれば、困惑か畏敬か、まぁ、それらの合いの子のようなものを思い浮かべてほしい。
本来なら、宴の最高潮の場となるはずの、社の巫女の舞う巫舞台。
ここに集まるは、清廉な巫女とは、それこそ真反対の人々である。
先の戦場で誰よりも先に争った荒くれ者といってもいい、むくつけき男たち。
彼らは半日前には、喉よ裂けよとばかりに声を張りあげ、侵略者に吶喊していたはずである。いまは、それとはあまりに様子が違っていた。
ある者は胸のつっかえを飲み込むように喉を鳴らし、またある者は反対に口をだらしなく開け驚きを表しているのもいる。果ては、隣の者と正気を確かめようとでもしているのか互いの頬を引っ張り合ったりしていた。
そんな奇妙な車座の中央のどよめきは、今このときに大きな歓声に変わった。それも、悲鳴にも似た響きをもったものにも聞こえた。
「た、田吾作もやられたぞ!」
そんな困惑と驚愕が等しく混じり合ったの声はすべて車座の中央に向けられていた。
「おいおい、いったい、この娘っ子ら何者なんだ!」
群衆の真ん中には少女がふたり。共に短めの髪、小柄な体躯。
一方は、少し癖のある優しい水色の髪をした少女。
もう一方は、烏の濡れ羽色の如く麗しき光沢を持つ少女。
少女たちと三角形の頂点を形成していた男――田吾作とやら――が意識を失いひっくり返ったのを見届けてから、糸切り歯を光らせ嬉しそうに笑うは黒髪の烈少女。
ネコ科の猛獣のように満足げに喉を鳴らしてから。その細い指先では持て余す赤子の頭ほどもある杯の中身をゆっくりと嚥下した。
そして、少女は乾かした雑器を板張りの床に杯よ割れよとばかりに叩きつけた。
器を楽器の代わりに用いて高らかに勝利の音を誇らしげに奏でたようでもあった。
「さて、残るは私たち二人だけじゃな。舞台を占有するのも悪いしのう。早晩、雌雄を決するとするかのう」
水色の少女は眉をいつもと反対のハの字に曲げ、トレードマークである笑顔を、今回は困ったとばかりに強張らせていた。
少女たちを2セット合わせたよりも大きな男は車座から引っ張り出され乱雑に投げ出される。
よく見ると、ここらには何人もの男が同じようにひっくり返っている。まるで石の代わりに人を積み上がったりもして、まるで肉の賽の河原とでもいうのだろうか。ちょっとした地獄絵図という事だ。
そんな殺伐さも、さもありなん。
そう、これもまた戦のあとのまた戦であったのだ。
黒髪の少女は稀代の酒飲みである。
少女の源流であった武将の生きざまをいくつかの言葉で記すならなら、まず挙げられる『義』そう世に流布する言葉は、激しい論争の的となろう。
しかし、この二文字に異論は出ない。戦と酒。もしくは酒と戦。
そのどちらを先に記すべきかを話し合う程度のものだ。二つの文字はまごうことなき彼女の本分であるのを否定するものはいない。
戦を愛し、酒を愛す。この小さな掌にあるふたつの最上の至福。少女は、その天上の心地であるものを、独占しひとり遊ぶことなどしない。
右の手で大杯を軽く押し出す。
「ほれ、其方の番じゃ」
ギラギラと肉食の双眸が輝きを増す。
昨夜、水色の少女に戯れに杯を勧めてみた所、清水でもあるようにこともなげに杯を乾かした。
そこからはもう、争い事が好きな魂に火が付いた。
前夜は翌日に控えた戦というブレーキがあったはずだが、そんなものすぐ忘れた。種所の視野は酷く刹那的だ。
己の喧嘩なら、事前に酒断ちをする分別はあると言い訳がましくも自負するが、此度は所詮は人の喧嘩だったから余計に拍車が掛ってしまった。
そして、黒の少女は完膚なきまでに負けた。
まるで、あの時にも迫るほどの屈辱だった。ここままでは終われはしない。あの時より誰であれ、なんであれ決して負けないと、少女は決めたのだ。
彼女は昼間の血に酔ったままで、戦の第二幕、いやさ第三幕を迎えようとしていた。
だが、しかし、そこには水が差された。
「も、もうこれ以上は酒の備蓄も無く。このあたりで」
神官らしき毛色の違う男がこれ以上の酒宴を押しとどめようとする。
さもありなん、酒は貴重であり、社の大きな利権でもある。いずこの昔話とは違い無限に湧き出るものではない、飲めばなくなるのだ。
競って空にしていくなぞ正気の沙汰には見えなかった。捨てられていく銭を勘定してか、その神官の顔色は青色を通り越して漂白されたように白い。
「むぅ、ない袖は振れんし、仕方ないのじゃ」
そんな風に不満げに鼻を鳴らす黒い少女をみて、ようやく安堵の域を長く吐いたのであったが、その安堵は長く続かなかった。
「じゃが、こんなこともあろうかと、ついぞ手に入れてあったものを使うとしよう」
パチンと指を鳴らすと、甕がとことこと且座の中央に運ばれてきた。大男が二人係で運んだそれは少女たちがそのまま入りそうな程のものである。
「それは本殿に置いてあった、大祭用のとっておき――――へぼっ、もがもが」
五月蠅い、の一言とともに、尚もすがる神官を黒の少女は封殺した。そう、文字通り封殺である。
えーと、よろしいのでしょうかと、一層笑顔が不自然になる対面の少女。
本来ならば、叱るべき場面であったが、一瞬迷った挙句少女はあきらめる。なぜなら、齢12にして、既に一つの真理を小悟していたからである、酔っ払いには何を言おうが無駄。
さて、まだ名もなき私の出番はここまで。
これよりこの物語を物語らない一時の幕間の語り部をこちらの少女に委ねるとしようか。




