Another viewpoint ・湖雪(了)
湖雪達の方の戦後処理。
軍の撤退は、家老の犬甘に任せ、湖雪とふたり樵が使う小さな小屋に立ち寄った。
一刻も早く帰り、軍備を整え、調略を行いたかったがいまのユウキはこの事態の対処に精一杯だった。
腕を組み、為すすべなく時折思い出したように、言葉を発しようとしてやめる。
自分がわりと混乱しているのが分かる。これは5年に及ぶ歳月の中でちょっとした驚天動地だった。
「う、うえぇえん!うぇえええん!!」
火のついたという表現がぴったりの遠慮のない鳴き声が小さな小屋を満たす。ひょっとしたら、この襤褸小屋はこの振動で崩れてしまわないか心配に思えるほどの大きさの声。
その主は誰であろう、小笠原湖雪その人であった。
しばらく呆けていたが、いきなり肩を震わせると、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。まさかそんな姿を兵士たちにさらしたままにするわけにもいかず、母衣をひっかぶせ、行軍から二人はなれたのだ。
湖雪は傲慢や不遜という評価はされるが、弱さや臆病といった言葉からは程遠い武将であるはずだった。
常に軍の先頭に立ち、並の男でも泣き叫ぶような傷を受けても、顔色一つ変えず敵に相対する。そんな鋼鉄の花のような、峻厳な山に咲いた孤高の狩人だったはず…なのだが。
いまや、見る影も無くなってしまった。
涙の跡はくっきりと列を為し。鼻水やら汗やらで顔中ドロドロだ。
たとえ五歳児だって恥を知っている。少しでも分別があれば、ここまでなりふり構わず泣きわめいたりしない。
「あー、ほら、鼻をかめ」
いつもは怜悧な面が
懐紙を取り出し顔に近づけると、湖雪は伸ばした手に怯えたような表情をして体をちぢこまらせる。
なんとなくユウキはショックを受けて、右手は空中を頼りなくさまよった。
しかし、それをみた湖雪自身の方がよりショックを受けたみたいで、一層激しく泣きだした。
「ふぇ、ふぇ、びぇええええん!」
はっきりいってユウキは慣れていない。感情の起伏も少なく全身これ無骨な伴侶であったから、最早、完全にお手上げ状態であった。
いままで、泣き顔どころか、このように喜怒哀楽が誰の目にも分かりやすく発露された例はユウキの知る限り皆無だった。それでも近寄りがたい領主から親しみやすいにはどうやってもなるまいとも思った。
ええい、ままよとばかりに、ようやく慰める事を思い出し火中に突撃する。
「ほら、た、たかだか一回の戦いが上手くいかなかっただけだ。負けだってついていない」
戦果のページを示しながら、自軍の得たものを湖雪にも確認させる。
これはゲーム故の良い所だ。
自分で得たもの以外にもシステム側から齎される物もある。
今回は勝敗つかずで綺麗に折半されたため多くとはいかないが、もともと侵攻戦だったので被害がないは大きい。
失ったものは僅かな兵と下士官数人、進軍の遅れがあった分、兵糧の減りが少し気になるが戦自体は短く十分許容範囲だ。
「大将を失った仁科の領土と軍をただで吸収できる。村上の佐久方面の攻略もほとんど終了だ。それに…」
がさごそと懐から、文を取り出す。
複雑に筆を走らせた花にも似た筆の跡が大きく強く書かれている。その人となりのように。
先ほど届けられた密書だった。差出人はいずれ越後の領主となる刀を合わせたばかりの娘。武辺者や気にった者を取りこみたがり重用する悪癖めいた気風のある風土であり御仁である。
その線の引き方は自分達のように昨日の敵だろうがおかまいなしだ。はみ出してしまった者、超越者は定規自体の尺度が違うのである。
そして、どうやら湖雪らは目にかなったらしい。
「これで後顧の憂いも無くなったわけだ、何を泣くことがある」
上手くいかないことには慣れている、そうして試行錯誤していくのはいつものことだ。
今回はたまたま、巡り合わせが悪かったのだ。あの銀髪の女性PCは確か【神行太保】とあだ名されるほどの有名プレーヤーだし。あのゾッとする目をした巫女も、はみ出してしまったもの特有の危うさがあった。
「だって…」
「だって?」
言葉づかいまで子供になってしまった様な湖雪に自分の口元が引きつったのがユウキには分かった。
「い、〈一張弓〉を失った…」
小笠原の代名詞ともいうべき弓と引き換えにふたりは勝ちを買った。下手したら命を失ったところだ、惜しむものが違うだろだろとユウキは苦笑する。
「で、でも、あれがないと、私は役立たずだ。役立たずだと、きっとお前も私の元からいなくなる」
「…そんなわけないだろ」
呆れたように溜息をついた。
「あのな、俺をそんな奴だと思っていたのか」
「ち、違う。お前は意地悪で変な奴だが、私には誠実だ。でも、本当の私は弱い…何かに心を託さねば、怖いのだ」
武を突き詰めた時間が湖雪の背骨であり全てだ、それ以外には君主としても、一人の人間としても自分には価値がない事を知っている。
〈一張弓〉は唯一価値のある武将としての誇りであり、一国を統べる自負の象徴とも言うべきものであったのだ。その〈一張弓〉と同じく心を預けるものがもう1つ。その両方を失うことが溜まらなく恐ろしく思えて、限界をあっさりと超えてしまったのだ。
「例えどんなことになっても、俺はずっとお前と一緒にいる」
そういって乱暴に肩を両手で掴んだ。
お前は忘れてしまうがな、とユウキは思う。これまでずっとそうしてきた、国を奪われ、臣下に見放され、身一つで全国をさまよった。何も変わる事はない、何度でも添い遂げるだけだと。
「ほ、本当か?」
「本当だ」
力強く同意する。
「本当に、本当か?」
「本当に、本当だ」
言葉は力強さを取り戻しつつある。しかし灰褐色の瞳はまだ力なく、視線はあちらこちらを危うげにたゆとう。
「まだ、不安か」
「言葉だけならなんともいえるものだ。私は頭がよくないから分からん。だから証もほしい」
臣下や民からも裏で陰口を叩かれることに慣れてしまった湖雪にはそれだけでは安心には決してならない。
「証?」
「そうだ、お前と私が共に歩むという証。お前を私に繋ぎ止めるための鎹が…」
普段よりもかわす言葉は多いが、いつもなら単刀直入に入ってくる言葉は揺れる感情を丸でバイパスにもしているようで、ユウキにはなにを伴侶が言わんとしているのかが伝わらなかった。
ユウキは気づいてなかった、涙の後の腫れぼったいものよりも相手の顔色が赤みを増していたことに。
そこで業を煮やした湖雪は耳元に顔を近づけた。やや、勢い余ったそれは、見るものがいたら頭突き以外の何にも見えなかったであろう。
それでも湖雪はどうにか、ゆっくり短く言葉を紡ぐことに成功する。
聞いた方は、一瞬ぎょっとしたものの相手の顔を見返す。
その眼に言葉を発した赤い唇は艶めかしく映った。
そのまま見つめあうように彫像二つは固まったまま、時を浪費していたが、どちらともなく言い出した。
「帰ろう」
影は重なり合うように寄り添う。
ふたりにとってもっとも長い一日が終わるのはまだまだ先であった。
■
蛇足ではあるが、後日のこと。
実はユウキは四年の間に湖雪から託された〈一張弓〉を4つ所持していた。
あまりににも衝撃的な状況に流されるままだったので、すっかり真っ先に伝えるべきことが抜け落ちてしまっていたのだ。
湖雪は自分以外に現状使いこなせぬそれを手ずから弓弦や握りの感触を確かめ傷の位置を見定め、残らず同じものだと了解すると、得意げに差し出した輩を無言でボコボコにした。
あれもこれも、一世一代の勇気や決意であり、全ては、こうなっては憤死してもおかしくもない恥であった。
修羅や羅刹も裸足で逃げ惑うような悪鬼が誕生した。
のちにユウキは述懐する。実は軍神なんか目じゃなかったと。
一応、最後には不器用な手つきで夫を甲斐甲斐しく治療の世話をする妻の姿があったと記しておこう。
次が蓬さん視点の番外編になります。アップしている間に書きあがるだろうと思っていましたら、修正&修正で進んでない罠。エピソードが複数あるのでぶつ切りのままです。さてどう組み合わせるか。取りあえず、酒盛りスタートは確定ですが。
そこで、漸く某キャラがしばらくぶりに出てくるので、そこの対話が章の締めか次章の始まり(もしくは両方)となります。
湖雪たちは一応また出てきますが、いつになるやら。そしたらゲストキャラというくくりが外れるので、宙ぶらりんな諏訪姫のエピソードと合わせて掘り下げます。というか武田側の話をやらないと掘り下げるわけにはいかないそのあたり。




