Another viewpoint ・湖雪(陸)
文字通り、大気を裂き、地を割り、戦場を制す。絢爛な武の花が咲き誇る。
数多、血を吸いあげ美しく咲き誇った二輪の佳人。全軍に武の威容を知らしめるかのように、鍛え上げた技能を惜しげもなく振るう。
「〈天神ヶ雷〉」「〈婁星〉っ!」
ふたつの軌跡は交わり、先程の大砲に倍する轟音を諏訪の山と湖に響かせた。
もうこうして何度も、一振りで神をも殺せるだろうな力が際限なくぶつかり合っていた。
湖雪はぞわりと肌を泡立てる。
どんな人間にも癖や、技の呼吸がある。
修練を重ねても、いや重ねるからこそ、頼みとする型は定まり、命のやり取りの場では、とくにそれが顕著に表れる、それは誰ひとりの例外もない。
そして、それらの呼吸を追い急所を見極める小笠原の家徴〈鷹の瞳〉は戦闘において絶対の優位性をもつ特質。だからこそ、湖雪は己の武に自信を持つ。
勿論、それは無敵ではない。その事も湖雪本人が一番よく知っている。
今まで、隙の全くない達人とも、隙を敢えて誘いに使う事を得意とする巧者とも刀を交えた事もある、それら数多の経験から、今のように数十合を打ち合って仕留められないからと言って焦る事はなかった。
ただ、それでも目の前の敵はあまりに特異であった。
斬る、突く、払うを基調とした正統派の剣術から、奇剣・邪剣と呼ばれる変幻自在の類の術、ニの太刀いらずとでもいうような一撃必殺の剛剣。
まるで何人もの達人が一つの体を操っているかのように、目の前の敵は代わる代わる、無限の厚みを持った攻撃を繰り出してくる。急所も碁盤の目のように入れ替わる。
なによりも、それぞれ全く異なる戦闘のスタイルながら、恐るべきことにそれぞれが単なる付け焼刃ではなく、手の内を隠す為のカモフラージュでもない。全てにおいて確かな修練に裏打ちされた技の極みがあった。
波間の木の葉のように翻弄され、常に後手に回ってしまっている。
これは尋常でない。
なぜなら、目の前に敵の歳の頃は、まだ少女。自分の半分ほどの年齢でしかない。
その短い生を全て剣に捧げてきたと仮定しても、いま彼女が操る型の一つとして修めるどころか、道の半ばにだって至りはしないはずだ。
それほどに武の道は険しく苦しい。山の夜を僅かな明かりを手に不安な足取りで進むに似ている。
これしか能の無い自分がこの歳まで、只管してようやく一つの流派の頂きの影を踏んだくらいなのだと湖雪は思う。
もし、仮に湖雪が目の前の相手と同じくらいの頃、今の自分と戦ったとすれば一呼吸も持たない。
それくらい時間というものは絶対であり、埋められないものだ。
そして、湖雪は修練の汗が乾く暇もなく、何年も武を積み重ね、一直線に遠く高みまで達したと自負もある。
しかし、少女はそんな湖雪との戦闘を継続させることを可能にするどころか、馬上の有利をものともせずじりじりと押し込みつつあった。
「〈昴星〉!」お手本のような素早い六連撃の打ち込みのあとに、「〈畢星〉!」大槌を振り回すような大上段から一撃。全身を力任せにぶつけるかのような打ちこみに繋げる。たまらず湖雪は後退する。たった今いた地面に五尺を超える穴が穿たれる。
吹き飛ばされた土埃が湖雪の紫陽花色の髪を汚し、指先ほどの礫が陣羽織に細かな傷をつくった。
なんと恐るべき才能。
複数の技能を効果的に操る相手がこれまでいなかったわけではない、伴侶であるユウキなんかがそうだ。だが、得てしてそうした使い手は中途半端で、付け入りやすい相手だったが。
それが、極まり練達の域に達するとこんなにも厄介だったとは、打ち合ってみて初めて分かった。
まごまごしている間に、急所であるあの巫女を仕留めるどころか、諏訪の軍そのものを退かれてしまった。
これだけの贅をかけた陣立てをあっさり捨てる国力の差に歯噛みする。
「仕方なし」
だが、代わりと云ってなんだが、目の前の相手を仕留めるのは獲物を逃しても、余りあるもの武者だ。これほどの相手で思い浮かぶのは、自らの父・小笠原長棟と、盟友の村上義清のみである。
それに続くものは如いていうならば、武田の先陣を駆ける赤い鎧を着た小兵もか。
あれも年若いながら、どの名のある将よりも強かった。だが、この少女はおそらくその全員の更に上手かもしれない。
よもや、本軍でもない末端にこれほど使い手がまだいるとは。やはり、武田は侮れないと湖雪は思う。
「だが」
対処はしにくいが、自分が劣っているとは思わないのも湖雪。
いくらでも打開するための方策は在った。
一つは少女と湖雪の間には体格や体重に差がある。いくら技量に優れたとしても、鍔迫り合いに持って行った時には確実に押し勝てる。
次のエフェクトの掛った逆袈裟の一振りを、愛刀〈千代鶴〉を胴に引きつけつつ受けて、強引に鍔迫り合いに持ち込む。
虎千代はたまらず体勢を崩されると、すっと刀を手放す。自殺行為としか思えないそれを湖雪は先程から何度も見ていた。
刀の代わりに、短刀が握られている。
「そんなものまであるのか」
むすっと湖雪は不満げに鼻を鳴らす。
隙間もないほど密着している状態でそんなもの持ち出されては敵わない。こちらの武器は馬上で使う為のもので小回りは効かないのだ。刀の持ち手で肘打ちを繰り出すと同時に、逆の手で手綱を引き愛馬を後退させる。
「…厄介だな」
これまでの打ち合いの中で、あの黄金の鞘の中から、明らかに大きさの違う打刀や太刀、果ては野太刀までが引き抜かれる。刃の上下の区分や大きさの大小関わらずに。
あれは湖雪の伴侶であるユウキが秘蔵する何でも入れられる蒔絵箱に似た機能なのだろうと推察できる。
煩わしいのが、自分の戦い方に合わせて刀という武器をも最大限に合一させてくる事だ。
いくら技術が修めようと、自分にあった武器を手に入れるのは至難である。逆もまたしかり。両者が揃う事はごくごく稀だ。
その分、マッチした場合、戦力は足し算ではなく掛け算にも等しい数字に跳ねあがる。
湖雪がそうだ。彼女はもともと、修めるその武の道程が確約されていた。
小笠原という積み重ねた歴史にオーガナイズされていたのは〈小笠原流弓馬術〉という技術、そして、一張弓という決戦武器を合わせた運用の仕方である。
もしひとつひとつならば、単なる優れた技術、優れた武器どまりな物を祖先が道を均し、何世代を経てもこの武の最良の合一に至れるように作り上げた伝承は宝石の価値がある。
それは、百年単位で積み上げた鎌倉からの歴史であり小笠原のすべてである。
だが、少女は溢れる才と財にて、その合一を何通りも出現させ操っている。
小笠原の誇りに砂でも掛けられたような思いだった。
そもそもこんな打ち合いに付き合うのは本意ではない。湖雪最大の攻撃力は弓である。
互角といってもそれは刀を合わせた場合だ。弓矢ならば、どんな雄だろうと問題なく仕留められる。
弓を構えると矢を引き抜く前に、寄せられる。慌てて千代鶴で打ち合うと言った事を繰り返している。しかし、弓を引くのに十分な距離を取る、たったそれだけの事が出来ないでいる。
虎千代は寝苦しい真夏の夜のように五月蠅くまとわりついてくる羽虫の様だ。
数多の歩法も使いこなし、的を絞らせない。更に間合いを計らせないよう布の面積の多い外套やマフラーを着込むことで、フェイントや目隠しにも使う。
また、距離を取りたいと言う考え自体を、利用されている事にも湖雪はまだ気付けない。
原因となる焦り。それは、負けるとは思ってないが、目の前のたった一人を蹂躙出来ないことで、潰走させた相手の士気を立て直させてしまえば何の意味もない。
武人としてだけ特化した湖雪ではあるが、それに徹するにはその肩書きが許すはずもない。
加護を集める社に立てこもられる事はただでさえ厄介なのだから。
これ以上時間を浪費するわけにはいかないと。一つ奇策を仕掛ける。
密着した状態から馬を強引に駆けさせる。
先程のように流れからではなく、じれて、無理に力技に押し込もうとする湖雪の動きに、虎千代は神速の早さで反応する。やや前がかりになった馬体を、上手くさばき、体勢を崩させ、巧く背中側に回り込む。
馬上の背中は絶対的な死角だ。
先程、長年、仁科の先陣の斬り込み役を担っていた者も、抵抗する術無く一振りで落とされた。
つんのめる様に湖雪の愛馬は駆歩を進め、大きく距離が開く。
日本の武者は飛ぶ。
文禄・慶長の役で朝鮮側の文献に残された言葉だ。どんな距離も特殊な歩法で一気呵成に距離を詰め、必殺の間合いに持ち込み切れ味鋭い日本刀で首をおとす。
軍神とうたわれた虎千代は、その動作も実に美事であった。
一呼吸で地面を蹴りミサイルのように跳ねあがり、その先にある湖雪の背中に虎千代は王手をかける。
仕留めるのに十分すぎる間合いであった。
そう、間合いは開いたのだ。
湖雪と虎千代の目が合う。
湖雪は鐙に足をかけたまま、馬上で仰向けに寝転がり、弓を引き絞っていた。
背面打ちとでも言うのであろうか、その状態でひゅっと矢を放つ。
空中で逃げ場のない虎千代は両手に持つ太刀で受けるしかなかった。
それでもまだ交差して鏃を捉えるその技量は驚嘆すべきものだったが、たまらず両手の武器は撥ね飛ばされた。
黄金造りの太刀には次の柄が現れていたが、湖雪がそれを抜く事を許すはずもない。
息継ぐ間もない二射目は正確に虎千代の額を射抜くように放たれた。
先程のぶつかり合いと比べると、あっけないほど小さい甲高い音が響き。
矢に勢いそのまま激突した虎千代の体が、大きく後方にとばされた。
湖雪は口を横一文字に結ぶと、背面のまま止めとなる三射目を打ち出した。
撥ね飛ばされる中、右手がゆっくりと動き、新たに握られていた一刀が矢を両断する。
無理な体勢で連射に特化した何のスキルでもない一撃はあっさりと地面に落ちた。
肩から落ちつつも、獣の視線は湖雪を捉えていた。
追撃を諦め姿勢を正し向き直る。
湖雪は確かにみた。虎千代は首を横に向け、側頭部についた龍の髪飾りで矢をはじいたのだ。
「いやはや、心の臓を狙われていたらあの世いきじゃったぞ、わっははは」
と大笑いしてから、…全く笑えんのじゃと勝手な事を一人ごつ相手を白けた目で見つめる。
なんという子供だ。その技量と判断もさることながら、一歩間違えたら即死の状況で、矢から目を離すその精神力に驚嘆した。
ぶるっと、体が震える。
「楽しいな」
らしくもないと湖雪は思う。
離れた距離を幸いとばかりに〈小笠原弓馬術〉の技能の粋を疲労するよりも先にそんな言葉が出た。
先程のは武者ぶるい。鍛え上げた身一つを詳らかにする行為はどれもなんと得難い興奮なのだろうか。
「うむ」
それ故に誠に残念でならない。
「だが、ここまでだ」
構えた弓をおろす。
背後の馬防柵を超え、四つの馬影が自分の背後にヒズメの音を鳴らすのが分かった。
「えー、武人であるところの湖雪さんには大変申し上げないが、さっさと大名としての仕事に戻れコノヤロウ」
ユウキが額に青筋を浮かべて、肩を掴んでいた。
「無粋な男」
素直に出た言葉、返答は固く握られた拳だった。
次の所、まごまごと四、五回描き直して難しいので諦めました。秘儀後回し。あと二、三のシステム説明だけしようかと。まだ、ちゃんとした舞台に上がっていない所で語る話でもないので。




