Another viewpoint ・湖雪(参)
すみません。年度末+新年度攻勢で死にかけてました。
「間違いない、アレは上杉謙信だ」
ユウキは、数度の思案からそう断定した。
いまだ指先ほどの大きさにしか見えない距離であるが、あんなものを見間違える筈がない。
玲瓏な細面。だが、瞳だけが炎よりも爛々と青い。
目に眩しい程の純白の衣。姿かたちに似合わぬ大太刀。
孤高の月下美人。しかし、心にくき花弁はどんな刃よりも鋭く、儚き弱さとは無縁。
戦国に咲いた大輪の徒花。毘沙門天の化身・上杉謙信である。
ユウキには見間違えようがなかった、自らの所属する小笠原が武田に負けた折りに頼みにするイベントにより遺憾ながら何度も顔を合わせているのだ。
頼ったのは三度。
誰よりも偉そうな印象しかないその少女は、同じくらいプライドの高い主君・湖雪とは並び立たない。いずれもあっという間の喧嘩別れになるのが常だ。
史実がそうであったから仕方ないと云えばそうであるが、手を尽くそうとも三回が三回そういう結末事になると、ひょっとしたら仇敵の信玄よりも湖雪との相性は悪いのではとユウキは考える。
謙信は全軍の真ん中に仁王立ち、我と戦えと白い喉より龍の咆哮をあげる。
ユウキは不思議でならない。
先程から、狐につままれたように大口を開けて、じっ、と世にもおかしき光景を見つめるばかりだ。
傍らの湖雪の灰色の瞳は、刺すような鋭さで、そんなユウキを見つめていた。
『鷹の目』をもつ強烈すぎるその眼力は誰にも畏怖を振りまく。傍目からは今にも獲物に襲いかかろうとしているかのようにしかみえない。
だが、ユウキはとうに耐性が出来ていた。
五年に及ぶ長い時間を一緒に過ごし、本人がそれを気にしている事も知っているし、その仏頂面から意図を殆ど正確に汲みとれもした。
「なんていうか、厄介事だ」
「そうか」
言葉少なに湖雪はそう応じる。
自分のセリフながら的確な表現だなとユウキは嘆息する。
いったい、何にあっけに取られていたか、その正体は自分の言葉で整理された。
年端もいかない少女が身一つで、千を超える敵前に姿を躍らせる馬鹿げた事態に対するそれではない。
日本最堅牢の要塞・小田原城攻略戦で矢玉降り注ぐ中、平気な顔で門前に歩み寄り酒杯を傾け籠城側を挑発した逸話も、また、劣勢の味方の城を救うため、身着のままで敵中を駆け抜けた逸話もあるからだ。
それは彼女にとって特別な事ではない。
パンを食べようとしたら紅茶を切らしているのに気付きコーヒーを入れる程度の事。
つまり、日常だ。
そう彼女の当たり前はどこか、壊れている。
人としての在り方を奈辺に置き忘れ、全ての能力を戦闘だけに特化させたイキモノ。
神がかり。
神を名乗り、神を行う者がまともであるはずがない。
厄介な目にあった学内の宗教勧誘を思い出して、ユウキはやや憂鬱になる。
ひどく頭が重い。
その時よりも、今の状況がより厄介であると分かる事の所為で。
なぜなら、目の前の純白の魔人は、事の真贋はともかく、神を騙るに相応しいだけの能力を本当に持っているからだ。
『戦国online』にて上杉は不沈。関わるなが合言葉だ。
ならば、このイレギュラーな出会いは戦を止めるのが最良の選択肢であるはずなのは間違いない。
ただ、ユウキにはこの場を後にする選択肢はない。
小笠原にとって、この諏訪をめぐる緒戦がひとつの天王山なのだ。
それに上杉謙信は最強であるが無敵では無い。弱点だって勿論ある。
「あいつ、戦は強いが馬鹿だからな」
その台詞は川中島の対峙の際。対岸で互いの姿を視界にとらえた瞬間、増水した川に一直線に突っ込み、そのまま流されていく謙信を見ながら不倶戴天の敵の言ったとされる一葉である。
そう、この違和感の原因はそれだ。
上杉と武田は同じ天を戴けない。
義将と謀将。
平氏と源氏。
龍と虎は決して並び立つことはない。
だからこそ、分からない。
だとしたらなぜ、武田側の勢力から、その怨敵の親玉が出てくるのかである。
全くもって訳が分からない。ユウキは混乱していた。
ユウキの知る上杉謙信が武田に組みするなんてことは天地が逆さになってもあり得ないことだった。
ユウキにとっては、この『塩尻峠の戦い前哨戦』は都合六度目の史実イベントになる。
ユウキがこの和風VRMMOを始めたのは、高校に入ったばかりの頃だった。もう五年も前になる。
中部地方の史実ベースの戦としては最初に設定されている為、サ-ビス開始と同時に物は試しと、とりあえずその当事者である小笠原に仕官してみた。
諏訪が武田の勢力下だと知っていたら、そちらに仕官していた程度の軽い気持ちである。
意気揚々と参加したその戦いは大惨敗だった。右も左もわからないプレイヤー一人で戦局は左右されない。
生来の負けず嫌いのユウキに火を付けた。
装備を整え、部下を調練し、新しいゲームが始まるたびにこのイベントに挑み続け、勝利したのは四度目の時だった。達成感は何事にも代えがたかった。
その後も、決して強い勢力とはいえない小笠原にこだわり続けた。
その理由は。
「待て、分かりやすい奴だな」
傍らの姫武将の陣羽織のむずと掴み、歩みを止める。
案の定、彼女の馬は白の少女の元へ向かおうとしていた。
小笠原湖雪斎長時。
紫の髪の隙間から覗く灰褐色の瞳は不満げ。子供みたいなやつだなとユウキは思う。
君主としては致命的に感情が表にでてしまうのが湖雪の欠点の一つである。
だが、そんな腹芸のできない不器用さをユウキは好ましく思っている。
どうにも危なっかしくてほおっておけず。敵陣に突っ込む時は誰よりもそばに居続け、滅んでは流浪に付き添い。ついには王配のポジションにおさまってしまった。
「大将の一騎打ちとか、いつの時代のどこの演技の小覇王かと」
当世にそぐわない、おかしな口上に、さも当たり前に呼応しようとする麗しき単細胞をそう窘める。
先程の謙信と湖雪は相性が悪いというのは訂正しよう。たぶん、同族嫌悪かなにかであろう。
武の一文字に対して湖雪ほど実直な人間は存在しないという確信がある。
だからこそ、ユウキは軍神が相手とはいえ一対一では負けると思はない。
しかしながら、全くの無事で済むともまた思っていない。
それに罠の可能性も考えられる。
上の立場であろう謙信は他意なく真っ直ぐでも、下が何を画策するかは分からない、ユウキ自身がそうであるように。
今後の武田本軍との戦いに備えねばならない小笠原の戦力には少しの傷も許されなかった。
その為に、此度は諏訪を真綿で首を絞める様に迂遠な軍の動かし方をしたのである。これは大きな賭けだった。
結果として、西諏訪の軍が、史実の時計よりも速くこちらに転んだのは上々の釣果であった。
湖雪の武力を信じているとはいえ、勝つにしても謙信にぶつけるのはリスクがでかい。今後のためにもまだ、大人しくしてもらわないと。
「いい歳なんだから、少しは落ちつけよ」
「なっ!そなた!」
密かに日頃から気にしている事であった。25歳。4つ下の者に言われ、羞恥と怒りが織り交ぜられた感情により朱に染まる。
「少しはどっしり構える事も覚えろ。何のためにお前の軍師がここにいる」
自分にも他人にも厳しい故に人気がない。多くを語らず、ただ先頭に立つからこそ信頼を得られると愚直に考えている。
それは間違っていないとは思う。
大将が先陣に留まる事の有用性は、「武者は犬ともいえ、畜生ともいえ、勝つ事が本にて候」の言葉で有名な教訓大好き朝倉宗滴も言葉を残している。
黒田長政や蒲生氏郷など。進んで前線に身を置くことで、強固な家中を作ってきた大大名もいる。
信長もここぞという戦では自ら槍を取って、勝利を手繰り寄せていた。
ただ、それだけで信頼は得られない。文武に優秀すぎる先代に対して武はともかくデスクワークや器量は贔屓目に見ても一枚も二枚も落ちる。
努力だけでは差は埋まらず、それどころかクレパスの様に失望の穴は広がるばかり。
それはある意味仕方ない、中興の祖に対して二代目の評価は低くなるのが世の常だ。
覇者である徳川然り、摂理のようなものである。他の例で言うと尊氏と義満に挟まれた足利将軍家の二代目の名前がすんなり出てくる人間はどれほどいるであろうか。
その侮りを裏返すには、必要な物はただ結果だ。家中の統制を、ひいては信濃の主導権を取るためには先代を目に見える形で越さねばならない。
だから、不気味な不確定要素があろうともここでの仕切り直しは出来ない。次は許されないのだ。
ユウキは胸を張る。主君の足りない部分は、史実には無い要素であるプレーヤーが補えばいいと。
「放っておいても西諏訪の連中辺りが突っかけるさ。向こうも信用が欲しいからな。だが、あれは生半可な強さではない、その強さをひけらかしてもらったうえで、こちらの力を示すことで頭をおさえるぞ」
目の前の戦い以上に視点の広がらない湖雪にとって周到な介添えは何よりも貴重だった。
ユウキの目算は五度の暦の経験に裏打ちされている。
日和見に徹している高遠頼継を引っ張り出して、村上が東信濃を押さえれば武田とだって十二分に渡り合えると算盤をはじきだしている。
しかも、謙信をいまここで打ち取れたなら、村上も後顧の憂いも無くなり前面に軍を集中できる。
獲物は謙信といえども、両の爪も牙ともいう武将もいない、兵という鱗すら身にまとわない丸裸の龍だ。あわよくば打ち取れるかもしれない。千載一遇、この機会を逃す手はない。
不器用な主君と小笠原の命運を手放せないユウキは命を天秤にかける価値がこの一戦にあると考える。
手綱を握る掌が緊張と期待にじわりと滲むのが分かった。
「わかった」
じっと、湖雪は目を見つづける。誰彼にも恐れられても、軽んぜられても、目の前の相手を真っ直ぐ見る事から逸らさない。きまりが悪いと人間は誰もが目を逸らす。そこにあるのは拒絶かはたまた断絶か。それは幾度となく湖雪をきずつけてきた。
それでも、人に向きあい続けるその愚直さにユウキは惚れたのだ。
だから、ユウキだけはその信頼にこたえるために、愚直な視線を真っ直ぐ見返す事をやめない。
ふたりの世界はそれで全て通じる。
えっほん、おっほんと家老の咳が聞こえ、ばつが悪そうにふたりは馬を離した。
まぁ、時と場所だけは考えるべきである。
(弐)にちらっと存在していましたが、これで今回の役者が全て揃いました。




