イベントボス戦はじめました
肩近くに結わえていた髪の紐を解く。銀の髪はするりと、重力に囚われ肩口に流れる。
緋色のそれを咥えつつ、ポニーテールに結び直す。
ざっくばらんに纏められていたものを、硬くタイトに締めあげる。
それは、貴志がギアを入れ替えた証。
薄くかいた汗が、初夏の日差しに光る肌に一筋流れた。
色気をどこかに置き忘れて成長してしまったコイツもどうも、首から鎖骨にかけてのラインだけは妙に艶めかしくて、どうも調子が狂う。
銀糸の束を縛り終えると、頬を勢いよく叩き、キリッと正面遠くの敵の姿を見据える。
寝ても覚めても騒がしいこいつ。静かに、まるで祈るかのように口を噤む。
非日常。それだけで、空気が一段と重さを増す。
トントン、とその場で小ジャンプを繰り返し、リズムを整える。目を閉じ、最後に深呼吸をひとつ。
開いた瞳は、集中を示すように、刃のように鋭い。戦意は、ここに定まる。
広いスライドで貴志は駆け始める。僅か二歩でトップスピード。リアルで百Mを十二秒フラットで走るそれは、ゲームのアシストを受けてさらなる加速をする。
行く先は正面の敵ではなく俺と蓬の後方に。目標は、最初蹴り飛ばした石の塊。
大きな歩幅のまま左のつま先で引き寄せ、右のアウトサイドで、自分の右肩を通過させるよう背後にかちあげる。そのまま自身は石の軌道と逆周りに反転する。
「奥義!ゴールデンファルコンシュート!」
極めて元ネタの分かりにくい必殺技を叫ぶ。
落ちてくる石の上部を、かぶせるように足の甲で、文字通り蹴り飛ばす。
ドゴン!と火薬を満載した壺に火をつけたみたいな音が轟く。
人の頭ほどもある石は、落下のベクトルを利用したドライブ回転がかかり、中空に輝く放物線を描く。それは、黄金の絵筆で描いた輝ける虹。
「素手が駄目なら、道具を使えば良いぞ」
そんな使い方は普通人には出来ません。あと道具というかはわりと審議が必要だ。
ただ、それは間違いなく打撃ではなく砲撃と判定される。
うん、やればできる子。ネアンデルタール人よりは賢そうだ。
黄金の流星は、真昼の青に尾を引き、寸分たがわず大将首に直撃した。
ドォォン!!
二度目の轟音。
重装備の武者5、6人でも纏めてふっとばす、弩級の弾丸の威力を正面から受ける。
そのまま石は天高く勢いを殺せず跳ねあがったのが、でたらめな威力を物語る。
追撃態勢に入り、虹を架けた方向にまた全力で駆けだす。
しかし、今度は加速が鈍い。疑問の答えは表情に現れる。
「マジでっ!」
リンゴとハチミツが恋してできたカレーというものを知った時の驚き方にそっくりだ。口元が◇になっている。ただし、瞳は少しも期待に輝いてない。
目標の現状は、ただの一歩後退しただけ。
「うわー」
俺の打ち掛けが肩からずり落ちる。本当に武田さん所は本当にドンビキですわー。あれ、ユニークじゃなくて、一般モブ武将なんだぜ。
打撃の耐性が高いだけではなかった、劇的に打たれ強い。ひょっとしなくても物理耐性は全部高いのではないか。
実はあった体力ゲージの三本目の端が数ドット削れただけ。
ちなみに体力のロックが外れてから、アクティブキャラの頭上に技力のゲージと一緒に表示されていたんですよねー。目を凝らすと表示も見えるMMO仕様。
しかしながら、何度見直そうが、不意打ちと合わせても、悲しいくらい減っていない。
「ヨシ!BOD!」
足は止めずに、符丁を言う。
『Battle of Dunkirk』の略。日本語に直すとダンケルクの戦い。世界史上最大の撤退戦。ナチスドイツの電撃戦で追い詰められた連合軍はパ=ド=カレーに殿軍を残し、武器を放棄し、フランスからの撤退を敢行、人的資源を温存することに成功した。うんぬん。
戦国なのに、割と関係ない横文字符丁は、良くパーティを組んだ、スカしたプレーヤーの趣味だ。
戦国的に言うなら、関ヶ原で大敗した石田方西軍に所属した島津家。
大将である『鬼石曼子』島津義弘を生きて薩摩(鹿児島県)に返すために、少数ずつ部隊を切り離し、死兵として立ち塞がらせた。捨てがまる。座禅陣とか呼ばれる大将を生き残らせるための最期の手段。
少数の犠牲を出してでも、未来へ反撃の可能性を残す一手。
よくゲームで使った、慣れた手だ。そうそれは、ゲームだからできたわけで。
数えるのも億劫なほど何度も失敗した。敵の大群のどまん中に撤退をきめてしまい全滅した事もある。
今はもう、犠牲なんて肯んじ得るわけなどない。万に一つの失敗も許されないのだ。
ダッと、先ほどよりも短く高い放物線で、跳ね返ってくる石に向かって跳び上がる。
オーバーヘッドキックで再度ぶちかます。身体能力の枷から解き放たれた貴志はデタラメなまでに強い。
しかし、ゲームである以上、その特権は彼女一人に許されたものでもない。根本の突然のデスゲームへのルール改変自体ははどんなに不公平なことでも。確かに課せられたルールそのものは平等には作用する。
大侍は避けもせず、逆に兜を突きだす。
鈍い音と共に、そこに当たった石は真っ二つに割れ、足元に空しくなる。
運動エネルギーって知っているかと小一時間問い詰めたい呆れる所業。
敵も、また怪物。
物語の悪しき怪物劣らない不死身の侍はゆっくり腰の物を抜き、両手で大上段に構える。
四尺(約120cm)程の大太刀。この男に誂えたように似合うにもほどがある。
おーい、火縄銃が普及してくるまで、鎧は薄いから、両手持ちの刀は普及してなかったはずなんですけど。適当な時代考証やーめーてー。
貴志も、鉄甲で捌くのを早々にあきらめ、足を使った回避に専念しようとする。
「参るぞ、娘、オオオオオオオッ!!」
大上段から、春雷の様な一撃。重く、あまりに速い。幼なじみはサイドステップで回避しているが、その軌跡は俺には見えなかった。
地面に中ほどまで、刀身がめり込んだ。
まるで死の塊が入った水甕をひっくり返したとでもいうようなあきれる豪剣。
「オオオオァアアア!!」
伝説の剣みたいにささってしまった刀を、意にも介さず地面ごと、逆袈裟に跳ね上げる。
「せいぜい足軽大将かそれ以下だろ、なんでこんな」
ギリと、奥歯をかみしめる。用意が万全であれば、いくらでも手の打ちようがある。
貴志は嵐の様な連続攻撃を、マタドールのように鮮やかに回避していく。
それでも、その一撃一撃の潜在的な威力に、表情は険しい。
「ああもう、足手まといだっつてんだぞ!馬鹿!さっさと逃げろ!」
避けながらもこちらを一瞥すると、どなり散らした。さすがにサッカー部視野広い。
あと、馬鹿に馬鹿って言われると地味に凹む。
「ふざけんな!馬鹿はお前だ!みなまで言ったら符丁の意味ねーだろ!」
またもテンプレ通り言い返す。
「いいから、後ろを見ろ!」
その言葉に、振り返ると。
びくっと、怯える水色の瞳。
震える指先。棍を一繋ぎに直し、支えにしていた。折れそうなほど弱い誰か。
どんなに気丈でも、戦闘に耐えうる実力があっても、初めての戦場。
どうしようもなく死というものの気配を色濃く感じさせる敵に、心が竦んでしまったのだろう。
呼吸が荒い。すっかり混乱してしまっている。
「順番を、間違えるな!」
ぐうの音も出なかった。
嫁の手を握る。強く。
しかし、俺のこの手は彼女よりも華奢でしかない。何故、今の俺は無力なんだろうか。デスゲームが始まり何度目かもわからない後悔をする。
手の熱が安心を伝えたのか、守るべき人の瞳がじわりと潤むのが分かった。
「もう、判断遅いよ!今日ミス多すぎだぞ!」
「悪りぃ」
大太刀との間合いを調整しながら、こちらから離れるように敵を誘導していく。
「だから、後で説教追加だかんな」
「……ああ、後で、必ず約束だ」
羽毛一枚分でも心の重さを、取り除こうというこいつなりの気遣いだった。
「心配なんてこれっぽっちだってない、ボクは約束にはうるさいからね」
「嫌になるほど知っている」
引いた手を、離さないよう握り、友に背を向けた。




