武田菱
「頭ぁ、こ、このガキども強ぇえ!」
残る三人の兵が慌てて、未だ座るままの侍の元に集まり、陣形を整える。
「ふあーっ。退屈であくびも出るぞ。さあ次はだれだ」
いかにも眠たげに眼を擦りながら挑発する貴志。
「今のボクは強いぞ。だって、パンツがあるから、恥ずかしくないもん」
その台詞はギリギリだ、いろんな意味で。
「うぅっ、一千貫」
味方の蓬が追加スリップダメージを受けている。
構えた棍の先が小刻みに揺れていた。
そんな中、敵の大将は味方の失態に眉一つ動かさなかった。悠然と握り飯を喰らいつづける。
味方が、やられる様子も気にも留めず。ただ、己が腹を満たす事のみを行っていた。
そして、周りの三人を一瞥して一言。
「弱き者はいらぬ」
巌の如き声でそう述べる。
「ひっ」
慌てて、大将のそばから離れる。恐怖で統括するタイプか。
落ち武者の大将は立ち上がる。長身の貴志より頭一つ分以上でかい。それは二メートル近い体躯という事だ。
この時代でいうならば、比肩するのは藤堂高虎、そして浅井長政や長政の血をひく豊臣秀頼ぐらいしか思いつかない、まさに天を衝く大男である。
傍らにあった兜をゆっくりとした動作で被る。
室町風の大兜。
菱形を四つ組み合わせた紋が目に入る。ごく見慣れたそれは。
「武田菱」
戦国最強を論じるときに必ず登場するその見慣れた形。
甲斐の国(山梨県あたり)の大名、武田家の家紋。
日本屈指の強兵と、綺羅星のごとく良将が多い、統率に優れた勢力である。
組織としての特長は国人の寄り合いである連合国家を完璧にコントロールする君主・武田信玄のカリスマ性にある。
歴史を紐解いても、バラバラになりがちな連合国家を、個人の才覚を接着材として機能させたのはユーゴスラビアのヨシップ・ブロス・チトーほか数名くらいしかいないのではないだろうか。
ああ、これはあくまで個人的な所感ということを伝えておく。
信玄の最大の武器は人の業や慾を利用した離間工作。
人の弱さをあぶりだし利用する性格の悪さは殆ど芸術である。
今の世にも名が広く残る日本史上屈指の英雄ではあるが、欠点や問題も少なくない。
その場しのぎの外交で対外的な信用が低い事。
冷徹な人間性。
後継者を決めきれないまま亡くなった事。
戦で敵を徹底的に叩かない事。
本拠地の甲斐も耕作に適した平野が少なく、海に面してない為、塩の供給を他国に頼らざるを得ない事。
一昔前の時代では、まさかの新幹線の通ってない地域だしな。
リニアはやいとこガンガレ、超ガンガレ何て頃もあった。
とまあ、アンチも多く、毀誉褒貶さまざまあるが、間違いなく時代指折りの強者であった事には、だれしも異論はないだろう。
ゲームの補正も結構優遇されている。
リアルでは存在の怪しい最強武田騎馬軍団はゲームでは完備。
中核の赤備と同数で、ぶつかれるのは、上杉の軍神が騎馬隊。
立花の三千は他家の一万に匹敵すると言われた豊後(大分県辺り)の雷神麾下。
負け戦の時の家康率いる三河武士くらいのものだろう。
時代の幅が広くて全員揃った事がない事に定評のある、信玄を含めた幹部・武田二十四将も、ゲームの進行次第では、殆ど揃って出てくる事もある。
『ひどいオールスターを見たwww』というスレに書かれた地獄の様な現地レポは、いまだに『戦国online』史上の語り草である。
熱狂的なファンが多いゆえに、プレーヤーも多く家臣団に入るし、君主である信玄の固有技能で、戦時の補正も強力かつ、平時の内紛が起こりにくい。
滅亡の一端となった、全方向の勢力に喧嘩を売る風見鶏外交も、なんのその。
天下統一こそ経験のないものの毎回ゲームの最後の方まで生き残っている。
目の前のあれは、そんな武田の兜首である。
どんな弱小の大名家にも、家中随一と称される陸戦型の戦闘マシーンのひとりやふたりは必ずいる。
一人で戦局をひっくりかえす冗談みたいな戦力。リアルなんとか無双。
味方の士気を鼓舞し、敵を畏怖するモンスターなサムラーイさん。
大将首と当たる時はどんな優勢でも決して油断してはならない。それは当時の世の、そして『戦国online』でも不文律である。
しかも、戦国指折りの修羅の国である所の甲斐の盟主武田には、そんなのが人山いくらのダース単位でいらっしゃるんですよ。
間違いなく、こいつも、戦場であったら全力で回れ右をしなくてはならない人達の一人であるはずだ。
「やれやれだ。昔から、武田に関わると碌な事にはならないんだよな」
ため息一つ。それは思った以上に深く大気に溶けた。
碌でもない思い出がある。満面の笑顔で、真っ向から突撃。
初ゲーム時にうっかり仕えてしまった戦大好きっ子君主を思い出す。
脱落した者は基本的に死ぬからのう、私の後に離れず続くのじゃ、わっはっはと武田騎馬軍団に正面から強制的に突入させられた悪夢がよみがえる。
俺は地獄を見たんだよ。
初夏なのに、背筋に冷たいものがダラダラと流れた。
「おまえ、武田の先遣隊か」
歴史の年表的にはこの場にはいてはならない者。少なくてもゲーム開始時の今はそのズレは殆どあろうはずがない。
落ち武者とあったから、まず違うはずではある。その辺りくらいはフェアであって欲しいという心情がついポロリと零れてしまった。
アルプスをはるばる越えて武田四天王の山県昌景が飛騨(岐阜県北部あたり)に攻め込んできた事もあるが時代は下る。
現在は、信濃(長野県)にかかりきりだが、歴史通りに展開しないのがゲームなので、その可能性もありうる。
「否。土着の豪族に敗れる弱き主君なぞに仕える義理なし」
おいおい、返答あるとは思わなかった、見かけによらず親切だな。そのまま頼んだら帰ってくれないかな。
軽く言ってくれちゃっとりますが武田は弱くはない。
武田信玄の成績に刻まれた敗北の数は諸説あるが、俺の目算だと決定的な敗北は二つになる。
引き分けが多いとはいえ、くぐりぬけた戦の数を鑑みるに驚異的な勝率である。
ただ、その二敗が今この場に祟る大問題。
では、誰につけられたものであるか。実は、同じ相手である。
最大のライバル『軍神』上杉謙信―――否。
天下人『第六天魔王』織田信長―――否。
戦国の覇者『神君』徳川家康―――否。
日本一の出世頭『太閤』豊臣秀吉―――否。
武田キラーとまで言われる『北信濃の覇者』村上義清その人である。
年若い信玄は、彼の前に二度決定的な敗北を喫した。
その一度目が、ちょうどこのゲームの開始前の一五四八年二月『上田原の戦い』である。
家督を親父から強奪して以来連戦連勝、破竹の勢いで駆けあがった武田信玄こと晴信(出家前なので)は、この老練の豪将にぶつかり高い授業料を払う事になる。
只の負けではない。
両輪とも言うべき、股肱の臣である家老、武田二十四将が板垣信方、甘利虎泰を打ち取られる。
この他にも、様々な戦いで、名のある将がこの村上義清の前に失われることになる。
ただ、逆に言うと、この大敗北を糧にここから、信玄の覚醒ははじまったのだ。
「太郎晴信に国を束ねる器量なし」
太郎とは武田嫡男の代々世襲する幼名。こいつはとことん主をなめているらしい。
先代、武田信虎の戦は鬼神のごとく強かった。
しかし、その性は傲慢で暴。
それでも、心無きもののふといえども、残した結果は圧倒されるものだった。
だから、無理やり隠居に追い込んだ信玄に先代から寵愛されていた臣は、確かな不満を抱えていただろう。
勝ち続けている間は良かったが、大敗で不満は一気に噴出したはずだ。
この時期には圧倒的カリスマも未実装の若造一人。
それこそ武田が滅んでもおかしくない程の打撃になり得たかもしれない。
こいつもそんな主を見限ったのだろう。
「我が天に昇る竜となり、覇を唱えん!」
怒号と共に、大気が緊張する。体感していた温度がすぅとさがる。
これは、緊張から来るものではない。
『戦国online』には五行に則った属性がキャラクターごとに設定されている。
折にふれたが俺こと桜姫は〈水〉。蓬は〈木〉といったように、相生や相剋に則り戦闘では相性もある。その影響は少なくない。
NPCなら、AIの性格にもかかわってくる事も多いので部下の把握にも役に立つ。
例外に五行にない他の思想体系の〈風〉と〈空〉などもあり中には〈五行〉なんてふざけたのもいるが、それぞれごく希少であり。
物を冷却するという性質から判断すると。こいつ属性はおそらく〈金〉だろう。
戦場でのおおまかな特徴としては、冷武器(銃や大砲などの火器に対して金属製の武器)の扱いに長けている事。
直接の攻撃力や、防御力が高めに設定されて、状態異常にも強い半面。術系の耐性は低い。
柔軟性にはかけるが、逆に言うと、戦力としては安定していて戦場を選ばないということだ。
蓬が一歩下がる。腕っ節もあり、気丈とはいえ年のころはまだ十三。敵将が放つ覇気に、不安げに目を細める。
その前に割って入り、不埒な視線から嫁を庇う。
「では、問おう。なぜ信濃より出でしか!」
ゆっくり左右に両手を広げて、耳目を引き付ける。こういう時巫女服は映えるなぁ。
「南信濃の諏訪地方は郡代である筆頭家老の板垣信方が戦死して空白」
信玄自身も負傷。僅かな兵を残して、武田本国にもどり、療養中。好機以外の何物でもない。
「切り取る自信無き故に、こんな僻地まで来たのだろうて」
半身になり、天に掲げた、右の指を突き付ける。扇があればもっと絵になったんだろうなと、横目で、吹っ飛ばされたそれを、未練がましく垣間見る。
「その性根。負けた戦場に踏みとどまる武田晴信の意地にも劣る」
半死半生のボロボロの状態で国元を空け、戦場に村上義清の軍が撤退した後も居座った。
戦国には勝った軍がその戦場に最後まで残る風習がある。負けてないとやせ我慢で、対外的にアピールしたのだ。どこか、子供っぽい意地の張り方は今後の彼の在り方でもある。
「志無き者に、天下を語る資格なし」
五本の指を開く。大男に対して、歌舞伎の見栄を切った形になる。
背後から感じる、うっとりした熱視線がすごく気持ち良い。
「ほう、よくぞ言った。その―――」
「どぉすこいっ!」
口上の途中で、必殺のとび蹴りをぶちかます貴志雛姫十五歳。
閂ごと門もぶち抜く人間砲弾。
俺の派手な動きは陽動であり、貴志への合図だった。ブロックサインは練習済み。
はん、スポーツマンシップなぞ、余裕あるものの贅肉だ。
人数の足りないワンパーティだけでボス戦闘とか狂気の沙汰なのに、しかも武田だぞ。正面から付き合ってられるか。
「ひ、卑怯な!」
遠巻きに見ているすっかりモブとかした落ち武者雑魚も動揺した。
チャンスだ、一気にたたみかけろ相棒。
「ええええええぇ!ずるい!」
って、味方の蓬さんまでカルチャーショックで動揺していた。
礼を重んじる人間だからね。さっきも、やあやあわれこそは的な名乗りやってたし。
「ずるくない。油断悪い。卑怯違うこれ武略」
片言で説得にかかる。安全第一。他は二の次、三の次。尊厳だけじゃ、お腹は膨れないのである。
「うー」
じと目で見てくる。腑に落ちてないですと林檎色の柔らかいほっぺたに書いてある。
ああ、さっき上げた好感度がマイナスになったかも。へこむなぁ。
「あいやー」
変な掛け声を出して、馬鹿は突っ込んだそのままに、勢いよくバク転をしながら戻ってきた。
「なにやってんの、お前」
俺の隣でピタッと止まると、ぼそぼそっと小声で伝えてくる。
「ヨシやばいぞ。相性が悪い。打撃が通らない系だ」
岩をゴムタイヤでコーティングしたような手ごたえだぞとかなんとか。
属性が〈金〉だった時から嫌な感じしていたが、打撃耐性が極端に高く設定されているみたいだ。
だから、武田は嫌いなんだ。チート野郎いすぎ。
事実、兜首は微動だにしない。まるで南大門の仁王像のごとくただ佇立している。
「ダメージどころか、口上の続きをいっているし」
呆れた頑丈さだ。
「その力、その物言い気に行った。この地に、今こそ国を起こす。我が力になれ」
「だが、断る」
テンプレで返しておいた。
さあて、ここからが本番かな。
現状、打撃系が二人と役立たず系が一人。
変化をつけようにも、現在蓬はもう一つの戦闘技能の弓を装備していない、貴志は戦闘スキルを一種類しかセットしていないので幅が狭い。
いやになる手札だなぁ。
マリガンしては駄目だろうか。
伏線を張る作業中。近場のですけどねー。一段落したら、大きな物語の風呂敷広げるつもりでし、たためるかどうかは別の話。




