相棒
「おい、弱い者いじめして楽しかったか」
「楽しくないよ」
今にも歯ぎしりをしそうな貴志の声。銀色の髪は気落ちしたように、重く見えた。
「楽しくなんかあるもんか。ボクは勝負事が好きだから、ここも気にいっている。デスゲームだって、生きるために戦うことはボクらがやってきた事だからなんでもない。これからキミとどんな事をやるとしても、ボクらも命を懸けるている以上、ボクはそれを肯定しよう」
「だけどね、今のはただの暴力。自分が傷つかない事を知っていて、自分の意思を弱者に強要するためだけに使う力だ。楽しいなんて思える奴はおかしいんだ」
吐き捨てるようにそう言った後、俺の眼を射抜くように見る。
「でもね、そういうのが楽しいって思う奴はいくらでもいる事を知っているだろ」
握られた彼女の拳。未だ覚めない怒り。
「理不尽で、不条理で、傲慢で、残虐で、悪意に満ち満ちている奴がいる。そうなってしまう人もこれから増えるはず」
力を持てば振いたくなるのが人の性。力を持って人を屈服させる優越感。その魅力の果実は逆らい難く、芳しくも甘い。
「知っているよね、弱さはそれだけで罪だ。ボクとキミが初めて世界から教えられた事。そして、今のキミはこの世界の誰よりも弱い。それをはっきり自覚しておいてほしいんだ」
「お前なぁ、そんなん口で言えば済む事だろ、行動がいきなりかつ極端すぎて訳分からん!」
初めから、そう言え!ボコボコされた事の意味の無さに目眩がする。
何のためにその向日葵みたいに大きな口が付いているのか。
「違うよ、キミは言っても分かってくれないぞ。ボクは馬鹿だから言いくるめられて終わりだ」
威風堂々胸を張る。だから、肉体言語で訴えましたって、どれだけ脳筋なんだ。どこの張飛だよ。そして、なんでそんな自信に満ち溢れているんだ。
「だいたい、先にけっとばしたのはそっちじゃないか。なのに自分が殴られたからって文句言うのは変だぞ」
背中にくっきりあとの残る草鞋の痕を見せる。
そういえばそうでした。
ハンムラビ法典的には、理不尽どころか、ぐうの音も出ないほどの正論だった。レートがホワイトデー並みに上がってはいたけどな。意趣返しとしてはすごく正しい。
「悪い」
とりあえず、非はなくもないので形だけは謝っておく。
「分かればよろしい」
鷹揚に頷かれるとイラッとする。
「一応、弱いうちはお前が守ってくれるだろ。せいぜいお前の背中で逃げ回るさ」
なんとも男として情けない発言。聞いていた貴志もさすがに苦笑する。
「うん、あの時の約束だ。もうボクは膝を抱えて震えているだけの子供じゃない。ボクはキミを守る力がある。もちろん、蓬ちゃんも守るぞ」
「ああ、頼む」
「でもさ、問題なのが、ボクより強い奴がゴロゴロいるということなんだよね。出来ることにも限界はあるんだぞ」
「分かっているよ、そんなこと」
こいつも、そして俺が元のデータであろうとも、トップユーザーではないのだ。MMOは上にはどこまでも上がいる人外魔境の伏魔殿なのだ。
「いいや、ヨシは分かっていないよ。どうせ、キミは弱くても誰かのために、能力以上の無茶をやる。ボク自身はそれについてはとても感謝しているけど」
そこで、ふと言葉が途切れる、それでもそれを口にするのに一瞬にもみたない逡巡だった。
「さっきさ、ボクがヨシや蓬ちゃんで抱きついた時ハラスメントコードの警告が出なかった、これがどういうことか分かるよね」
その言葉は、こいつから聞いた幾千万の言葉よりも強く重い響きを持っていた。
神経にナイフを刺しこまれたような悪寒が背筋を貫く。目の奥が痛む。胃の奥から酷い吐き気がする。じくじくとそんな全身に異物感は手を広げていく。
「戦国時代は奪い合いとキミは教えてくれた。力を持って、地位を、名誉を、土地を、民を、命さえも奪いあう狂った時代と」
何時だったろう。そんな話をした。そこに、人の命の輝きがあり、美しい英雄譚が謳われ、そして、どうしようもない悲劇が生まれる。そうこいつに伝えた。海の向こうの話より遠い物語だった。
「そんな逆らいようのない力で、蓬ちゃんやボクが傷つけられたら」
全身の毛が逆立つ。生まれてこの方、閉じていた深い怒りの蓋が動く音がした。いまにも黒いペンキを塗りたくったなにかが這い出てくるような気がした。
「もしかしたら、今のヨシ自身だってそう言う事になるかもしれない。だから、決して優先順位を忘れないで、忘れて無茶をしそうになったらボクは止めるために、また殴るよ。でも、できれば二度とやりたくない。ボクは喧嘩も対等でありたいんだ。だから、今日の痛みの理不尽さは忘れないで」
「…………」
「キミはこれから早く強くならなきゃいけない。今のヨシでは、使える手が限られる。キミは今、中途半端に有能な奴なんだ」
「そういう奴は一番のカモ。いつもキミの言っていた事だよね」
「それじゃ、あの約束は破ったも同然じゃないか。ボクはキミを守るよ。でも、今のキミはボクを救えるかい。ボクはね、これでもキミにすっごい怒っているんだ」
「ごめんな」
ようやく、俺の口からはそんな短い言葉だけ出てきた。
誰よりも人の痛みに敏感なこいつに無粋な事をさせてしまった。
「俺がゲームに誘ったから、お前までこんな事になってしまって」
「は?なんで?ヨシの所為じゃないじゃん。ボクが決めた事だ」
「でもな、お前の夢だった日の丸に手が届いたところだったのに」
サッカーU-17なでしこ日本代表。両親が不慮の事故で亡くなったあと歯を食いしばって生きてきたこいつのつかんだ人生の大きな勲章。
俺はこいつの努力を知っていた。我慢したもの。犠牲にしたもの。やっとの思いで踏み越えたもの。その輝きは無くなっていく。
この世界で長く時を過ごすほどに、どうしようもなく失われていくものはある。
「そんなのまた、頑張ればいいんだぞ」
それでも、こいつは事もなげに言う。まるで、大したことではないように。
MAXまで上げたセーブデータがLv1になっても、また上げるという。
もう、変なたとえだねとあの頃の幼い少女はもう笑える強さを知っていた。
「でも、そういう努力もボクは好きだな」
まぁ、ドMだしな。
「悔しい気持ちは、そりゃあるよ。ボクに負けた人も浮かばれない。でも、いま、ヨシの隣にいなければボクは死ぬほど後悔した」
拳は白くなるほど強く握られている。ほら、想像するだけでもう駄目だと。
「……貴志」
それでも、きっとお前を馬鹿な奴とあざ笑うがいる。俺はそれが嫌なんだ。
それを聞いた貴志は、にやりと不敵に笑う。
「だったら、今度はA代表に入ってやるぞ」
高く拳を突き上げる。太陽を掴もうとする様に。
「だから、キミに、えと、責任テンカ?…なんてしてやるもんか、ボクの道はボク決めるんだから」
拳の先にあるものに負けないほど程に眩しい奴です事。
「お前、よくそんな言葉知っていたな」
「むー、なんで茶化すんだよー」
「お前が無茶言うからだ。高校生でA代表とか常識的に考えて無理だろ」
「違うよ、無理じゃない」
瞳に炎が宿る。気高く猛々しい、こいつの魂の色。
「ヨシは知らないかもしれないけどね、昔、日本がワールドカップで優勝した時、10番を背負った伝説の選手がいたんだ。彼女はボクと同い年で代表入ったんだぞ」
「だからボクも絶対なれる。やってみせるよ」
強すぎる言葉で断言する。決めた事は、やり遂げるその強さはただ眩しい。
「まあ、ほどほど頑張れよ」
その強さに半分の感嘆、半分の呆れまじりの言葉をかけた。
「何その投げやりな応援!あのさ、前から、ずっと気になってたけど、ボクと蓬ちゃんの扱い違くない?」
「当たり前だろ、お前はただの幼なじみで、蓬は家族なんだから」
お前との距離感とは異なるさ。
「ぶー、ボクはその差別に腹立たしさを覚える。オーボウだ」
がー、と両手で威嚇してきた。
「家族は増えるかもしれないけど、幼なじみは増えないんだぞ」
「何その暴論」
目がテンになった。
「だーかーら、家族は増えても、大切な気持ちは一人当たりの好きって気持ちは減ったりしないだろ。幼なじみも一人くらい愛してよってこと」
風船みたいに頬を膨らませる。子供かよ。
「言いたい事はなんとなくわかるが、日本語が途方もなくおかしい」
だから、サッカー雑誌に感覚的な選手って書かれるんだ。遠まわしにアレって言われているんだからな。あと、写真取られるとピースする癖直せ、いっそう拍車がかかって見えるから。
「いいんだよ。ヨシがわかれば。ボクはキミを知っている。キミはボクを知っている。それがボク達だ。ボクの守るべき世界はここに全てある」
とん、と俺の胸に何発目か分からないパンチを静かに叩きこむ。
「もう謝るなよ。キミの隣がボクの場所。これまでずっと一緒だったんだから、これからもずっといないのは変だ。頑張ろう、相棒」
遠く在りし日の彼女と同じ笑み。
「わかったよ。相棒」
お互いにひどく懐かしい台詞を口に出した。
理不尽な世界と戦うときめた意思。はじめての誓いの言葉。ふたたび交わす。
そうして、久しぶりの殴り合いは、最後にお互いの拳を合わせて終わりを告げた。
後編になります。話のヒキが、次話で解決しないのは良くないと思います。反省。




