私を愛さなかった貴方へ。私はたくさんの愛を得ました。
下記作の続編です。
「君を愛する事はない」それは私も貴方を愛さないということですが、覚悟はよろしいですね?
https://ncode.syosetu.com/n2981mm/
単体でも読めるように書いたつもりですが、先にご一読いただけるとより楽しめるかと思います。(上のシリーズからも飛べます)
「全部……全部あの女のせいよ……!」
ドワイト・ローズマイン侯爵との結婚からおよそ二ヶ月。
侯爵夫人となったキャサリンは、理想と現実の乖離に苛まれていた。
あれほど憧れたドワイト様との結婚、そして侯爵夫人としての生活。
なのに、なぜ、何もかも上手くいかないのか!
ドワイト様があの邪魔な前妻を追い出してくれたのに――
領民に嫌われ、使用人に嫌われ、愛するドワイト様には外出を禁じられ。
どんどん辞めていく使用人の穴を埋めるために自ら屋敷の掃除までやらなければならない始末。
こんな生活は、夢にまで見た侯爵夫人の暮らしでは無かった。
「フレデリカ様ならねえ……」
陰で侍女がそんなことを言っていたのを耳にした時には、気が狂いそうになった。気がつけば、顔中を腫らした侍女と、痛む手がそこにあった。
「許さない。絶対に、許さないわ……!」
聞けば辞めた使用人のほとんどはフレデリカの元へ集まっているらしい。伯爵家の分際で侯爵家の人材を引き抜くなんて、許されるはずがない!
それは、傍目には逆恨みとしか呼べない、ねじ曲がった激情の渦であった。
しかしキャサリンにとって、それは筋の通った正当な理屈。そう見立てねば、怨嗟に飲み込まれてしまいそうだったからだ。
つまり、それは正気と呼んでよいものか、既に定かではなかった。
「そうよ、あの女にのうのうと暮らす権利なんてないのよ……見ていなさい!」
キャサリンが目に宿す昏い炎は、ゆるやかに揺れながら、少しずつ少しずつ火勢を増していったのだった。
*
「ヘンドリック! お昼にしましょう!」
「フレデリカ様、こんなところまでわざわざありがとうございます」
フレデリカ・アッシュロード伯爵令嬢は、元気に声をかけながら、大きなバスケットを片手に森の中を進む。
伯爵家の娘がなぜこんなところにいるのかというと、新しい家来たちと森の開拓を行なっている真っ最中だからだ。
「他のみんなも! どうぞ」
切り株の上にバスケットを広げる。中にはできたてのサンドイッチが所狭しと詰まっていた。
そこかしこから、男たちが集まってくる。
「みんな、慣れない者も多いでしょうに、力仕事ばかりでごめんなさいね」
フレデリカは、つい二ヶ月前まで侯爵夫人という身分であった。しかし、結婚当初に夫からは白い結婚を言い渡され、二年の月日の後に「円満に」別れ、実家である伯爵領へ戻ってきたのだった。
その後、もとの侯爵家から多くの使用人や領民が、フレデリカを慕い移住を希望してやってきた。
これは、フレデリカが仕掛けた部分もあったものの、彼女が領民たちを愛した結果であり、最終的には彼ら自身の意思による移住だった。
フレデリカは父に頼み、伯爵邸にほど近い街道沿いの森に、新たに彼らの住む場所を作る許可を得た。今はそこを切り開いている真っ最中というわけだ。
「おいしいです! フレデリカ様!」
「全く、最高のサンドイッチだ!」
男たちは気安い誉め言葉を口にする。
毎度のことなのでフレデリカは呆れ顔だ。
「お礼なら作ったアンネやヘレンに言いなさいね。私、持ってきただけですから」
「我らがご主人様に持ってきていただいただけで、味も良くなるってもんです。なあ、ヘンドリック」
「ああ、そうだな」
ヘンドリックと呼ばれた茶色い髪の青年は、パクつきながら笑みを浮かべる。
彼は、かつてフレデリカの片腕であった。フレデリカが侯爵家にいる頃に従者から家令に取り立て、共に領地の経営に邁進してきた。
今ではこの集団の若きリーダー格であり、フレデリカにとって、「片腕」よりも重要な存在になりつつあった。
「私はもう主人ではありませんわ。一介の伯爵家の出戻り娘に過ぎません。皆の主人は、言うなればお父様でしょう」
「そんなこと言われたって、なあ?」
「ああ、フレデリカ様はフレデリカ様だしな」
「もう」
皆の笑顔が溢れる。
フレデリカがそんな冗談混じりの会話を彼らと楽しめるのも、ここに戻ってきたからであった。侯爵家でのフレデリカは辣腕を振るい、毅然とした女主人でなければならなかったからだ。トゲが抜けたともっぱらの評判だ。
この開拓者の集団は、もと侯爵家の使用人が十五名、もと侯爵領民が二十名ほど。今後もっと増えるかもしれなかった。
それだけに、伯爵家に住まわせるにも手狭、街に定住させるにもいきなりは難しいとなり、それなら自らで住処を作ってしまおうという発想に至ったのだ。
なにせ、フレデリカが侯爵家時代に「工夫」を凝らしたので、資金はある。それで人手もあれば、あとは前に進むのみであった。
「ヘンドリック、どう? そろそろ家を建てていきましょうか」
いま、皆は伯爵邸や周辺の街の仮住まいから通いの開拓者をしている。森を切り拓き、地盤を整えている最中だ。
毎日帰るのが面倒という者のための小屋はあるが、暮らすにはもっときちんとした家がたくさん必要になる。
「そうですね、建材も多く手に入りましたし、良い頃かと存じます」
開拓で切り倒した木と建材を交換するように、先日材木商と話をつけたのだ。
「領内だけでなく、周辺領からも職人を集めたいわね。他領への使者の選定はお父様に任せましょう。領内については私が回ります。ヘンドリック、ついてきてくれる? 道すがら都市計画を考えましょう」
「かしこまりました。お供いたします」
こうして、彼女らの計画は、何もかもが順調に進んでいるように見えた。
*
「川から水路を引いて……それから中央には広場が必要ね。ゆくゆく増える人口を考えねばならないけれど、いきなり大きな街は作れない。わかる?」
「はい、短期の計画と長期の計画を分け、しかし、二つが繋がるように考えるべきですね」
「さすがヘンドリック。もう私が教えることもなくなってきたわね」
微笑みを浮かべるフレデリカ。
フレデリカとヘンドリックは、従者と主人であるとともに、師弟のような関係でもあった。侯爵家ではフレデリカがヘンドリックを家令として鍛え上げたのだ。
「いえ、私などまだまだ。ですが、ここまで来られたのはフレデリカ様のおかげです」
はにかんだ表情を浮かべるヘンドリック。
角の取れたフレデリカは、美人で気の良い主人であった。
侯爵家ではほとんど見ることのなかった、その二歳上の美女の笑顔を向けられると、ヘンドリックはまっすぐ目を見ていられなかった。
ヘンドリックは従者として、身分違いの想いを抱いてはならないことは重々承知している。ひとつ咳払いをして、すぐにすまし顔に戻る。
「仲のよろしいことですなあ」
その様子を見ていた、馬車に同席している木工ギルド長が笑う。現場視察のために二人が連れてきたのだ。
「あら、もちろん仲は良いですわよ。ねえ、ヘンドリック」
「ええ……はい」
歳上の余裕なのか、フレデリカは冗談ともつかないことを言う。否定するのもおかしいのでヘンドリックも肯定する。
「それで、大きな屋敷が一軒に、普通の家が十軒でしたな。土台のために石工も必要だし、このあたりじゃ久しぶりの大工事になる。職人の用意はできるのですかな?」
「ええ、もちろん。近隣の諸侯に依頼してお借りする手筈よ」
「かしこまりました、では準備に入りましょう」
ギルド長はうやうやしく頭を下げた。
*
フレデリカ。フレデリカ。フレデリカ。
また、今日も私の邪魔をする。
あの女の影が、私を馬鹿にする。
風の噂では、私を馬鹿にしながら、私の使用人たちと、仲良く村作りの真似事をして遊んでいるらしい。馬鹿にして。馬鹿にして。馬鹿にして!
キャサリンは、日に日に深く支配されていった。
ドワイトにでも、もちろんフレデリカにでもなく。
己の狂気にである。
「ドワイト様、私、今日はお出かけしなくてはなりませんの」
執務室で書類に埋もれるドワイトに、キャサリンはそう声をかけた。
「どこへ向かうのだ? 家の仕事は終わったのか?」
ドワイトは書類仕事の手を止め、顔を上げる。
「お出かけせねばならないの」
「外出を禁じてしばらく経った。だからそろそろ外出は許可してもよいが、やることはきちんとやったのかと聞いているのだ」
「ええ。それで、これからやらなきゃならないことをしにいくの」
「……遅くなるなよ。出かけるなら供を連れ、馬車を使いなさい。無理にフレデリカのように振る舞おうとしなくて良いからな。領民には寛大に接するようにな」
要領を得ないやり取りが面倒になったドワイトは、それだけ言って書類に再び目を落とす。
――フレデリカ。
「もちろんよ。領民には何もしないわ」
キャサリンは、それだけを言うと踵を返す。
――また、フレデリカ。
ドワイトは、仕事に忙殺され、あれほど愛しているキャサリンを一瞥しかしなかった。
だから、自らの一言が破滅への引き金であったなど、気がつきもしなかった。
その瞳に宿る狂気にも、気がつきもしなかった。
そして、その後ろ手に隠されていたナイフにも、気がつきもしなかったのであった。
*
「遅くなってしまったわね」
フレデリカとヘンドリックは、開拓村予定地で、馬車で帰る木工ギルド長を見送っていた。
計画の共有と現地調査は万全に実施でき、あとは実行に移すのみとなった。打ち合わせが盛り上がりすぎて、ほとんど日が暮れてしまったのだ。
「日が落ちるまでにお屋敷まで戻りましょう。ああ、誰も残っていなかったら小屋に鍵をかけないと。見てまいります」
ヘンドリックは仮設小屋へ向かって小走りに駆けていく。
フレデリカは辺りを見回す。
もう人気はない。今日の作業はとっくに終わっていた。
皆で努力して広げた土地。小屋と資材の山が夕暮れに照らされていた。
「誰か、まだ残っているか?」
ヘンドリックは小屋に入り、声をかけた。
そう広くはない、二間しかない小屋だ。これで十分確認ができる。
手前の部屋の奥が明るい。しかしそちらに人がいる様子はなかった。
「誰か、ランプを消し忘れているな」
そう呟いた瞬間――ヘンドリックの腰のあたりに激しい痛みが走る。
ヘンドリックは思わず膝をついてしまう。
「ぐ……何だ!?」
痛みのあたりを触る。濡れた感触。
これは、血か!
「あら、あなた。誰だったかしら、見た顔ね」
そう言いながらドアの影から姿を現したのは、そこにいるはずのない者だった。
「なぜあなたが……」
見間違うはずもない。
そこにいたのは半月だけ仕えた侯爵夫人、キャサリンだった。
しかしキャサリンはそれには答えず、無言で火のついたランプをそのまま倒す。
溢れた油に火がつき、火勢が上がる。
ヘンドリックは、炎に照らされたキャサリンのその手に、血に塗れたナイフが握られているのを見た。
これは、復讐だ。まずい。
「フレデリカ様! お逃げください!」
キャサリンの目的を察したヘンドリックは、全力で叫んだ。
――恐らくこの女の目的はフレデリカ様。そしてここに潜んでいたということは、我々だけが残っていることを知っていたはず。護衛をせねばならぬ立場で、不覚を取った。
「な、何事ですか……ヘンドリック!」
しかし、ヘンドリックの意に反し、フレデリカは様子を見に入り口に姿を現してしまう。
「あら、フレデリカ。いつもいつも馬鹿にしてくれて。全く困った女。罰が必要ね、罰が」
「え……ええ!?」
うずくまるヘンドリックと、炎を背景におかしなことを言うキャサリンの姿。
フレデリカは一瞬では何ごとか理解できず、身体が固まってしまう。
キャサリンはそんなフレデリカへ、ナイフを手にゆっくりと歩み寄る。
「くっ……!」
ヘンドリックは、痛む身体に鞭を打ち、キャサリンへ脇から飛びかかる!
痛みで十分な勢いは出なかったものの、キャサリンももとより荒事に慣れているわけでもなく、よろめいて壁に激突する。
それで呪縛が解けたフレデリカが、キャサリンのナイフを持つ腕につかみかかる。
「ヘンドリックに何をしたの!」
「く、この……!」
数秒の攻防の結果、キャサリンの手からナイフが落ちる。フレデリカは咄嗟にそれを蹴飛ばし、部屋の奥に滑らせる。
「……チッ! 離しなさい!」
品のない舌打ちをすると、キャサリンはフレデリカの腕を振り払い、扉から駆け出していく。
フレデリカも追いかけるべきかと扉から顔を出すも、森の夕闇の中に駆ける足音だけが遠ざかっていく。
それよりもヘンドリックだ。
小屋の奥を見ると、火が勢いを増している。
もはや、水もなしに消せる勢いではなかった。
「ヘンドリック、立てる?」
一刻も早くこの場からヘンドリックを離さなければ。
絶対に死なせるわけにはいかない!
フレデリカはその一心でヘンドリックに肩を貸す。
「フレデリカ様、失態を……申し訳ございません。そこまで深い傷では無いとは思うのですが……長く歩くのは難しく」
痛みに耐えながら一歩、二歩と歩みを進めるヘンドリックを見て、心配や、怒りや、さまざまな感情がフレデリカの中で混じり合って湧き上がる。
外に出る。
キャサリンは逃げたようで、もはや足音もしない。
「またあの女が戻ってくるといけないから、小屋から離れた資材の影に隠れていて。すぐ戻るから少しだけ我慢していて」
屋敷まで遠くないので、ヘンドリックと歩いて戻るつもりでギルド長に馬車を使わせてしまった。
街道を屋敷まで戻るには、歩いておよそ三十分。
大した距離ではないが、今は時間との勝負だ。
――大丈夫、私ならいける。
フレデリカは、自分にそう言い聞かせると、迷わず脇の森へ飛び込み駆け出した。
この森は、フレデリカにとっては幼い頃から何百回と入り込んで遊んだ、慣れ親しんだ屋敷の裏の森。
――ここを駆け抜ければ、相当な近道になるはず。絶対にすぐ戻ってくる!
ほとんど日も落ちた中だが、張り出した根にだけ気をつければ良い。
川や沼は屋敷までの間になく、危険な獣もこの辺りにはいないことはわかっている。ただ、走れば良い。
「あっ! ……つっ」
そうは言うものの、道ではない起伏のある森。薄暗い中では足を取られ転んでしまう。
しかしヘンドリックを思えばそんな些細な痛みなど気にしてはいられない。
すぐに再び立ち上がり、フレデリカは駆け出す。
「見えた!」
二度三度と転んだ後、ついに屋敷の明かりが見えた。
勢いを増してフレデリカは駆け抜け、屋敷の裏手に出た。
「誰か! 誰か!! 馬車を!!」
その声に、いく人かの使用人が飛び出してくる。
「お嬢様!? そのお姿は!?」
フレデリカは言われて自らを見ると、ボロボロになった服に、血がベッタリとついている。
「これは私の血ではないから安心して! それよりヘンドリックが刺されたの! すぐに開拓村まで馬車を回して! それからお医者様を呼んで! 急いで!!」
「は、はい!」
それだけ言ってフレデリカも表に回り、馬車に乗り込む。
馬を走らせれば、街道を使ってもすぐだ。
「ヘンドリック……無事でいて」
フレデリカは、彼の無事を祈りながら、馬車に揺られた。
*
「具合はどう? ヘンドリック。……ああ、動かないで」
翌朝、伯爵邸。
あの後、ヘンドリックは無事に屋敷に担ぎ込まれ、医者の手当を受けた。
傷は小さくはなかったが、臓器に至るほどの深さではなかったようだった。縫合を受け、安静にすれば当面問題はないだろうということだった。
「痛みはしますが……ひとまず動かなければ我慢できないほどではありません。重ね重ね申し訳ございません。失態を犯しました。フレデリカ様も危ない目に遭わせてしまいました」
責任を感じ、落ち込むヘンドリック。
「いいえ、あんなところにあの女がいるなんて予想できるわけないもの。いったいいつ入り込んだのやら。それに怪我を押して、咄嗟に動けなかった私を助けてくれたではありませんか」
「しかし、フレデリカ様にもお怪我をさせてしまったようで……」
ヘンドリックの視線が、包帯を巻いたフレデリカの手首に向く。森で転んだ時に少し切った場所だ。
「これ? あなたに比べたらこんなのかすり傷よ。本当にあなたが無事でよかった。もしかしたら死んでしまうかもと思って、心底心配したのですよ」
「ご心配をおかけしました。そして、助けを呼んでいただき誠にありがとうございました。ですが次あのような場に遭遇したら、私など見捨ててお逃げください。それがフレデリカ様のお立場です」
「そんな……!」
そこまで言って、フレデリカは理屈としてはヘンドリックが正しいことに気がつく。従者が身体を張り、主人を逃す。それは正しいことだった。
しかし、ヘンドリックを見捨てて逃げることなど絶対にできないというこの想いが説明できず、言葉に詰まってしまった。
「そ、それよりあの女です。小屋は全焼、あなたは大怪我。死罪に値する所業です。しかし……」
「証拠がありません、ね」
「そう。ナイフは見つかったけれど、焼けてしまって侯爵家のものとは判別できなそうだったわ」
「しかし、フレデリカ様はやられっぱなしではいらっしゃらないと」
「当たり前よ。私のヘンドリックにこんなことをして、タダで済ませるわけないでしょう! ……あ、変な意味では、ないですからね?」
自分が言った意味を考えて、思わず赤面するフレデリカ。
「……はい」
そんなフレデリカの素の姿を見て、ヘンドリックも少し赤面してしまう。
少し気まずい沈黙。
「……ま、まあ、任せておいて。もう策は考えているの。『信用』って、こういうときに使うのよね」
フレデリカは、自らと、自らを慕う者の幸せのために、動き出した。
*
「キャサリン、なんだこれは? 中を見させてもらうぞ」
ドワイトが持つそれは、王宮からの召喚通知だった。宛先はキャサリン・ローズマイン。
「はい、どうぞ」
「……アッシュロード伯爵がお前を訴えたそうだ。裁判のための招集だな。領内での放火及び殺人未遂? なんだこれは?」
「何かの間違いでしょう? 私、領地から一歩も外に出ておりませんもの」
平然としているキャサリン。
ドワイトは、記載された犯行日時を見る。
「……この日は、お前が久しぶりに外出して、夜まで帰ってこなかった日だな」
「ええ。領内をぶらぶらしておりましたの。湖を眺めておりましたわ」
それがなにか? と言わんばかりの平然とした顔。
人間、嘘をつけば何か顔に出るものだ。
なにより、キャサリンはすぐ感情を表に出す。ドワイトには彼女がそんなに上手く嘘がつけるとは全く思えなかった。
だから、ドワイトは胸を撫で下ろした。
その平然とした顔が、狂気の為せる技だとは、微塵も思わずに。
「では、一緒に王都に行き、潔白を証明しよう」
*
裁判の日。
フレデリカは父であるアッシュロード伯爵、傷の癒えたヘンドリック、それと幾人かの証人と共に裁判に臨んだ。
反対側には、ドワイト、キャサリン、それとフレデリカも知る侯爵家の馬車の御者がいた。
久々に顔を合わせたドワイトは、フレデリカの方を見ようともしない。
ただ、キャサリンはずっとフレデリカを睨むでもなく見つめていた。
「裁判長、我が妻キャサリンは領内から出ていない。寝耳に水の話だ。これは別れた元妻の腹いせか何かであろう」
裁判長はあくまで事務的に、確認を進める。
「事前に確認した被告の主張の通りである。本人から追加がなければ、原告の主張を確認する」
父に促され、フレデリカが前に出る。
「原告である父に代わり、当事者である私、フレデリカ・アッシュロードが申し上げます。当日の夕刻、私と従者のヘンドリックは、焼失した開拓村の小屋の近くにおりました。ヘンドリックが小屋の確認に入ると、潜んでいた被告人に刺されました。声を聞きつけ小屋に入った私も襲われかけました。被告人は揉み合いの末に凶器を取り落とし、逃走しました」
「証拠は凶器、及び医師と住民の証言とのことだが、相違ないか」
「はい。当事者としてですが、ヘンドリックの怪我の痕も証拠を補強するものになります」
「キャサリンが伯爵領の、それも開拓村の小屋にいただと? 荒唐無稽にも程がありますな」
ドワイトはフレデリカの証言を鼻で笑った。
「その時分、被告は外出していたが、伯爵領ではなく馬車で自領の湖へ向かい、そのほとりを巡り、やがて暗くなったので帰った。御者の証言も同一だ。相違あるか」
「ありません」
キャサリンが短く答える。
御者は青い顔をして下を向いたまま、口を開かない。
「両者の証言は対立するものであるが、お互いに自らの陣営のなかでの証言であり、客観性に欠ける。そこで事前に裁判所としては客観性のある証拠を集めた」
――さあ、来ましたわ。
フレデリカは内心のみでほくそ笑む。
お互いに客観的な証拠が不足しているのは明らかであった。
だから、フレデリカは過去の判例を調べ、このような場合に何を証拠とするかを把握し、事前に「そのための準備」を進めた。
その答え合わせが、始まる。
「客観的な証拠、か。そんなものがあるなら出してもらおう」
ドワイトは悠然と構える。
それだけキャサリンを信頼しているという証であった。
「密かに双方の領地に調査員を派遣し、無作為に抽出した領民に聞き取りを行った。侯爵邸から開拓村へ続く街道沿い、及び侯爵領の湖へ続く道沿いと湖周辺を中心とした調査だ」
フレデリカはキャサリンを見る。
しかし、キャサリンはそれを聞いても微動だにせず、ただフレデリカを眺めている。
そう、このような場合、原告・被告に対して秘密裏に調査が行われるのである。
聞き取りであったり、現場検証であったり。
事前に集めた主張との整合性を調査されるのだ。
だからフレデリカは、元住民である開拓村の民たちを使い、裁判所に先んじて侯爵領の民衆に聞き取りを行った。その結果、フレデリカは「何もしない」ことを選んだ。なぜなら、特別フレデリカに有利な証言を用意させるまでもなかったからだ。
住民たちには、「同じようなことを聞く者が現れたら、ただ正直に真実を話してほしい」と、ただそれだけを依頼したのだった。
フレデリカは、ドワイト自身は特に動いていないと見た。キャサリンを心から信じている様だから。
しかし、御者の顔色を見る限り、キャサリンは彼女なりに何か動いていた可能性がある。
「合計百余人からの聞き取りにより、概ね整合する証言が得られた。当日、侯爵家の馬車は昼過ぎに屋敷を出発。午後に街道から外れ、湖に移動した。ローズマイン側の証言の通り」
「やはり!」
ドワイトが声を上げる。
「しかしすぐに湖を出て、街道に戻り、アッシュロード伯爵領の方面へ向かった。複数の目撃証言が整合しており、侯爵領の民からの証言であるところも客観性が高いと判断される」
「……なんだと? キャサリン、どういうことだ」
ドワイトの声が聞こえているのかいないのか、キャサリンはただ無言でフレデリカを見つめ続けている。
フレデリカは想定通りの話の流れに、小さく頷く。
――ドワイト様、あなたがキャサリン様だけを愛していた間、私は領民を皆愛しておりましたの。キャサリン様が何かをした程度で、真実が歪められることはありませんわ。
「夕刻前には伯爵領内、開拓村の近くの脇道に停車していたという目撃情報が複数ある。旅の商隊や配達人など両者に肩入れしない立場の者の証言も含む」
「キャサリン! どういうことか! 答えよ!」
ドワイトが声を張り上げる。しかし、キャサリンは反応しない。
「お……俺は片棒を担いだわけじゃねえ! キャサリン様に脅されて仕方なく! ああ、どうかうちの家族を保護してくれ! 俺だって嘘なんてつきたくなかったんだ! まさか、フレデリカ様に仇なすことをするなんて……」
ずっと俯いていた御者の男が、たまりかねたという様子で叫ぶ。
あまりにも悲痛な叫びであった。
「なんだと!? 貴様、何を言っている!!」
激昂するドワイト。
「静粛に。今の発言は重大な意味を持つが、相違ないな? 家族の安全は王国が保障しよう」
「……ああ、間違いねえ。あの日、俺は間違いなく隣の領地へキャサリン様を送った。しばらくどこかへ一人でいかれ、また戻られて、帰った。それだけだ!」
「その証言は大変重要な証拠と言える。アッシュロード側の証言と一切矛盾しない。事前の調査結果とも整合している。異議があれば発言を認めるが」
「キャサリン!! 潔白を示せ!!」
「……異議はないわ。だって、私はその女を殺さなくてはならなかったのだから」
フレデリカから一切目を逸らさず、それだけを呟くキャサリン。
観念したというには、ただ平然と。
それは、聞かれたから名前を答えたというくらいの、あまりにも平静な口ぶりだった。
そこで、フレデリカは気がついた。
キャサリンは平静なのではない。
ずっと、狂気に満ちていたのだ。だから、驚きも、焦りもしなかったのだ。
フレデリカの背中を冷たい汗が流れる。
どれだけ思考を巡らせ、理屈を並べても、それを飛び越えるのはいつだって狂気なのだから。
――ヘンドリックが無事で、本当に良かった。
「原告の主張を認め、被告を有罪と認める!」
裁判長の朗々とした声で、裁判は幕を閉じた。
衛士に両脇を固められ退廷するそのときまで、キャサリンはじっとフレデリカを見つめ続けていたのだった。
*
数ヶ月後――
「さあ、今日はお祝いよ!」
フレデリカたちは、真新しい木で作られた屋敷に、料理を並べていた。
開拓村の村長の屋敷が完成したのだ。
今日から正式に村としての活動が始まる。
パーティーには、全村民、そして伯爵夫妻をはじめとした伯爵邸の面々が参加し、盛況に行われた。
裁判の後、キャサリンは即刻牢に入れられ、終身幽閉を言い渡された。
ドワイトは妻の行いの責任を取らされ、所領の四分の一を没収された。その一部は賠償としてアッシュロード家へ渡されることとなっている。
「フレデリカ様、このような催しまで、ありがとうございます」
フレデリカがテラスで酔いを覚ましていると、ヘンドリックが笑顔で近づいてくる。
「あら、村長。当然じゃない、これは私にとってあなたの村長就任と、準男爵位を授けられたことへのお祝いなんだから」
「まさか、こんな立場に置いていただけるとは思ってもおりませんでした。身が引き締まる思いです」
フレデリカはそんな恐縮するヘンドリックに近づいて、小声で話す。
「どうせすぐに町になって、町長として男爵に叙されるのだから。今のうちに領主というものに慣れておきなさい」
フレデリカの言葉は嘘ではなかった。
三十名余りで始めた開拓事業だったが、すでに村民は五十名に膨れている。基盤が固まったと噂になれば、すぐに百を超すだろう。
「いい? 街道沿いにこの村を作った意味、わかっているわよね」
「はい、物流仕分けと商売の拠点として、一大集積地を作りそれを取り仕切るため、ですよね」
「よろしい。優秀な教え子で嬉しいわ。あなたならここでいくらでも富を得られるし、発展させられるでしょう。がんばってね、私も手伝うから」
「そんなに買い被らないでください。お人が悪い」
「だってね……」
フレデリカはまたヘンドリックの耳元へ顔を寄せ、小声になる。
「もっともっと功績を残して、早く子爵くらいになってくれないと。じゃないと伯爵家の娘が嫁ぎにくいでしょう?」
ヘンドリックは一瞬驚いたような顔をするが、フレデリカの顔を見てそれが本気であることを知る。
「……はい。必ずや、すぐに!」
――ま、お父様にはヘンドリックなら男爵でも良いって言われてるのだけれど。
フレデリカはいたずらっ子のような微笑みを浮かべ、ヘンドリックの頬に口付けをしたのだった。
お読みいただきありがとうございました。
最初の短編だけだとあまりにも二人の関係が薄かったので続きを書いてみました。
お気に召しましたら評価や反応をいただけると嬉しいです。




