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帝都幻灯局 ― 失われた街を撮る者たち ―  作者: 灯坂 フィルム


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第65話 「観測者たちがやってくる」

 黒塗りの車が、帝都庁の正面に横付けされたのを見たとき、私は反射的にシャッターを切っていた。


 画面の中で、車体は艶のない黒で、周囲の建物は薄い冬の光を受けて白っぽく見える。ドアが開く。靴が降りる。次いで、同じ色のコートの裾が揺れた。


 黒は、記号だ。


 この街が“第零号”と呼ばれるようになってから、黒いものに目が行くようになった。黒い影、黒い手帳、黒い車。全部が同じ意味を持っているわけじゃないのに、私は勝手に線でつないでしまう。


「撮るなよ」


 背後から相馬の声がした。警察署の制服ではなく、現場対応の私服だ。コートの前を合わせ、低い声で言う。


「……撮っちゃいました」


「そうだろうな」


 叱るでもなく、呆れるでもなく。相馬の目も、車の方に向いていた。


 庁舎前の広場は、普段なら待ち合わせの学生や、弁当売りの声でざわつく。今日はそのざわめきが、薄い膜の向こうにあるみたいに遠い。人は動いているのに、音が抑えられている。まるで、街の音量だけが勝手に下げられたみたいだった。


 ――また、線を引かれている。


 そう思う自分を、私は嫌になりながら止められない。


「視察団、ってやつか」


 相馬が呟いた。


「御影さんが言ってた」


 私はカメラを胸に下ろす。


 御影は、中央タワーの窓の奥で“線”を読んでいる人だ。私たちの知らない言葉で、街の揺れを測る人だ。その御影が、昨夜、幻灯局に来た。


『Abyss側と協働している観測機関から、“視察団”が来ます。表向きはインフラ研究所。でも、実質は“残す街かどうか”の査定班です』


 言い方は冷静だったのに、言葉自体は刃物だった。


 残す。残さない。


 その二択の前で、黒塗りの車が停まっている。


「見届けるのが好きな連中が増えたな」


 相馬が、自嘲気味に言った。


 私は返せなかった。見届ける。撮る。記録する。その先に“評価”があるなんて、知らなかった。知らないふりをしていただけかもしれないけれど。


 黒塗りの車から、数人が降りてくる。男が一人、真ん中にいる。背が高く、肩の力が抜けている。コートの襟を立てているのに、寒さに負けていない顔。目が、遠くを測るように細い。


 その隣に、若い女性がいた。コートの裾を押さえながら、周囲をきょろきょろ見回す。視線が、庁舎の柱や、街路樹や、遠くの路面電車に止まるたび、目がほんの少し明るくなる。


 帝都の日常を、綺麗だと思っている目だ。


 その目を見た瞬間、胸の奥が嫌な音を立てた。


 綺麗だと思う人は、撮りたがる。撮りたがる人は、持って帰りたがる。持って帰る人は、切り取る。


 私の仕事と同じことを、別の目的でやる人たち。



 幻灯局の事務所に戻ると、御影がもう準備を始めていた。


 壁一面に、写真が貼られている。プリントを仮止めした紙の端が、少しだけ反っている。机の上には、深度ログのコピーと、視察団用の“概要資料”が並ぶ。


 九条は椅子に座り、腕を組んで壁を睨んでいた。七瀬は窓際で、煙草を吸えない手持ち無沙汰を指先で処理している。花は、花束を一つ抱えて立っていた。色の強い花。あの日、モノクロの外に対して店内だけが異様に鮮やかだった、その名残みたいな花。


「来るのは、灰島さんと補助の女性職員」


 御影が淡々と言う。


「灰島……はいじま?」


 九条が、名前を舌の上で転がした。


「研究者だ。年は三十代くらい。複数の“瀬戸際の街”を見てきている」


 相馬が、眉を上げた。


「瀬戸際の街、って……」


「私の言い方です。向こうはもっと事務的な呼び方をします」


 御影はそのまま、私を見た。


「灯子。あなたの撮り方が、今日、試されます」


 言葉の温度が変わった。私にだけ、少しだけ刺すような言い方をした。


「帝都のための査定であり、あなた自身の“記憶を預かる者”としての適性試験でもあります」


 その言い方が、喉の奥に引っかかった。


 記憶を預かる者。


 私は、そこまでのつもりで撮ってきたんだろうか。


 撮りたいから撮っていただけじゃないのか。消えそうなものを、見なかったことにしたくなかっただけじゃないのか。仕事、と言い張って、怖さから逃げていただけじゃないのか。


 七瀬が、ぶっきらぼうに言った。


「試験だの査定だの、知らねえ。見せるもんは見せて、見せねえもんは見せねえ。それでいいだろ」


「その“選び方”が評価対象だって言ってる」


 九条が返す。


「つまり、黙ってても採点される。うざい」


 相馬が短く笑う。


「警察でも同じだ。黙ってても見られてる。……けど、今日はもっと嫌だな」


 御影が視線を壁に戻した。


「だから、先に決めます。何を見せて、何を外すか」


 壁の写真が、無言で私たちを待っている。


 子どもが川で遊ぶ写真。路面電車の車窓から見た夕焼け。市場が“間引かれかけた”前後のカット。深度が落ち、モノクロになりかけた帝都。花屋の店内の、色が強すぎる花々。


 そして――


 帝都がほとんど“下書き状態”になった瞬間の写真。


 輪郭だけが残って、人も建物も、薄い鉛筆で描いたみたいに透けている。見ているだけで、胃が冷たくなる。


 七瀬が、その一枚の前で立ち止まった。


「こっちは絶対見せちゃダメだろ」


 その言葉は、意外と真剣だった。


 九条が反射的に言う。


「でも、あれを抜いたら“本当の帝都”を見せたことにならない」


「本当の帝都ってなんだよ」


 七瀬が振り向く。


「人が歩いて、飯食って、笑って、怒って、寝て起きる。それが本当だろ。下書きは、あれは……あっちの都合だ」


 “あっち”。


 固有名詞にしないまま、皆が同じ方向を見ている。


 相馬が、腕を組んだまま言う。


「ただの観光パンフレットにするわけにもいかねぇしな。あいつらは“異常”も見に来てる。隠したら隠したで、嘘になる」


「嘘じゃないもの同士が、争ってるだけなんだよね」


 花が小さく言った。抱えていた花束のリボンを指で整える。


 私は、その言葉に背中を押されるように、写真を一枚ずつ剥がし始めた。


 絶望的に見えるカットの“直後”に、誰かが笑っている写真を置く。誰かが片付けている写真を置く。避難誘導の背中、花束を渡す手、電車の窓に映る家族の顔。


 沈みかけた帝都の“証拠”は、消さない。ただ、沈みかけたまま止めない。


 私は、最後に“下書き状態”の写真を手に取った。紙が少しだけ震える。私の指が震えているのか、紙が薄いから揺れるのか分からない。


 その一枚を、壁に戻さず、机の上に伏せた。


 九条が私を見る。


「外すの?」


 私は頷いた。


「……今は」


「安全な判断だね」


 九条の言葉は、皮肉かもしれないし、ただの観察かもしれない。


 七瀬が、ふっと息を吐いた。


「よし」


 相馬が、私の伏せた写真に目を落とし、短く言う。


「全部出すのは、勇気じゃない。全部出さないのも、勇気だ」


 その言葉が、少しだけ救いになった。


 私は壁の写真に向かって、言った。


「“沈みかけた帝都”じゃなくて、“それでも日常をやめなかった帝都”を見てほしいです」


 自分の声が、妙に静かに聞こえた。部屋の中で、決意みたいに残った。



 視察当日、灰島は最初に挨拶をしただけで、あとはほとんど喋らなかった。


「灰島です。視察の間、お世話になります」


 声は落ち着いていて、柔らかい。柔らかいのに、温度がない。まるで計測器の読み上げみたいだ。


 隣の女性職員――ソラと名乗った――は、頭を下げたあと、思わず声を漏らした。


「わ……ここ、写真だらけ……」


 壁一面のプリントを見て、目を輝かせる。子どもが川で遊ぶ写真に近づき、路面電車の夕焼けに近づき、花屋の店内の色に近づく。


 灰島は、ソラとは違って、一定の距離を保ったまま見ていく。歩幅も、視線の角度も、揺れがない。写真と写真の間を測っているみたいに。


 私は、その背中を見ながら、息をするタイミングを探していた。


 御影が、淡々と補足する。


「こちらが当日の深度ログです。こちらが時系列で整理した記録写真。外部公開用と内部記録は分けています」


 灰島は頷き、写真の前で立ち止まった。


「……興味深いですね」


 その一言が、やけに重い。


 彼の指先が、深度グラフの最下点に触れ、そのまま隣の写真――避難誘導の背中――へ移る。


「深度グラフが一番落ちているタイミングで、一番“ふつう”の表情をした人々が写っている」


 ソラが、壁に貼られた花屋の写真を見ながら言う。


「なんか、強いですね、この街。壊れかけてるのに、ちゃんと生活してる感じがして」


 灰島は、ほんの少しだけ目を細めた。


「“生きたがっている街”の典型です」


 その言葉に、私は息を飲んだ。


 生きたがっている街。


 街に意思があるみたいな言い方。私たちがよくやってしまう擬人化とは違う。灰島のそれは、分類だった。タグ付けだった。ラベリングだった。


 “第零号”。


 “生きたがっている街”。


 言葉が貼られると、街はそれに沿って扱われる。言葉が街を沈めることがある、と御影は言った。きっと本当だ。


 ソラは、子どもたちの写真の前で立ち止まり、少し声を落とした。


「……でも、怖いですよね」


「怖い?」


 相馬が、反射的に聞き返す。


「だって、こんなに普通なのに……普通だからこそ、もし消えたら、余計に」


 ソラは途中で言葉を切った。言ってはいけないことを言いかけたみたいに口を閉じる。


 灰島が、軽く咳払いをした。


「ソラ」


 たったそれだけで、ソラは背筋を伸ばした。


 私は、そのやり取りが怖かった。感情がある方が制され、感情のない方が残る。観測者の世界は、そういう形をしている。


 灰島は、写真を見終えるまで淡々としていた。淡々としたまま、最後の一角――塔の窓に黒い影が写った写真――の前で、足を止めた。


 空気が変わったのが分かった。御影の呼吸が一段浅くなり、相馬の肩が少しだけ硬くなる。九条の目が細くなる。七瀬の指先が止まる。花が花束を抱え直す。


 灰島は、その写真を、長く見た。


「……これ、どこで撮りました?」


 私は喉が乾くのを感じながら答えた。


「中央タワーの中です。深度が一番落ちた日の、夕方」


「この形状、見覚えがあります」


 灰島の声は変わらない。変わらないからこそ、ぞっとした。


 ソラが、思わず口を開きかける。


「あ、“例の”やつですか?」


「ソラ」


 灰島は短く制した。ソラは口を閉じる。言葉が封じられる音がした気がした。


 灰島は私の方を見た。目がまっすぐだった。まっすぐなのに、温度がない。温度がないまま、こちらを評価している目だ。


「帝都が、“試験段階”から一歩進んだ可能性があります」


 私は、言葉の意味を飲み込むのに時間がかかった。


「それは……いいことなんですか?」


 やっと絞り出した声は、自分のものじゃないみたいに震えていた。


 灰島は一拍置いて言う。


「“残される側”に近づいた、という意味では」


 息が、少しだけ楽になる。けれど、次の言葉でまた胸が重くなる。


「ただし、“記憶を預かる者”は――それに相応しい重さを背負うことになります」


 重さ。


 重さを背負う、と彼は言った。重さを背負うのは街じゃなく、人だ。誰かが選ばれ、その人の手に“黒い手帳”が渡される。そんな伝承を、御影は持ってきた。灰島の目は、それを伝承ではなく、現実の手順として知っている目だった。


 私は、何も返せなかった。


 返した言葉が、採点される気がしたから。


 御影が、代わりに淡々と言う。


「こちらも断言はできません。ただ、帝都が候補に入った可能性は、観測ログでも示唆されています」


 灰島は頷き、写真から視線を外した。


「本日の視察は以上です。ご協力、ありがとうございました」


 あまりにも普通の締め方で、私は逆に怖くなった。こんな言葉のやり取りが、街の運命を左右するかもしれないのに、終わり方はただの“業務”だ。


 視察団が去るとき、ソラは玄関で少しだけ振り返った。


 壁の写真をもう一度見て、名残惜しそうに目を細める。


 その目に、私は少し救われた。感情移入しやすい人は危うい。でも、感情のない査定よりは、まだ人間だと思える。


 黒塗りの車のドアが閉まり、車列が庁舎の前を離れていく。エンジン音が遠ざかり、街のざわめきが戻ってくる。


 戻ってきたはずなのに、私は耳の奥でまだ“音量を下げられた街”を聞いていた。



 その日の夕方、私は幻灯局の屋上にいた。


 帝都が、ミニチュアみたいに動いている。路面電車が走り、人が渡り、川沿いを走る人がいる。花屋の店先には色が溢れている。普通の街。普通の動き。


 私は、ファインダー越しにその普通を覗き込んだ。


 撮ることを選び続けてきた先に、こんな“試験”が待っているなんて、誰も教えてくれなかった。


 でも、下を見れば――


 私は、息を吸って、カメラを構える。


 そのとき、胸の奥の重さが、少しだけ違う形に変わった。恐怖ではなく、責任に似た重さ。逃げたい重さではなく、持っていきたい重さ。


 私は自分に言い聞かせるように、呟いた。


「……でも。試験なんかより、先に撮りたいものがあるんです」


 シャッターを切る。


 屋上の縁に立つ私の影が、ファインダーの端に映った。黒い影。黒塗りの車。黒い手帳。黒い影。


 全部が同じじゃないのに、全部が線でつながっている気がした。


 その線の上で、私は今日も、普通の街を撮る。


 “生きたがっている街”を。


 生きたがっているからこそ、見届けなければならない街を。


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