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帝都幻灯局 ― 失われた街を撮る者たち ―  作者: 灯坂 フィルム


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6/10

第6話「踏切の向こうは、届かない通報」

 朝の路面電車は、いつもより少し混んでいた。


 吊り革につかまりながら窓の外を見ていると、帝都の街がゆっくりと後ろへ流れていく。川沿いの倉庫、くすんだ看板、高架下の市場。眠そうな顔をしたサラリーマンと、学生たちのざわめきが、車内の空気を満たしていた。


 カメラバッグのストラップが、肩のところで食い込んでいる。少しだけ位置を直しながら、私はスマホの画面をちらりと見た。時刻は、始業時間より少し早いくらい。


 ホームに着くと、冷たい風が頬に当たった。市役所方面とは反対側へ歩き、市役所の影にくっつくように建っている古いビル――幻灯局の入っている雑居ビルへ向かう。


 錆びかけた階段を上ると、いつものドアがある。表札には、少しはがれかけた「帝都幻灯局」の文字。


「おはようございます」


 ドアを開けると、コーヒーの匂いと紙の匂いが混じった空気が、いつものように迎えてくれた。


「おう、早いな」


 山のような書類の向こうから、御影さんの声がする。無精ひげに、くたびれたシャツ。片手には湯気の立つマグカップ。


「電車、空いてたんで」


「そうか。なら今日も“記録”日和だな」


 意味のよくわからないことを言いながら、御影さんは机の上の電話に目をやった。受話器の脇にはメモ用紙が一枚。雑な字で、いくつかの単語が書かれている。


「何かあったんですか?」


「まあな」


 御影さんは、マグカップを置き、メモを指で叩く。


「帝都の外れの踏切で、夜中に通報があったそうだ」


「踏切……?」


「踏切の向こうの路地で、人が倒れてた。線路のこっち側から一一〇番したのに、返事は“その場所は該当なし”」


 言いながら、御影さんは片方の眉をわずかに上げる。


「で、翌朝には、倒れてた人影も、血の跡も、何もなかった、ってさ」


 ぞわり、と背筋を冷たいものが撫でた。


 “該当なし”。


 地図にも、通報システムにも、その場所は存在しないということだ。


「その件を担当してる刑事がいてな」


 御影さんは、メモの端に書かれた名前を指で押さえる。


「相馬。前に交差点でちらっと会ったろ?」


 夜の路地で、フェンス越しに煙草をくゆらせていた男の姿が、頭に浮かぶ。鋭い目をした、私服の刑事。


「覚えてます」


「あいつが、どうにも腑に落ちないってんで、うちにも話を振ってきた」


 電話の受話器を軽く持ち上げ、すぐに戻す。


「地図に載ってない路地。通報記録だけが残ってる現場。……うち向きだろ」


 そう言って、なぜか楽しそうに笑う。


「準備しろ。今日は郊外だ。線路の外れ散歩だな」


「は、はい」


 私は慌ててカメラバッグを握り直した。


「そうだ」


 ドアの方へ向かいかけたところで、御影さんに呼び止められる。


「帝都にはな、“渡ると帰ってこられない”踏切がいくつかある」


 さらりとした口調で言われたその一言に、喉がごくりと鳴った。


「……脅かさないでください」


「脅してるわけじゃないさ。境界線ってやつは、だいたい踏切か川か橋の上に引かれるもんだ」


 御影さんは、書類の山の向こうから片手を振る。


「まあ、今日は“様子見”だ。あんまり変な方に踏み込むなよ。線路は越えるけど」


 線路は越えるけど。


 その言い回しに、小さな引っかかりが残ったまま、私は局を出た。



 帝都の外れへ向かう電車は、さっきまでの路面電車とは違っていた。


 座席の布も、窓の大きさも似たようなものなのに、車窓の外に流れていく風景が違うだけで、こんなに空気が変わる。


 高層ビルが少しずつ減っていき、二、三階建ての住宅が増えていく。遠くに見えた川が曲がり、線路はそのまま真っ直ぐ伸びていく。やがて、倉庫や工場が目立つようになってきた。


 駅の改札を出ると、そこにはすでに相馬さんが立っていた。


 コートのポケットに手を突っ込み、駅前の交差点を眺めている。私たちに気づくと、軽く顎を上げた。


「よう。早いな、役所の人間にしては」


「こっちは朝が早い部署なんで」


 御影さんが、眠たそうに目をこすりながら答える。


「で、その“該当なし”の現場ってのは?」


「こっちだ」


 相馬さんは、駅前の通りを歩きながら、簡単に状況を説明してくれた。


 夜中、終電も終わった時間帯。近くのコンビニでアルバイトをしていた若者が、帰り道に踏切の手前で足を止めた。線路の向こうの、薄暗い路地の入口あたりに、人が倒れているのが見えた。


 慌ててスマホで一一〇番をかけると、オペレーターから返ってきた言葉は「その場所は該当なし」。


 番地を言っても、目印を言っても、「地図上に該当する場所がない」の一点張り。そのやりとりをしている間に、電車の音が聞こえてきて、踏切が鳴り出した。


 通話は一度途切れ、その後折り返しがかかってきたときには、もう誰も倒れていなかった。


「……みたいな話だ」


 相馬さんは、ポケットからタバコを取り出し、すぐにしまい直した。踏切の近くでは吸えないのを思い出したのだろう。


「通報者からの聞き取りは済んでる。嘘をついてる感じじゃない」


「じゃあ、通報記録は?」


「ちゃんと残ってる。発信場所も、時間も」


 その一方で、と相馬さんは言葉を切る。


「うちのシステム上、その“現場”は存在しない。地図にもない。だから、“該当なし”だ」


 彼の視線の先に、目的の踏切が見えてきた。



 帝都の外れの踏切は、思った以上に大きかった。


 複数の線路が平行に並び、その向こう側には、低い住宅と小さな工場が混じり合うように建っている。赤い警報灯が、一定のリズムで点滅していた。遮断機の黄色と黒の縞模様が、空の灰色と重なって揺れている。


 線路は、昨夜の雨の名残で濡れていて、赤い光を細く反射していた。


「わかりやすい境界だな」


 御影さんが、ぼそっと言う。


「こっち側が“帝都”、向こう側が……何だ?」


「ただの住宅街ですよ」


 そう口にしながらも、私はどこか胸の奥が重くなるのを感じていた。


「これを見てくれ」


 相馬さんが、警察手帳とは別の、黒いバインダーを取り出した。中には、印刷された地図が挟まれている。


「警察の最新地図だ。通報システムと連動してる」


 踏切を中心にした一帯が拡大されている。駅からの道、幹線道路、住宅が並ぶ区画。そのどこにも、問題の「路地」は描かれていない。


「……ただの行き止まり、ですか?」


「いや、そもそも道がない。線路の向こうは、この幹線沿いの住宅だけ、って扱いだ」


 そこへ、御影さんがくしゃくしゃに折れた紙を広げた。局の棚から引っ張り出してきた、古い帝都の地図だ。


 バインダーの上に、それを重ねる。


 紙の皺と、印刷された線が、微妙にずれて重なった。


「あ」


 私は思わず声を上げた。


 古い地図には、確かに一本、細い路地が描かれていた。踏切を渡った先から、斜めにのびていく線。その先には、小さく神社の印のようなものまで記されている。


 最新地図では空白になっている場所に、古い線が残っている。


 通報者が「倒れていた」と言った場所と、おそらく重なる場所。


「通報履歴だけは残ってるんだよな」


 相馬さんが、バインダーと紙の重なりを見下ろしながら言った。


「でも、“現場”が記録から消えてる」


 記録と現場。


 どちらかだけが、帝都からこぼれ落ちている。


「行くぞ」


 相馬さんが、踏切の方向へ歩きだした。


 ちょうどそのとき、警報灯が激しく点滅し始めた。カンカン、と耳に刺さるような警報音。遮断機が、ゆっくりと降りていく。


 遠くから、電車のライトが近づいてきた。


「……タイミング悪いな」


 相馬さんが苦笑する。


 一本目の電車が通り過ぎる。地面が微かに震え、風が髪を揺らした。遮断機は上がらない。続けて、反対方向から別の電車がやってくる。


「ダイヤ、こんなに詰まってましたっけ」


「平日のこの時間帯はこんなもんらしいが……」


 御影さんが、腕時計をちらりと見る。


 行きも帰りも、何本も電車が通り過ぎていく。そのたびに、赤い光が濡れたレールを照らし、線路と住宅の影を伸ばした。


 まるで、こちら側と向こう側を隔てる“時間”そのものが、私たちの前を横切っていくみたいだった。


「渡らせたくないみたいですね」


 軽口のつもりで言った言葉が、自分で思った以上に重い響きを持ってしまう。


「境界ってのは、だいたいそういうもんだ」


 御影さんが、さっきと同じような口調で言う。


「渡る側が、本当に向こうへ行きたいかどうか、何度か試される」


 何本目かの電車が通り過ぎたあと、ようやく警報音が止まった。遮断機が上がる。


「今だ」


 相馬さんが短く言い、三人で一斉に踏切に足を踏み入れた。


 レールの上を渡る一瞬、足元の鉄が冷たく鳴った気がした。



 線路を越えた先の世界は、ほんの数十メートルしか離れていないはずなのに、空気の密度が違っていた。


 古びたブロック塀が続き、その向こうには背の低い住宅がぎっしりと並んでいる。電柱から電柱へと張り巡らされた電線が、頭上で蜘蛛の巣のように交差している。


 少し歩くと、小さな公園があった。色の褪せた滑り台と、誰も乗っていないブランコ。砂場には、雨の跡がまだ残っている。


 さらに奥へ進むと、路地は行き止まりになっていた。


 行き止まりの突き当たりに、それはあった。


 小さな社。


 石造りの台座の上に、木の本殿が乗っている。その前には、朽ちかけた鳥居。鳥居に結ばれた紙垂は、ところどころ千切れている。周囲には落ち葉が溜まり、誰かが腰掛けていたであろうベンチが、少し斜めに傾いていた。


 ベンチの下には、黒い何かが転がっている。


「……携帯?」


 近づいて拾い上げると、スマートフォンだった。画面にはひびが入り、電源は落ちているように見えた。


「証拠物件だな」


 相馬さんが一歩前に出る。


「悪い、ちょっと貸せ」


 スマホを彼に渡すと、相馬さんは手袋をはめ、慎重にビニール袋に入れた。


「先に記録を取るか」


 そう言って、腰のホルスターから小さなデジタルカメラを取り出す。警察用の証拠写真用カメラらしい。無駄のない、無機質なデザイン。


 社の全景を撮ろうと、レンズを向ける。


 シャッター音が、小さく鳴った。


「……あれ?」


 相馬さんの眉がぴくりと動く。


「どうしました?」


「いや……」


 カメラの背面の液晶を覗き込みながら、もう一枚、もう一枚とシャッターを切る。角度を変え、距離を変え、鳥居のアップやベンチも撮る。最後に、さっき拾い上げたスマホを、ビニール袋越しに足元に置いて撮る。


 何度かそうしてから、ゆっくりと息を吐いた。


「見てみるか」


 液晶をこちらに向ける。


 そこに映っていたのは――真っ白な空き地だった。


 露出オーバーで飛んでしまった写真、というわけでもない。手前のブロック塀や、路地のコンクリート、電柱はきちんと写っているのに、奥の部分だけが、切り取られたみたいに、ぽっかりと白く抜けていた。


 鳥居も、本殿も、ベンチも、スマホも、何もない。


「おかしいな。さっきは見えてたよな」


 相馬さんが、現物の社と、画面の白い空間を見比べる。


「カメラの故障とか、じゃないですよね」


「さっき別の現場で使ったばかりだ。問題なかった」


 試しに、ブロック塀だけを狙って撮る。今度は、ちゃんと塀のひびや落書きまでくっきり写っている。レンズも、露出も、設定も正常だ。


「……うちの番か」


 御影さんが、肩をすくめながら私の方を見た。


「灯子。撮ってみろ」


「はい」


 私は、自分のカメラをバッグから取り出した。


 何度もシャッターを切ってきた感触。金属とガラスとプラスチックが集まって形作る、小さな箱。レンズキャップを外し、覗き込む。


 ファインダーの向こうには、社の鳥居があった。かすれた赤い塗装。木目。傾いだベンチ。その足元に転がるスマホを入れて、構図を決める。


 息を整えて、シャッターを切った。


 カシャン。


 独特の機械音が、路地の静けさに溶けていく。


 背面の液晶に、さっき見たままの光景が現れた。


 鳥居。本殿。落ち葉。ベンチ。スマホ。


「……写ってます」


「だな」


 相馬さんが、液晶を覗き込む。その目が、ほんのわずかに細くなる。


「もう一枚。今度はちょっと引きで」


「はい」


 何枚か、角度を変えながら撮る。光の当たり方を変え、社だけでなく、路地全体を入れる。さっきの警察カメラとは違う視点で。


「なんでだよ」


 相馬さんが、自分のカメラと私のカメラを見比べながら、低く呟いた。


「あんたらのカメラ、なんでこういう時だけ、ちゃんと写るんだよ」


 冗談めかした口調なのに、そこには本気の苛立ちと、少しの安堵が混じっていた。


「便利っちゃ便利だけどさ。……うちの報告書には、書けないな、これ」


 警察の公式記録に、「写っていないはずの社が写った」とは書けない。


 でも、誰かが見ていたことを示す写真は、ここにある。


 私は、自分のカメラを胸の前で抱え直した。


「その携帯、電源……入りますかね」


 ふと気になって口にすると、相馬さんはビニールの上からスマホのボタンを押してみた。


 しばらく何も起きなかったが、やがて、かすかに画面が光る。ひびの間から、薄くホーム画面が立ち上がった。


 通知欄に、小さな文字が並ぶ。


「……着信履歴」


 相馬さんが、息を飲む。


 ひびの走った画面の上に、「着信:相馬(警察)」という文字が、はっきりと表示されていた。


「昨夜、折り返しかけたんだ」


 低い声で、相馬さんが言う。


「一回だけ、繋がった。『踏切の向こうに、人が倒れてる』って。……途中で、電車の音がうるさくて、よく聞こえなくなった」


 あったはずの会話。


 通話ログと、着信履歴。その両方が、それを証明している。


「それでも“該当なし”ですか?」


 自分でも、少し棘のある言い方だと思った。


 相馬さんは、肩をすくめる。


「システム上は、な」


 路地の奥を振り返る。その視線は、社ではなく、その向こうの「何か」を探るようだった。


「だったら、それは“うちの管轄じゃない”ってことになるのか?」


 冗談とも本音ともつかない声で言ってから、自分で苦笑する。


「いや、冗談だ。……たぶんな」


 たぶん、という言葉が、路地の空気に溶けた。


 私は、再びファインダーを覗いた。


 社はそこにある。鳥居も、ベンチも、スマホが転がっていた場所も。


 シャッターを切るたびに、金属音が小さな痕跡を残していく。


 ――でも、その痕跡がどれくらい長く残るのか、私は知らない。



 踏切に戻るころには、空は少し暗くなりかけていた。


 線路を越える前に、一度だけ振り返る。路地の奥の社は、こちらを見ているのか見ていないのか、よくわからない顔で、そこに立っていた。


 再び警報音が鳴り始める。赤い光が、こちら側と向こう側を交互に照らし出す。


「急げ」


 相馬さんが、短く声をかける。私たちはその声に押されるように、線路を渡った。


 踏切のこちら側に戻った途端、世界が少しだけ軽くなった気がした。空気の重さが違う。車の走る音、人の話し声、遠くの工場のサイレン。音の密度が、さっきまでと微妙に違っている。


「さっきの写真、見せてくれ」


 踏切を背にして、歩道の端に立ち止まる。私はカメラの電源を入れ、再生モードにした。


 サムネイルが、液晶の中にずらりと並ぶ。


 路地の入口、公園、社。鳥居の赤。ベンチ。スマホ。


 親指でスクロールした、そのときだった。


 一枚のサムネイルの上を、ざっ、とノイズのようなものが走った。


「……え?」


 鳥肌が立つ。


 さっきまで普通に見えていた社の写真が、一瞬だけ乱れたのだ。モザイク加工をかけたような、ざらついたブロックノイズ。その後、サムネイルが消えかけ、背景と同じ灰色になりかける。


「待って」


 思わず声が上ずった。


 慌てて、再生を止め、問題の写真を個別表示する。画面いっぱいに、社が映し出される――はずだった。


 上半分は、ちゃんと鳥居と本殿が写っている。だが、下半分が、じわじわと白く薄れていっている。ベンチの足元から、スマホがあった場所から、色と形が抜けていく。


 砂場に水をこぼしたときのように、境界線がじわりと広がっていく。


「おい、どうした」


 相馬さんが、私の肩越しに画面を覗く。


「消えかけてます……」


 声が震えていた。


 御影さんが、静かに息を吐く。


「撮った“系統”には、属してる。だが、まだ不安定ってわけだな」


 何の説明にもなっていない説明をしながらも、その目は真剣だった。


「バックアップ。今すぐ」


「はい!」


 私は、震える指でメモリカードのコピーを始めた。カメラと持ち歩き用の小さなストレージをケーブルで繋ぐ。画面の隅に、小さな進捗バーが現れる。


 数秒ごとに、怖くて画面を見てしまう。白くなりかけていた部分は、今のところ、それ以上広がってはいない。


 進捗バーが、ようやく最後まで到達した。


「……終わりました」


 膝から力が抜けそうになる。


「よし。とりあえず一つは守った」


 御影さんが、私の肩を軽く叩いた。


「それ、局に戻ったらすぐに複製して保管する。紙にも焼く」


「紙、ですか?」


「紙はな、意外と強いんだよ。帝都の“空気”に影響されにくい」


 インクと紙。輪転機の音。昨日見た印刷工場の風景が、頭の中に浮かぶ。


 どの“系統”の記録に属するかで、残り方が変わる。


 地図。通報システム。警察のカメラ。幻灯局のカメラ。そして、紙。


「……ったく」


 隣で、相馬さんが小さく舌打ちをした。


「便利だか、不気味だかわかんねえ部署だな、あんたら」


 そう言いながらも、その目は、私の手の中のカメラに向けられていた。そこに映った“まだ消えていない社”から、目を離せないように。


「でもまあ」


 彼は、線路の向こうを振り返る。


「今日、何もなかった、で終わらせるよりは、マシか」


 通報履歴と、着信履歴と、消えかけの写真。


 それら全部が、昨夜確かに“そこに何かがあった”ことを、ぎりぎりのところで証明している。


 赤い警報灯が、再び鳴り出した。電車が近づいてくる。踏切の向こうの路地は、すぐに見えなくなる。


 相馬さんは、しばらくその方向をじっと見つめていた。


 私は、カメラのストラップを握る手に力を込めたまま、赤い光に照らされたレールを見下ろす。


 私たちは、線路のこちら側にいる。


 今は、まだ。


 帝都のどこかで今日も、誰かが通報し、誰かが「該当なし」と言われているのかもしれない。そう思うと、肩にかけたカメラの重さが、少しだけ変わって感じられた。


 帰りの電車が来るまでの短いあいだ、私たちは三人並んで、踏切の前に立ち尽くしていた。


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