第36話「ここに住んでいた証拠」
翌朝の路面電車は、いつもより少しだけ言葉が少なかった。
吊り革につかまっている男の人も、窓際の学生も、膝の上に広げているのは同じ紙だ。
市役所の広報紙と一緒に折り込まれていたらしい、再開発のお知らせ。
『高架下市場 防災上の理由により立ち退き説明会開催』
そんな見出しが、黒い太字で目に飛び込んでくる。
車輪がレールの継ぎ目を踏むたび、紙面の隅がふるりと揺れた。
窓の外を流れていく高架のコンクリートが、今日だけは少し重たく見える。
私は手すりにつかまったまま、吊り広告越しに天井を見上げた。
あの高架の下で、昨日、赤い線を見た。
「撤去予定区画」として囲われた、屋台と人の密度。
ミヤシタ写真機店の看板が、現場からは消えていて、写真の中にだけ残っていた違和感。
説明会、と聞くと、どうしても法廷みたいな光景を想像してしまう。
前に出て喋る人と、後ろでうつむく人たち。
黒い文字で書かれた「理由」と、「仕方ない」という言葉。
(今日は、その場に立ち会うんだ)
そう思うと、カメラバッグの重さが、いつもと少し違って感じられた。
◇
喫茶「花」に寄ると、カウンターの上にも同じ紙が広げられていた。
「おはよう、灯子ちゃん」
花が、いつものように明るく声を掛けてくれる。
でも、その視線は新聞の一点に落ちていた。
「……見た?」
「はい。電車の中でも、みんな読んでました」
私は椅子に腰を下ろしながら、紙面の見出しをなぞる。
「“立ち退き説明会”。なんだか、“ちゃんと話し合いましたよ”っていう証拠みたいな言葉ですね」
「そうだね」
花は、カップに珈琲を注ぎながら小さく笑った。
「説明会が開かれた、資料も配られた、サインももらった。“だから、後は自己責任です”って言うための儀式、みたいな」
カップから立ち上る湯気が、紙面の上をふわりと曇らせる。
「灯子ちゃんたちも、行くの?」
「ええ。現場を見ておいてほしいって、組合長さんから」
「そっか」
花は、少しだけ真剣な顔になる。
「じゃあ、飲み過ぎないで行きなよ。ああいう場所って、空気に酔うから」
「空気に……?」
「“安全”とか“将来的価値”とか、“みんなのため”とか。
きれいな言葉で部屋が満たされると、それだけで正しそうに見えてきちゃうからね」
私は、カップの縁に口をつけながら頷いた。
その「きれいな言葉」と、高架下に漂う油とホコリの匂いが、一つの場所に並ぶ。
今日見る光景は、多分、そういうものだ。
◇
高架下市場の端っこの一角に、急ごしらえの会場が作られていた。
普段は荷物置き場に使われているスペースらしく、天井は低く、柱には古いポスターが残っている。
その真ん中に、折りたたみ椅子がびっしりと並べられ、奥には白い布をかけた簡易スクリーン。
プロジェクターが載った小さな台の横に、「再開発課」と書かれた札を下げた長机がある。
裸電球の光を、無理やり「会議室」の照明に仕立てたような空間。
「……裁判所ごっこ、って感じですね」
思わず口から出た言葉に、隣の相馬さんが苦笑した。
「言うと思ったよ。
まあ、実際、“形だけでも話し合いました”っていう証拠作りにはなる」
御影さんは、少し離れた柱にもたれながら、会場の全体を眺めていた。
「今日は“撮る側”じゃなくて、“見る側”でいましょう。
住民説明会の“公式言語”を、一度きちんと目に入れておいたほうがいい」
折りたたみ椅子には、既に市場の人たちが座り始めている。
前のほうには、スーツ姿の再開発課の職員が数人。
そのうちの一人が立ち上がり、マイクを手に取った。
「本日は、お忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます」
よく通るが抑揚の少ない声。
台本を読み上げるような滑らかさで、言葉が続いていく。
「当地区は、以前より老朽化が指摘されており、火災や地震時の倒壊など、安全上の課題がございました。
市としましては、皆さまの安全と、将来的な地域価値の向上のため——」
スクリーンに、カラフルなグラフが映し出された。
棒グラフ。折れ線グラフ。円グラフ。
数字と色で塗り分けられた「危険度」。
その中に、「高架下市場」という名前だけが、赤く囲まれている。
「こちらが、市が行った危険度調査の結果になります。
火災リスク、地震時の倒壊リスク、犯罪発生件数——総合的に鑑みまして、“高危険度”と判定されました」
ざわ、と、後方から小さな波のような声が上がった。
誰かが「犯罪ってなんだよ」と呟き、別の誰かが「ここで事件なんて起きたか?」と返す。
でも、マイクを持った職員の声は、それを踏みつぶすように淡々と続いた。
「また、メディアでもこのように“改善の必要性”が指摘されております」
スクリーンが切り替わる。
そこには、見覚えのあるレイアウトが映し出されていた。
『帝都から消えた路地——それでも残すべき場所はどこか』
九条さんの特集記事の、一部分。
高架下市場の写真と、「治安と安全面の課題」というキャプション。
職員は、その一節だけを指し示した。
「市としても、この指摘を真摯に受け止め、改善に向けた対応を——」
「改善じゃなくて、なくす話しかしてねえだろ!」
前列の端から、低くよく通る声が飛んだ。
組合長だ。
椅子に浅く腰掛けたまま、彼はスクリーンを睨みつけている。
「“改善の必要性”なんて立派なこと言って、やろうとしてるのは“撤去”だけじゃねえか。
俺たちに相談なんて一度もなかったくせに、いつの間にか“高危険度”と判定されててよ」
「ご意見は、後ほど質疑応答の時間に——」
職員が慌ててなだめるように言うが、ざわめきは完全には収まらなかった。
私は、スクリーンに映るグラフと、椅子に座る人たちの表情を交互に見た。
カラフルな棒と線の中に、「ここで何年店をやってきたか」という数字はない。
「子どもがどれだけ走り回ったか」「何度雨漏りを直したか」という回数も。
グラフの外側で、誰かの拳が膝の上でぎゅっと握られている。
(これも、“証拠”なんだ)
スクリーンに映る数値と判定は、行政にとっての「公式な証拠」。
その横に並べられた記事の一部は、「世論」の後押しとして使われている。
九条さんの文章は、「ここにはまだ人がいる」と伝えようとしたものだったはずだ。
でも今は、赤い枠で囲まれた「高危険度」の補強材料になっている。
写真も、文章も。
送り出された瞬間から、「誰のものでもない証拠」になってしまう。
◇
説明会が終わった後の空気は、始まる前よりもずっと重かった。
椅子がたたまれ、スクリーンが片付けられ、職員たちが資料の束をかき集めて帰っていく。
残されたのは、配られた紙を握りしめたまま、呆然と立ち尽くす商店主たちだ。
「“任意協力”ってなんだよ。
退きたくなきゃ裁判でもなんでもしろってことか?」
「裁判なんて、誰ができるんだよ」
そんなやり取りを背中に聞きながら、私は会場の端でカメラバッグを抱えていた。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
組合長がこっちを見ていた。
「……なあ」
彼は、ゆっくりと歩み寄ってきて、私たちの前で立ち止まる。
「あんたら、さっきのグラフみたいなもん以外の、“ここに人が住んでた証拠”を残せるのか?」
「証拠」という言葉に、御影さんがほんの少しだけ眉を動かした。
彼は、組合長の目を真っ直ぐ見返す。
「……写真は、風景だけじゃなくて、“時間”も写ります」
静かな声だった。
「店が開いている時間。
子どもが走り抜ける瞬間。
誰かが片付けをしている後ろ姿。
それは、グラフには変換できません」
組合長の喉仏が、ごくりと動いた。
「グラフの外側にあるものを、全部とは言いませんが……できる限り、写したいと思います」
私は、その言葉に合わせるようにカメラを握り直した。
「“ここに住んでいた証拠”を撮る、ということですね」
「そうだ」
組合長は、短く頷く。
「ここで何年飯を食ってきたか。
どんな日々だったか。
上の連中が“高危険度”と判子を押した、その外側にあった時間をな」
彼の声には、説明会のときとは違う種類の熱があった。
「裁判なんてするかどうかも分からねえ。
だが、もしも何かのときに、“ここにこういう生活があった”って突きつけられるものがあるなら……それを作っときてえ」
幻灯局の写真が、行政との交渉材料になるかもしれない。
そう考えているのだ、と気づいた瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。
(私たちの“記録”は、誰のためのものなんだろう)
住民のため。
行政と対峙するときの材料として。
それとも、未来の誰かが「こんな場所があった」と知るために。
全部だと言ってしまうのは簡単だけれど、その全部が同じ方向を向いているとは限らない。
◇
昼下がりから夕方にかけて、私は市場を歩き回った。
「ここで何年、お店を?」
「うちは、親父の代から数えて四十五年だな」
魚屋の店主が、鱗だらけの手で頭を掻く。
「最初は、この高架すらなかった。
線路が通るって聞いて、“とんでもねえ場所になりそうだ”って反対したやつも多かったけどよ……そのうち、それが当たり前になって」
頭上を電車が通り過ぎる音が、会話の合間を埋めていく。
私は、シャッターを上げる瞬間のガラガラという音を撮った。
レジ横に貼られた、色あせた家族写真。
柱の高さを刻むように引かれた、鉛筆の線と子どもの名前。
「ここの線が、小学校に入る前。
こっちが、中学に上がるときだ」
おでん屋の女将が、指先でその線をなぞる。
「もう本体は、とうに家を出ちまったけどね。
でも、この線を見ると“ああ、ここで育ったんだな”って思うんだよ」
その指の横で、シャッターを切る。
グラフには載らない身長。
危険度ランクには反映されない、「ここで過ごした年月」。
店の奥には、子どもの描いた拙い絵が、テープで貼り付けられていた。
屋台の柱には、「〇〇ちゃん、がんばれ」と書かれた寄せ書き。
レジの脇には、小さな貯金箱と「募金ありがとう」の手書きの文字。
(“高危険度・ランク高”ってラベルの外側にあるものを、どこまで写せるんだろう)
シャッターを押す指に、何度となくその疑問が浮かんでは消えていく。
レンズに映るのは、あくまで一瞬の切り取りだ。
そこに至るまでの年月も、その後に続く時間も、フレームの外側に追いやられてしまう。
それでも——。
子どもが八百屋の店先で駄々をこねる瞬間。
店主が「しょうがねえな」と笑いながら飴玉を渡す瞬間。
雨漏りで濡れた床を、文句を言いながら雑巾で拭う瞬間。
それらを撮っておくことで、「ここに住んでいた」と示せるかもしれない。
証拠は、いつだって不完全だ。
でも、不完全な証拠しかないのと、その証拠すらないのとでは、違う。
◇
日が傾き始めた頃、見慣れた背中が高架下に現れた。
「……九条さん?」
カメラを構えたまま振り向くと、彼は片手に書類の束をぶら下げ、もう片方の手で額の汗を拭っていた。
「よかった。まだいた」
「どうしたんですか、その格好」
スーツの上着は肩に引っ掛けられ、ネクタイは少し緩んでいる。
いつもの余裕のある笑みは、今日は影を落としていた。
「いや、ちょっと編集部で……自分の記事が、ああいう使われ方をしていると知りまして」
彼は苦笑いを浮かべた。
「“改善の必要性”なんて、一言も書いてないんだけどなあ。
“ここにはまだ人がいる”って、ただそれだけを伝えたかったつもりだったんだけど」
「説明会で、その一部だけ引用されてました」
「でしょ」
九条さんは、肩をすくめる。
「文章は、送り出された瞬間に誰のものでもなくなる。
編集長にも、そう言われたよ。“だから怖いし、だから最低限の責任がある”って」
その言葉の「責任」が、彼の肩に重くのしかかっているように見えた。
「……だから、せめて自分なりの責任の取り方をしようと思ってさ」
九条さんは、カメラバッグを持った私の手元を見た。
「君たちが“ここに住んでいた証拠”を集めてると聞いて、混ぜてもらいに来た」
「証拠、ですか」
「うん。
行政にとって都合のいい証拠じゃなくて、ここにいた側の証拠」
彼は、ポケットから小さな取材ノートを取り出す。
「写真と、言葉。両方残しておけば、どちらかだけが都合よく使われそうになったとき、もう片方で踏ん張れるかもしれない」
御影さんが、その言葉に静かに頷いた。
「その“ズレ”ごと記録する、ということですね」
「そう。
現場と書類の時間のズレ。
グラフに載る数字と、ここでの生活の体感時間のズレ」
九条さんの目は、いつもの取材モードに近い光を取り戻しつつあった。
「……勝手な話ですけど、混ぜてください」
「もちろんです」
私は、小さく笑って頷いた。
この場には、写真を撮る人と、文章を書く人がいる。
それぞれの「証拠」が、どの方向に向かうかは分からない。
それでも今は、「ここに住んでいた」という一点で、同じ方角を見ている気がした。
◇
日が暮れると、高架下の灯りが一つ、また一つと消えていった。
焼き鳥の屋台の提灯がふっと暗くなり、ラーメン屋の暖簾が外される。
シャッターが下ろされるガラガラという音が、あちこちから聞こえてくる。
最後に残ったのは、通路にぽつんと残る裸電球と、まだ片付け途中のお店が一軒。
「すまねえな、遅くまで」
組合長が、ほうきを壁に立てかけながら言った。
「いえ。こちらこそ、たくさん撮らせてもらって」
通路には、人の気配がほとんどない。
頭上を通る電車の音だけが、一定のリズムで響いている。
「……最後に、一枚だけ」
私は、高架下市場全体が見渡せる位置に立った。
昼間も登った階段の踊り場。
そこから見下ろすと、赤い線で囲われた屋台の列が、闇の中に輪郭だけを残している。
ほとんどの店の灯りは消えていて、一軒だけの薄い光が、地面に小さな四角を落としていた。
私は、息を整え、ファインダーを覗く。
市場。
赤い線。
最後の灯り。
そして——。
レンズの端に、奇妙なものが引っかかった。
昼間、現場からは消えていたはずの古い看板。
ミヤシタ写真機店の板。
さらに、午前中の説明会で配られた資料で見た、区画番号の古い表記。
「区画C-3」と記された小さなプレートが、まだ柱に掛かったまま写っている。
実際には、午後のうちに新しい区画番号プレートに付け替えられていた場所だ。
「……」
私は一度カメラを下ろし、肉眼で同じ場所を確認した。
そこには、何もない。
看板も、古いプレートも。
新しい区画番号の札だけが、金属の光を鈍く返している。
「どうしました?」
後ろから御影さんの声がした。
「今、撮った写真に……現場にはもうないものが写っていて」
言葉を探しながら、私はプレビュー画面を見せる。
御影さんは、しばらく無言でそれを見つめた後、小さく息を吐いた。
「……現場は、もう“撤去後”の時間に入っているのかもしれませんね」
「撤去後、の時間」
「説明会が開かれて、“高危険度”と判定されて、“撤去予定”と書かれた張り紙が貼られた。
行政の時間軸では、もうここは“終わった場所”なんでしょう」
その言葉に、背筋が少し冷たくなる。
「でも、写真の中では——」
「まだ“撤去前”の時間が続いている」
私は、自分の口から出た言葉に、ぞくりとした。
写真の中では、看板も古い区画番号も、そのまま「今」として存在している。
そこには、今日一日の終わりと、これから始まる「撤去」の影は、まだ落ちていない。
「……そのズレごと、記録しよう」
九条さんが、私たちの横に立って言った。
「どちらかだけ都合よく使われないように。
行政の時間だけが正しいとも、現場の感情だけが絶対とも、言えないから」
彼は、空になった通路を見下ろした。
「いつか誰かが、この写真と、この場所の記録を見返すとき。
“ここに住んでいた証拠”として、少なくとも両方の時間が並んでいるようにしたい」
私は、もう一度ファインダーを覗いた。
現場から消えたものが、写真の中にだけ残っている。
写真の中から消えたものが、現場にだけ残っていることも、きっとあるだろう。
そのどちらも、「証拠」と呼ばれてしまう世界で。
「……撮ります」
シャッターを切った。
最後の一灯りが、ゆっくりと消えた。
暗闇の中で、カメラの小さな駆動音だけが鳴り響く。
◇
暗室の赤い光の中で、高架下市場の写真が、液面からゆっくりと浮かび上がっていく。
現像液に浸された印画紙の上で、ぼんやりとしていた影が、少しずつ輪郭を持ち始める。
赤い線。
折りたたまれた屋台。
暗い通路。
その端に——古い看板と、昔の区画番号。
現実には、もう撤去済みのものたちが、ここではくっきりと息をしている。
「……不思議だね」
隣でトングを持っている花が、小さく呟いた。
「こっちの世界ではもうないのに、紙の中ではまだ残ってる」
「“証拠”って、何なんでしょうね」
私は、自分でも驚くほど落ち着いた声で言った。
「どっちが“本当”ってわけでもなくて。
ただ、“あのとき、このフレームの中では、こうだった”っていう一時点の切り取りで」
「でも、その一時点の切り取りに助けられることもある」
御影さんが、静かに続ける。
「裁判の証拠にだってなるし、誰かが“ここに住んでいた”と主張するときの支えにもなる。
同時に、行政が“危険だった証拠です”と言い張る材料にもなり得る」
赤い光の中で、印画紙を持つ指先がわずかに震えた。
「幻灯局の記録は、誰のためのものなんでしょう」
自分で問いながら、それが簡単には答えられないことも分かっていた。
住民のため。
行政との交渉材料として。
未来の誰かのため。
どこに軸足を置くかによって、同じ写真の意味は変わってしまう。
「……少なくとも」
九条さんが、印画紙を覗き込みながら言った。
「“どこか一方の都合だけのためじゃない”ってことだけは、意地でも守りたいですね」
写真の中で、ミヤシタ写真機店の看板が柔らかく浮かび上がる。
この看板が、いつ、誰の手によって外されたのか。
再開発課の職員かもしれないし、利権に群がる誰かかもしれないし、あるいは持ち主自身かもしれない。
その答えは、今は分からない。
ただ、「ここにあった」という事実だけが、印画紙の上に刻まれている。
現実から切り離されてしまった街。
写真の中だけに残ってしまう街。
そのどちらも、帝都のひとつの顔だ。
赤い明かりの下で揺れる水面を見つめながら、私は思う。
(“ここに住んでいた証拠”を撮るって、きっと、そういう全部を引き受けることなんだ)
誰の味方をしているのか分からないまま、シャッターを押し続ける。
その迷いごと、写真の中に封じ込めてしまう。
液面から完全に立ち上がった一枚を、私は慎重につまみ上げた。
その紙の上でだけ、高架下市場は、まだ「撤去予定地区」になる前の表情をしていた。




