表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帝都幻灯局 ― 失われた街を撮る者たち ―  作者: 灯坂 フィルム


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/57

第31話「認定証の裏側」

 朝の路面電車は、いつもより少しだけ混んでいた。


 窓の外を、帝都の建物の影がゆっくりと流れていく。

 屋根の上に並んだアンテナ、再開発中のクレーンのシルエット、遠くにかすんだ川面。


 電車の揺れに合わせて、胸ポケットの中の手帳が小さく震えた。

 昨日貼りつけた「境界線のスタンプ」の写真が、紙の向こうでこすれるように思える。


 誰かが新聞を畳む音がした。


「――帝都記録条例、改正?」


 隣の席から漏れた声に、思わずそちらを見る。


 作業服姿の中年男性が、見開きの紙面の一角を指で押さえていた。

 小さな囲み記事に、「記録協力機関」「条例改正」といった単語が並んでいるのがちらりと見えた。


 帝都には、相変わらずいろんな“線”が増えている。


 地図の上だけじゃなくて、紙面の上にも、たぶん私の知らないところにも。


 電車が、いつもの停留所に滑り込む。

 私は小さく息を吸って、立ち上がった。



 幻灯局の玄関を開けると、紙とインクの匂いと一緒に、花の声が飛んできた。


「あ、灯子さん、おはようございます!」


「おはよう、花ちゃん」


 カウンターの向こうで、花が封筒の山を抱えている。


「今日、なんだか郵便が多くてですね……。こっちが市庁舎からで、こっちが新聞社からで、こっちは……よく分からないですけど、“至急”って書いてあります」


「朝から盛りだくさんだねえ」


 御影さんが、奥から顔を出した。

 エプロン代わりの薄いカーディガンの袖をまくり上げて、受け取った封筒の差出人をざっと眺める。


「都市計画課、軍施設局、教会本部……こないだの川沿い案件の残り火だね。

 で――」


 彼は、少し厚みのある白い封筒を指で持ち上げた。


「これは、市長室から」


 封筒の端に押された赤い印章には、「要開封・通知」とだけある。


「市長室……?」


 花が、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。


「何か、やらかしました?」


「やらかしてたら、もうちょっと物々しい封筒で来ると思うけどね」


 御影さんは軽く冗談を言いながらも、表情を引き締めて封を切った。


 厚手の紙が一枚、するりと取り出される。


 御影さんが目を通し、その場で読み上げた。


「『帝都記録条例改正に伴い、幻灯局を帝都記録協力機関として指定する。

 局員には身分証および記録認定証を交付する。ついては、本日〇時より市庁舎中庭にて交付式を行うので、関係者は出席のこと』」


「……本日?」


 思わず繰り返してしまう。


「急ですね」


「帝都の仕事はだいたい急だよ」


 声のほうを見ると、相馬さんが上着を肩にひっかけたまま、玄関から入ってきたところだった。


「お、何だ。とうとううちにも“お墨付き”が出たわけか」


「そういうことになるのかな」


 御影さんは、通知文をテーブルに広げた。


「要するに、“あんたたちは今日から公式の記録係ね、その代わりちゃんと管理下にも入ってね”ってことだろうけど」


「わぁ……」


 花は、通知文を覗き込みながら、小さく目を丸くした。


「身分証とか、認定バッジとか、なんかかっこよくないですか?」


「花ちゃん、そういうところ素直でいいよね」


 九条さんが、新聞社の腕章を外しながら入ってきた。


「おはよう。なんだなんだ、うちも“帝都公認”になっちまうのか?」


「おはようございます」


 私はちょっとだけ笑いながら挨拶を返す。


「九条さんも呼ばれてますよ。『関係記者』として一名出席って」


「へえ。そりゃまた、変なところで名前を呼ばれたもんだな」


 九条さんが、通知文をのぞきこみながら肩をすくめる。


「で、どうする、局長?」


「行くしかないでしょ」


 御影さんは、笑みを浮かべた。


「こういう“めでたい式典”ほど、断ったら後で面倒なことになるからね」


 その言い方に、相馬さんが「だな」と乾いた笑いを重ねた。



 市庁舎の中庭は、箱庭みたいな場所だった。


 石畳の四角い広場を、ぐるりと回廊が囲んでいる。

 二階の回廊から見下ろすと、中庭の中央に置かれた小さな壇と、折り畳み式の椅子の列が、整然と並んでいるのがよく見えた。


 今日は、空がよく晴れている。

 高い庁舎の壁に挟まれた細い空の帯が、真っ白な光を中庭に落としていた。


「思ったより、こぢんまりですね」


 花が、隣で小声を漏らす。


「テレビカメラも来てないし」


「新聞社のカメラは、ほら」


 九条さんが、自分の肩の上を指さした。


「編集部から“ついでに撮ってこい”って頼まれた。明日の社会面の隅っこにでも載るんだろ」


「“ついで”って言わないでくださいよ」


 私は苦笑しながら、壇のほうを見やった。


 壇の上には、市長ではなく、「市長代理」と書かれた名札が立てられている。

 グレーのスーツに身を包んだ男が、秘書らしい女性と何か言葉を交わしていた。


 ふと視線を横にずらすと、回廊の影の中に見知った姿があった。


 七瀬さんだ。


 いつもの作業着ではなく、今日は少しだけ小綺麗なジャケットを羽織っている。

 柵にもたれかかって、こちらの様子を眺めているのが見えた。


(“一応、関係者”……ってところかな)


 目が合うと、彼は顎で軽く「よ」と合図を寄こした。

 私はほんの少しだけ会釈を返す。


「では、そろそろ始めましょう」


 秘書がマイクを持って壇上に立ち、形式的な挨拶を述べた。


 簡単な説明とともに、「帝都記録条例改正」の文言が、いくつかの言葉に分解されて空中に投げ出される。


 条例。改正。記録協力機関。指定。身分証。認定証。


 それらを、まだ上手く飲み込めないまま、私は列の中で背筋を伸ばした。


「それでは、市長代理よりご挨拶を申し上げます」


 拍手とともに、グレーのスーツの男がマイクの前に立つ。


「ええ……本日は、お忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます」


 よく通る、しかしどこか感情の薄い声だった。


「帝都は今、大きな転換期を迎えています。再開発、防災、防衛、さまざまな観点から、街の“形”を見直していかなければならない。

 そのとき、何よりも重要になるのが、“正確な記録”です」


 正確な、という単語が、喉に引っかかる。


「本日ここに、幻灯局を帝都記録協力機関として正式に指定いたします。

 今後、皆さんの撮る写真は、帝都の公式な“記憶”として長期保存されます。どうか誇りを持って、職務にあたってください」


 用意された言葉なのだろう。それでも、「誇りを持って」という一節に、わずかに力が込められているように感じた。


 拍手が起こる。

 半円形の回廊からも、パラパラと控えめな手拍子が降ってきた。


「それでは、認定証の交付に移ります。お名前を呼ばれた方から、順に壇上へ」


 秘書が、名簿を読み上げ始めた。


 御影さん。相馬さん。花。九条さん――。


「……宵宮灯子」


 自分の名前が響いた瞬間、足元の石畳の感触が急に遠くなる。


 私はゆっくりと列から抜けて、壇上への階段を上った。


 目の前には、小さなトレーが二つ置かれている。


 ひとつには、手のひらサイズの金属製バッジ。

 もうひとつには、カード型の身分証。


「これが、宵宮さんの認定バッジと身分証になります」


 市長代理が、にこやかに言う。


「今後、危険区域への立ち入りなどの際には、その身分証を提示してください。よろしくお願いします」


「……はい」


 私は、両手で受け取った。


 バッジは、思ったよりも重かった。

 光沢を抑えた金属に、「帝都記録協力機関」と小さな文字が刻まれている。


 身分証カードの表面には、私の顔写真と名前と所属。

 その下に、長い番号と、幻灯局のロゴマーク。


 裏面には、細かい文字と、バーコードのような模様がちらりと見えた。


(後で、ちゃんと読まないと)


 そんなことを思いながら、私は軽く頭を下げて壇を降りた。


 自分の席に戻る途中、回廊の影から見下ろしている七瀬さんと目が合った。


 彼は片手をひらひらと振り、口の形だけで「おめでと」と言った。


 ――少しだけ、誇らしい気持ちになったのは事実だった。


 私たちが撮ってきたものが、「帝都の記憶」と呼ばれる。

 それは、単純に嬉しいことのように思えた。


 同時に、胸の奥で、小さな針のような違和感が、ゆっくりと回り始めていた。



 式が終わると、中庭はあっという間に片付けモードに入った。


 秘書たちが椅子を畳み、壇を片付け、準備室に運び込んでいく。

 市長代理は、すでに次の会議へ向かって姿を消していた。


「……ふう」


 私は、少し人の少ない場所を探して、庁舎の屋上テラスに出た。


 テラスには、腰の高さほどの柵があり、その向こうに帝都の街並みが広がっている。


 遠くに、路面電車の走る線。

 その下を横切る川の橋。

 再開発エリアのクレーン。

 鉄道の高架と、古い街並みと、新しいビルの群れ。


 その全部に、さっきまでの式で聞いた「記録」という言葉が、薄くかぶさって見えた。


 胸ポケットから、さきほどの身分証カードを取り出す。


 表面を親指でなぞると、印刷された自分の顔が、白い光を反射した。


 裏面をひっくり返す。


 小さな文字が、几帳面に並んでいる。


 ――帝都記録協力機関 局員身分証 裏面規定。


 ・本証は常に携行し、求めに応じて提示すること。

 ・危険区域への立入に際しては、事前申請および承認を要する。

 ・本証に紐付く携行記録は、定期的に市庁舎記録サーバーへ提出すること。

 ・携行記録とは、撮影日時・撮影地点・撮影対象区分その他……


「携行記録……?」


 声に出して読みかけたところで、背後からひょいとカードをひったくられた。


「貸してみ」


「わっ」


 振り向くと、七瀬さんがそこにいた。


 式のときよりも、表情がすこし砕けている。


「おめでとう。これで堂々と、いろんな現場に入り込めるな」


「……ありがとうございます。一応、そういうことみたいです」


「一応、ね」


 七瀬さんは、カードの裏面を光に透かしながら、眉を上げた。


「“どこでいつ、何を撮ったか”をきっちりログとして出せって条文、ちゃんと読んだか?」


「えっ……」


 さっき流し読みした一行が、急に重くなる。


 携行記録のログ提出義務。

 撮影日時、撮影地点、撮影対象区分――。


「つまりだ」


 七瀬さんは、カードをひらひらと振って見せた。


「あんたらが、どこで、何にカメラを向けたか。その足跡は全部、行政のサーバーに残るってことだ」


「……監視、ってことですか?」


「言い方を変えれば、“安全管理”だよ」


 肩をすくめながらも、口元には皮肉な笑いが浮かんでいる。


「危ない場所には、勝手に入らないでくださいね。

 危ないものを撮ったら、ちゃんと教えてくださいね。

 誰が、いつ、どこで、何を見たかを、“管理”させてくださいね」


 カードを返されても、すぐには受け取れなかった。


 バーコードの列が、黒い鎖のように見えた。


「表向き、圧力は減ったように見えるだろ」


 七瀬さんは、柵に肘をついて、下の街を見下ろした。


「軍から直接“原板よこせ”って言われたり、教会から“礼拝堂は撮るな”って言われたり。

 そういう露骨なのは、だんだん減っていくかもしれない」


「……代わりに?」


「代わりに、こういう“ルール”が増える」


 七瀬さんの視線の先で、路面電車がゆっくりと交差点を曲がっていく。


「どこまでが安全で、どこからが危険か。

 誰が記録を撮っていい人で、誰が撮っちゃいけない人か。

 どの記録を残して、どの記録を消すか。

 それを決める権利が、ぜんぶ、“ログを握ってる側”に集まる」


 ログを握っている側――。


「……怖いことを、さらっと言いますね」


「怖がってくれるなら、言った甲斐がある」


 七瀬さんは、少しだけ笑った。


「まあ、“堂々と現場に入り込める”ってのも嘘じゃない。

 あんたの首からそのカード下がってたら、うちの現場にも入れやすくなる。

 軍も警察も、“協力機関さんですよね、ご苦労さま”って顔をするだろう」


「協力機関……」


「おあつらえ向きじゃんか。“帝都のために働く健気な記録係”」


 わざとらしく肩をすくめながらも、その目はどこか真剣だった。


「だからこそ、“あんた自身が何を撮るか”を、前よりもっとちゃんと考えときな」


 胸ポケットの中の手帳が、急に重くなったような気がした。


 あの小さな紙片たちも、全部どこかに“ログ”として記録されていくのだろうか。


「……七瀬さんは」


 気づけば、聞いていた。


「七瀬さんは、どうしてそんなこと、教えてくれるんですか?」


 七瀬さんは、少しのあいだ黙っていた。


 遠くでクレーンが動く音がする。

 風が、テラスの植物を揺らしていく。


「俺は、“表の線引き”と“裏の線引き”をやる仕事だからな」


 やがて、彼はぽつりと言った。


「どっちの線が、どっちの人間に食い込んでいくかくらいは、見ておきたいんだよ」


 それが答えなのかどうか、よく分からなかった。


 けれど、その言葉が妙にこの街に似合っているように思えた。



 その頃、庁舎の別の階では、厚い扉の向こうで別の会議が始まっていた――と、あとから聞いた。


 扉の向こうで何が話されたのかを、私は直接見ていない。


 でも、夕方になって相馬さんと御影さんと九条さんが戻ってきたとき、その顔と口振りから、だいたいの雰囲気は伝わってきた。


「要するにさ」


 喫茶店でコーヒーを前にして、九条さんが半ば笑いながら言った。


「“あんたらの活動を制限したいわけじゃありません。ただ、事故が起きないように、ルールを明文化したいだけです”ってやつだ」


「危険区域への出入り時の事前申請、とか?」


 私は、さっき身分証の裏面で見た単語を思い出す。


「そうそう。

 “事前に行き先と目的を申請してくださいね、許可が出れば堂々と入れますよ”って。

 で、その許可を出すのは誰かっていうと、だいたい今日、同じテーブルに座ってた人たちだ」


 行政の担当者、軍の担当者、メディアの窓口。


「撮影データの定期バックアップ先も、“市庁舎の記録サーバーに一本化しましょう”って話だったね」


 御影さんが、スプーンでカップの縁を軽く叩きながら言った。


「“流出防止”と“災害対策”という名目で。

 その代わり、公開に不適切と判断された写真の処理フローも、きっちり決めましょう、って」


「処理フローって、どういう?」


「“公開停止”“閲覧制限”“破棄”の三段階」


 相馬さんが、面倒くさそうに眉間を押さえた。


「軍の施設が写り込んだ写真については、まず軍で確認。

 破棄するかどうかは、その上で判断しましょう――だとよ」


「“破棄するかどうか”って言葉、わりと簡単に出てくるんですね」


「そこ、九条が噛みついてた」


 御影さんが、苦笑まじりに言った。


「“破棄するかどうかなんて単語、軽々しく口にしないでほしいですね”って」


「いや、そこまでストレートには言ってねえよ」


 九条さんは、手を振って否定する。


「“記録ってのは、後から見返せるから意味があるんじゃないですか?”

 “なかったことにする作業は、できるだけ減らしてほしいですね”くらいだ」


「充分ですよ」


 私がそう言うと、九条さんは「そうか?」と首をひねった。


「御影さんは、何て?」


「私は、“出来る限り、なかったことにする作業は減らしていただきたいのですが”って、もうちょっとやんわり言っただけ」


 御影さんは、肩をすくめる。


「一瞬、場の空気が冷えたけどね。“検討します”って便利な言葉で、すぐ別の議題に移されたよ」


「……検討、か」


 私は、身分証カードの端を親指でなぞった。


 検討します。

 協力をお願いしたい。

 事故が起きないように。

 帝都の平穏のために。


 きれいな言葉の隙間から、細い線がいくつも伸びてきて、私たちの足もとに絡みついてくる。



 その日の夕方、私はもう一度、市庁舎の屋上テラスに出た。


 さっきよりも空は赤く、街の輪郭が少し柔らかくなっている。


 柵の上に肘を置いて、帝都を見下ろす。


 路面電車の線。

 川に架かる橋。

 再開発エリアのクレーン。

 低い家々の屋根と、遠くの高層ビル。


 その全部の上に、薄い透明な“網”がかかっているように見えた。


 ――危険区域。

 立入管理区域。

 観測対象区域。

 聖別区域。

 記録協力機関。

 携行記録。


 頭の中に、いくつもの区分と線の名前が浮かんでは消えていく。


「表向きは、“お墨付きもらえてよかったな”って話だ」


 背後から聞こえた声に振り返ると、相馬さんが階段を上ってきたところだった。


「新聞にもそう書かれるだろうよ。“市が幻灯局を正式指定”“記録体制の強化で市民も安心”ってな」


「……九条さんの記事、ですか?」


「さあね」


 相馬さんは、苦笑を浮かべる。


「あいつもさすがに、言いたいこと全部は紙面に書けねえだろ。

 だからまあ、“表向き”はそうなるって話だ」


「実際、よかったんじゃないですか?」


 さっき身分証を受け取ったときの、少しだけ誇らしい気持ちを思い出しながら、私は言った。


「危険区域にも入りやすくなって。私たちの撮った写真が、“帝都の記憶”って呼ばれるようになって」


「よかった部分も、そりゃあるさ」


 相馬さんは、柵にもたれて下を見た。


「でもな、灯子。

 “帝都の記憶”って言葉は、どっちの口から出てきた?」


「……市長代理の、口から」


「そういうことだ」


 彼は、指でテラスのコンクリートをこつこつと叩いた。


「記録ってのは、本来、誰のものでもないはずなんだがな。

 撮ったやつのものでもあり、写ってるやつのものでもあり、将来見るやつのものでもある。

 それを、“帝都の公式な記憶”ってラベル貼られた瞬間に、“所有者”が一人決まっちまう」


 所有者。


 その単語が、身分証のバーコードの上に重なる。


「市民のため、って言葉は嘘じゃねえだろう。

 でも同時に、“権力のため”って側面もある。

 両方いっぺんに抱え込んで、その真ん中にあんたらが立たされてる」


 私は、自分の足もとを見た。


 コンクリートの表面に、夕陽の光が斜めに落ちている。

 柵の影が細い線になって、その上に重なっていた。


「じゃあ――」


 口が、勝手に動いた。


「管理からこぼれたものは、もう“帝都”じゃないんでしょうか」


 屋上から見えるのは、条例や認定証やログで切り取られた帝都の姿だ。


 そこからこぼれ落ちた路地裏や、誰も見ていない礼拝堂の影や、地面に押された見えないスタンプや――そういうものは、もう“帝都”の外側に押しやられてしまうのだろうか。


 相馬さんは、その問いにすぐには答えなかった。


「さあな」


 しばらくして、ぽつりと言う。


「“帝都”って言葉の中に何を含めるか決めてるのも、結局は条例を書く側の人間だからな。

 そこからこぼれたもんを、“まだ帝都だ”って言い張るのは――多分、こっちの仕事だろ」


「こっち、って?」


「幻灯局だったり、俺たち個人だったり。

 あんたの手帳の中身だったり」


 ポケットの中の手帳が、また重くなった。


 七瀬さんが言った「足跡」。

 御影さんが言った「中立から外れる覚悟」。

 九条さんが言った「現場記事と公式発表の二重の真実」。


 それらが全部、細い線になって、私の周りに絡みついてくる。


「――面倒くさい街ですね」


 冗談めかして言うと、相馬さんは「今さらかよ」と笑った。


「面倒くさいから、仕事があるんだろうが」


「そうですね」


 本当に、そうなのかもしれない。



 その日の帰り道、路面電車の窓に、帝都のネオンがにじんでいた。


 昼間の式のことも、屋上で見下ろした街も、運用会議で取り決められたルールも、まだ頭の中で整理しきれていない。


 胸ポケットから身分証カードを取り出し、窓際の灯りに透かしてみる。


 自分の顔写真が、ガラス越しの街の光と重なった。

 裏面のバーコードの列が、電車の吊革の影と重なる。


 これから私がどこで何を撮るのか、その一つひとつに、細い線が引かれていくのだろう。


 その線を、全部“帝都のため”と呼ぶことは、きっとできない。


 それでも――。


 膝の上に開いた手帳に、「今日の一枚」として、まだ貼っていない写真をそっと差し込んだ。


 川沿いの礼拝堂でも、軍の施設でもない。

 庁舎の中庭で、半円形の階段の上から見下ろした、小さな交付式の写真。


 石畳の上に並ぶ椅子。

 その前に立つ壇。

 それを囲む回廊の影。


 箱庭みたいなその光景の中に、私たちの小さな立ち位置が、そのまま収まっている気がした。


 記録は誰のためのものか。

 市民のため。権力のため。将来の誰かのため。

 その答えは、たぶんもう、ひとつにはまとまらない。


 だからこそ、私は今日もシャッターを切る。


 身分証のバーコードに、自分の足跡を刻みつけながら。

 手帳の中に、誰にも見せない“もう一枚”を貼り重ねながら。


 揺れる電車の中で、私はそっと手帳を閉じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ