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帝都幻灯局 ― 失われた街を撮る者たち ―  作者: 灯坂 フィルム


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第30話「祈りと許可証」

 朝の幻灯局は、いつもより少しだけ静かだった。


 窓の外では、路面電車の電鈴が遠くで鳴っている。

 局の中では、蛍光灯の白い光に、昨日までに撮った写真のプリントが淡く照らされていた。


 川沿いの長屋と、礼拝堂。

 夕方の光と影。

 地面に並ぶ、見えないスタンプのような影。


 テーブルいっぱいに並べたそれらを前に、私はマグカップを両手で包みながら、ぼんやりと一枚ずつ目でなぞっていた。


「……眺めてるだけで、お茶が冷めちゃうよ」


 背後から、御影さんの声がした。


「確認してただけです」


「そう? なんだか、“取られないように見張ってる”ようにも見えたけど」


 冗談めかして言いながらも、その目は、私と同じようにプリントの列を静かに追っている。


「今日中に、行政向けの選別もしないとね。都市計画課に送る分は、あのリスト通りで」


「はい。……礼拝堂の扱い、どうしますか?」


「それも含めて、今日決めることになるかも」


 意味ありげな言い方に、私は首をかしげた。


「今日?」


「事前に、連絡が来ててね」


 御影さんは、壁の時計に目をやる。


「午前中に軍の施設局、午後に教会本部から。それぞれ“写真の扱い”について話があるそうだ」


 その言葉とほとんど同時に、局の玄関のドアベルが鳴った。



 午前の客は、きちんと時間どおりにやってきた。


 カーキ色の制服に、銀色の階級章。

 川沿いで会った将校が、今日は書類の入った黒い鞄を提げている。


「先日は、ご協力感謝する」


 応接用のソファに座ると、将校は背筋を伸ばしたまま、用件を切り出した。


「本日は、先日の記録写真について、“一部カットの扱い”を相談したくて参った」


「扱い、ですか」


 私は将校の向かい側、少し離れた椅子に腰を下ろしつつ、膝の上で手を組む。

 テーブルの上には、川沿いで撮影したプリントが束になって置かれていた。


「こちらが、今回の撮影分の一覧です」


 御影さんが、事前に作っておいた台帳を差し出す。


 将校はそれを開き、一枚目から順番に目を通していった。

 長屋の全景、軍の施設が遠くに写り込んだカット、礼拝堂と川を含む構図――。


 数枚目のところで、ペン先が止まる。


「……ここだな」


 将校の指が、ある番号のところを軽く叩いた。


「川沿いの構造物が、連続して写っているカットだ。堤防、観測塔、付近の設備類。

 今後の施設計画の配置が、外部から推測されかねない」


 台帳の該当番号に対応するプリントを、私は束の中から抜き出した。


 堤防の上から撮った写真だった。

 川、長屋群、その奥に小さくアンテナ塔のようなものが並び、その足元に箱状の設備が見える。


 夕暮れの光で、全部が一枚の“風景”として溶け合っている。


「このカットを、“機密指定”にしたい」


 将校の声が、少し低くなる。


「安全保障上の問題だ。君たちも帝都に暮らしている以上、分かってくれるだろう?」


「……機密指定、というのは、具体的には?」


 御影さんが、淡々とした調子で尋ねる。


「公表不可、という意味であれば、もともと行政への提出以外は――」


「いや」


 将校は首を横に振った。


「問題にしたいのは、“公開範囲”だけではない。原板そのものの扱いだ」


 嫌な予感がした。


「原板、ですか?」


 自分でも驚くくらい、声が小さくなっていた。


「そうだ。

 そのカットに該当する原板は、軍の保管庫で預かりたい。

 幻灯局には、“当該カットを撮影した”という記録と、必要であれば縮小したサムネイル程度の控えだけ残してもらえればいい」


 原板はこちらで保管――。


 つまり、写真そのものは、私たちの手から離れる。


「ちょっと、確認させてください」


 御影さんが、わざとらしいほど丁寧な口調で言った。


「機密指定にするのは、“外部への公開”のほうではなく、“幻灯局内部の閲覧”も含まれる、という理解でよろしいですか?」


「そうなる」


 将校はきっぱりと答える。


「この種の情報は、できるだけ少数の管理下に置くべきだ。

 そこから漏洩すれば、帝都全体の安全保障に関わる問題になる」


「……なるほど」


 御影さんは、短く相槌を打つ。


「軍の保管庫で適切に管理する、ということであれば、原則として反対する理由はありません。

 ただし、当局として、いくつか条件を確認させてください」


 条件。


 そこで一瞬、希望のようなものが胸をかすめる。


 でも、その希望は、話を聞くうちに少しずつ形を変えていった。


「まず一点。

 当該原板を、今後一切、幻灯局が閲覧することは不可能になるのでしょうか?」


「“今後一切”とは言わない。必要が生じた場合には、所定の手続きを経て、軍の管理下で閲覧することは可能だろう」


「所定の手続き、というのは?」


「そのときの状況に応じて判断することになる。少なくとも、“幻灯局が自由に出し入れできる”という性質のものではなくなる、ということだ」


 きれいな言い回しの中に、「基本的には無理だよ」と書かれているように聞こえた。


「もう一点。

 当該原板が軍の保管庫に移された後、何らかの理由で破棄された場合――幻灯局にその報告はいただけますか?」


「破棄する予定はない。……が、戦時・有事においては、状況は変わり得る」


 将校の声に、わずかに苛立ちが混じる。


「そちらは“記録機関”だろう? 我々は“防衛機関”だ。優先順位が違う」


 その言葉が、胸に刺さった。


 わかっている。役割が違うことくらい。


 でも、それでも――。


「……記録を撮った側として、確認しておきたいんです」


 気づけば、言葉が口から出ていた。


「その写真が、“撮られなかったこと”になるのかどうか、だけは」


 将校が、こちらを見た。


 真っ直ぐで、少しだけ冷たい視線。


「“撮影記録”そのものは、残るだろう。

 どの日時に、どの場所で、どのような内容の撮影が行われたか。その程度なら、問題ない」


 それは、“あったこと”の輪郭だけを残して、中身を抜き取る、という意味だった。


 御影さんが、私のほうをちらりと見てから、将校に向き直る。


「了解しました。

 軍の保管庫と、当局の原本棚とで、重複して同じリスクを抱えるよりは、どこか一箇所で厳重に管理したほうがいい、という考えは理解できます」


 あえて、全面的な反論はしない。


 ただ、その口調のどこかに、薄い皮肉のようなものが混じっているのを私は感じた。


「ただし」


 御影さんは、少しだけ声を柔らかくした。


「原板を移管する前に、当局内での整理と、最低限の記録を残す時間はいただきたい。

 番号、撮影位置、構図の概要。……それくらいは、“幻灯局が撮った”という事実として保存しておきたいので」


「それくらいなら構わん」


 将校は、あっさりと頷いた。


「三日以内に、該当原板を封筒に入れて用意しておいてくれ。

 軍のラベルを貼り、正式な受領書とともに引き取る」


 そう言って、彼は立ち上がる。


 机の上に残されたのは、チェックの入った台帳と、“機密扱い”の印が斜めに押された申請書だった。


 軍のラベルが貼られた封筒が、無機質な金庫へと吸い込まれていく――そんな未来の映像が、ふっと頭に浮かぶ。


 そこに入った写真は、“帝都の記録”である以前に、“軍の所有物”になる。


 今、私の目の前にあるプリントの光と影が、急に遠くなったような気がした。



 午前中の用事が終わると、妙な疲れがどっと出た。


 コーヒーを淹れ直しに立った私を見て、御影さんが小さく笑う。


「顔に“取られたくない”って書いてあったね」


「……見えてました?」


「丸見え」


 あっさりと言われて、思わず黙り込む。


「でもね、軍に預けること自体が、完全な“敗北”だとは私は思ってないよ」


「そう、ですか?」


「向こうの金庫には、向こうの事情で守られる理由がある。こちらの棚には、こちらの事情で守りたい理由がある。

 本当の問題は、“どこにも残らない”ことだから」


 言いながら、御影さんはテーブルのプリントの束を整えた。


「それに――」


「それに?」


「午前中は軍。午後は教会。本日の圧力セット、まだ半分残ってる」


 さらりと言われて、私は思わずため息をついた。


「……セットって言わないでください」



 昼過ぎ、二回目のドアベルが鳴った。


 現れたのは、白いカラーのついた黒い服に、落ち着いたロザリオをかけた中年の男性だった。

 川沿いの礼拝堂で会ったシスターとは違い、いかにも“本部から来ました”という感じの、少し硬い雰囲気を纏っている。


「はじめまして。〇〇教区本部より参りました、××と申します」


 丁寧な自己紹介のあと、司祭はまっすぐ応接室へ通された。


 テーブルの上には、礼拝堂が写っている写真だけを選んで並べてある。


「先日は、当教区の礼拝堂を撮影していただき、ありがとうございました」


 司祭は、一枚一枚に視線を落とし、静かに言った。


「現場のシスターからも、報告を受けております。“礼儀正しく、礼拝堂を尊重して撮ってくれた”と」


「光栄です」


 御影さんが、柔らかく頭を下げる。


「本日は、その礼拝堂の写真について、少しお願いがありまして」


 司祭の声が、少しだけ低くなった。


「礼拝堂が、“取り壊し前の記念”のように写されているのは、信徒たちの不安を煽ります。

 あたかも、“もうすぐ失われる聖なる場所”であるかのように」


 その言葉に、私は胸がちくりとした。


 たしかに、夕暮れの光に照らされた礼拝堂は、どこか“最後の姿”のようにも見える。


「教会としては――」


 司祭は、もっと直接的な本音を口にした。


「礼拝堂がはっきり写っているカットを、行政の資料として“残さないでほしい”と考えています」


 御影さんが、わずかに首を傾げる。


「“残さない”というのは、どういう意味合いでしょうか。

 都市計画課への提出分に含めない、という話であれば、調整の余地はあるかと」


「それだけではありません」


 司祭は、きっぱりと言った。


「幻灯局の原本棚においても、礼拝堂が主題となっているカットは、“教会の管理下”に置いていただきたいのです。

 残すとしても、教会側のアーカイブにコピーを預けていただく形で」


 軍とは逆だ。


 軍は、“原板はこちらで”と言った。

 教会は、“ここにある原板を、そのままにしておくのは困る”と言う。


 どちらも、「ここに置いておくのは安心できない」という意味では同じだった。


「神の家は、行政の都合や軍事的な理由で“ついでに撮られるもの”ではないはずです」


 司祭の言葉には、静かな怒りがにじんでいた。


「川の工事のついでに。区画整理のついでに。防衛施設のついでに。

 そうした“ついで”の眼差しで撮られた神の家の写真が、いつの間にか“取り壊し前の記念写真”として一人歩きする――

 そういうことを、私たちはとても恐れているのです」


 私は、礼拝堂の前で扉の取っ手を握りしめていたシスターの姿を思い出した。


 あのときの表情は、まさにこの司祭が言葉にした不安そのものだったのかもしれない。


「……気持ちは、分かる気がします」


 思わず、口にしていた。


 司祭が、意外そうに私のほうを見た。


「私たちは、“神さまのために”撮っているわけではないです。

 でも、“誰かにとって大事な場所”を、“ついで”で撮っているわけでもなくて。

 それを、どう扱われるのか分からないまま手放すのが、怖いというか……」


 言いながら、自分が誰の側に立っているのか、よく分からなくなっていく。


 教会側も、“扱い”を気にしている。

 私たちも、“扱われ方”を気にしている。


 その真ん中に、礼拝堂がある。


「ですから」


 司祭は、少しだけ表情を和らげた。


「あなた方が、“礼拝堂を尊重して撮ってくださった”ことには、本当に感謝しています。

 それでも、教会としては、これらの写真が、信徒たちの心にどんな影響を及ぼすかを考えざるを得ない。

 どうか、その点だけ理解していただきたいのです」


 御影さんが、ゆっくりと頷く。


「理解しました。

 行政の資料として礼拝堂を強く打ち出すつもりはもともとありませんし、教会のアーカイブの扱いについても、検討の余地があると思います」


「助かります」


「ただ、一点だけ」


 御影さんの声が、少しだけ硬くなる。


「礼拝堂が“この場所に存在した”という事実そのものを、記録から完全に消すことはできません。

 それは、神さまに対しても、信徒の方々に対しても、失礼なことだと思うので」


 司祭は、しばらく黙ってから、小さくため息をついた。


「……理想を言えば、“記録してほしくない”のです」


 正直な本音だった。


「ですが、帝都の今の状況を考えれば、“まったく何も残さないこと”にも、別の恐ろしさがある。

 だからこそ、私はこうしてここに来ているのだと思います」


 軍の将校とは違う種類の苦さが、その言葉の中にはあった。



 軍と教会、それぞれの要望を聞き終えたあと、応接室には、重たい沈黙が残った。


「……で、どうするんですか、これ」


 私はテーブルに両肘をつきながら、プリントの束と書類の山を交互に見た。


「軍は原板を持ちたがるし、教会はアーカイブを握りたがるし。

 行政向けの“公式ファイル”も作らなきゃいけない」


「忙しくなるねえ」


 御影さんは、まるで他人事みたいに言う。


「そういう問題じゃないです」


 思わず声が荒くなった。


「なんかもう、“記録機関”っていうより、“誰の顔を立てるかを調整する窓口”みたいで」


「それも、今の幻灯局の仕事のひとつだと、私は思ってるけどね」


「……納得できるんですか?」


「全部に、じゃないよ」


 御影さんは、ふっと笑って、指でテーブルを二回、とんとんと叩いた。


「だから、分ける」


「分ける?」


「行政向けの“公式ファイル”。

 軍の意向を反映して、一部カットは機密扱いで別管理。礼拝堂の扱いも、教会にとってあまり刺激的にならないように、少しぼかしたバージョンで整理する。

 それとは別に――」


 御影さんは、川沿いのプリントの中から、一枚を引き抜いた。


 地面に並ぶ“スタンプ”の影が写っているカットだった。


「幻灯局内部だけで閲覧できる、“非公開ファイル”を作る。

 灯子ちゃんが撮った“境界線のスタンプ”も含めた、完全版。軍や教会の要求を受ける前の、オリジナル」


「……二重のファイル、ってことですか」


「そうなるね」


 あまりにもあっさりと言われて、私は言葉を失った。


「そんなやり方、いつかバレませんか?」


「バレるかもしれない」


 御影さんは、少しも否定しなかった。


「でも、全部言うことを聞いていたら、うちはそのうち“誰かの代理店”になる。

 行政の代理店かもしれないし、軍のかもしれないし、教会のかもしれない。

 記録機関の看板を掲げた、“おあつらえ向きの正当化装置”だ」


 その言い方には、珍しく棘があった。


「“中立”でいるっていうのはね、本当はすごく難しいんだよ」


 御影さんは、自嘲気味に笑う。


「一枚の写真を、“誰に見せて、誰に見せないか”を決めた時点で、完全な中立なんて、もう成立しない。

 私たちはたぶん、とっくに“完全にきれいな記録者”からは外れてる」


 その自覚を、こんなにあっさり口にする人を、私は初めて見た。


「それでも――」


「それでも?」


「どこかに、本当の帝都を残しておきたい、と思ってしまうんだよね。

 軍の金庫の中にも。教会のアーカイブの中にも。行政の公文書にも。

 ……そして、うちの原本棚と、君の手帳の中にも」


 私の手帳。


 “今日の一枚”と一緒に、貼りつけたメモたち。


「そのためには、時々、“きれいな中立”から外れる覚悟も必要になる」


 御影さんは、静かに言った。


「全部をどこかに預けてしまって、“何も残っていません”よりは、ずっとマシだから」


 その理屈は、きっと正しいのだと思う。


 でも同時に、どこかで線を越えてしまっているような怖さもあった。


 軍と教会から見れば、私たちは“都合のいい記録機関”ではなくなるのかもしれない。

 逆に、街の人から見れば、“本当の帝都”をこっそりしまい込む、怪しい組織にも見えるかもしれない。


「……記録の所有者って、誰なんでしょう」


 ぽつりと、本音が口をついて出た。


「撮影したのは私たちですけど。向こうは、“帝都の安全保障だ”“信徒の心だ”って言うし」


「さあね」


 御影さんは、少し肩をすくめた。


「法的には、市や軍や教会や、いろんな答えが出てくだろうけど。

 私個人としては、“帝都そのもの”のものだと思ってる」


「帝都の、もの……」


「帝都が、自分の顔をどう見せるか、自分では決められないからね。

 代わりに撮って、代わりに保存して、代わりに隠したり、代わりに晒したりしている。

 その責任の一部を、勝手に押し付けられてるのが、今の幻灯局なんだと思うよ」


 それは、冗談のようでいて、笑えない冗談だった。



 夜、喫茶店で。


 いつもの角の席に、花と九条さんと私が向かい合って座っていた。


 テーブルの上には、何枚かのプリントが並べられている。

 コーヒーカップの湯気が、写真の表面で揺れていた。


「で、軍に原板を持ってかれて、教会にアーカイブを握られて、行政には“問題のない構図”だけ出す、と」


 一通り今日の出来事を話し終えると、九条さんは苦笑した。


「行政の“公式発表”と、こっちの“現場記事”で別の真実が走るのは、まあよくあるけどさ。

 そっちも似たようなもんだな」


「九条さんのところも、そんなに違うんですか?」


「違わねえよ。

 上から“このトーンで書け”って言われたり、“この表現はやめろ”って赤ペンで消されたり。

 で、こっそり手帳に本当の言葉を書き留めておいて、“いつか”のために取っておく」


 それを聞いて、私は少しだけ笑った。


「私も、似たようなことしてます。

 公式用のプリントとは別に、“今日の一枚”として手帳に貼ってる写真があって」


「だろうなと思った」


 九条さんは、テーブルの写真を一枚つまみ上げる。


「こいつなんか、明らかに“公式用”じゃねえだろ」


 黒いスタンプのような影が並ぶ写真だった。


「これ、なんですか?」


 花が、興味深そうに身を乗り出す。


「川沿いの礼拝堂の前で撮ったやつです。

 夕方の光で、長屋と礼拝堂の影が重なったところに、こんなふうに影の点が並んでて」


「へえ……」


 花は、じっと写真を見つめる。


「なんか、……地面に見えない判子押してるみたいですね」


「そう、見えるよね」


 私は少し嬉しくなる。


「私だけの見間違いじゃないんだって思えて」


「私、どっちも“帝都の写真”だと思います」


 花は、テーブルに並んだ他のプリント――長屋群の全景や、川と堤防を含んだカット――を順番に見ながら言った。


「軍の人が困るから隠したい写真も、教会の人が嫌がるからそっとしておきたい写真も、

 行政が見せたい“きれいな川沿い”の写真も、

 灯子さんが“本当の線だ”って思った写真も。

 どっちかが嘘で、どっちかが本当っていう感じじゃなくて」


 花の指が、二枚の写真の上を行き来する。


「ただ、どっちを見せるかで、ちょっとずつ違う街になっていくだけで」


 その言葉に、胸の奥がふっと軽くなった気がした。


「……そうかもしれない」


 見せる写真と、隠される写真。

 公開ファイルと、非公開ファイル。

 軍の金庫と、教会のアーカイブと、行政の公文書と、幻灯局の原本棚と、私の手帳。


 どこに何が残るかで、帝都という街の“顔”は少しずつ変わっていく。


 たぶん、私はもう“完全にきれいな記録者”には戻れない。

 誰の顔を立てて、誰の目を避けて、誰のために残すのかを、いやでも考えてしまうから。


 それでも――。


「どこかに、本当の帝都を残しておきたいって、思っちゃうんですよね」


 気づけば、言葉になっていた。


「誰にも見せられないかもしれないし、いつか全部、まとめて消されちゃうかもしれないけど。

 それでも、“たしかにここにこういう線があった”って、自分で覚えておきたくて」


 九条さんが、コーヒーをひと口飲んで、にやりと笑った。


「じゃあ、せめて俺が生きてるうちは、そっち側の“真実”を時々覗かせてもらおうかね」


「わ、私も見たいです」


 花が、慌てて手を挙げる。


「こっそりでいいので、“今日の一枚”の話、また聞かせてください」


 二人の言葉に、私は小さく笑った。


 完全にきれいな記録者じゃなくなった代わりに、こういう“共犯者”が増えていくのかもしれない。


 店の外では、ショーウィンドウに帝都のネオンが反射している。

 喫茶店のガラス越しに見る街の光は、どこかフィルムのコマみたいだった。


 テーブルの上の写真。

 コーヒーカップの湯気。

 窓の外のネオン。


 全部ひっくるめて、“今夜の帝都”なんだろう。


 私は、ポケットの中の小さな手帳の存在を確かめながら、ふとそんなことを思った。


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