第13話「橋の下の名簿」
午後の幻灯局は、川風よりも紙の匂いが強い。
窓を伝う光は淡くて、外の川面がどんよりしていることだけは分かる。遠くを走る路面電車の音が、ビルの谷間をすべってきては、局の壁に当たって、そこではじめて私の耳に届く。
私は机の上で、前の案件の写真を並べていた。坂の上の神社、雨上がりのアーケード。モニターに映るサムネイルはカラフルで、けれどまとめて見ると、どれも少しずつ色が抜けていく途中のようにも見えた。
そんな中で、局のドアがノックもなく開いた。
「こんにちはー。今日もお役所仕事で忙殺されてますか、帝都幻灯局さん」
九条さんだった。いつものヨレたシャツに、今日は珍しくネクタイらしきものがぶらさがっている。雨上がりのせいか、靴の裏に湿った砂利をくっつけたまま、ずかずかと入り込んでくる。
「ノックくらいしてから入ってください」
私は、一応抗議の声を上げる。
「ドア開いてたからさ。開いてる局は、だいたい歓迎してくれてるって解釈してる」
「その解釈、誰が決めたんですか」
「現場感覚」
九条さんは、自分のカバンをどさっと机の横に置くと、封筒を一つ取り出した。
「で、本日の“タレコミ”のお時間です」
御影さんは、コーヒーを淹れかけていた手を止めずに、「聞くだけは聞こうか」とつぶやく。
封筒の中身が、私の机の上に広げられた。
古い都市計画図のコピー。色分けされた再開発エリア。太い線で描かれた川と、その脇を走る高架。その高架の下に、小さな長方形がいくつも並んでいる。
「ここ、分かります?」
九条さんが、人差し指で一列をなぞる。
「川沿いの高架下に並んでる簡易宿泊所。昔から“あの辺ねえ……”って言われてるドヤ街。相馬さんの担当エリアだったところ」
名前を出された相馬さんは、ソファの背もたれに凭れていた身体を、わずかに起こした。
「過去形で言うなよ。まだ地図の上では生きてるだろう」
「いや、それがですね」
九条さんは、もう一枚の紙を重ねた。今度は、ここ数年の防災マップらしい。
同じ川沿いに、太い赤い線で「危険地域」と塗られた帯。その中に、「簡易宿泊所」と書かれた小さな文字が、かろうじて印刷されている。
「防災マップだと、こう。建物のアイコンは曖昧だけど、“危険地域”としては認識されてる」
さらに、三枚目。最新の再開発計画書の抜き出し。
色分けされた再開発ブロックの中で、問題の場所は、すとんと空白になっていた。
「で、今の再開発資料だと、“ここは空き地”になってる。建物マーク、どこにもない」
九条さんは、指でトントンと叩く。
「どう思います、相馬刑事」
相馬さんは、コピー用紙をしばらく黙って見ていた。視線が、古い図面と新しい図面の間をいったりきたりする。
「図面の上で勝手に空地にしても、現場が消えるわけじゃない」
低い声。
「まあ、だからこそ気持ち悪いんですけどね」
九条さんは、肩をすくめる。
「前に相馬さんがやってた、あの身元不明の遺体の件。あのエリアだったでしょう? 再開発図から“丸ごと”抜けてるってことは、何かしら“大きな力”が働いてるんじゃないかって。記者としては、特ダネ臭を感じるわけですよ」
「“大きな力”とか軽々しく言うな」
相馬さんの声には、少しだけ棘が混ざっていた。
御影さんが、その空気をなだめるようにコーヒーを差し出す。
「九条くん。《特ダネ》はひとまず置いておいて。現場に何があるかを見るのが、うちの順番だ」
彼は、再開発資料を一枚抜き取り、その余白に何か書かれているのを指でなぞった。
小さな付箋が貼られている。《この列はまとめて処理》というメモ書き。
誰の字かは分からない。日付もない。けれど、その一行だけで、そこにあったはずの生活が、線一本で片づけられてしまったような感覚を覚える。
「まとめて、ね」
御影さんが、ぼそりと言う。
「じゃあ、その“まとめて”を、こっちはバラして撮りに行こうか」
視線が、私の方に向く。
「川沿いだし、高架もある。絵的には、悪くないよ」
「……現場が“絵になる”からって、軽い気持ちで行っていい現場じゃないと思いますけど」
と、相馬さん。
でも、彼の声色には、完全な拒絶はなかった。
「行くなら、俺も行く。俺の案件だったんだから」
◇
路面電車を乗り継ぎ、終点からさらに十数分歩くと、街の空気が変わった。
川に近づくにつれて、ビルの高さが低くなり、空が広がる。その代わり、頭上には別の“空”ができた。コンクリートの高架だ。
太い柱が等間隔に並び、その上を幹線道路が走っている。車の音が、低い唸りになって下に落ちてくる。
高架の影の下に、古い建物が寄り添うように並んでいた。
看板の外された簡易宿泊所。薄茶色のトタン壁。外階段の手すりは錆びつき、二階の窓にはカーテンの切れ端のようなものが引っかかっている。
入口は、どこもコンパネで打ち付けられていた。板の隙間から見える暗闇は、昼間だというのに底が知れない。
路地の地面は、濡れていた。さっきまで降っていた雨が、まだ引ききっていない。アスファルトの上にできた水たまりに、高架の柱と建物の影が逆さまに並んでいる。
川は、路地の向こう側だった。柵の隙間から、鈍い光の水面が見える。潮の匂いと、油の混ざった匂いが、風に乗ってやってきた。
私は、カメラを肩から下ろし、ファインダーを覗いた。
高架の柱と、並んだ宿泊所の外壁。川面に映る逆さまの高架。柱と柱の間に、何本かだけ洗濯ロープが残っている。そこにぶらさがる、色の抜けた洗濯バサミ。
シャッターを切ると、カメラの中の世界は、現場よりもさらに静かになった。
「……建物自体は、残ってますね」
私は、ファインダーから目を離さずに言う。
「図面の上では、空き地なんだがな」
御影さんは、再開発資料のコピーを片手に、現場を見回していた。
古い都市計画図、防災マップ、最新の計画図。それぞれを交互に見比べながら、高架の柱の番号を確認していく。
「八軒。古い図面とも一致する」
彼は、ひとつひとつ建物を指さした。
「防災マップでは、このあたり一帯が“危険地域”として塗りつぶされてる。名前も形も曖昧なまま」
「で、最新の計画だと、ここは空き地」
九条さんの声が、背後から飛んできた。
彼も一緒に来ている。取材という名目で。
「空き地にしては、随分と“思い出の残りカス”が多いですけどね」
彼は、ポストの列を指さした。
各宿泊所の入口の横に、小さな金属製のポストが並んでいる。そこには、色あせた郵便物が、何通も突っ込まれたままだった。
封筒の表には、太字で「転送先不明」のスタンプが押されている。宛名のところだけ、氷のように白く浮かび上がって見えた。
相馬さんは、その一つに手を伸ばしそうになって、途中でやめた。
「触らない方がいい?」
私が聞くと、彼は首を振る。
「証拠になるかどうか、微妙なんだよな。十年も二十年も前の郵便物だったら、誰も本気では扱わない。けど、“ここに名前が残ってる”という意味はある」
彼の目は、ポストの向こうにある何かを見ているようだった。
川の音が、少し強くなる。高架の上を大型トラックが通ったのか、コンクリートがかすかに震える。
「相馬さん、ここ、前に来たことが?」
私は、ややためらいながら尋ねた。
「ああ」
短い返事。けれど、その一音に、積み重なった時間が染みている。
「身元不明者の遺体が見つかった。高架下の物置きみたいな部屋で。住民票も、戸籍も、何もない。“迷子の大人”だった」
“迷子の大人”。
聞き慣れない言い方だけれど、妙に納得できてしまう言葉だった。
「当時、ここにいた人たちの名簿を集めた。管理人が手書きでつけてたリストがあってな。それをどう扱うかで、警察と役所と福祉が揉めた」
相馬さんは、少し笑った。乾いた笑いだった。
「“こんな名簿を正式な記録にするのか”“こんなものを残したら責任問題になる”“いや、行方不明者の照会に使えるかもしれない”……。結局、あれはどこへいったのか、俺も知らない」
「どこかの引き出しで眠ってるか、もう捨てられたか」
御影さんが、淡々と補う。
「もしくは、誰かが意識的に“見えないところへ”回したか」
九条さんが、そう言ってメモ帳を開こうとしたのを、私は横目で見た。
「記事にするつもりなら、今すぐはやめてくださいね」
「そう簡単に出さないって。こっちだって、身の安全は惜しいから」
冗談めかして言いながらも、その目は真剣だった。
私は、再びカメラを構える。
高架の柱。宿泊所の列。川面の鈍い光。
レンズ越しに見ると、この場所は、どこにでもありそうな“古い街の一角”に見えた。けれど、計画図の上では初めから存在しない“空き地”。
どちらを信じるか。信じたいか。
その問いは、まだうまく言葉にならなかった。
◇
路地の奥に、崩れかけのダンボール箱が積まれている場所があった。
雨ざらしになった紙くずや服が、ぐしゃぐしゃに押し込まれている。風にあおられたビニールが、ひらひらと舞っていた。
その中に、濃い線で書かれた罫線が、かろうじて見えた。
私は、足を止める。
「……あれ」
近づいてみると、それは厚手の紙でできたバインダーのようなものだった。表紙は色褪せて、端がめくれ上がっている。
恐る恐る手に取ると、水を吸って重くなっていた。紙の間から、水滴がぽたぽたと落ちる。
ページをめくると、ボールペンの文字がにじんでいた。
部屋番号。名前らしきもの。日付のような数字。チェックマーク。
「101 トシ坊」「102 木村」「203 センセイ」「204 山田(仮)」――。
本名かどうか、分からない呼び名が並んでいる。漢字とカタカナとひらがなが混ざり、どこか子どもの落書きに似ていた。
「名簿……ですか?」
声が、自然と小さくなる。
御影さんと相馬さんが、すぐにそばに寄ってきた。
「……ああ」
相馬さんは、濡れたページに目を落とした。
「見覚えがある。管理人の字だ。書き足された分もあるが、ベースは同じだ」
彼の声は、ほんの少し震えていた。
「これが、例の名簿?」
九条さんが、距離をとりながら覗き込む。
「だったもの、かな」
御影さんは、バインダーの側面を指でなぞった。
紙は完全に波打ち、インクはところどころで黒い湖になっている。それでも、いくつかの名前は読めた。どの名前にも、横に小さなチェックマークがついていた。
「チェックは、何を意味してるんですか」
「さあな。家賃を払った印か、在室の印か。ここにいたまま行方が分からなくなった人にも、同じ印がついていたからな」
相馬さんの視線は、遠くに向かっていく。
私は、バインダーを持つ手に力を込めた。
このままここに置いておけば、いずれ完全に崩れて、名前もインクも地面に溶けていくだろう。そうなった時、この人たちは、「最初からここにいなかったこと」になる。
計画図の上では、もういない。役所の台帳の上にも、おそらくいない。残っているのは、この濡れた紙と、数人の記憶だけ。
「……撮ります」
そう言うと、自分の声が少しだけ震えているのに気づいた。
「いいのか?」
相馬さんが、こちらを見る。
「この名簿を撮ることで、誰かが何かの責任を負わされるかもしれない。逆に、撮らずに捨てたことが、もっと重いかもしれない」
彼の言葉は、どこか自分自身に向けられているようだった。
御影さんが、少し間を置いてから言う。
「全部を晒す必要はない」
彼は、名簿の端をそっとめくりながら続ける。
「名前の列を、全てくっきり写す必要はない。紙の質感や、にじんだインク、チェックマーク。『ここに名簿があった』という事実を示すのに十分なだけを撮ればいい」
「それで、意味はあるんでしょうか」
私の口から、ついこぼれた。
「意味を決めるのは、今じゃないよ」
御影さんは、バインダーから手を離し、川の方を一瞥した。
「十年後か、三十年後か。誰かがこの街の変化を辿る時に、“ここに名簿があった”という記録が、必要になるかもしれない。ならないかもしれない。けど、図面が“ここは空き地です”と言い張るよりは、マシだ」
図面がどう言おうと、という言葉が、頭の中に浮かぶ。
私は、そっとバインダーを地面に置き直し、その上からカメラを構えた。
濡れた紙。滲んだ文字。消えかけた名前。チェックマーク。
フレームの中に、自分の指先も入る。誰かがこれを拾い上げたこと。触れたこと。迷ったこと。その痕跡も、一緒に写しておきたかった。
シャッターを切る。
その瞬間だけ、川風の匂いも、高架の唸りも、消えた人たちの気配も、すべてが静止したように感じた。
◇
名簿を元の場所より少し高い、雨のかかりにくい段の上に移し、ビニールをひとつかけた。
即席の処置でしかない。それでも、完全に泥に返ってしまうよりは、少しだけましだと思いたかった。
その間に、御影さんは、川沿いの全景を撮る位置を探していた。
「灯子」
呼ばれて顔を上げると、彼は高架の柱の一本の脇に立っていた。
「ここからなら、川面、高架、宿泊所、全部入る」
私は、その横に立ち、ファインダーを覗く。
川が、画面の下半分を占めている。鈍い光を湛えた水面。その上に、高架と宿泊所が逆さまに映っている。実物の高架と建物は、画面の上半分に。
上下対称のようでいて、微妙にずれていた。
シャッターを切ると、カメラの中では、そのずれがさらに強調された。
「図面の上では、“空き地”にされてる場所です」
私は、小さく呟いた。
「ここには“何もない”ことになってる」
「“何もない”ことにしたい人がいる、だな」
九条さんが、少し離れたところで言う。
「再開発側」と彼はわざとらしく言わなかったけれど、その言葉はほとんど透けて見えていた。
相馬さんは、川の方をじっと見ていた。
「図面が先に歩いてる」
ぽつりと、彼が言った。
「現場より先に、計画の方が“ここはこういう場所です”って言い始める。そこに合わないものは、“空き地”とか“危険地域”にまとめて放り込まれる」
その言葉に、私の胸の奥が冷たくなる。
御影さんは、静かに言葉を足した。
「図面がどう言おうと、今ここにあった生活だけは写せる」
彼の視線が、私の持つカメラに向かう。
「建物が何軒あって、どんな外壁で、どんな郵便物が溜まっていたか。名簿が雨に濡れて、字が滲んでいたこと。相馬くんが、ここで立ち止まったこと」
私は、ファインダーを覗いたまま頷いた。
――写せる。写していいのか分からなくても、今写さなければ、二度と写せないかもしれない。
「……分かりました」
私は、もう一度シャッターを切った。
◇
夕暮れが近づくと、川の色が少しずつ変わっていった。
昼間の鈍い灰色から、薄いオレンジと紫が混ざった、水彩絵の具のような色に。
高架の柱の影は濃くなり、宿泊所の外壁は、それに押しつぶされるように暗くなる。
私は、川べりの柵にもたれながら、何枚か連続でシャッターを切った。
高架と宿泊所の影が、川面に逆さまに揺れている。その中に、ほんの一瞬だけ、人影のようなブレが映った気がした。
目の錯覚かもしれない。風が強くなって、水面がざわついただけかもしれない。
けれど、ファインダー越しに見たその瞬間、私は、「誰かがここに並んで川を見ていた」光景を、ありありと想像してしまった。
宿泊所の部屋から出てきた人たち。腰の曲がったおじいさん。薄いジャンパーを着た中年の男。荷物を抱えた若い人。名簿に“トシ坊”“センセイ”とだけ書かれていた人たち。
彼らが、橋の方を見上げたり、川の流れをぼんやり眺めたりしていた情景が、頭の中に浮かぶ。
私は、そのイメージごと、フレームに封じ込めるようなつもりで、最後の一枚を撮った。
◇
局に戻ると、外の光はほとんど残っていなかった。
蛍光灯の白い光が、書類とカップとキーボードを同じ色に塗っている。
私の机の上には、今日撮った写真のサムネイルがずらりと並んでいた。川沿いの高架、宿泊所の列、ポスト、名簿、川面のリフレクション。
その合間に、御影さんがスキャンした図面たちのデータも表示されている。古い都市計画図、防災マップ、最新の再開発資料。
画面の中で、線と線が重なり、ずれ、消えている。
「この列はまとめて処理、ね」
私は、再開発図面の端に残っていた付箋の文字を思い出す。
「処理されたのは、図面の上だけであってほしいです」
「図面が現場を消すのか、現場が図面を書き換えるのか」
御影さんは、コピー用紙を一枚取り上げ、その余白に鉛筆で小さく書き込んだ。
《川沿い高架下 簡易宿泊所列(旧)》
再開発図の、「空き地」とされている区画に、手書きの一行が加わる。
「うちは、おおっぴらに“計画に物申す”立場じゃないけど」
御影さんは、鉛筆をくるくると回しながら続ける。
「少なくとも、局のファイルの中では、“ここにあったもの”として記録しておく」
相馬さんは、机の端に座り、コーヒーを飲み干していた。
「名簿の写真、どう扱うかは、もう少し考えた方がいいな」
「公開しない前提で、局内資料に?」
「そうだな。少なくとも今は、“ここにこんな紙束があった”という証拠としてだけ。個々の名前を精査して、何かを照会し始めるには、準備も覚悟も足りない」
“準備も覚悟も”。その言葉は、おそらく、彼自身に向いている。
九条さんは、ソファの上であぐらをかきながら、ノートパソコンを閉じたところだった。
「記事は?」
御影さんが、さりげなく聞く。
「今日は書きません」
九条さんは、肩をすくめた。
「“再開発で消されるドヤ街”なんてタイトルで煽ることもできるけど、今出しても、誰もきちんと読まない。お涙ちょうだい記事にしかならない」
彼は、天井を見上げる。
「もう少し、この街全体の“間引き方”が見えてきたときのピースとして、取っておきます。……その時まで、局のファイル、なくさないでくださいね」
「なくしたくても、場所がない」
御影さんは、苦笑した。
私は、モニターに視線を戻す。
川面に映る高架と宿泊所の写真。ぱっと見には、ただの風景写真に見える。人の気配は、どこにもはっきりとは写っていない。
でも、画面の端には、濡れた名簿の写真のサムネイルが、ひっそりと並んでいる。滲んだ名前とチェックマーク。
そして、その少し離れた場所には、川面のリフレクションの中に、ごくかすかなブレが写っている一枚。
私は、その二枚を選び、同じフォルダに入れた。
フォルダ名は、「川沿い高架下簡易宿泊所列」。
キーボードを叩く指に、少しだけ力が入る。
画面の中の写真は、どれも静かだった。
けれど、今日ここに行って、名簿の紙を触り、川風を吸い込み、高架の下で相馬さんの横顔を見た自分だけは、その静けさの下にあるざわめきを、忘れないだろうと思う。
ビルの隙間を通って、路面電車の音が再び近づいてきた。
私は、モニターから目を離し、窓の外を見た。
川の上にかかる高架は、ここからは遠くて見えない。
その代わり、幻灯局の壁には、今日御影さんが書き足した一行が残っていた。
《川沿い高架下 簡易宿泊所列(旧)》
白い蛍光灯の下で、その鉛筆の文字だけが、少し濃く見えた。




