第7章 誘いのメール
やさしい言葉ほど、時に最も残酷だ。
“2人きりで”――その一文が、環の心を再び締めつける。
午後、穏やかな春の光がオフィスに差し込んでいた。
凪が新しいプログラムのチェックをしていて、
柊は社外打ち合わせから戻ったばかり。
環はいつも通りのデスクワークをしていた。
けれど、その静かな時間は長くは続かなかった。
――ピロン。
モニターの右下に、小さな通知。
「新着メール:差出人 miura_yuri@clayde.co.jp」
その文字を見た瞬間、
心臓の奥がキュッと痛んだ。
環はそっとマウスに手を伸ばす。
メールを開くと、文面が淡々と並んでいた。
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件名:もう一度だけ
三浦環様
どうしてもお伝えしたいことがあります。
このままでは、あなたが誤解したままになってしま
う。
私はあなたを責めたいのではありません。
ただ、ちゃんと顔を見て話がしたいのです。
あなたが今、どんな暮らしをしていても構いません。
2人きりで少しだけ。
会ってくれませんか。
三浦ゆり
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環の手が震えた。
その文字を見つめるだけで、胸の奥が冷たくなる。
――2人きりで。
たったその一文が、
身体の奥に残る“恐怖”を呼び覚ます。
◇◇◇
「環?」
背後から声がして、環はびくりと肩を跳ねさせた。
柊だった。
穏やかな声。
けれど、その目は真剣だった。
「……また、届いたのか。」
環はうなずく。
「はい……今度は、“2人きりで”って。」
柊はすぐに凪を呼ぶ。
凪が駆け寄り、画面を確認する。
「……完全に狙ってますね。」
「ああ。環を孤立させようとしている。」
柊は環の前にしゃがみ込み、
視線を合わせた。
「環、絶対に1人で動くな。
どんなことがあっても、俺か凪がそばにいる。」
環は唇を噛みしめ、頷く。
「……わかってます。怖いけど、逃げたくない。」
「逃げる必要はない。守る側に回るんだ。」
柊の言葉は力強く、
その声に凪も真剣にうなずいた。
「環さん、返信はこちらで書きましょう。
彼女を刺激しないように、でも情報は引き出せるように。」
「……私が書くんじゃなくて?」
「環の言葉を使う。でも俺たちが一緒に送る。」
「“あなたに会える日を楽しみにしています”――なんて、絶対書かないようにしましょうね。」
環は小さく笑った。
少しの恐怖と、少しの勇気が入り混じった笑み。
◇◇◇
3人は慎重に文面を練った。
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件名:Re: もう一度だけ
三浦様
ご連絡ありがとうございます。
現在業務が立て込んでおり、すぐにお会いすることは
難しいです。
必要なご連絡は、弊社代表(如月柊)を通してお願い
いたします。
どうぞご理解ください。
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柊が確認し、送信ボタンを押す。
その瞬間、画面の光が3人の顔を照らした。
「これでいい。」
凪がほっと息をつく。
だが、柊はモニターから目を離さなかった。
その瞳は、どこか遠くを見ているようだった。
「……この人は、環を“子ども”としてじゃなく、“所有物”として見ている。」
柊の低い声に、
凪も環も、何も言えなかった。
◇◇◇
夜。
ゆりのデスクでは、受信メールが静かに光っていた。
ゆりはそれを開き、
画面を見つめながら小さく微笑んだ。
「……代表を通して、ね。」
その指が、写真立てを撫でる。
「環、やっぱりあなたは私の子ね。
素直に、従うところがかわいい。」
彼女の笑みは、光のないガラスのように冷たかった。
孤立を狙う闇の中で、環の勇気が小さく光を放ち始めた。




