第4章 沈黙の中の狂気
誰もいない夜のオフィス。
その静寂の中に潜むのは、理性を超えた狂気だった。
夜のクレイド・インダストリーズ。
終業時間をとうに過ぎ、
オフィスには蛍光灯の白い光だけが残っていた。
佐伯俊哉は、残務処理を終えようとしていた。
今日も長い1日だった。
アークシステムズとの会議は、無事に終わった――
そう、“はず”だった。
環が突然倒れたとき、
彼女の顔が青ざめていたのを思い出す。
ただの貧血ではない、と直感が告げていた。
そしてその瞬間、隣にいた三浦ゆりの“表情”――
あの一瞬の笑みが、頭から離れなかった。
「……気のせい、か。」
自分にそう言い聞かせ、パソコンの電源を落としたそのときだった。
奥のデスクに、まだひとつ光が残っていることに気づく。
誰か、残っている。
足音を殺して近づくと――
そこにいたのは、三浦ゆりだった。
ディスプレイの光が彼女の頬を淡く照らす。
画面にはシステムの管理ログ。
それを彼女は、まるで呼吸のような自然さで操作していた。
カチ、カチ――。
音だけが静かに響く。
佐伯は声をかけようとした。
けれど、その瞬間、画面に映った文字が目に入った。
“tamaki.miura”
呼吸が止まった。
まさか――。
ゆりはディスプレイを見つめたまま、
ゆっくりと笑った。
「……見つけた。ねぇ、環。
あなた、私を忘れてないでしょう?」
その声は低く、穏やかで、
まるで子守唄のようだった。
しかし、言葉の温度だけが異様に冷たい。
彼女は机の端にある写真立てに手を伸ばす。
小さな子どもと笑う若い女性。
その写真の縁を、ゆりは指先でなぞった。
「……あの頃みたいに、かわいがってあげる。
ちゃんと、思い出させてあげるから。」
そのとき、彼女が笑った。
静かな、けれどどこまでも空虚な笑い声。
「ふふ……ふふふ……」
その笑いに、佐伯の背筋を冷たいものが走った。
理屈ではない――“人間としての危険”を感じた。
彼はそっとその場を離れようとした。
が、その足を止める。
ゆりのモニターの中で、
一瞬だけ、アークシステムズのアクセス権限の記録が表示された。
「……不正アクセス、か……?」
佐伯の手が震えた。
このまま放置すれば、確実に何かが起こる。
――あの人(環)を、守らなければ。
彼はゆっくりと後ずさり、
足音を立てずに部屋を出た。
廊下の明かりが遠ざかる中、
背後でゆりの声がかすかに響いた。
「もうすぐ、会えるわね、環。」
◇◇◇
外の空気は冷たく澄んでいた。
佐伯は夜空を見上げ、小さく息を吐く。
「……これは、ただの勘違いじゃない。」
月明かりが彼の横顔を照らす。
その瞳には、恐怖ではなく――
静かな決意の色が宿っていた。
「見つけた」――その声が、冷たい夜を裂いた。
過去は静かに、確実に近づいていた。




