第2章 初めての震え
心の奥に眠る“記憶”は、ある日突然息を吹き返す。
予期せぬ再会が、環の中に封じられた恐怖を呼び覚ます。
午後の会議室には、落ち着いた光が差し込んでいた。
アークシステムズの3人――柊、環、凪。
そして取引先のクレイド・インダストリーズの担当、佐伯俊哉。
プロジェクターのライトが白い壁に反射し、
静かな時間が流れる。
佐伯が資料を整え、笑顔で言った。
「本日はご足労いただきありがとうございます。
本日はシステム開発に関する要件整理と、今後のスケジュールについて――」
穏やかで、いつも通りの仕事の場。
環もメモを取りながら、静かにうなずいていた。
――そのとき。
会議室のドアがノックされ、
ひとりの女性が入ってきた。
「失礼いたします。クレイド・インダストリーズの三浦です。」
その声を聞いた瞬間――
環の指先がピクリと動いた。
ペンが音もなく床に落ちる。
目を上げた。
そこに立っていたのは、淡いグレーのスーツに身を包んだ女性。
整った髪。落ち着いた笑み。
一見、誰が見ても“礼儀正しい社員”。
けれど、環の身体は――凍った。
空気が止まる。
視界の奥が、ぼやける。
冷たい手が首筋を撫でるような錯覚。
呼吸が浅くなる。
耳鳴りが、した。
何かが――記憶の奥で、軋んだ。
柊がその変化に気づく。
「環?」
環は答えられなかった。
喉が動かない。
胸の奥で、冷たい何かが暴れだす。
三浦ゆりは、穏やかに微笑んだ。
「はじめまして。お会いできて光栄です。」
その笑顔が、
環の心に突き刺さる。
なぜかわからない。
ただ、怖い。
言葉にできない“恐怖”が、全身を締めつける。
環の視界がかすむ。
カップの中のコーヒーの香りが、遠くへ消えていく。
そして――息ができなくなった。
「環!」
柊が即座に立ち上がり、環の腕を支える。
ゆりが1歩踏み出そうとした瞬間、
柊の声が鋭く空気を切った。
「すみません、彼女、少し体調が悪いようで。
この場は一旦中断させていただきます。」
凪もすぐに立ち上がり、会議室のドアを開ける。
柊は環を抱きかかえるようにして外へ出た。
閉まりゆくドアの向こうで、
ゆりの声が微かに聞こえた。
「……やっぱり、覚えてるのね。」
◇◇◇
廊下の冷たい空気が、環の頬をかすめる。
柊はゆっくりと呼吸を合わせるように声をかけた。
「大丈夫、深呼吸だ。俺がここにいる。」
「……柊……こわい……」
「わかってる。もう大丈夫だ。」
柊の声は低く、あたたかい。
その声を聞きながら、
環の目に涙がにじんだ。
なぜ泣いているのか、自分でもわからなかった。
ただ、怖くて、悔しくて――
でも、隣に柊がいることで、ようやく呼吸が戻ってきた。
凪が小走りで戻ってきて言う。
「会議は僕が引き取りました。佐伯さんが、すぐフォローするって。」
「助かる。」
環は小さくうなずいた。
まだ震えが止まらない。
けれど、その震えは“過去”に怯えるだけのものではなかった。
胸の奥で何かが、かすかに動いている。
それは、恐怖と同時に――“思い出そうとする心”だった。
呼吸ができないほどの恐怖。
それでも、隣に柊がいた――それだけが、唯一の支えだった。




