第1章 揺らぐ日常
新しい日々は静かに始まる。穏やかな時間――その裏に、まだ知らない波が近づいていることも知らずに。
朝の光がガラス窓を透かして、白い壁に反射していた。
アークシステムズのオフィス。
コーヒーの香りと、パソコンの起動音。
いつもの一日が、またゆっくりと始まる。
「おはようございます。」
環がそっとドアを開けると、
デスクの向こうで凪が振り返って笑った。
「環さん、おはようございます! 今日も早いですね。」
「凪くんこそ。朝から元気ですね。」
「えへへ。柊先輩、まだ社長室ですか?」
「うん。出勤してからずっと柊真さんと資料見てるみたい。」
凪がコーヒーを2つ淹れて、環に手渡す。
カップの表面に、ゆらりと小さな湯気が立つ。
「環さん、今日の簪、なんですか?」
「これ? ローズクォーツ。」
「愛と癒しですよね〜。環さんは愛と癒しですよね〜。」
「何言ってるんですか、凪くん……」
そんなやり取りに、小さな笑いが生まれる。
空気があたたかくて、ほんのり甘い。
環は自分の席に戻り、
モニターを立ち上げながら、ふと小さくつぶやいた。
「こういう時間が、ずっと続けばいいのにな……」
その声が聞こえたのか、
後ろから聞き慣れた声が返ってくる。
「続けるために、俺たちは働いてるんだろ。」
振り返ると、柊が立っていた。
ネクタイを緩め、片手にコーヒーカップ。
その表情は相変わらず穏やかで、
けれど目の奥には、仕事人としての鋭さがあった。
「楽しそうだな、環。」
「柊……はい、楽しいですよ〜。」
柊は微笑んで、環の髪に軽く触れる。
「今日はローズクォーツだったか?」
「そうですよ〜。朝、見なかったんですか?」
「う〜ん、見なかったかな〜。」
「柊……今日はめずらしく朝からうわの空でしたからね。」
凪が咳払いをして笑う。
「朝からイチャイチャ禁止ですよ〜。ここ職場です〜。」
「仕事の前に、気合を入れてるだけだ。」
「……どんな気合ですか、それ。」
「もう夫婦漫才ですね、ほんと。」
オフィスの中に笑いが広がる。
その温もりが、
まるで小さな春の陽だまりのように柔らかかった。
◇◇◇
だが、その日の午前10時。
環のモニターに届いた1通のメールが、
この穏やかな空気を、静かに――揺らし始める。
何気ない朝に、確かに存在する「変化の予兆」。
環にとって、それは穏やかな日常が揺らぐ最初の瞬間だった。




