―プロローグ―
――音の消えた夜。
その静寂の奥で、誰かが目を覚ます。
偶然か、必然か。
1通のメールが、止まっていた時間を狂わせていく。
名前を見つけた瞬間、世界の歯車がわずかに軋む。
誰も気づかない闇が、確かに息づいていた。
Season2 ― 過去との対峙 ―
これは“再会”の物語ではない。
記憶の底に沈んだ、真実の亡霊が目を覚ます夜――。
静かな予兆 ― 1通のメール
深夜のオフィス。
残業明けの街が静まり返る中、
クレイド・インダストリーズのビルだけが、まだ明かりを灯していた。
システムソリューション部の一角。
モニターの光に照らされた横顔がひとつ――三浦ゆり。
整った姿勢で、キーボードを打ち続けていた。
無駄のない動き。
乱れのない机上。
1枚の紙も傾いていない。
いつも通りの完璧な夜。
ただ、その“いつも通り”の中に、
ほんの小さな異変が混ざった。
画面に並ぶ文字列の中に――
その名前を見つけたのだ。
三浦 環
指先が止まった。
瞬間、空気がわずかに揺れた気がした。
同じ姓。同じ響き。
偶然だと思えば、それまで。
けれど、ゆりの口角が静かに動く。
「……環。」
その声は、記憶の奥から這い出るような低さを帯びていた。
◇◇◇
ゆりは立ち上がり、ゆっくりとカップに手を伸ばした。
ぬるくなったコーヒーの香りが、どこか遠い記憶を呼び覚ます。
「……やっと、見つけたのね。」
彼女は自分の席に戻り、マウスを握りしめる。
宛先の入力欄に文字を打ち込む。
tamaki.miura@arc.co.jp
画面に並ぶ文字がひとつひとつ増えるたび、
胸の奥に小さな鼓動が広がっていく。
件名:お話できませんか
---
三浦環様
先日の会議では驚かせてしまってすみません。
ずっとお伝えしたいことがありました。
突然こんなメールを送ってしまって申し訳ないのですが、
どうしても直接、お話ししたいのです。
二人きりで、少しだけお時間をいただけませんか。
……ずっと探していたんです。
あなたに会える日を。
三浦ゆり
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送信ボタンを押す前に、
ゆりは机の上の古い写真立てに手を伸ばした。
写真の中の小さな女の子が、笑っている。
「ねぇ、環。
あなたは覚えてる?
あの夜、私の手を振り払ったこと。」
モニターの光がゆりの頬を照らす。
その表情は、笑っているようにも見えたし、
泣いているようにも見えた。
――クリック。
送信完了。
モニターに映る「送信しました」の文字を見つめ、
ゆりは小さく微笑む。
「これで、また始まるのね。」
◇◇◇
オフィスのドアが開く音がした。
佐伯俊哉が顔をのぞかせる。
「三浦さん、もうこんな時間ですよ。」
「ええ、あと少しだけ片づけます。」
ゆりの声は、いつもと変わらず穏やかだった。
けれど、その背中に漂う“何か”に、
佐伯は言葉にできない違和感を覚えた。
「お疲れさまです。」
「お疲れさまです、佐伯さん。」
その声を最後に、
夜のオフィスは再び静寂に包まれた。
ただ一つ――
誰も知らないメールが送られた音だけが、
確かにそこに響いていた。
ご覧いただき、ありがとうございます。
1通のメールが、すべての均衡を崩していく。
記憶は美しく、嘘はやさしく、そして――過去は残酷に。
ゆりの微笑の裏に潜むのは、懐かしさか、それとも復讐の影か。
彼女の「送信しました」という言葉が、
どんな結末を呼び寄せるのか。
次章、光の中に立つのは――誰だろう。
静寂の中で、まだ何かが動いている。




