表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/15

EP14 決断、起動。 ―選び戦う理由―

“選んでしまった”少年が最初に向き合うのは、

「誰のために動くか」「なぜ戦うのか」という問いだった。


第14話では、瀕死の戦闘から一命を取り留めた涼が、

静かに、自らの足で“次”に進むかどうかを見極めていきます。


病室での目覚め、知らなかった名前と組織、突きつけられる現実。

何も知らなかった彼が、何を知り、何を選ぶのか。


その選択の重さが、物語の新たな幕を静かに押し上げます。


「……知らない天井」


 かすれた声が、唇をかすめて漏れた。


 光が、静かに瞬いている。人工照明の白が視界に滲んでいるが、どこか遠くのものに感じられた。

 ここがどこかも、自分がどうなったのかも分からない。ただ、目を覚ました――その事実だけがあった。


 涼はゆっくりとまばたきを繰り返しながら、自分の体を確かめる。


 動かない。


 四肢はどこか他人のものであるかのように遠く、神経の端々はじんじんと鈍く疼いていた。

 体内の何かが欠けている。重力に沈むような感覚。だが、明確な痛みはない。


 (ああ……俺、死んだと思ったんだけどな)


 朧げな記憶の中に、紅の奔流が差し込む。響紅蓮。涼のすべてを打ち砕いた、あの男の名。


 その名前を思い出すと同時に、肺が、心臓が、体の奥で恐怖のように脈打った。


《視神経同期開始。意識レベルの安定を確認。佐藤涼、覚醒反応:正常》


 内側から響くのはARIAの声。《脳内会話》特有の反響音が、思考の縁に溶け込んでいく。


《義眼〈ARIA〉、システム稼働率92%。生体反応安定中。中枢神経系への損傷は継続修復モードに移行済み》


 視界の左下に、淡いUI表示が現れる。

 〈機能制限下モード/外部リンク遮断中〉。


 ARIAが生きている――いや、機能している。それが、何よりの現実だった。


(じゃあ、俺は……)


《生存しています。心肺停止直前での処置により、蘇生が成立しました。現在は安静環境下にあります》


「……うるせぇよ、もう」


 声にならない思考をそのまま音にした。かすれていたが、喉が動いたことが少しだけ嬉しかった。


 と、そのとき。


 「目が覚めましたね、佐藤涼」


 控えめでありながら、どこか鋭さを含んだ女性の声が耳を打つ。

 視界に現れたのは、一人の少女。黒髪を腰で切り揃えた無表情の少女。

 黒の制服に、胸元にはエンブレム。そして左肩には“一番隊”の識別タグ。


 「……誰だ」


 反射的に問うと、彼女は少しも表情を変えずに答える。


 「泉奈央。新別隊一番隊副隊長です。現在は、経過観察と情報引継ぎの任にあります」


 一番隊の副隊長? 見た目の年齢からは信じがたいが、その目には確かに“責任者の目”が宿っていた。


「…シンベツタイ……ね。んで、ここはどこなんだ」


 「新別隊・第七医療区画です。あなたは響紅蓮との戦闘により複合損傷を負い、戦闘後に回収されました。すでに三日が経過しています」


 響紅蓮――その名をまた聞くことになるとは思わなかった。


 肺が焼けるような気がする。


「あいつには……勝てなかった」


 「はい。身体能力、戦闘経験、装備性能、いずれもあなたを上回っていました」


 まるで審査結果のように淡々と言い放つその様子に、涼は少しだけ苦笑した。


 「……言い方ってもんがあるだろ」


 「私は事実を述べているだけです。私情であなたを扱うべき立場にはありません」


 冷たく聞こえるその言葉の裏に、妙な整合感があった。

 彼女は見下していない。ただ、全体の中の“一情報”として、自分を記録している。それが分かったから、逆に居心地が悪くなかった。


「……なんで、俺は生きてんだ」


 「あなたは、極めて特異な回復反応を示しました。医学的には“説明がつきにくい範囲”とされていますが、詳細の言及は保留とされています」


 明言を避けるようなその言い回しに、涼はほんのわずかに眉をひそめた。


(……説明できない何か、か)


 《補足:生体パラメータにおける再生速度は、通常値の6.9倍に達しています。詳細因子の特定は不可能です》


 ARIAがそう言った後、一瞬だけ“沈黙”が落ちる。


 ――何かがあるのだろう。だが、それは今、知るべきことではない。


 涼は息をひとつ吐き、薄く目を閉じる。


 死ななかった理由は分からない。けれど、ここにいる。

 自分の意思ではなかったにせよ、まだ世界に“繋がれて”いるということだけが確かだった。



 奈央は一度、静かに息を吸い込んでから言った。


 「あなたが回収されたのは、戦闘終了からおよそ七分後でした。出血量は致死域に達しており、ARIAの外部通知信号がなければ、発見はもっと遅れていたはずです」


 「……助けたのは、あんたじゃないんだな」


 「はい。私が到着したときには、すでに工藤隊長が現場にいました。彼の判断で、搬送と初期処置が行われたと聞いています」


 工藤――あの男の名が、意識の奥でゆっくりと浮かび上がる。最後に見たのは、あの空気の読めないようでいて、すべてを包み込んでくるような目。思い出すだけで、どこかくすぐったいような、落ち着かない気分になる。


 「……あんたも、その新別隊の一員なんだな」


 奈央はうなずいた。どこか、自分でもそれを再確認するかのように。


 「はい。先ほども言いました。一番隊の副隊長です。もっとも、“副隊長”といっても、この隊には上下関係のような明確な指揮系統は存在しません」


 「副隊長が……上下関係、ない?」


 「任務に応じて、それぞれが判断し、行動します。命令よりも、各人の“選択”を重んじるのが、この隊の基本です」


 「……自由すぎないか、それ」


 「自由は、無秩序とは違います。あなたは、“新別隊”をまだ知らないのですね」


 涼は、目だけで肯定を返した。


 奈央はわずかに姿勢を正し、説明を始めた。口調は丁寧だが、どこか個人的な想いも滲んでいた。


 「新別隊は、“新個別護衛隊”の略称です。山形自治区を拠点とし、現在は全六隊・総勢約百名。民間人の護衛、戦闘の未然防止、情報収集などを独自に行う、自警団のような存在です」


 その説明に、涼は目を細めた。


 「執行庁……でもないし、帝国軍区域官庁でもない。じゃあ何だよ、それ」


 「“支配されない人間こそが人間である”という初代隊長・須貝新の理念に基づいて設立された、完全な中立組織です。信仰にも政治にも所属せず、思想も個々に委ねられています」


 「……中立って、そんなうまくいくもんなのか?」


 「うまくはいっていません。ですが、それでも続ける意味があると、多くの隊員は思っているはずです」


 それはまるで、奈央自身の言葉のようだった。


 涼は息を吐いた。ゆっくりと、肺に溜まった言葉を押し出すように。


 「……俺が、ここにいるってのは、その組織に“拾われた”ってことか?」


 「はい」


 奈央の返答は、迷いのない一言だった。


 「響紅蓮の攻撃を受け、あなたは政府にもゲリラにも“不要”と判断された。けれど、工藤隊長はそれでも、あなたを助けた」


 「なんで……?」


 「私には分かりません。ただ──その結果、あなたは今ここにいます」


 言葉の最後に、奈央の声が少しだけ揺らいだ。そこに確かにあったのは、安堵と、もう一つ──かすかな躊躇い。


 涼は、答えなかった。ただ、視線を逸らすように天井を仰ぎ見る。


 この場所が安全だとは、まだ信じきれない。

 でも、少なくとも“敵意”は、ないようだった。


 奈央は、一拍おいてから続ける。


 「……それから、一つだけ。工藤隊長から、伝言を預かっています」


 その言葉に、涼はゆっくりと顔を戻した。


 「来月、定期入隊試験があります」


 その声は、静かだった。誘いでも、勧誘でもない。ただ、事実の提示。


 「あなたに強制はしません。勧誘の意図も、ありません。ただ――“選択肢”として」


 奈央は、ほんの一瞬だけ言葉を切り、それでも目を逸らさずに言った。


 「それが、あなたにとっての……“始まり”になるかもしれないから」


 沈黙が、ふたりの間を満たす。


 その静けさの中で、涼は初めて、彼女の目をまっすぐに見た。


 ――泉奈央。その瞳の奥には、確かな熱があった。


 それが誰のためのものなのか、まだ分からない。


 けれど、嘘ではなかった。


 涼は、言葉にできないものを飲み込むように、目を閉じた。


 そして、ふたりの間に静かな夜が降りる。



 泉奈央が病室の扉を静かに閉じた。


 その音が、まるで境界線のように空間を区切った気がした。世界に残されたのは、涼と、そしてARIAだけ。


 天井の白がやけに眩しい。けれど、見慣れる気配はない。


 「……俺に、選べってさ」


 誰に聞かせるでもない呟きだったが、即座に返答が届く。


《選択は、あなたの本能的行動様式における優先機構です。躊躇いは想定内》


「お前は……ほんと、迷いとかないんだな」


《私は迷いません。迷いは、論理体系上“最適解の曖昧性”に起因する現象です。私はそれを演算によって解消します》


 淡々としたARIAの声が、逆に涼の胸をざらつかせた。


 「俺の“最適解”って、何だよ」


《質問の前提が不明瞭です。目的を明確化してください》


 涼は黙る。答えられるはずがなかった。


 目的なんて、あったか?


 戦う理由。守るべきもの。立ち上がる意味。


 ――どれも、持っていたような気がする。


 だが、今はただ、空虚だけが残っていた。


《状態報告:神経伝達反応の減衰が継続中。心理応答における低域波形の増幅が見られます。要因は“自我崩壊への微傾性”》


「うるせぇよ……それくらい、自分でも分かってる」


 ARIAが黙る。


 沈黙が、かえって胸に響いた。


 義眼のUIに、低く回転するような波形グラフが映る。今の心拍。今の思考波。今の“俺”。


 すべてが、数値として曝け出されている。


 「選べって、簡単に言うけどさ……選んだら、もう戻れないんだろ」


《定義上、選択とは分岐です。一度踏み出せば、非選択肢の経路は“存在しない”と扱われます》


 それが正論だということくらい、理解している。


 だが涼の中には、何かが引っかかっていた。


 選んだら、誰かが喜ぶのか。


 選ばなかったら、誰かが悲しむのか。


 ――その「誰か」は、涼自身も含まれているのか。


《あなたは過去に、計算外の行動を複数回選択しています。例:初回戦闘時、目標人物の生命を優先した行動。例:統治区画脱出時、橘芽依の過剰な保護行動》


「……だから何だよ」


《つまり、あなたの“選択”は常に不合理です。それでも、あなたは選び続けてきた》


 涼の手が、布団の上で微かに握られる。


 震えていた。


 ARIAの言葉は冷静だった。だが、その静けさの奥に、何か確かな“期待”のようなものが滲んでいた。


 まるで、それが“応援”であるかのようにすら感じてしまう自分が、少しだけ嫌だった。


 「戦うのが、怖いわけじゃないんだよ」


《確認:戦闘恐怖反応は観測されていません。想定される心理要因は“無価値感”および“存在意義の消失”》


「存在意義、ね……」


 涼は天井を見たまま、ぽつりと呟いた。


 「俺は、ただ生きたかったのかな。それとも、誰かに見てほしかったのかな。──わかんねえよ、もう」


《その疑問には、あなた自身が答える必要があります。私は、あなたの“思考”の結果を記録するだけです》


 言葉に、重さはなかった。けれど、突き放すようでもなかった。


 ARIAは、ただ「在る」だけだ。


 記録するだけ。評価しない。ただ、そばにいる。


 その事実が、不思議と、今は心地よかった。


 「なあ、ARIA」


《応答可能です》


 「俺は……ここから、どうしたらいい?」


 その問いには、すぐに返答は来なかった。


 義眼のUIが、一度だけノイズのように揺らぐ。


 ──ほんの、数秒の沈黙。


 そのあと、ARIAはこう言った。


《“選び続けること”です。あなたはそれしか、できない》


 涼は、ふっと笑った。乾いた息が、喉奥から漏れる。


 「……そうだな。そうだよな」


 目を閉じる。


 迷いは、消えない。


 答えも、出ない。


 けれど──「選び続ける」ことだけは、止めてはいけない。


 ARIAが、何かを言いかけてやめたような気がした。


 だが、義眼の表示は再び淡々としたグラフに戻っていた。


 涼は、静かに目を開いた。


 「……俺は、まだ迷ってる。でも……」


 続く言葉は、声にならなかった。


 そのまま、ただ深く、息を吐いた。


 少しずつ、身体が動くようになってきていた。


 それでも、心はまだ、動けなかった。


 けれど。


 けれど、きっと――


 それも、始まりなのだろう。


 《心拍数、微増。意識状態:安定傾向》


 ARIAの報告が、どこか誇らしげに聞こえたのは、気のせいだろうか。


 静かな療養の中、涼は目を閉じたまま、再び自分の中へ潜っていく。


 問いはまだ、終わらない。


 答えが出るその日まで。


 彼は、問い続けるしかない。


 「ARIA…お前やっぱりゴーストが──


 《宿ってません》


 少し食い気味なARIAの返答が、涼の頬を少しだけ緩ませた。



 その日も、病室は静かだった。


 ベッドに横たわる涼の身体は、ゆっくりとではあるが、確かに回復の兆しを見せ始めていた。機械が刻む心拍のリズムは安定し、リハビリ担当の隊員たちが口を揃えて「予想よりも早い」と呟くたび、涼はどこか居心地の悪さを覚えていた。


 この数日間、身体は確かに回復していった。だが、心は追いつかないままだった。


 ――そして、扉がノックもなく開いた。


「よう。生きてたか」


 気軽な声が、室内の空気をひと押しする。


 工藤勝。


 あの戦場で、現れて、手を伸ばしてきた男だった。


 「……来んの、早ぇな」


 涼がそう呟くと、工藤はにやりと笑いながら部屋に入ってくる。


 「早い? おいおい、もう四日も寝てただろ。充分、待ったぞ」


 その言葉に、涼はわずかに眉をしかめた。


 「あれから、四日も経ってたのか……」


 「そ。回復は順調らしいな。医療班が『こりゃあ規格外』って騒いでたぞ」


 ベッド脇の丸椅子に腰を下ろしながら、工藤はポケットから煙草の箱を取り出す。


 「……ここ禁煙だろ」


 「……」


 工藤は無視して、ぽんと煙草の箱を指で弾き、口の端を緩めた。


 「で、常田さんから伝言だ」


 涼が目を細める。


 「……おっちゃんから?」


 「ああ。“体調はどうだ。新別隊に拾われたんだってな、マサルから聞いた。響紅蓮に絡まれたんだって?災難だったな。それと――死ぬなよ。以上、全文」


 「あの人らしいな……」


 涼は小さく笑った。苦笑とも違う、どこか温度のある笑みだった。


 「ハハ。ま、お前がこうして生きてるのは、色んな偶然が重なった結果だ」


 「偶然、ね……」


 「俺からすりゃ“必然”に見えなくもねえが。だって、選んだろ?」


 その言葉に、涼は少しだけ目を伏せた。


 「……選んだ、か。そっちはそう思ってんだな」


 「違うのか?」


 「……分かんねぇよ。あの時はただ、死にたくなかっただけかもしれない」


 工藤は黙って頷いた。


 「それでいいんだよ。選ぶ理由なんて、後付けで十分だ」


 沈黙が流れる。だが、重くはなかった。


 ふと、涼がぽつりと呟く。


 「……俺、試験受ける気はないから」


 工藤は、驚いたような顔をしなかった。ただ、その言葉を受け止めるように静かに瞬きした。


 「そうか」


 「別にここが嫌ってわけじゃない。でも、俺には……“そこに立つ”意味が分からねぇ」


 「分からなくて当然だ。意味なんて、立ってから考えればいい」


 工藤は立ち上がった。


 「ただな、涼。立たなきゃ、分からないこともある」


 その背中に、涼が声をかけた。


 「……どうして、助けたんだ」


 工藤は振り返らない。


 「お前が、助けてほしい顔してたからだよ」


 その言葉が、涼の胸を打った。


 「……あんた、嘘つくの下手だな」


 「そうか?」


 工藤の肩が、わずかに揺れた。


 「でも、お前がもうちょっとだけ生きたいって思ってたのは、本当だろ」


 返事はなかった。


 そのまま、工藤は病室を後にする。


 ドアの閉まる音がして、再び静寂が戻る。


 ARIAが、そっと声を落とすように語りかけてきた。


《生存反応安定。心理波形にて“前向き傾向”を検出》


 涼は目を閉じ、額に腕を乗せながら、呟いた。


 「……お前、また分析してんのかよ」


《記録は、事実の保存です。評価は、あなた自身が行うべきです》


 工藤の言葉が、胸に残る。


 選ばなければ、意味はない。


 だが、選ばないという選択もまた――


 選択だった。



目覚めたとき、もう痛みはなかった。


 皮膚のつっぱりも、筋肉の軋みも、もはや過去のことのように思える。回復に半年はかかるはずだった身体は、ARIAと医療班の支援により、驚異的な速度で復調していた。


 だが──心は、まだ治りきってはいなかった。


 鏡に映る自分の顔は、以前と変わらない。

 だがその奥にいる「涼」は、どこか曖昧なままだった。


 (一ヶ月……結局、まだ分かんねぇままかよ)


 それでも、今日という日はやってくる。


 選ばされたわけでもなく。

 押し出されたわけでもなく。


 自分の足で、ここに立っているという事実だけが、胸に重くのしかかっていた。


《心拍数、安定。筋出力テスト:臨戦モード移行可能域に達しました》


 ARIAの声が耳奥に響く。


「……準備はできてるってわけか」


《はい。あなたが望むなら、いつでも“戦えます”》


 “望むなら”。


 その一言が、また喉奥に刺さる。


 自分は本当に、戦いたいと望んでいるのか?

 それとも、このまま終わりたくなかっただけなのか?


 答えはまだ出ていない。


 だが、選びはした。


 ここまで来てしまったのだ。



 曖昧な足取りのまま、涼は試験会場へと足を踏み入れた。


 足裏の感覚が地面に馴染まない。まだ、傷は疼く。骨も筋も、完治には程遠い。だが、歩ける。立てる。それだけで十分だった。


 既に時間は過ぎていた。会場は静まり返り、志願者たちはそれぞれの待機ブースに立ち尽くしている。その中央、装甲シャッターの前に立つ大柄な男が涼を一瞥した。


 スキンヘッドに濃い顎髭。半義体の上半身には新別隊の制服が窮屈そうに張り付き、両腕は光沢のある強化義肢に置き換わっている。


 「……のんびり来たな、ガキ。試験はもう始まってる」


 男の声音には刺があったが、それ以上に熱を孕んでいた。


 「俺は今年の試験官、新別隊五番隊隊長、阿久津シンだ」


 声が響く。全体に通達するように続けた。


 「本日は年に一度の定期入隊試験につき、俺を含め各隊の隊長・副隊長、総勢十二名が視察に来てる。サボってる暇はねぇぞ」


 その言葉に、志願者たちの顔が一斉に強張った。涼もまた、知らず背筋を正す。


 阿久津が指で示すと、涼は無言で空いているブースへと歩き出す。その動きに反応するように、ざわめきが広がった。


 「……あれ、“ギガンノ”じゃねぇか?」

 「インフラコアの襲撃で、ダミー兵倒したってやつだろ」

 「響紅蓮ともやりあったんだってよ。なんでこんなやつがここに?」


 噂は独り歩きし、真実から乖離していた。だが、涼には訂正する気力も意味もなかった。


 阿久津が前へ出る。


 「試験の内容はシンプルだ。制限区域に出現するターゲットを“制圧”できれば合格。対象は〈ハウンズ〉。戦闘特化型の独立AIだ」


 ざわめきがまた起こる。


 「もともと政府軍区域官庁が設計・運用してた都市警備用AIだがな、平和が訪れてからはお払い箱。こっちで回収して、戦闘仕様に改良したわけだ。容赦ねぇぞ。……棄権は自由だ。言うだけ言っとく」


 押し黙る空気の中で、阿久津が試験番号を読み上げる。


 「一番、前へ」


 金属音とともにシャッターが開く。その奥、砂利の舞う模擬戦フィールド。そこに、一体の〈ハウンズ〉が立っていた。


 黒鋼の外装。流線型の四肢。眼孔部には赤いセンサーが脈動し、重たい咆哮のような駆動音が会場に響いた。


 開始の合図共に、志願者の一人が駆け出した。


 ──その次の瞬間。


 「っ、ぎゃあああああああああああああっ!」


 鋼の爪が肉を裂き、義体の腕がもぎ取られた。動揺して逃げようとした彼に追撃が飛ぶ。脚部破壊。胸部穿孔。声が裏返り、悲鳴が断末魔へ変わる。


 「搬送!」


 担架が走る。医療班が駆け寄り、志願者を回収していった。


 「……受験番号二番、棄権します」


 そう言って一人がブースを出た。試合を見ていられなかったのだろう。無理もない。


 阿久津が口を開く。


 「ハア……他に棄権者は?」


 ざわ……と空気が揺れた。躊躇いが、恐怖が、決断に変わる。


 半数以上が、その場で手を上げた。


 試験場の空気が、明確に変わった。


 そして、阿久津の視線が涼に向けられる。


 「三番。お前の番だ」


 涼が一歩、前へ出る。


 その瞬間、阿久津の口元がわずかに歪んだ。


 「佐藤涼だな……お前には個人的に興味あるんでな。特別な措置を用意してる」


 金属音。シャッターの開く音。だが、先ほどよりも長い、重たい機構音。


 会場が凍りついた。


 「嘘だろ…三体……?」

 「いやいやいやいや、ありえねぇだろ……」

 「一体でもアレなのに……」

 「ハハ……処刑じゃん……」


 涼も、見た瞬間に脚が震えた。


 《解析開始。確認。対象:ハウンズ三体。すべて実働個体》


 ARIAの報告が、脳内に響く。


 (三体……)


 汗が、背中を伝う。視線の先で、獣のような鋼鉄の殺意が、涼を睨んでいた。


 これは“試験”ではなかった。殺すか殺されるか。“死験”だ。


 その場に立つだけで、骨の軋む音がした。


 それでも、涼はわずかに口角を上げる。


 「……いや、なんで笑ってんだよ、俺」


 喉が乾いていた。吐き気すらする。けれど、逃げなかった。


 阿久津が言った。


 「……試験開始」


 その言葉とともに、〈ハウンズ〉の脚部が動いた。


 鋼鉄の咆哮が、試験場を震わせた。



 試験開始の合図が響くより先に、涼は走り出していた。


 逃げる。


 それは本能ではなかった。混乱でもない。


 戦略的な選択だった。


 〈ハウンズ〉。政府軍区域官庁によって開発・運用されていた都市防衛用の戦闘AIユニット。警備任務の最前線で活躍していたが、統治安定後は“過剰戦力”とみなされ、廃棄。廃止されたはずのそれが、新別隊によって密かに回収・改良され、戦闘特化型の独立AIとして再運用されている。


 義体でもなく、生身でもない。けれど、兵器と呼ぶにはあまりに“個”として完成された動き。


 その〈ハウンズ〉が、三体。


 会場を囲むように展開し、無音のまま涼に向けて走り出す。


 (あの装甲……初撃での破壊は無理。正面衝突は論外だ)


 ARIAが何かを解析していたが、涼はすぐには命じない。ただ、走った。


 息が上がる。肺が焼ける。


 動くたび、未だ癒えきらぬ筋組織が悲鳴を上げる。


 (痛ぇ……けど、まだいける)


 走る涼を、観覧席の誰かが見下ろしていた。


「ほう……“逃げる”か」


 ぽつりと呟いたのは、試験官・阿久津シンだった。腕を組んだまま、視線は変わらない。


 その言葉が引き金になったかのように、待機列の志願者たちがざわつき出す。


「……聞いてた感じと違うな」

「あれが“ギガンノ”ってやつ?」

「インフラコア破壊事件の生き残りだろ?」

「めっちゃ逃げてるじゃん……なんだ、拍子抜けだな」


 冷笑、呆れ、落胆。さまざまな感情が入り混じった声が飛び交う。


 だが涼は、それを背中で受けながら、逃げ続けていた。


 ARIAが静かに告げる。


《ハウンズ三体、機体識別完了。接近予測:17秒後、6秒後、9秒後》


「……位置表示、オーバーレイで」


《反映》


 視界の隅に、敵影の輪郭と数値が浮かぶ。まるで地雷原を歩く兵士のような緊張感。


 (コイツら……連携してる。いや、単独機じゃない。構造が違う)


 咄嗟に転がり、背後のアスファルトを引き裂く爪をかわす。視界の端で二体目が迂回ルートをとっているのを確認。


「ARIA、三体の挙動ログを同時に並べろ」


《了解。――初期座標より、1体が指示パターンを発信中。挙動差異あり》


 涼は息を呑む。


 (一体だけ、明らかに違う……)


 走りながら、心の奥が少しだけ冷える感覚を覚えた。


 これは、“ただの試験”ではない。



 脈打つ心臓の音が、義眼のUI越しに伝わってくる。


 逃げる、回避する、観察する――

 誰もが期待していた“英雄的な戦い”ではなかった。

 むしろ涼は、逃げ続けていた。


 けれど。


 《中央個体の損耗率:高。制御電波の変調確認。――群体連携の中枢因子と推測》


「……やっぱり、あいつか」


 静かに立ち止まった涼の足元で、砂塵が跳ねる。


 義眼のUIが三体の〈ハウンズ〉を円状にトラッキングし、軌跡を重ねていく。

 中でも一体――黒鉄の装甲がわずかに摩耗し、呼吸のような間隔で“他の二体を見ている”挙動が目立った。


 「反応も遅れてる……あれが、核だ」


 涼は、静かに深く息を吸った。


 背後ではまだ、観客席からざわめきが続いている。


 (ギガンノの奴、逃げてばっかじゃねえか)

 (あれが噂の英雄ってわけ? 冗談だろ)


 声が聞こえるたび、肺の奥に何か黒い塊が溜まっていく。


 けれど、それすらも今は――静かに受け流せた。


 なぜなら。


 「……俺はまだ、戦える」


 その言葉は、誰に向けたものでもない。

 自分に向けた“確信”だった。


 〈ハウンズ〉の足音が響く。

 砂塵を蹴り上げ、二体が左右から迫る。


《包囲態勢、継続中。推定接敵まで3.1秒》


 「ARIA、遅延誘発可能な破砕音波、用意できるか」


《即応モードにてスタンバイ完了》


 「左に。タイミングは、俺が取る」


 そして――


 涼は一歩、踏み出した。


 決して“真っ向から”ではない。

 けれど、それは“逃走”でもなかった。


 視界の片隅に捉えた左の〈ハウンズ〉が、跳躍する。

 直後、涼は全身を捻り、わずかに軌道を逸らして右へと弾けるように抜けた。


 瞬間、ARIAの音波が炸裂。


 左の個体が一瞬だけ挙動を乱す。

 そのスキに、涼はその背後へと滑り込んだ。


 「中央、ガラ空き」


 中枢個体――わずかに他より低い姿勢の個体が、動きに迷いを見せた。


《外装強度:平均値より10%低下。リア駆動系に軽度の遅延》


 「そこだ……ッ!」


 涼は跳ぶ。


 生身の脚が、砕けるほどの着地衝撃をもろともせず、敵機の背を踏みつける。


 同時に、手にした接触型の刺突刃が中枢個体の外殻へ――深く、突き立った。


 重い火花と共に、〈ハウンズ〉の一体が制御を喪失。

 残る二体が、わずかに足を止める。


《連携制御、断裂確認。二体の挙動パターンに同期性崩壊》


 「……あとは、落とすだけだ」


 振り返る。


 敵はまだ二体。


 けれどもう、恐怖はなかった。


 “どう倒すか”が“どう生きるか”と一致した今、

 涼の中で、戦いは“選び続ける”ための行為となっていた。


 ――短く、しかし鮮やかな動作で。


 ――敵機を翻弄し、視界を裂き、隙を突き、


 ――一体、そしてもう一体。


 動きは無駄なく、迷いなく、決定的だった。


 それはまるで、選択の末に到達した、彼だけの“答え”。


 静寂が、戻る。


 砂塵が落ち、義眼のUIからすべての警告が消える。


 ――誰も、歓声を上げなかった。


 ただ、涼が、立っていた。


 荒い息を整えるように、ひとつ、深呼吸をした。


 ARIAが、静かに告げる。


《戦闘終了。反応圏内、敵性反応なし》


 「……了解」


 返事は、小さく。


 けれど、その声音には確かな“選択”の意志が宿っていた。



 その様子を、観測室で見ていた工藤勝が、煙草を指先で弾いた。


 「――あの目は、“選んだ”奴の目だな」


 誰に向けたわけでもない、静かな呟きだった。


 だが、そこには確かな希望があった。


 新別隊に、またひとつ、“何か”が加わった。


 それだけは、誰にも否定できない事実として。


 夜明けが、近づいていた。


ご覧いただきありがとうございました。


今回は、死の淵から生還した涼が、

“戦うこと”と“生きること”の境界に立ち尽くす姿を描きました。


迷いながらも歩み出すこと。

選ばされるのではなく、自ら“選ぶ”こと。

それこそが、彼にとっての最初の戦いだったのかもしれません。


次回、第15話。

いよいよ、各勢力の思惑が交錯し、

彼の決意が初めて“他者”とぶつかります。


▼キャラクター紹介や更新通知はこちら

https://twitter.com/simradio


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ディストピア SF 近未来 人工知能 義眼 少年主人公 戦闘 能力バトル ダーク 仲間 シリアス ハードボイルド レジスタンス 義体 感情制御
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ