第8話「その名は」
アストレア王都――参謀本部、聖堂中枢。
白銀の柱が並ぶ謁見の間で、緊急の軍議が開かれていた。
魔導水晶に映し出されていたのは、黒衣の少女が空を裂き、アストレア兵を次々に墜としていく様子。
――まさに悪夢のような記録映像だった。
「クラウス渓谷での敗因は、全てこの一機――この“少女”によるものと断定されました」
神官軍師が震える声でそう言った。
「たった一人で聖兵団を壊滅させ、部隊統制を遮断。連携を崩し、完全に制空権を奪いました」
重苦しい沈黙が会議室に漂う。
「この魔導師の名は分かるか……?」
誰かがそう言った。
その瞬間、王女ルメンシアが静かに立ち上がった。
「……その名を呼ぶな」
張り詰めた冷静さが、その声にはあった。
「異端の名を記録に刻む必要はない。彼女は、神の祈りを否定した存在」
そう言ってから、彼女は再び魔導水晶を見据え、静かに告げる。
「――黒葬姫」
その言葉が響いた瞬間、室内の空気が一変した。
“黒葬姫”――
それはアストレアの古き伝承に記された、光に終焉をもたらす魔女の名。
全ての光を呑み込み、世界を闇に沈める災厄の象徴であった。
今、その存在が本物の脅威になったことで、国はその少女に“世界を滅ぼす魔女”という名前をつけた。
震える者も、顔を背ける者もいたが、誰一人異を唱える者はいなかった。
それは国家が、ひとりの少女を“個人殲滅対象”として認定した瞬間だった。
■ ■ ■
アストレア王国、神殿中央区・聖戦演武殿。
本来は聖騎士たちの訓練や儀式に用いられる武技の演習場。
だが今、その聖域に集められていたのは、選りすぐりの魔導聖騎士たち。
王女ルメンシアの命により、新たな部隊が召集されていた。
――名を「白翼の矛」
選抜されたのは、王家親衛隊の中でもさらに精鋭中の精鋭。
「お命じを。神託が絶えぬ限り、我らの刃は振るわれ続けましょう」
指揮官に任命されたのは、若き魔導聖騎士エルフェリア・サンクレア。
彼女はかつて、リュナーレ・ノクトリアと同じ学び舎にいた。
「姫様の御名にかけて、この手で“黒葬姫”を討ち果たしてみせます」
その誓いに、ルメンシアは小さく頷いた。
「……お願いね、エルフェリア」
その声は冷たくも、かすかに揺れていた。
■ ■ ■
一方その頃――マグノリア・戦略管制室。
通信士が端末に打ち込む。
《新編制:第零独立空戦特務小隊》
《隊員数:1名》
《隊員名:リュナーレ・ノクトリア》
《所属機体:ノクシア》
《専属兵装:レーヴェ》
その少女に、正式なコードネームはまだ存在していなかった。
だが、内部ではすでに“あの娘”と呼ばれ、注目を集めていた。
リュナーレ・ノクトリア。彼女の存在を中心に、新たな戦局が静かに動き始めていた。
整備室の一角で、ノクトリアは黙々と次任務の報告書に目を通していた。
「アストレア側の輸送部隊……航路が妙ね。随伴機にしては配置が不自然」
その隣で、作業中だった整備士のエミリオが渋い顔で呟く。
「おびき寄せる気だ。どうせ囮だろうさ」
「……罠ってことね」
「だが、お前は行くんだろ?」
ノクトリアは、黙って書類を閉じた。
立ち上がり、魔導銃を装備し、黒の外套を羽織る。
格納庫には、調整を終えた魔導箒が静かに待っていた。
「行くわ。どうせ、避けても次が来るだけ」
ノクトリアの声は静かだったが、背に纏う魔力は、確かに戦場へと向かっていた。
■ ■ ■
――同時刻
クラウス峡谷北部、雲上の待機空域。
白翼の矛の部隊が、白銀の姿を並べ、静かに編隊を組んでいた。
隊長のエルフェリアが、雲の裂け目を見上げる。
「来るわ……“闇”が」
遠雷のような低い震動。
魔力を帯びた光が、雲の奥で脈動していた。
白と黒――相反する力が、ついに交錯しようとしていた。
読んでいただき本当にありがとうございます!
小説初心者で拙い文章ではございますが、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。
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