第3話「闇は解き放たれた」
静寂が、深く沈んでいた。
地下の空気は、ひたすらに冷たい。石の壁に結露する水がぽたりと音を立てるたび、永遠のような時間が崩れそうになる。
魔封結界に覆われた牢獄。無数の封印術式が床と壁に絡みつき、動くだけで全身を拘束される設計。
そこに、ひとりの少女がいた。リュナーレ・ノクトリア。
膝を抱えるでもなく、泣くでもなく。ただ、じっと背筋を伸ばして座り、目を閉じていた。
神官騎士の一人が処刑は、明朝だと言っていた。
異端者に課される神聖なる“浄化”の儀式。闇魔法という禁忌に触れた者に対し、神の名の下に執行される、儀式的な死。
光の魔法に照らされ、焼かれ、灰になる。
「……笑わせないで」
ぽつりと漏らした言葉は、氷のように冷たく、研ぎ澄まされた怒りを含んでいた。
誰もが背を向けた。教師も、仲間も、そして――王女ルメンシアも。
「最後まで、何も言わないのね、ルメンシア」
その名を呟いた瞬間、胸の奥に棘が刺さるような感覚が走る。
裏切られたというよりも、見捨てられたという事実の方が痛かった。
だが、もう構わない。
ノクトリアはゆっくりと右手を動かす。
手首を覆う封印具が、軋むような音を立てた。
魔力の流れは封じられているはずだった。だが、彼女の内にある闇魔力は、“光”の術式では完全に抑えきれない。
そのことをわかっていなかったのだ。
――誰も
「……目覚めなさい、私」
その瞬間、足元の術式が震えた。
波紋のように、漆黒の魔力が広がっていく。封印具の紋が歪み、結界が悲鳴を上げた。
重く、鈍く、深い音と共に、牢を包む結界が破裂する。
激しい衝撃音。 床が割れ、壁にひびが走り、黒い風が空間を満たした。
その刹那、ノクトリアは静かに立ち上がった。
拘束は、もう意味をなさなかった。
警報が鳴り響いていた。
赤い魔導灯が点滅し、階段を駆け下りてくる神官騎士たちの足音が反響する。
神官騎士の目に無残に破壊された魔封牢が入った。
「牢が……壊されている!? バカな、結界はどうした!」
先頭の騎士が叫ぶ。目の前に広がるのは、砕けた封印具と魔力で焦げ付いた床。
そして、その中心に――ノクトリアの姿があった。
「異端者ノクトリア……明朝処刑予定のはずだ!」
「……ならいっそ、ここで切り捨ててしまっても問題はないな」
剣を抜く音が続く。
数人の騎士が魔導剣を構え、臨戦態勢を取った。
「囲め!逃がすな!」
一斉に動き出す足音。斬撃の気配。
闇を前にしても、彼らは職務に従うべく刃を振るった。
――だが、遅い
ノクトリアの両手が漆黒の魔力で包まれた。
その力は破壊ではなく、“抑圧”と“遮断”。近づく者の術式を無効化し、抵抗を許さない。
一人の騎士が駆け寄った瞬間、ノクトリアから放たれた闇の術式が触れた。
次の瞬間、その肉体は内側から切り裂かれ、呻く間もなく命を落とした。
「通らせてもらう」
ノクトリアがつぶやく。
封印具はすでに砕け散っていた。今の彼女には、術式を介さずとも魔力が流れ出す。
階段を駆け上がる。後から来た神官騎士たちの封鎖陣形を、闇の波で抜けていく。
光魔法の矢も、拘束魔法も、彼女には届かない。
「止めてみなさい」
つぶやくような声と共に、聖堂の最上階へと至る。
大扉を闇魔法で破壊して外に飛び出す――
風が吹いた。
夜の空気が頬を撫で、月が雲間から顔を出す。
「……ようやく、外」
その言葉と同時に、光の軌跡が空を切り裂いた。
迎撃魔法の閃光。夜空を照らす光の弾幕。
空には四つの影。アストレア中央魔導学院の紋章を背負った白銀の魔導箒が、ノクトリアを包囲していた。
「観念なさい、ノクトリア!」
聞き覚えのある声。
かつて共に学んだ少女たち。
その顔には、恐れと憎しみが浮かんでいた。
ノクトリアは、応じない。
近くの格納庫の裏手に、誰かが置き忘れていた民間用の飛行箒が視界に入る。
アカデミーで空中魔導術の授業を受けていた彼女にとって、それは「乗れる機体」だった。
「十分よ……」
箒に駆け寄り、無理やり魔力を流し込む。重力を断ち切るように、箒が浮き上がる。
まるで刃を抜くかのような速さで、ノクトリアは箒へと飛び込んだ。迷いなど、最初から存在しない。
風を切る音。加速と共に重力が遠ざかる。ノクトリアの眼差しは、空の敵を、ただ見据えていた。
「……アイツ来るわよ!」
「やめてよ……なんで、こんなことになったの……!」
「射撃許可は出ている。やるしかないわ……!」
叫んでいるのは、かつてリュナーレと同じ教室にいた少女たち。
それぞれの機体が空で陣を取り、今まさに“元同級生”に照準を定めようとしていた。
魔導箒の機体が、月明かりの下で静かに旋回する。
狙いは定まった。だが、誰もが引き金に指をかけたまま、わずかにためらっていた。
空気が張り詰める。だが、その静寂を――最初に黒い閃光が裂いた。
戦闘が始まった。照準が交錯し、夜空に魔導弾が炸裂する。
機体が交差するたびに、黒と白の閃光が火花のように舞う。
――旋回、急降下、回避、そして攻撃
ノクトリアはそのすべてを見切り、闇魔法で応戦する。
掌から放たれた闇魔法の刃が一機の胸を貫き、
次の瞬間には、両断されて落ちていく。
白銀の翼が、夜の空で黒に染まる。
――次々と墜ちていく。
誰一人として、彼女を止められなかった。
そして。
最後の一人が切り裂かれたとき、空は静かになった。
もうノクトリアの逃走を妨げる者はいない。
黒い閃光が、夜の帳を裂いて飛翔していく。
その日、リュナーレ・ノクトリアは、
異端として祖国を脱し、“闇”を持つ少女として、夜空にその姿を刻んだ。
読んでいただき本当にありがとうございます!
小説初心者で拙い文章ではございますが、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。
もしよろしければ、ブックマークや☆評価をいただけますと、今後の励みになります!