第一章:04:約束を果たすために荒野へ
アブラサソリを狩るための準備を終わらせた獅子我兵志は、自宅へと戻る。
二階のラウンジに向かうと、兵志の予測通り志鶴がキッチンに立っていた。
「兄さま」
キッチンでお弁当の準備をしていた志鶴は、手を動かしながら兵志を見る。
志鶴は水着から着替えて、いつもの服装をしていた。
白いブラウスに、ピンクのリボン。ハイウェストの黒のスカートに厚手のタイツ。
志鶴の体型は胸がふくよかでウェストはきゅっと引き締まっているため、肌を一切見せていなくともどこか蠱惑的な雰囲気と、秘められた艶やかさがある。
『軍警』で支給される服は服飾部隊が作っている。
だが志鶴は自分好みの服を、布から調達して自分で作っている。
そのため志鶴の服は唯一無二のものだ。
「兄さま。準備ありがとうございます。すぐにお弁当を仕上げますね」
志鶴は兵志に声を掛けながら、大型の弁当箱にてきぱきとおかずを詰める。
『軍警』で使われる食材は、ほとんどが《四方山》内の地下農場で作られたものだ。
人類文明は『不解』によって滅んだ。
そのため現代に生きるほとんどの人々は、自給自足を行っている。
自分の命は自分で守る。その癖が染みついている現代の人々は、全員が食料を安定的に確保できる方法を確保している。
「志鶴、俺も手伝おう。それと狩場までは俺が車両を運転する。お前は掃除を頑張ってただろ、車の中で少し休むと良い」
「ありがとうございます、兄さま。お言葉に甘えますね」
志鶴はにこっと微笑むと、兵志と並んで昼食の準備をする。
昼食の弁当を作る傍ら、志鶴は父である獅子我大志の昼食も用意する。
準備を終えた志鶴は、リビングの畳フロアにいる父に近づく。
「父さま、私たちは西の乾燥地帯へアブラサソリを狩ってきます。昼食は用意しましたが、夕食までに戻らなければ第五食堂に食事をお願いしてます」
「あまり気を回すな。──しっかり務めを果たせ」
獅子我兵志はわざわざ自分のもとへ挨拶に来た志鶴に声を掛ける。
志鶴は父の心遣いに、柔らかく微笑む。
「はい、父さま。兄さまのことを全力で支えさせていただきます」
志鶴は父に緩く頭を下げる。そんな妹の隣で弁当の準備をしていた兵志は、保温バッグに弁当を詰めると持ち上げる。
「おやじ。行ってくる」
獅子我大志は頷くと、手元に引き寄せていた書物に目を戻す。
兵志は父から視線を外すと、志鶴に声を掛けた。
「行こう、志鶴」
「はい、兄さま」
志鶴は頷くと、弁当が入った保温バッグを持つ兵志と共に歩き出す。
そして大切な姉との約束を果たすべく、二人は出発した。
────……✧
かつて日本と呼ばれ、関東地方と名付けられていた地域。
その西部は、広大な乾燥地帯が広がっている。
乾燥地帯と言っても、風が吹くと砂埃が舞う典型的な荒廃した地域ではない。
地面の各所ではコケが生え、青々とした植物が生えている。
端的に言えば、乾燥地帯は荒廃したが再生しつつある地域だ。
一度滅びかけた乾燥地帯には、かつて『現界樹』という『不解』が降臨した。
現界樹は、周囲のあらゆるエネルギーを吸い取る『不解』だった。
外見は『不解』の名前の通り、巨大な大樹。
葉は大きく、色は植物のいのちを表現するような透き通った碧銀。
太い幹は透き通った水晶のような、鋼のような。地球由来の鉱物ではないことが確かな材質でできていた。
現界樹は突如として空から現れた。
地上にゆっくりと降り立った現界樹は、大地を侵すようにすように根を広げた。
そして──周囲のエネルギーを吸い尽くし始めた。
現界樹を放っておけば、かつて関東地方と呼ばれた地域のエネルギーは枯渇する。
この地域は、誰も住めない不毛の地となる。
しかも現界樹は蟲型の無数の眷属──眷属蟲を従えていた。
眷属蟲は現界樹にエネルギーを捧げるために、人を襲う。
つまりこの地域の人々が生き残るには、現界樹を討伐するしかなかった。
だからこの地域に住む人々は存続を懸けて、現界樹の討伐を行った。
その時のことを、獅子我兵志はよく覚えている。
あの大規模作戦で、獅子我兵志は獅子我大志の後継として初めて参加した。
だから兵志には現界樹討伐と西の乾燥地帯に、それなりの思い入れがある。
「西の乾燥地帯も少しずつ緑が戻っているな」
兵志はトラックを運転しながら、助手席に座っている志鶴に声を掛ける。
「あと数年もすれば、この地も肥沃の大地となって作物が育つようになるだろう」
「そうですね、兄さま。《地精命授》の力は強大ですから」
《地精命授》とはすべてのいのちの祖。
この地域を肥沃の大地にして、無限の生命力を放ち続ける存在だ。
《地精命授》はいつでもこの地域に生きる生物たちに寄り添っている。
そのため時間は掛かるが、乾燥地帯に緑が戻る時がやってくる。
現界樹討伐から七年。あと三年もすれば、《地精命授》の力によって乾燥地帯にも若木が根付き、成長するようになるだろう。
とはいえ現界樹により生み出された乾燥地帯は、生態系が大きく変わった。
だからこそアブラサソリといった『不解』の影響で巨大になってしまった節足動物が生息しているのだ。
「兄さま。具体的に、アブラサソリは何匹狩る予定ですか?」
志鶴は乾燥地帯を走行する兵志に目を向ける。
「一〇匹くらいだな。アブラサソリの個体差にもよるだろうが、丁式トラックで来たからな。解体すれば一〇匹余裕で乗る。研究部が喜ぶから、毒袋は持ち帰り、サソリの殻は《市場》に行く歳に卸せばいい。それなりの金になる」
《市場》とは、この地域における最大規模の商業地域だ。
《市場》を収めるのは『商会』という組織。
この地域の物流を司る組織であり、『軍警』とも『古縁』を結んでいる組織だ。
《市場》では、一切の戦闘行為が禁止されている。
そのため《市場》はこの地域唯一の緩衝地帯として設定されており、一年に四階、主要な組織の長たちが集って話し合う『定期会合』が行われる。
志鶴は兵志の方針に頷く。そしてにこっと微笑んだ。
「母体も最近は珍しい肉を食べていませんから。たくさん狩るのが良いですね」
「ああ。たぶん姉貴たちが平らげると思うが……余ったら給仕部隊に渡して、保存食にしよう」
兵志は慣れた手つきで運転して、乾燥地帯をトラックで爆走しながら応える。
「最近は《四方山》を襲う低俗な方々もいませんし……姉さま方も、母体も。珍しい肉を食べて落ち着くと良いですね」
『軍警』の拠点には、定期的に略奪と売名を目的として奇襲を仕掛ける輩が来る。
『軍警』は自分たちを脅かす存在には容赦しない。
それに『軍警』は仮隊員と呼ばれる、一般人を保護している。
守るべきものが、明確に存在している『軍警』。
だから『軍警』は、襲撃者に一切容赦しない。
発見次第、威嚇発砲なしに一人残して即射殺。そんな命令が出ている。
だが基本的に、隊員たちが襲撃者の命を奪うことはない。
『軍警』と共生関係にある『不解』が、襲撃者を先に始末するからだ。
『軍警』の総指揮である獅子我大志は、共生関係を築く『不解』たちに『敵は食っていい』と命令を出している。
その命令を『不解』たちは忠実に聞く。そのため隊員が動く前に事が終わるのだ。
「最後に襲撃してきたヤツらの食べ残しを麓に吊るしておいたからな。今頃干物になってるだろうが、それが意外と効果あったんだろう」
兵志は運転をしながら、少しだけ笑って隣にいる志鶴に声を掛ける。
『軍警』は人々を『不解』から守ることを信条としている。
すべての人々は、『軍警』が守るべき存在として『軍警』の隊員は認識している。
だが明確に敵意をもって自分たちを敵に容赦してはならない。
付け入る隙があると思われて舐められれば、守りたい人々も守れない。
「けん制になるなら、これからもやるべきですね。ちょっと中世風ですが」
兵志と志鶴は仲睦まじく物騒な話をしながら、トラックで移動を続ける。
アブラサソリの生息区域は主に岩石が露出する場所。
陽射しを避けられる、乾燥地帯の中でも冷地になりやすいところだ。
兵志は辺りに気を配りながら、アブラサソリの生息区域までトラックを走らせる。
「あれ、兄さま。アブラサソリがいますよ?」
志鶴は自分が座っている助手席の左にある窓から、左前方に人差し指を向ける。
志鶴の報告通り、遠くにはぽつんとアブラサソリが一匹いた。
全長は遠くから見て目算で一二メートルほど。アブラサソリは一五メートルから二〇メートルになるため、やや小ぶりに分類される成体だ。
兵志はトラックを運転しながら、志鶴が視線を向ける方向をちらっと見る。
「サソリの生息区域からまだ遠い。ということは、誰かが誘い出したんだろう」
アブラサソリの生息区域は、まだ少し遠い。
それにアブラサソリは日差しを避ける生態をしている。
それなのに陽射しが強い場所に一匹でいるのは、誰かがおびき出した証拠だ。
兵志の推測通り。
アブラサソリは、生息区域からおびき出されていた。
そしてサソリを誘い出した人物は、現在アブラサソリに追いかけられていた。
「んー。ちょっと危険かもしれませんね」
志鶴は目を凝らすことなく、遠くを見据えたまま告げる。
「兄さまの推測通り、アブラサソリを狩るためにおびき出したのでしょう。そこまでは良かったようですが……あの様子だと、逃げるだけで精一杯みたいです」
兵志は志鶴の呟きを聞いて、ちゃんとアブラサソリを視認した。
アブラサソリに追いかけられているのは、フードを目深にかぶった小柄な人物だ。
手には長柄武器。それ以外には何も持っていないようで、銃火器も確認できない。
「一人か。志鶴、他に仲間は?」
「生体感知に引っかかりません。大規模な重火器も確認できませんね」
「軽装備でアブラサソリの狩りをしてるのか。それなりの技量がないと無理だが」
「うーん……走り方からして、ちょっと素人感が否めませんね……心配です」
兵志は志鶴の不安そうな声を聞いて、目を細める。
「──狩場では時々、己の力量以上の敵を狩ろうとする無謀な輩が現れる」
「はい。人間は時々、己の力量を計り間違える。自分には本来手に負えない敵に手を出して、痛い目を見る。そして結果的に、他人に迷惑を掛けます」
志鶴はにっこりと微笑みながら、狩場における迷惑な人種について口にする。
そんな志鶴に──兵志は、穏やかに笑いかける。
「だがそれでも。困っている人間がいるならば、助ける必要がある」
「はい、兄さまっ。私たちは『軍警』ですから。──運転、変わりましょうか?」
「頼む」
「承知しました」
志鶴は頷くと、自分の座っている助手席の前にあるダッシュボードに軽く触れる。
するとダッシュボードが変形して補助用のハンドルと共にペダルが出てきた。
「操作権、もらいますね」
志鶴はパネルをタッチすると、操作権を補助ハンドルへ移譲させる。
兵志はハンドルから手を離す。
そして完全に補助ハンドルに運転が切り替わったことを確認すると、扉を開けた。
「『軍警』はひとを見捨てない。それがたとえ自らの力量を見誤り、窮地に陥っている人間だとしても、だ」
『軍警』は警察と自衛隊が起源となっている組織だ。
『不解』との戦いで、警察と自衛隊は瓦解・再編成を繰り返していた。
だがそれでも、両組織が起源となっている組織は人々を守るために戦っていた。
人々を『不解』から──この地上に存在する脅威から守る。
その信条は、いまも変わっていない。
『軍警』の信条に則り、兵志はフードを被った人物を助けるために行動を開始した。