第一章:02:獅子我兵志とその家族
人知を超えた超常存在──『不解』の一種、妖魔。
その妖魔の一仔体である五百藏は、妖艶に微笑む。
「姉さまは、兵志が獲って来てくれた肉が食べたいわ」
五百藏は愛しい弟である『軍警』の副総指揮──獅子我兵志に笑いかける。
「たくさん食べたいから、たくさん肉を獲ってきてくれる? もちろんわたしの分だけじゃなくて、姉妹の分もよろしくね。母体にはひと際上質な肉を献上しましょう。いいかしら?」
甘い匂いを放つ、醜悪ながらも美しい異形。
そんな異形を前にして、人造妖魔である獅子我兵志は少し考える。
「──……そうだな。アブラサソリの肉でいいか?」
「アブラサソリ?」
五百藏はこてんっと首を傾げる。
その様子は二〇代の女性が年下に甘えているような感じで、とても愛らしい。
だが五百藏の下半身は、どこからどう見ても異形だ。
百足のような胴体に、人間の足が無数についている。
艶やかな上半身で可憐な仕草をすれば、なおの事おぞましく見える。
だが兵志は特に気にすることなく、話を続ける。
「アブラサソリはここから西の乾燥地帯に生息する巨大サソリだ。尾と両爪にある毒が石油のような原材料になる地球由来の生物で、身は引き締まってて美味い。良質なたんぱく源になる生き物だ」
「アブラサソリ……」
五百藏は兵志の口から聞いた肉の名前を聞いて、妖艶に笑う。
「そういえば食べたことがあるわ。あの肉の味は覚えてる」
五百藏は肉の味を思い出して、恍惚な表情でにたあっと笑う。
「あれは、とてもおいしかった。とても食べ応えがあったわ?」
常人が見たら、背筋が凍るような恐ろしい捕食者の笑みだ。
五百藏は機嫌良さそうに目を細めると、兵志に枝垂れかかる。
「姉さまはサソリの肉が欲しいわ。兵志、食べさせてくれる?」
「ああ、約束したからな。俺に二言はない」
兵志は五百藏の下半身、その百足のような胴体を優しく撫でる。
五百藏はご機嫌に笑うと、思いきり兵志に甘える。
久しぶりに兵志を堪能する五百藏。
すると、大浴場にばたばたと入ってくる人物がいた。
「ねえさまっ!!」
五百藏を鋭く呼びつけたのは、可憐な少女だった。
細い手足の爪には、桜色のネイル。
黒とピンクのフリフリのビキニに、白いパーカー。
愛らしい姿だが、どうやら思い切り頭からお湯を被ったらしい。
そのせいで兵志と同じ色の長い髪はぺしゃんこ。
ツインテールに結ばれた髪も、台無しになっていた。
時代が時代ならば『地雷系ファッション』と称された服装を好む少女。
彼女の名前は獅子我志鶴。正真正銘、獅子我兵志の妹だ。
志鶴は兄に甘えている五百藏を見て、キッと柳眉を逆立てる。
「姉さま、私を偽って兄さまのことを呼び出すなんて……あまつさえ肉を獲ってきてもらう約束を取り付けるなんて! なんてことしてるんですかっ!」
兵志の妹である志鶴は、生粋の妖魔だ。
妖魔は仔体同士の様子を感じ取れる。
兵志は人造妖魔で混じり気があるため感覚が捉え辛いが、志鶴は純粋な妖魔だ。
だから志鶴は、姉の様子が手に取るように分かる。
兄である兵志と五百藏が何を話していたか、何を約束したか理解している。
志鶴は本気で姉のことを叱りつける。
だが五百藏はどこ吹く風で、耳に手を当てる。
「もう、志鶴。あんまり大きな声を出さないで。大浴場だから声が響くのよ」
「姉さまが悪いのですっ!!」
志鶴はがうっと牙を剥いて、姉を睨む。
兵志の妹である志鶴は、ころっと生まれた仔体だ。
在る時、目醒めたばかりの兵志は『俺の後に生まれた仔体は、果たして俺の妹になるのだろうか』と、ふと呟いたことがあった。
そもそも妖魔の仔体たちは、兵志が生まれてから姉を自称するようになった。
兵志より先に生まれているから。だから自分たちは姉だと主張した。
それなら兵志より後に生まれた仔体は、妹なのだろうか。
ふとした疑問を兵志が口にすると、とある仔体が兵志に問いかけた。
『妹に興味があるのか?』と。
ないわけではないと兵志が応えると、その仔体がころっと妖魔を生み出した。
それが兵志の妹である志鶴だ。
志鶴はぷんぷんっと怒った様子で、ギロッと姉である五百藏を睨む。
「まったくもうっ! 兄さまが寛大な心をお持ちだから、姉さまと約束してくれたのですよっ! 兄さまにちゃんと感謝したのですか?」
「ちゃんとしたわよ。ありがとう、兵志」
五百藏は微笑むと、兵志の頬にキスを落とす。
志鶴はご機嫌な五百藏を見てぐぬぬーっと顔を歪めると、兵志を見た。
「兄さま、お仕事の方は大丈夫なのですか? 確かにここ数日は仕事がないという話で、父さまが休暇を取るほどですが……」
「そうだな。はっきり言って暇を持て余している」
兵志は表情を変えることなく、淡々と告げる。
「もうしばらくしたら定期会合の準備で忙しくなるんだがな。月初は前月の処理でほどほどに仕事があったんだが、……いまのところ、これといった仕事がない」
暇なのはいいことだ。そう思いながらも、兵志は少し悩む様子を見せる。
「各部隊の演習場への視察はもう総指揮がやっているからな。俺まで出向いてあまり圧を掛け過ぎると、逆に部隊の動きが悪くなる」
兵志は五百藏を見上げると、五百藏の下半身、その胴体を撫でる。
「特にやるべき仕事もない。それに加えて、最近姉貴たちの相手をしてなかったからな。良い機会だ、だから少し外に出ようと思ってな」
兵志はポケットから通信端末を取り出して、確認する。
「『聖占』による『不解』出現情報にも注意するべきものはない。『軍警』は俺が留守にしても立ち行かなくなる組織じゃない。それに今日は副官二人が出勤してるし、休暇を取ってはいるが総指揮も《四方山》にいる。俺が外に出ても問題ない」
兵志は通信端末を片付けながら、志鶴を見る。
「だからこのまま西の乾燥地帯にアブラサソリの肉を獲りに行こうと思っている。──志鶴、手伝ってくれるか?」
志鶴は兵志の問いかけに即座に頷く。
「はい、兄さま。志鶴は兄さまの妹です。お手伝いさせていただきます」
志鶴はにこっと微笑むと、兵志の肩にすり寄っている五百藏を見た。
「姉さま、私は兄さまの決めたことについては何も言いません。ですが姉さま、兄さまは本来ならば忙しいのですよ。あんまり甘えちゃだめです」
「分かってるわよ、志鶴。わたしだって兵志のこと想ってるんだから」
五百藏は微笑むと、兵志の頬にキスをする。
「愛しい兵志。頑張ってわたしたちのために肉を取って来てね?」
「約束は必ず守る。──行くぞ、志鶴」
兵志は五百藏に声を掛けると、志鶴を連れてその場を後にする。
五百藏は二人の後ろ姿を見てふふっと笑う。
そして巨体をくねらせて、湯あみへと向かった。
────……✧
妖魔の一仔体と約束をした兵志は、妹の志鶴と共に外に出る。
タオルを首に掛けた志鶴は、よしっと気合を入れた様子を見せる。
「志鶴、あんまり気負わなくていい。息抜きに行くようなもんだからな」
兵志は志鶴の頭にぽんっと手を置いて、優しく撫でる。
「仕事がなくて暇なのは良いことだ。一昔前じゃ考えられないことだったからな」
「……そうですね。私たち『不解』が世界に溢れた時、人間たちは生存を懸けて必死で『不解』と戦いましたから」
『不解』はただそこに存在し、自らの理に則ってあるべくして世界を侵す。
だから人類に対して、『不解』が遠慮することはない。
多くの人々が『不解』によって命を失った。
それでも人間は、決して諦めなかった。
数十年の攻防の末、今の平和な時代が築き上げられた。
その平和を想って、兵志は目を細める。
「いまの平和な日常は、少し気を抜けばいつでも崩れてしまう脆いものだ」
兵志は歩きながら、志鶴に微笑みかける。
「暇なのはいいことだが、気が緩みすぎるのも問題だ。何かあった時に素早く対処できない。そうだろ」
「はい、兄さま。勘が鈍らないように思い切り体を動かしましょうっ」
志鶴はにぱっと笑うと、兵志と共に歩き続ける。
そして兵志と志鶴は、準備をするために自宅へ向かった。
兵志たちの自宅はスパリゾートホテル霧雲のB棟だ。
ホテル霧雲のB棟は、かつてホテルのお得意様やVIPを主に受け入れていた。
そのため本館よりも少し高級志向で、ゆったりとしている。
兵志たちの自宅として使うために改修されたが、当時の雰囲気は変わらない。
「そういえば兄さま。父さまの昼食と一緒に、兄さまへの差し入れも用意していたのです。少し手を加えたらお弁当になりますので、昼食として持って行きませんか?」
「そうか、嬉しい。ありがとな、志鶴」
兵志が心を込めてお礼を伝えると、志鶴はご機嫌に笑う。
「ふふ。兄さまのためですから。いつも兄さまは全力で頑張ってますから。できるだけ兄さまの力になりたいのです」
志鶴は兵志の腕にぎゅーっと抱き着く。
兵志は穏やかに目元を緩めると、妹と共に自宅であるホテル霧雲のB棟に入る。
B棟は大規模な改修が入ったが、建物への入り口は当時と変わらない。
昔のホテルによく見られた、二重扉だ。
兵志たちの自宅に改修されたホテル霧雲のB棟は地下二階・地上五階建て。
一階はエントランスと会食にも使える食堂があり、多目的室が二部屋。
二階はラウンジとして、一フロア丸ごと使われている。
三階にはゲストルーム。そしてシアタールームと、トレーニングルーム。
四階には兵志たちの私室があり、五階には大浴場とプールがある。
ちなみに地下施設には、作戦準備室や武装備品室・射撃場と道場がある。
ホテルとして使われていた施設であるため、内部は広い。
兵志はいつもの調子で、妹と共にエントランスホールに足を踏み入れる。
そしてエレベーターを待ちながら、兵志は志鶴を見た。
「志鶴、お前はシャワーを浴びて来い。一度さっぱりした方がいいだろう」
志鶴はおそらく妖魔の意地悪で、頭からお湯を被っている。
それに水着も濡れている。一度シャワーを浴びてすっきりした方がいいだろう。
志鶴は兄に気遣ってもらって、嬉しそうに微笑む。
「ありがとうございます、兄さま。ぱぱっと浴びてきますね」
「焦らなくていい。俺はおやじに挨拶してから、地下で準備をしておく」
「はい、父さまは二階にいるようですよ」
志鶴は兵志に言葉を返しながら、エレベーターに乗る。
兵志と志鶴が言う『父』とは獅子我大志という男のこと。
《超人》と謡われる、『軍警』の総指揮である。
兵志は獅子我大志の遺伝子を基に、妖魔の肉で造られた人造妖魔だ。
つまり兵志と獅子我大志は、正しく血が繋がっている親子なのだ。
兵志は二階のラウンジで降りて、志鶴は四階の自室へと向かう。
二階のラウンジは広い。
元々、ホテルのラウンジとして使われていた場所を改修したからだ。
床材は大理石。だがラウンジの一角には、畳が敷かれている。
その畳がある場所で、《超人》──獅子我大志は座していた。
獅子我大志の外見は、若い。兵志と数歳しか違わないように見える。
何故なら、獅子我大志は不老不死だからだ。
獅子我大志は、不死の力を持つ『竜の瞳』を心臓の代替としている。
『竜』を冠する至宝は、最上級の神秘であり至高の超常でもある。
その力は凄まじい。
だから何があっても、獅子我大志は死なない。
何かあっても、『竜の瞳』が獅子我大志を完膚なきまでに復元させる。
「おやじ、少しいいか?」
ラウンジに入った兵志は、父のそばまで近づく。
獅子我大志は、詰襟のシャツを身に着けた上に和服を着ていた。
老兵のように達観した、全てを見通すことができる研ぎ澄まされた雰囲気。
その雰囲気を身に纏って目を閉じたまま、獅子我大志は口を開く。
「──何か、妖魔に強請られたのか?」
単刀直入に問いかける獅子我大志の言葉に、兵志は頷く。
「ああ。最近構ってなかったから、俺の獲った肉が欲しいと言ってきた。これから西の乾燥地帯に行って、アブラサソリを狩ってくる」
獅子我大志は兵志の返答を聞くと、頷く。
「『軍警』はお前が不在になっただけで立ち行かなくなる組織ではない。今日は高遠も秋継も出勤している。暇を弄ぶくらいなら行ってこい」
「俺も同じことを考えてた。だから少し出てくるよ、おやじ」
獅子我大志は兵志の言葉に頷く。すると再び迷走に入った。
兵志は獅子我大志に向かって軽く手を上げると、その場を後にした。