第三章:04:『正しい声』が聴こえる
『軍警』に保護されることを望んだ一般人。通称──仮隊員。
仮隊員の活動区域は《四方山》の北部に集中している。
《四方山》の北部は主に居住区画と生産工場に分かれていて、仕事を与えられた仮隊員は生産工場で『軍警』の備品や食料を生産している。
働かざる者、食うべからず。とはいえ仮隊員は『軍警』で働けばお給金が貰える。
この時代、安定した衣食住と金銭が享受できるのはありがたいことだ。
仮隊員の行動範囲は制限されていて、基本的に仮隊員は活動区域から出られない。
その理由は、いくつかある。
一つは仮隊員を、『軍警』と共生する『不解』から守るためだ。
そしてもう一つは、仮隊員に紛れているスパイを自由にさせないためでもある。
保護した一般人の中には、『軍警』の内情を知る目的の人間もいる。
そんなスパイたちを自由にさせない。そのために、仮隊員をまとめているのだ。
獅子我兵志は仮隊員の活動区域にやって来た。
警備部隊の派出所を通ると、兵志は鉄柵で囲まれている仮隊員の活動区域に入る。
そして居住区画へと向かった。
仮隊員の居住区画は、彼らがそれぞれ抱える事情によって住居が分けられている。
兵志が向かう先は『軍警』で保護した『教導』の信徒、そして『教導』から追放された《聖女》や《聖者》が使用している居住C区だ。
居住C区の中心には、聖堂と教会がある。
その聖堂と教会は、かつて港町で使用されていたものだ。
今は改修されて、『教導』の信者たちが使用している
兵志は『教導』の信徒から《星雲教会》と呼ばれている建物に向かう。
すると、表を掃除していた元『教導』メンバーが兵志に気が付いて頭を下げた。
「『軍警』の副総指揮様、どんな御用でしょう」
「冬湖はここにいるよな?」
「はい、冬湖さまですね。ご案内します」
『教導』信者は頷くと、兵志を聖堂内の二階へ案内する。
兵志は石造りの二階に上がると、一番奥の部屋へと向かった。
「冬湖、いるな?」
兵志は扉を軽くノックしながら、問いかける。だが返事はない。
兵志は浅くため息をつくと、扉をあけ放った。
そして部屋の中にいる聖女を見て、大きくため息をつく。
「おい呑んだくれ聖女。昼間っから酒を飲むな」
兵志は部屋の中にいる女性を睨む。
その女性は酒瓶を抱きしめたまま、窓辺に置いた丸テーブルに突っ伏していた。
白銀の、ゆるくカーブがかった長い髪。ふくよかながらも華奢な体には黒い質素なワンピースをまとっており、首元には雪の結晶のネックレスが提げられている。
儚い雪のように、可憐で美しい聖女である。
外見は一〇代後半程。
だが実年齢は兵志の三倍はくだらない。そのためやけに落ち着いた雰囲気がある。
《聖女》でありながらも、現在の冬湖は完全にだらけていた。
それなのに、妙に背筋と足が揃っている。
そのせいで隠し通せない程に品があり、絵になるほどに美しい女性である。
「んー…………あ。『軍警』の副総指揮サマ」
冬湖はだらんっと椅子にもたれかかったまま、兵志を見上げる。
そして不機嫌そうに冬湖は口を尖らせると、机の上に置いてあったおちょこのふちを人差し指で撫でた。
「きょうは祈祷日という名のお休みなのよー……それにわたくしは昨夜、迷える信徒をつきっきりで導いたの。だから月見酒ができなくて……クソ、せっかく良い月が出ていたのに……」
完全にやさぐれモードである冬湖。
彼女は、酒で頬を少し赤らめたままチッと舌打ちをする。
《聖女》や《聖者》とは物事を見据え、現状を冷静に判断できる思慮深い者たちだ。
だが《聖女》や《聖者》にも不良はいる。
そういう輩に限って妙に力が強くて人望もある。
そして大体、だらしない様子も可愛げがあって親しみやすいと許されるのだ。
「冬湖。お前はすっかり忘れているようだが、今日が何の日か分かってるか?」
「今日? 昨日徹夜だったから曜日感覚が終わってるのよね……えーっと」
冬湖は呆れた兵志に睨まれながら、とんとんっと人差し指で眉間を叩く。
兵志は隠さずにため息をつくと、冬湖を睨んだ。
「お前に導いてもらいたい少女がいるんだ」
兵志はぐうたら《聖女》に呆れながらも、淡々と告げる。
冬湖は《導きの聖女》と呼ばれている女性だ。
彼女は《真なる者》である真者から直接力を授かり、《聖女》となった。
つまり冬湖は生まれた時から《聖女》であったわけではない。
真者から託された力を、見事覚醒させて《聖女》へと至った逸材である。
冬湖はむーっと口を尖らせながら、記憶を探る。
「わたくしに導いてもらいたい子……あー、そんな話を書いた文を二日前くらいにもらったような貰わなかったような。……なんでしたっけ。えーっとぉ……」
冬湖は呑気な声を上げて、必死に手紙の内容を思い出す。
だがきちんと思い出した。そして一瞬で気持ちを切り替えた。
「──なるほど。把握しました」
《導きの聖女》である冬湖は突然清廉と呟くと、体を起こす。
そして居住まいを正して、酒瓶を丁寧にテーブルに置いた。
その一連の動作は滑らかで美しく、聖女然とした振る舞いだ。
「あなたがわたくしに導いてほしい少女とは、本当に貴いお方なのですね」
昼間から酒を飲んで、駄々をこねていた呑んだくれ聖女。
だが次の瞬間そこにいたのは、《聖女》として人々を守り導く存在であった。
冬湖は姿勢を正したまま、すいっと顔を上げる。
視線の先にあるのは、《四方山》の南だ。
「あの方に通じる貴き気配です」
冬湖は貴い存在から言葉を賜った巫女のように、粛々と告げる。
「まだ初いですが、それでもすべてを兼ね揃えた気配です。自身ですべてを選び取ることができる、圧倒的な高貴さを持つ気配。貴き気配が、あなたの住居からします」
何も映していないようで、全てを見透かすような美しい冬湖の瞳。
冬湖は遠くを見据えたまま、一つ頷く。
そして自分が守り導く存在──美愛を感じながら、自分の胸に手を置いた。
「あのような貴きお方を守り導くことになろうとは……考えが至りませんでした」
冬湖は心を落ち着けると、頷く。
「──そうですね、いま『教導』は指導者が不在。そして今年の初め、『聖占』は予言を下した。予言の内容からすれば、『聖占』のいう《御子》がすでにこの世界に存在していてもおかしくありません」
冬湖の口から、《御子》という言葉が出た。
兵志はまだ何も言っていない。
それでも真実に辿り着いた冬湖に、兵志は慎重に問いかける。
「──お前は、美愛が《御子》であると感じるのか?」
「ええ、もちろんです」
冬湖は即答すると、美愛のことを想う。
「わたくしには分かります。あの子は《御子》。『教導』の新たな指導者として力を与えられた、貴きお方の後継者です」
兵志は思わず口を噤んでしまう。
伊冴姫も兵志も美愛が《御子》であるかもしれないと考えていた。
だが確証がなかった。そのため兵志と伊冴姫はとりあえず美愛が自分の身を自分で守れるように力をつけるべきだと考えていた。
だからこそ伊冴姫は美愛を『軍警』に預けた。そして兵志は美愛に力の使い方を学んでもらうために《導きの聖女》である冬湖に声を掛けた。
だがいま、冬湖は美愛が《御子》であると断言した。
そうなれば話は色々と変わってくる。
「あなたが分からないのも無理はないです、兵志」
冬湖は自分の断言を聞いて即座に何が最善か考えている兵志に語り掛ける。
「ですがそれほど真剣に考えなくて良いかと。いまの段階で、わたくし以外に美愛が《御子》だと理解できる者はいませんから」
冬湖は断言すると、自分の胸に手を置いたままそっと目を伏せる。
「いま、わたくしは『正しい声』を聴きました。あの子の力になるべきだと、わたくしはわたくしにそう告げています」
冬湖は少し特殊な言い回しをしながら、兵志をまっすぐと見つめる。
「『聖占』の《堕天千果》──千世様が世に出された予言は確かです」
『今年。『教導』の新たな指導者である、《御子》が来臨する』
『《御子》は『教導』の新たな星。《真なる者》の教えを再び広める貴き星である』
「千世様は必要最低限の混乱を許容し、それよりも深刻でより多くの人々を死に追いやる事象からすべての人々を守る方です」
冬湖は千世の在り方について口にすると、厳かに告げる。
「あの方が人々を救う過程で、多くを守るために個人の小さな幸せが押しつぶされてしまうことはあります。それは致し方ないことです」
個人の幸せと、全体の幸せ。それを秤にかけた時、どうしても個人の幸せをないがしろにしなければならない時がある。
多くを守るためには、代償がいる。
必ずどこかで何かを犠牲にしなければならない。
未来を識る『聖占』は、常に人々を守るために常に選択を迫られている。
冬湖は千世が抱える計り知れない重荷を慮りながら、両手を組む。
「『正しい声』は、わたくしに美愛の幸せを守れと告げました。そして自らの役目を果たすべきだと。──ええ、あの子の望むべき道へ導くことこそ、わたくしの成すべきことです」
冬湖は冷静に、端的に。祈りながら告げる。
「わたくしは多大なる運命を背負わされたあの子を守り導きます。これは決定事項です。よろしいですね、兵志」
兵志は冬湖の力強い言葉を聞いて、そっと目を伏せる。
美愛が《御子》だった。
兵志と同じく、次世代を担う存在として生み出された存在だった。
その事実はあまりにも重く美愛にのしかかる。
兵志は美愛を慮りながら、冬湖を見た。
「あの子の幸せを、お前にも守ってほしい。よろしく頼む、《導きの聖女》冬湖」
兵志は冬湖に緩く頭を下げる。
すると冬湖は立ち上がり、しずしすと兵志に近づいた。
「わたくしの役目ですから。きちんと果たさせていただきます、兵志。──さあ、案内していただけますか。あなたと同じく、次世代を担う《御子》のもとへ」