第三章:03:『軍警』の拠点へ
《四方山》は山の頂上をえぐり取った場所を、平たくしたような地形にある。
名前通りに四方を山──というか崖に囲まれており、防衛と秘匿に優れている。
地形上、《四方山》に入るためには検問所を通り、トンネルを通る必要がある。
トンネルはそこまで長くない。バイクで駆け抜けるとすぐだ。
「わあ……っ」
『軍警』の拠点を初めて見た美愛は、兵志の後ろで思わず感嘆の声を上げる。
崖に囲まれた先に、平坦な街並みが広がっている。
『不解』という超常が関わっていなければ、ありえない地形だ。
兵志はバイクを走らせて、自宅であるスパリゾートホテル霧雲のB棟へと向かう。
そして自宅のガレージにバイクを停め、エンジンを切りながら美愛を見た。
「お前が住む場所はここ、俺や志鶴──総指揮が住んでる自宅だ。総指揮と一緒の住居なんて緊張するだろうが、お前の安全のためだ。許してくれ」
「とんでもないです。兵志さまや志鶴さまと一緒のお家でうれしいです。『軍警』の総指揮さまにはお会いしたことないので少し緊張しますが……兵志さまと志鶴さまのお父君なので。共に過ごせて光栄です」
「良かった。荷物をもって入ろう。移動に疲れただろ」
兵志はそう告げながら、バイクに積んである美愛の荷物を降ろそうとする。
だがよく知る気配を感じて、兵志は視線を鋭くした。
「──市梅」
兵志が誰かの名前を呼んだのを聞いて、美愛は驚いて振り返る。
「ひゃっ」
振り返った瞬間、美愛はすぐそばに人がいるのに気が付いて声を上げた。
一八〇センチの、白銀の髪に黒い瞳の美しい女性だ。
だが彼女は人間ではない。
下半身が灰色の肉の塊なのだ。
その灰色の肉の塊の表面は虹色に輝いている。
肉は触れてしまいたくなるほどに美しい。
だが触れた瞬間に手を焼かれるという予感がある。
まるで上半身がひとで、下半身が魚の人魚のような出で立ち。
彼女は『軍警』と共生関係にある『不解』──妖魔。
その一番目の仔体である市梅だ。
上半身に白のビキニを身に着けた『不解』は美愛にゆっくりと近づく。
そしてすんすんっと、美愛の匂いを嗅ぐ。
「……懐かしいにおいがする」
市梅の言う、懐かしいにおい。
それは紛れもなく貴き存在である《真なる者》である真者のことだ。
市梅はかつて、真者に会ったことがある。だから真者の匂いを覚えている。
「いけ好かないにおい。決して食べられぬにおい。人間に通じているのに、その在り方が完璧に個として完結し、成り立っていた存在。……そんな者もいたわ」
市梅は淡々と呟くと、興味をなくしたかのように美愛から離れた。
そして市梅はふわりと浮き上がった。
宙を舞うと、振り返って流し目で美愛を見た。
「この間食べたにく。おいしかったわ。ありがとう」
市梅はそう告げると宙を泳いで兵志に近づき、その頬にキスをする。
「母体も嬉しそうだった。またよろしくね、兵志」
市梅は兵志に手を振ると、そのまま体をくねらせて宙を泳ぐ。
そして自らの根城であるスパリゾートホテル霧雲の本館へと戻っていく。
「い、いまのは……『不解』でいらっしゃる……のですよねっ……?」
妖魔に初めて会った美愛は、鼓動が早くなる胸を必死に押さえつける。
『軍警』には多くの『不解』がいると、美愛は事前に聞いていた。
だがまさか、到着して早々に『不解』に遭遇するとは思っていなかったのだ。
兵志は市梅がきちんとホテル霧雲に帰っていくのを確認すると、美愛を見た。
「市梅が驚かせてすまない、美愛。あれは妖魔という『不解』の一仔体だ。他の姉妹と比べて、あまり他者に興味を示さないんだが……お前は気になったらしい」
兵志は市梅について軽く説明する。
一緒に住む上で、兵志は美愛に自分が人造妖魔であることを話そうと思っていた。
人造妖魔である兵志は、人間と感性が異なる。
美愛は《真なる者》に通じる力を持つ。
だからこそ兵志と日常を過ごせば、兵志が人間ではないと確実に気が付く。
その時に自分が人造妖魔であると告げるより、先に話していた方が良い。
だがまさか、兵志も話をする前に市梅が美愛に興味を示すとは考えていなかった。
「あれについても後で話す。とりあえず家に入ろう」
「はい、兵志さま。……あの方は市梅という名前で、妖魔という方なのですね……」
美愛は市梅が去っていった方向を見つめて、ふふっと笑う。
「何故か分かりませんが、志鶴さまを思い出しました。早く会いたいです」
「志鶴はお前の部屋の準備をして待っている。行こう、美愛」
兵志は美愛の荷物を降ろして、軽いトートバックだけを美愛に渡す。
兵志の妹である志鶴は、市梅の肉体から生み出された仔体だ。
市梅は志鶴に通じているものがある。
それを美愛は生来の気質で感じ取ったのだろう。
《聖女》や《聖者》は、物事を見通す力に長けている。
美愛もその素質を持っているのだ。
(美愛はすぐに俺と志鶴の違和感に気が付くだろう。……一息ついたらすぐに俺たちのことについて言うべきだな。だがその前に冬湖のもとへ行くべきか)
兵志は美愛を連れて、自宅であるスパリゾートホテル霧雲のB棟に向かう。
兵志と美愛が二重扉を通ると、エントランスホールでは志鶴が待っていた。
「兄さま、美愛ちゃん。お疲れさまでした」
美愛は志鶴の姿を見つけると、表情を明るくする。
「志鶴さまっお久しぶりです、これからお世話になります」
美愛は志鶴に近づくと、ぺこりっと丁寧にお辞儀をする。
「道中危険なことがなくて何よりです」
志鶴は美愛に笑いかけると、兵志をちらっと見た。
『兄さま、先ほど市梅姉さまがガレージの方に行きましたよね?』
『ああ。真者に通じる匂いを感じたらしい。珍しく興味を示していた』
『なるほど……姉さまはあの方に会ったことがありますからね……』
志鶴は思考の波長を兄と合わせて会話すると、美愛を案内する。
「美愛さんの部屋は三階に用意してあります。行きましょう」
志鶴は美愛の荷物を積んだ荷台を押す兄を気にしながら、エレベーターに向かう。
「二階はラウンジで、主にくつろいだりご飯を食べる場所です。三階はゲストルームと娯楽室。四階には私たちの私室があって、五階にはプールや大浴場があります。ゲストルームにもお風呂はありますが、大浴場も自由に利用して大丈夫ですよ」
志鶴は丁寧にてきぱきと説明をしながら、三階へと向かう。
「あの、志鶴さま。こちらには、『軍警』の総指揮である獅子我大志さまが住んでいると聞きました。いまはいらっしゃいますか?」
「父さまはいま本部に出勤しています。夜には帰ってくるので、その時に挨拶をすれば大丈夫ですよ。父さまはむすっとしていて強面ですが、とても優しいです。美愛ちゃんの話を、きっとよく聞いてくださいます。頼み事は遠慮なくしてくださいね」
「そ、そんな……お世話になるのに頼み事なんて……申し訳ないです」
「遠慮しなくて大丈夫ですよ、父さまは優しいですから」
志鶴は微笑みながら、兵志が美愛に用意した部屋に向かう。
「ゲストルームは昔のホテルの様式を採用してまして。ルームキーに取り付けられたアクリルブロックで部屋の電気をつけるのですよ」
志鶴はルームキーのアクリルブロックを壁の所定の位置に突き刺す。
すると、ぱっと室内の電気がついた。
「わあ……広いですね」
美愛は躊躇いながらも玄関で靴を脱いで、スリッパに履き替えて室内を進む。
水回りは一つの部屋にまとめられている。
トイレの隣には洗面所が設置されていて、不透明な扉を隔てて入浴場がある。
浴槽も広い。
ゲストにゆっくりくつろいでもらうために、水回りは大々的に改修したのだ。
部屋の方はリビングと寝室の二部屋。
昔のリビングにはテレビがあったが、今の時代には公共電波が発信されていない。
しかもテレビはそこにあるだけで『不解』を受信する装置となっている。
映像記録を出力する装置はそれ専用で造られており、公共電波は受信できない。
だがやはり時々、映像出力装置も『不解』を受信してしまうことがある。
そのため、何かを映すという家電の取り扱いには非常に注意が必要だ。
美愛は部屋を見まわして、ほうっと息をつく。
「素敵な部屋。……本当に、わたしが一人で使っても良いのですか?」
「大丈夫ですよ、美愛ちゃんのために用意しましたから。滞在も長くなる予定ですし、欲しい者があるなら言ってください。『軍警』の技術力は高いですから、なんでも用意できますよ」
優しい志鶴の言葉を聞いて、美愛は嬉しそうに何度も頷く。
「早速荷物の整理をしますね。兵志さま、ここまで運んでくださりありがとうございます」
美愛は玄関に荷台を置いてくれた兵志の方へ、ぱたぱたと駆けていく。
「志鶴。俺は冬湖に会ってくる。美愛の荷物の整理を手伝ってやってくれ」
「はい、兄さま。美愛さんの荷物整理が終わったら、ラウンジで待っていますね」
兵志は頷くと、美愛と志鶴を残して部屋から出る。
美愛は生まれた時、性別がなかった。そして成長する過程で、母である《聖女》綾凪と同じ性別が良いと考えて女のかたちをとったと聞く。
性認識もおそらく、女性。
それならば、同じ性認識である志鶴が手伝うべきである。
兵志は部屋から出ると、階段を下りてホテル霧雲のB棟へと出る。
そして仮隊員が主に使用する一般区域へと向かった。