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不解:超常により荒廃した世界で、俺たちは生きる  作者: 篠槻さなぎ
第三章:約束を胸に歩み出す
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第三章:02:親しんだ土地に別れを

 《聖女》綾凪あやなぎは自分の胸に手を当てて、兵志をまっすぐと見つめて口を開く。


「私は『正しい声』を的確に表現することはできません。ですが、それでも伝えられることはあるのです」


『正しい声』。

 かつて人間だった時に、《真なる者》である真者しんじゃが聴いたもの。

 彼が人間を辞めて、完成された存在へと至るきっかけになった声。

 そして彼に通じる貴き者たちに聴こえる、何よりも貴く尊重するべき声。


 綾凪は『正しい声』を的確に表現することができない。

 だが自分なりに『正しい声』を解釈し、美愛に伝え続けた話を口にする。


「二つの選択肢があった場合、その二つの選択肢から答えを選ぶ必要はない。いつでも、第三の答えがある」

 

 綾凪は巫女が賜った天啓のように、淡々と告げる。


「目の前の二つの選択肢のことばかりを考えるのではなく、いつでも自分の気持ちを聞いて、自分の望む答えを選ぶこと。私は美愛に、そう教えてきました」


 綾凪が聴いた『正しい声』の本当の意味は伝えられない。

 だが《聖女》や《聖者》は少ない言葉でも、伝えたい想いを相手に伝えられる。

 だから兵志は、兵志は綾凪が何を危惧しているか理解できた。


「すでに決められた道を進まなくていい」


 獅子我兵志は綾凪の目をまっすぐと見て、言葉を紡ぐ。


「誰かに望まれたからと言って、自らを犠牲にしなくていい。自分が進むべき道は、自分の意志で決める。どんな道でも、自分が納得できるものが最善だ。……その教えに通じることを『正しい声』は主張していたということか?」


「はい。私は『正しい声』をそのように解釈しました。きっと、間違っていないはずです。だから私は、美愛にずっと伝えてきました」


 綾凪は悔しいと言わんばかりにまつげを震わせる。そして兵志を真眼で射抜いた。


「あなた様は自分で自分の道をれだと定めた。そうでしょう?」


《聖女》である綾凪は、すべてを見通した洞察力をもって兵志を正しく見つめる。


「あなた様は多くの人間に望まれて、獅子我ししがの名を冠する者としてこの世に生まれ落ちた。そしてあなた様はよく考えて、自らが次代を継ぐことを望んだ。だからあなた様は迷うことなく自らの望む覇道を進み続けられる。そうでしょう」


 綾凪の言葉の通りだ。だから兵志は、ゆっくりと頷く。


「美愛にも、自分の意志で自分の道を選んでほしいのです。迷いながらもきちんと考えて自分が納得できる最善だと思った道を選んでほしい。……あの子は、私の愛しい子です。だから、幸せになってほしいのです。自分の幸せを、自分で掴んでほしい」


 綾凪は美愛のことを想って、両手を組んで強く祈る。


「私はあの子の幸せを祈っています。美愛の幸せを願う私が罰せられないのであれば、『正しい声』も私の意向を許してくれているということ。だから私は何があってもずっと、あの子の幸せを願うつもりです」


 綾凪は突然、美愛を身籠った。そんなことになれば、誰でも混乱する。

 何故ならどう考えてもありえないことだから。

 愛しい人を知らず、致したこともないのに子供ができるなんてありえない。

 それでも綾凪は自分の腹に突然宿った美愛を産む決心をした。


 自分の命がここでついえて、力を失うとしても。綾凪は美愛を産む決意をした。


「私がもっと丈夫だったら、あの子を導くこともできたのに……兵志様はもう知っていらっしゃると思いますが、私はもう《聖女》としての力を振るえないのです。美愛を生むことで、力を使ってしまいましたから」


 綾凪は自分の両手を見つめた後、兵志を見た。


「兵志様。あの子のことを、よろしくお願いしてもよろしいでしょうか。あの子も、兵志様と同じく力を持って生まれた子なのです。ですから、どうかお願いします」


 綾凪は兵志へ深く頭を下げる。兵志は立ち上がると、綾凪の前でひざをついた。

 そして兵志は綾凪のことをまっすぐと見上げて、厳かに綾凪の手を取る。


 綾凪の体は華奢で、強く力を入れれば壊れてしまいそうなほどに儚い。

 体がすぐにでも壊れてしまいそうに弱るほど、綾凪は命懸けで美愛を産んだのだ。

 兵志は、自分の存在すべてを懸けて美愛を産んだ綾凪を強く讃えたまま頷く。


「約束しよう、《聖女》綾凪。俺は必ずあの子が幸せになれる道を、あの子自身に選ばせる」


「ありがとうございます、兵志様……」


 綾凪は強い感謝を込めて、兵志に頭を下げる。

 兵志はそんな綾凪を前にして、綾凪の偉業を讃えてそっと目を伏せた。

 綾凪は幸せそうに微笑むと、兵志の手を握る。

 すると、何か重いものを抱えて美愛が階段を降りてくる足音が聞こえてきた。

 兵志と綾凪が見ると、リビングの扉を美愛が開けた。


「母さま、兵志さま。お邪魔をしてしまいましたか……? 準備は終わりました」


「問題ありませんよ、美愛。こちらへ」


「はい、母さま」


 美愛は綾凪に呼ばれて、即座に駆け寄る。兵志は美愛のために、場所を空ける。

 美愛は兵志を気にしながら、座っている綾凪の前に腰を下ろして膝をつく。


「ごめんね、美愛。あなたを導いてあげることができなくて」


 綾凪は美愛の頭を、優しく撫でる。

 薄茶銀ハシバミの髪。その髪に飾られた赤いリボンを撫でて、綾凪は美愛に微笑みかける。


「『軍警』のもとにいらっしゃる《聖女》や《聖者》はあなたの力になってくれます。彼らの言葉をよく聞きなさい。ですが、すべてに従わなくていいのです。自分でよく考えて、自分の気持ちと相談して。自分の納得がいくように物事を選びなさい」


「はい、母さま」


 美愛は母の言葉を注意深く聞き、理解してから頷く。


 綾凪はそっと、美愛に向けて両手を広げる。

 美愛は切なそうに顔を歪めると、膝立ちのまま綾凪にすり寄った。


 綾凪は美愛を優しく抱きしめる。

 そして暫しの別れになる美愛のことを全身で感じた。

 少しして。綾凪は気持ちを落ち着けて、美愛を抱きしめるのを辞めた。


「気を付けて、美愛。元気でね」


「……はい、母さま。行ってきます」


 美愛は少しだけ目を潤ませながら、こくんっと頷く。

 そして自分たち親子の様子を見守っていた兵志を見た。


「兵志さま、行きましょう」


「もう大丈夫か?」


「はい、もう大丈夫です。父さまと兄さまにはすでに挨拶を済ませていますし……伊冴姫いさきねえさんも伊冴見いさみにいさんにも、昨日顔を見せましたから」


 美愛の父と兄は、義父と義兄。

 伊冴姫と伊冴見の計らいで、綾凪が結婚した相手だ。

 美愛の義父である喜多田ヒナデには死別した妻との間にハヤテという息子がいて、彼らは二人とも《学修区》で教師をやっている。


 美愛が旅立つ今日も、《学修区》では普通に授業が行われている。

 そのため美愛は出勤する二人と、すでに別れを告げていたのだ。


「では、行こう。美愛」


 兵志が声を掛けると、美愛は真剣な表情で頷いた。


「はい、兵志さま。これからよろしくお願いします」


 美愛はぺこりっとお辞儀をすると、リビングから先に出る。

 そしてキャリーケースをころころと押して、玄関へと向かう。

 兵志はそんな美愛を追って廊下を進み、その後ろには綾凪が続く。

 玄関前に出て兵志は美愛から荷物を受け取ると、バイクに積む。


「だいじょうぶ。また会えますよ、美愛」


 兵志から受け取ったヘルメットを着けようとしていた美愛に、綾凪は近づく。

 ヘルメットを被った美愛の顎紐を丁寧に留めてあげると、綾凪は微笑んだ。


「行ってらっしゃい、美愛」


「い、……行ってきます。母さま」


「はい、行ってらっしゃい。美愛」


 美愛は泣きそうになりながらも頷くと、二人乗りの兵志のバイクの後ろに跨った。

 兵志は準備が整うと、最後に綾凪に声を掛けて出発した。

 美愛は兵志の背中に強く抱き着いたまま、住み慣れた都市である《繚嵐》を見る。


「本当に、また帰ってこられるでしょうか……」


 ぽそりと呟いた声でも、兵志にはよく聞こえた。だから兵志は応える。


「お前が帰ってきたいと思えば、帰ってこられる」


 美愛が帰ってきたいと思うのであれば、兵志は必ずサポートする。

《聖女》綾凪と、約束したからだ。


 美愛はきゅっと口を引き結ぶと、兵志の背中に強く抱き着く。

 そして《繚嵐》を見た。


「…………またね」


 この地域において、最も人間の尊厳と価値が守られる街──《繚嵐》。

 その都市に別れを告げて、美愛は兵志と共に『軍警』の拠点──《四方山》へと向かった。


────……✧


『軍警』の拠点、《四方山よもやま》は、その名の通り四方を山に囲まれた中心にある。


『不解』によって、突如として山の中心に転移した港町。

 港町を改造した拠点であるため、《四方山》は防衛と秘匿に適している。


 だがいくら《四方山》が防衛と秘匿に適した拠点だとしても、『不解』という超常を利用しようとすれば、《四方山》にも攻め入ることもできる。


 そのため『軍警』の拠点がある山には、様々なトラップが仕掛けられている。


 トラップが仕掛けられていない道は、『軍警』の検問所がある道だけだ。


 拠点に繋がる検問所は、鉄網と巨大な門によって囲われている。

 だが鉄網であるため、中が見える。『軍警』の検問所は広い駐車場と検問所本部、そして倉庫が幾つかと常駐している警備部隊の詰め所、そして監視塔が複数ある。


 兵志が検問所の入り口にバイクを停めると、詰め所から隊員が出てきた。


「副総指揮、お疲れ様です!」


 銃を携えて兵志に近づいてきたのは、警備部隊スワロウの部隊員だ。

 警備部隊とは『軍警』の正式隊員となった者が一度は必ず所属する部署である。

 そのため、比較的年齢が若い新参者の隊員が多い。

 兵志はバイクから降りて、近づいてきた隊員に声を掛ける。


百合丘ゆりおか、ただいま帰った」


「はい! おかえりなさい、副総指揮!」


 警備部隊の百合丘隊員は満面の笑みで頷く。


『軍警』は正式隊員が三〇〇名、余暇隊員が一五〇名。

 仮隊員が六〇〇名いる大所帯だ。


 仮隊員とは『軍警』へ保護を求めてきた者たち。つまり一般人だ。

 正式隊員は文字通り、『軍警』の業務や作戦に携わる隊員たち。

 余暇隊員とは引退した者や後続を育てるために一時的に部隊から離れて、教官業務を行っている隊員たちだ。


「副総指揮に会えて光栄です。副総指揮は、我々の尊敬の的ですから」


 百合丘はキラキラとした瞳で、兵志を見つめる。


「ありがとう。──少しひとを移送していてな。あの子の身元は俺が保証する。俺の身分検査だけしてくれ」


 兵志は警備部隊スワロウの隊員が差し出したタブレット端末に触れる。


 タブレット端末に、兵志は隊員IDと暗証番号を入力する。

 認証が完了したら、兵志は警備部隊員が差し出した生体認証端末に手を置く。


 生体認証もクリア。

 これにより、獅子我兵志は記憶も体もすべて本人であると証明された。


「副総指揮だと確認しました。お通り下さい」


 兵志は敬礼を返すと、美愛のもとに戻る。

 美愛は検問所を物珍しそうに見ていたが、近づいてきた兵志に目を向けた。


「もう大丈夫なのですか?」


「ああ、行こう」


 兵志はバイクに跨ると、最後に隊員へ目を向けて検問所を通る。

 そして『軍警』の拠点である《四方山》へ続くトンネルに入った。

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