第二章:07:大切な少女のために
『聖占』が予言した、『教導』の新たな指導者となる存在──《御子》。
美愛は、その《御子》に匹敵するほどの貴い力を持っている。
兵志は伊冴姫の話を聞いて、『聖占』の予言について考える。
「『聖占』は《御子》が誕生する、ではなく来臨すると予言した」
兵志は大前提として『聖占』の予言を今一度口にすると、伊冴姫を見た。
「もうこの世界には《御子》がいて、その者が『教導』の指導者として来臨する。その可能性は否定できない」
美愛は、《御子》だとしてもおかしくない程に貴い力を持っている。
つまりすでに誕生している美愛が、今年『教導』の指導者として来臨してもおかしくないのだ。
伊冴姫は、兵志の示唆するとある可能性に頷く。
「そそ。『聖占』は色々ぼかして解釈の余地を残している。いつもの事だけど、もっとはっきりしてほしいよね」
「それは仕方ない。『聖占』といえど、彼らも訪れる未来を完璧に予言することはできない。……それに、彼らはいつも解釈の余地をあえて残して、人々を誘導して最善の未来へと導こうとしている。予言の成就は人の行動によって変わるからな」
「でも予言が出たことによって、最近『組合』と『華街』に『教導』のスパイが紛れ込むようになったんよ」
伊冴姫は頭痛の種を兵志に説明する。
「ウチと兄さんが《聖女》や《聖者》を匿ってるんのは『教導』も分かってる。もちろん『軍警』でも保護してるんは『教導』も知ってるよね」
「追放した《聖女》や《聖者》が《御子》を産んでいるかもしれない。だからスパイを紛れ込ませて、『教導』が探っている。……それは理解している」
兵志は伊冴姫に同情しながら、自分の組織の現状を話す。
「実は予言が公布されてから、《四方山》に侵入してくる人間が増えた。最近は対策を講じたから少なくなったが、時折うちの隠密部隊がスパイをあぶり出してる」
伊冴姫は危機感を募らせながら、目を細める。
「……連中、確実に《御子》を探してる」
「そうだな。……いまの『教導』は内部分裂して、派閥に分かれている。どの派閥も『教導』の新たな指導者である《御子》の確保に躍起になってるんだろう」
『教導』とは《真なる者》が人々を教え・守り導くために造り上げられた組織だ。
だが現在の『教導』はトップが不在。
《真なる者》が人々を守るために全存楽土《鏡星》へ旅立ったからだ。
真者がこの世界からいなくなったことで、『教導』の在り方は変貌してしまった。
いまの『教導』は『真選』と呼ばれる、一年に一度行われる全存楽土《鏡星》へと至る資格を得る選別に受かることを目的としている。
つまり『教導』は人々を教え・守り導くのではなく。
自分たちの星である真者と共に戦う誉れだけを求めているのだ。
七年前。『教導』が現界樹討伐に参加しなかったのは、『真選』が関係している。
『真選』は一年に一度しか行われない。
その『真選』と現界樹討伐の日が、近かったのだ。
『教導』が参加しなかったのは、『真選』の日が間近に迫っていたから。
それは赦されない、一部の《聖女》や《聖者》は立ち上がった。
そして『教導』の意向に背き、現界樹討伐に向かった。
その結果、『教導』は大量の《聖女》や《聖者》を追放する羽目になったのだ。
「……これは『軍警』が掴んだ情報だが」
獅子我兵志は少しだけ重い空気の中、口を開く。
「去年の『真選』で合格した『教導』の人間は、ゼロだったらしい」
「ウソ。それ、確かなの?」
伊冴姫は兵志の口から飛び出た自分の知らない情報に、思わず声を上げる。
「『真選』を行う『機賓』が『軍警』に来て教えてくれた。真選に合格する人間はここ十数年減り続けていた。だがついに昨年、《鏡星》へ至ることができた者はいなかったと言っていた」
「……そうか。《四方山》は彼女たちの補給場所だからね。直接教えてくれたんか」
「いまの『教導』は『真選』だけを見据えている。それなのに真選に受かる人間がいなくなったら、何のための『教導』だという話になる」
「だから彼らは確かな指針を得るためにも、どの派閥も新たな指導者である《御子》を必死に探している。そういうわけね」
「そうだ。『教導』は在り方が変貌してしまった。はっきり言って、あそこは組織として瓦解寸前だ。……だからこそ、『教導』は最後の希望に縋っている。必死さが目に見えるのはそういうことだ」
伊冴姫は兵志の話を聞いて、一つ頷く。そして兵志をまっすぐと見た。
「兵志。お願いがあるんよ」
「──聞こう」
兵志はお茶を飲むと、伊冴姫をまっすぐと見つめた。
「美愛が本当に《御子》なのかは、正直どうでもいい」
それは、伊冴姫の本心だった。
ただ伊冴姫は、母である化生の慈母狐神から《聖女》綾凪を頼まれただけだ。
母が連れてきた綾凪は、大変な想いをして美愛を産むことを決意した。
綾凪が貴い存在だから、伊冴姫は伊冴見と共に綾凪と美愛を守っていた。
「兵志。あの子が立派に生きていくためには、自分の力の使い方を学ぶべきなの。だから兵志、あんたのところであの子に力の使い方を教えてやってほしい」
伊冴姫は居住まいを正して、誠心誠意を込めて兵志に頼む。
「ウチで囲ってる《聖女》や《聖者》に教えさせるのは無理なの。美愛の力は彼らより強いから、力を正しく教えてあげられない。それに、『組合』も『華街』も、『教導』のスパイが紛れ込むようになる前から人の出入りが多かったから」
「下手なところで美愛に力の使い方を教えると、美愛が貴い存在だと周囲に知られてしまうからだな」
「そう。そうなれば『教導』が美愛に目を付けてもおかしくないから」
『組合』は仕事を望む人々に、クエストとして仕事を発注する組織である。
そして『華街』は『組合』と異なり、『契約』によって人材を斡旋する組織だ。
『組合』や『華街』では、誰もが簡単に仕事を得ることができる。
組織の性質上、『組合』と『華街』はどうしても人の出入りが頻繁だ。
人が多いところで美愛に力を教えれば、『教導』に美愛の存在がばれてしまう。
だからこれまで、伊冴姫は美愛に力の使い方を本格的に教えられなかった。
「《聖女》綾凪は、美愛に力の使い方を教えられないの」
伊冴姫は美愛の母を想って、少しだけ切なそうに顔をしかめる。
「綾凪は美愛を産んだことで体が弱って、貴い力が使えなくなってしまったの。それに美愛の方が綾凪より数倍力が貴い。だからあの子を導けるひとが必要なの」
「……なるほど。それなら『軍警』の仮隊員に適切な人材がいる」
『軍警』の信条は、困っている人々に救いの手を差し伸べることだ。
だから『軍警』では『教導』から追放された《聖女》や《聖者》を保護している。
その中に、《導きの聖女》と謡われる《聖女》がいる。
彼女は多くの《聖女》や《聖者》を導いてきた。しかも、彼女は《真なる者》である真者から、人々を守り導くために直接力を賜った存在だ。
彼女ならば、完膚なきまでに美愛に力の使い方を教えることができるだろう。
「……今の世界があるんは、ウチらの前の世代が頑張ったおかげよ」
伊冴姫は窓からウェスタン自治区を一望して、呟く。
「あんたの父上──『軍警』の総指揮や《真なる者》。『聖占』のトップ。そして《地精命授》や《英雄》、『商会』の女主人。それに《黄泉國》の統王や神秘の種族長や多くの人々が頑張ったからこそ、今の平穏な時代が存在しているの」
この地域は、『不解』が現れてから一番穏やかな時代を過ごしている。
脅威となる『不解』が頻繁に出現しないのは、兵志たちにとっての先代が平和を築き上げてくれたからだ。
彼らは兵志たちに、次代を託した。争いによって勝ち取った平穏を、平穏の中で育てられた強力な次代によって守ってもらうためだ。
『軍警』には獅子我兵志という次代がいる。
旧時代の神秘の生き残りが求めた次代である伊冴姫と伊冴見は、『組合』と『華街』という組織を築き上げた。
だが『教導』は、未だ代替わりができていない状態だ。
兵志は『教導』のことを考えて、そっと目を伏せる。
そして美愛のために真摯に願いを託す伊冴姫を見て、居住まいを正す。
「伊冴姫。──その頼み、引き受けた。必ず、美愛には自分の身を自分で守る力を身に着けさせる」
伊冴姫は兵志の言葉にふわりと笑うと、ゆっくりと兵志に頭を下げた。
「ありがとう、兵志」
美愛が本当に《御子》であるかという話は関係ない。
美愛が身を守る術を見つけるためにも、手助けできるなら手助けするべきなのだ。
獅子我兵志たちは、前時代の人々が必死に作り上げた平穏な時代を生きている。
その平穏な時代を維持するために、次代である獅子我兵志は望まれて生まれた。
父たちの努力を無駄にしないためにも、できる限りを尽くす。
それが次代として生み出された自分の役目だと、獅子我兵志は考えている。